55 hayashisejunjirou

はやし せんじゅうろう

林 銑十郎

1876年~1943年

30

永田鉄山・石原莞爾の傀儡として陸相・首相に担がれ、朝鮮軍の越境出動で満州事変を成功に導いた陸軍統制派のロボット

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

30

林銑十郎は、永田鉄山・石原莞爾ら一夕会系陸軍幕僚の傀儡として陸相・首相へ上り詰めた。満州事変において朝鮮軍司令官の林銑十郎は石原莞爾・神田正種らの策謀に乗り朝鮮軍の無断出動を断行、第二次若槻禮次郞内閣の事後承諾で処罰を免れ好戦国民から「越境将軍」と持て囃された。一夕会が統制派と皇道派に分裂すると、林銑十郎は皇道派の真崎甚三郎・荒木貞夫と袂を別ち永田鉄山の統制派に鞍替え、陸相に担がれ統制派優遇人事を容認した。永田鉄山が暗殺され陸軍中央で指導的地位に就いた石原莞爾は「猫にも虎にもなる」(自由に操れる)林銑十郎を首相に担いだが、政見も政治力も無い林首相は僅か4ヶ月で自滅した。林銑十郎は陸軍の下克上・一夕会系幕僚の台頭において欠かせない役割を演じたが、単なるロボットに過ぎず特筆すべき業績は無い。

Shijitsu

1876

加賀藩士林孜々郎の嫡子林銑十郎が金沢市にて出生

もっと見る

1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

詳細を見る

もっと見る

1894

日清戦争勃発

詳細を見る

もっと見る

1894

林銑十郎が四高(金沢大学)補充科を中退し陸軍士官学校に転入

もっと見る

1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

詳細を見る

もっと見る

1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

詳細を見る

もっと見る

1895

台湾総督府設置

詳細を見る

もっと見る

1896

林銑十郎が陸軍士官学校(8期)卒業

詳細を見る

もっと見る

1897

林銑十郎が陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊附へ配属

もっと見る

1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

詳細を見る

もっと見る

1900

北清事変

詳細を見る

もっと見る

1901

北京議定書調印

詳細を見る

もっと見る

1901

ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立

詳細を見る

もっと見る

1902

第一次日英同盟協約締結

詳細を見る

もっと見る

1903

林銑十郎が陸軍大学校(17期)卒業

詳細を見る

もっと見る

1903

ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂

詳細を見る

もっと見る

1904

遼陽会戦

詳細を見る

もっと見る

1904

仁川沖海戦

詳細を見る

もっと見る

1904

日露戦争開戦

詳細を見る

もっと見る

1904

伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣

詳細を見る

もっと見る

1904

第一次日韓協約締結

詳細を見る

もっと見る

1905

旅順攻略、林銑十郎は歩兵第6旅団副官として従軍

詳細を見る

もっと見る

1905

血の日曜日事件~ロシア革命が始まる

詳細を見る

もっと見る

1905

奉天会戦

詳細を見る

もっと見る

1905

日本海海戦

詳細を見る

もっと見る

1905

ポーツマス条約調印

詳細を見る

もっと見る

1905

日比谷焼打事件

詳細を見る

もっと見る

1906

林銑十郎が参謀本部勤務を経て朝鮮中箚軍司令部附へ転任

もっと見る

1906

第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任

詳細を見る

もっと見る

1906

南満州に関東都督府設置

詳細を見る

もっと見る

1906

南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる

詳細を見る

もっと見る

1907

韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結

詳細を見る

もっと見る

1907

第一次日露協約締結

詳細を見る

もっと見る

1909

伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

詳細を見る

もっと見る

1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

詳細を見る

もっと見る

1912

二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す

詳細を見る

もっと見る

1913

林銑十郎がドイツ留学

もっと見る

1913

桂太郎が死去(享年65)、加藤高明が同志会総理を継ぐ

もっと見る

1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

詳細を見る

もっと見る

1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

もっと見る

1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

詳細を見る

もっと見る

1916

林銑十郎がイギリス駐在を経て久留米俘虜収容所長就任

もっと見る

1917

レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)

詳細を見る

もっと見る

1918

シベリア出兵

詳細を見る

もっと見る

1918

林銑十郎が歩兵第57連隊長任官

もっと見る

1918

第一次世界大戦終結

詳細を見る

もっと見る

1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

詳細を見る

もっと見る

1919

寺内正毅死去

もっと見る

1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

詳細を見る

もっと見る

1921

宮中某重大事件、山縣有朋の権威失墜

もっと見る

1921

バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる

詳細を見る

もっと見る

1921

林銑十郎が陸軍士官学校予科長就任

もっと見る

1921

アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる

詳細を見る

もっと見る

1921

加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行

詳細を見る

もっと見る

1922

陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去

もっと見る

1922

加藤友三郎首相が日本軍のシベリア撤兵を断行

詳細を見る

もっと見る

1923

関東大震災

詳細を見る

もっと見る

1923

林銑十郎が国連陸軍代表を務める

もっと見る

1924

林銑十郎が歩兵第2旅団長就任

もっと見る

1925

日ソ基本条約調印、国交樹立

もっと見る

1925

陸軍の永田鉄山の主導により軍事教練が始まる

詳細を見る

もっと見る

1925

林銑十郎が東京湾要塞司令官就任

もっと見る

1926

第一次若槻禮次郞内閣(憲政会)発足、宇垣一成が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1926

孫文の死に伴い蒋介石が広東の国民政府を掌握し北伐開始

詳細を見る

もっと見る

1926

大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

もっと見る

1927

林銑十郎が皇統派の真崎甚三郎の推薦で陸軍大学校長就任

もっと見る

1927

田中義一内閣(長州・陸軍・政友会)発足、白川義則が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1927

