51 inukaitsuyoshi

いぬかい つよし

犬養 毅

1855年~1932年

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慶應義塾グループ・大隈重信派の「バルカン政治屋」として台頭、中継ぎの政友会総裁となり首相に上り詰めたが、五・一五事件に斃れた政党政治の生き字引

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

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犬養毅は慶應義塾グループの言論人として新聞記者から出発し立憲改進党の結党時から参加、大隈重信側近の政治家となり初の政党内閣(第一次大隈内閣)発足に活躍した。その後の犬養毅は、親友の尾崎行雄と共に第一次護憲運動で主導的役割を果し「憲政の神様」と賞賛されたが、実情は少数政党の党首として政友会・同志会系の二大政党の狭間で迷走を続け、最後は政友会に吸収された。自党解消に伴い犬養毅は政界引退を表明したが、田中義一の急死を受け中継役の政友会総裁に担ぎ出され、民政党政権を倒して首相となった。犬養毅は首相在任中に五・一五事件で殺害されたが、以後「挙国一致内閣」が続いたため結果として犬養の死をもって政党内閣は終焉した。

-10

犬養毅は大隈重信の側近を振出しに長年に渡って政党政治の一線に身を置き元祖「バルカン政治家」として一定の役割を果したが、アジア主義者として孫文の革命運動を支援したことと普通選挙法に功績があった他に特段の業績は無く、政党間の政権争奪戦に執着する余り「統帥権」を持出し軍部に武器を与える失策も犯した。政権にはポストと利権のウマミがあろうが本来は政治理念・政策実現の手段たるべきで、一般大衆にとってはどこが与党だろうが誰が大臣だろうが関係ない。犬養毅に限らず今日に至る政党政治の限界というべきだが、政権のみを目的とする醜争は政治の本質を誤らせ国民の政治意欲減退を招く害悪である。

Shijitsu

1855

備中国賀陽郡庭瀬村の大庄屋犬飼源左衛門の次男に犬養毅が出生

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1874

愛国公党が政府に『民撰議院設立建白書』を提出

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1876

犬養毅が上京し慶應義塾に入学

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1876

慶應義塾に在学中の犬養毅が郵便報知新聞に入社

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1877

西南戦争、犬養毅が郵便報知新聞の従軍記者として活躍

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1877

犬養毅が東洋経済新報に移籍

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1879

玄洋社設立

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1880

板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成

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1881

犬養毅が東洋経済新報退社、大隈重信の引きで内閣統計局権少書記官出仕

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

自由党結成

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1881

大隈重信が郵便報知新聞社を買収、犬養毅は藤田茂吉と仲直りして復籍

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ、犬養毅も加盟

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1882

大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)

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1882

集会条例改定、自由民権運動が激化

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1884

朝鮮甲申事変、犬養毅が郵便報知新聞社特派員として出張

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1885

犬養毅が末広鉄腸の勧誘で朝野新聞に移籍

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1885

福澤諭吉が「脱亜論」を発表

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)

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1886

民権諸派の大同団結運動が始まる(発起人の後藤象二郎は黒田清隆内閣に懐柔される)

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1887

保安条例

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1888

黒田清隆内閣発足

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1889

大日本帝国憲法発布

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1889

大隈重信外相が玄洋社来島恒喜に襲撃される

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1890

第一次山縣有朋内閣発足

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1890

犬養毅が朝野新聞を退社し地元の岡山で選挙活動に専念

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1890

第一回衆議院総選挙、改進党の犬養毅が岡山3区で当選

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1890

第一回帝国議会開催

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1891

第一次松方正義内閣発足

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1892

第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利

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1892

第二次伊藤博文内閣発足

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1894

日清戦争勃発

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1896

大隈重信の改進党が小政党を糾合して進歩党発足、主導者の犬養毅・尾崎行雄が松方正義に接近

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1896

第二次松方正義内閣発足

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1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

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1898

第三次伊藤博文内閣発足

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1898

憲政党結成~2大民党の合同

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1898

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣

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1898

共和演説事件で辞任した尾崎行雄に代わって、犬養毅が文部大臣就任

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1898

憲政党で大隈重信首相・犬養毅文相ら進歩党系が自由党系に追出され憲政本党を分立

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1898