永田鉄山らが陸軍内に「二葉会」を結成

詳細を見る

もっと見る

1927

鈴木貞一・石原莞爾らが陸軍内に「木曜会」を結成

詳細を見る

もっと見る

1928

陸軍中央で「満蒙領有」方針が現れる

詳細を見る

もっと見る

1928

蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了

詳細を見る

もっと見る

1928

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

詳細を見る

もっと見る

1928

張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

詳細を見る

もっと見る

1928

石原莞爾が関東軍作戦参謀に就任

詳細を見る

もっと見る

1929

永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足

詳細を見る

もっと見る

1929

濱口雄幸内閣(民政党)発足、宇垣一成が陸軍大臣就任(阿部信行が一時臨時代理)

詳細を見る

もっと見る

1929

軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆

詳細を見る

もっと見る

1929

世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

詳細を見る

もっと見る

1929

農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

詳細を見る

もっと見る

1929

林銑十郎が近衛師団長就任

もっと見る

1930

幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行

詳細を見る

もっと見る

1930

鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる

詳細を見る

もっと見る

1930

濱口雄幸首相銃撃事件

詳細を見る

もっと見る

1930

林銑十郎が朝鮮軍司令官就任

もっと見る

1931

第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足、南次郎:が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1931

永田鉄山軍事課長ら「五課長会」が「満蒙問題解決方策の大綱」を決定し関東軍へ「1年間の隠忍自重方針」を通達

詳細を見る

もっと見る

1931

中村震太郎大尉殺害事件、万宝山事件、陸軍首脳が武力解決を決意

詳細を見る

もっと見る

1931

関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

詳細を見る

もっと見る

1931

朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

詳細を見る

もっと見る

1931

軍事費の急増が始まる

詳細を見る

もっと見る

1931

新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延

詳細を見る

もっと見る

1931

石原莞爾ら満州事変首謀者が「満蒙問題解決案」を策定

詳細を見る

もっと見る

1931

十月事件

詳細を見る

もっと見る

1931

若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定

詳細を見る

もっと見る

1931

犬養毅内閣(政友会)発足、一夕会系の荒木貞夫が陸相就任

詳細を見る

もっと見る

1932

関東軍が満州全域を制圧

詳細を見る

もっと見る

1932

第一次上海事変

詳細を見る

もっと見る

1932

血盟団事件

詳細を見る

もっと見る

1932

満州国建国

詳細を見る

もっと見る

1932

国際連盟が満州国にリットン調査団を派遣

詳細を見る

もっと見る

1932

上海天長節爆弾事件

詳細を見る

もっと見る

1932

五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉

詳細を見る

もっと見る

1932

斎藤実内閣(海軍)発足、荒木貞夫が陸相・林銑十郎が教育総監・真崎甚三郎が参謀次長に就任し陸軍三長官を一夕会系が独占

詳細を見る

もっと見る

1932

林銑十郎が教育総監兼軍事参議官就任

もっと見る

1932

斎藤実内閣が満州国を承認

もっと見る

1932

第一次武装移民団が満州入植し満蒙開拓移民が始まる

詳細を見る

もっと見る

1932

満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復

詳細を見る

もっと見る

1933

松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否

詳細を見る

もっと見る

1933

永田鉄山・統制派と小畑敏四郎・皇道派の対立が始まる

詳細を見る

もっと見る

1933

塘沽停戦協定締結

もっと見る

1934

林銑十郎が陸相に就任し永田鉄山ら統制派が陸軍中央を掌握

詳細を見る

もっと見る

1934

岡田啓介内閣(海軍)発足、林銑十郎が陸軍大臣就任(川島義之に途中交代)

詳細を見る

もっと見る

1934

統制派が『陸軍パンフレット』刊行

詳細を見る

もっと見る

1934

日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く

詳細を見る

もっと見る

1935

天皇機関説問題、国体明徴運動

詳細を見る

もっと見る

1935

林銑十郎陸相・永田鉄山軍務局長が満州出張し関東軍を抑制、「梅津・何応欽協定」成立

詳細を見る

もっと見る

1935

陸軍統制派の首領永田鉄山が殺害される(相沢事件)

詳細を見る

もっと見る

1936

二・二六事件、参謀本部作戦課長の石原莞爾が戒厳司令部参謀を兼務し反乱将校の断罪と皇統派の粛清を主導

詳細を見る

もっと見る

1936

広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速、寺内寿一が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1936

軍部大臣現役武官制が復活

詳細を見る

もっと見る

1936

日独防共協定調印

詳細を見る

もっと見る

1936

広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定

詳細を見る

もっと見る

1936

ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄

詳細を見る

もっと見る

1937

林銑十郎内閣(陸軍)発足

詳細を見る

もっと見る

1937

第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場、杉山元が陸相就任(板垣征四郎に途中交代)

詳細を見る

もっと見る

1937

盧溝橋事件で日中戦争が始まる

詳細を見る

もっと見る

1937

日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握

詳細を見る

もっと見る

1937

近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大

詳細を見る

もっと見る

1937

日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)

もっと見る

1937

石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否

詳細を見る

もっと見る

1937

第二次国共合作成立

詳細を見る

もっと見る

1937

大本営設置

もっと見る

1937

日本軍が国民政府の首都南京を占領

もっと見る

1938

日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避

詳細を見る

もっと見る

1938

近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶

詳細を見る

もっと見る

1938

近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)

詳細を見る

もっと見る

1938

国家総動員法公布~軍国主義化の決定打

詳細を見る

もっと見る

1938

近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発

詳細を見る

もっと見る

1939

平沼騏一郎内閣(右翼・司法官僚)発足、板垣征四郎が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1939

ナチス・ドイツから日独伊三国同盟の提案を受ける

詳細を見る

もっと見る

1939

国民精神総動員委員会が発足

詳細を見る

もっと見る

1939

米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる

詳細を見る

もっと見る

1939

ノモンハン事件勃発

詳細を見る

もっと見る

1939

天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告

詳細を見る

もっと見る

1939

独ソ不可侵条約調印

詳細を見る

もっと見る

1939

阿部信行内閣(陸軍)発足、畑俊六が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1939

ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発

もっと見る

1940

米内光政内閣(海軍)発足、畑俊六が陸軍大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1940

日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立

詳細を見る

もっと見る

1940

日本軍による重慶爆撃

詳細を見る

もっと見る

1940

第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)

詳細を見る

もっと見る

1940

アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化

詳細を見る

もっと見る

1940

「バトル・オブ・ブリテン」でイギリスがナチス・ドイツの本土上陸作戦を阻止

詳細を見る

もっと見る

1940

近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる

詳細を見る

もっと見る

1940

林銑十郎が内閣参議・重臣会議に列す

もっと見る

1940

日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動

詳細を見る

もっと見る

1940

近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任

詳細を見る

もっと見る

1940

海軍の出師準備発令

詳細を見る

もっと見る

1940

最後の元老西園寺公望死去

詳細を見る

もっと見る

1940

岡敬純・石川信吾ら対米強硬派が海軍を完全掌握し海軍国防政策委員会を設置

詳細を見る

もっと見る

1941

松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印

詳細を見る

もっと見る

1941

野村吉三郎駐米大使の日米和解交渉が松岡洋右外相の妨害により停止

詳細を見る

もっと見る

1941

独ソ戦開戦

詳細を見る

もっと見る

1941

第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐

詳細を見る

もっと見る

1941

関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強

詳細を見る

もっと見る

1941

南部仏領インドシナ進駐開始

詳細を見る

もっと見る

1941

アメリカが対日石油輸出全面禁止

詳細を見る

もっと見る

1941

御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意

詳細を見る

もっと見る

1941

東條英機内閣(陸軍)発足、東條首相が陸相兼務

詳細を見る

もっと見る

1941

アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定

詳細を見る

もっと見る

1941

ナチス・ドイツ軍がモスクワ攻略に失敗し後退が始まる

詳細を見る

もっと見る

1941

日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発

詳細を見る

もっと見る

1942

林銑十郎が大日本興亜同盟総裁就任

もっと見る

1942

日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略

もっと見る

1942

日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)

詳細を見る

もっと見る

1942

米軍が日本本土爆撃を試行

詳細を見る

もっと見る

1942

ミッドウェー海戦で日本海軍大敗

詳細を見る

もっと見る

1943

スターリングラード攻防戦でソ連軍がドイツ軍を撃退

詳細を見る

もっと見る

1943

日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退

詳細を見る

もっと見る

1943

林銑十郎が死去(享年66)

もっと見る

Kouyuuroku

永田鉄山

年少のボス

もっと見る

武藤章

永田の後継者

もっと見る

田中新一

永田の後継者

もっと見る

東條英機

永田の後継者

もっと見る

真崎甚三郎

恩人転じて政敵

もっと見る

荒木貞夫

恩人転じて政敵

もっと見る

石原莞爾

年少のボス

もっと見る

板垣征四郎

石原派の仲間

もっと見る

神田正種

石原派の仲間

もっと見る

山縣有朋

政敵

もっと見る

桂太郎

政敵

もっと見る

田中義一

政敵

もっと見る

寺内正毅

政敵

もっと見る

宇垣一成

政敵

もっと見る

阿部信行

政敵

もっと見る

金谷範三

満州事変時の参謀総長

もっと見る

南次郎

満州事変時の陸相

もっと見る

若槻禮次郞

大恩人

もっと見る

斎藤実

陸相時の首相

もっと見る

岡田啓介

陸相時の首相

もっと見る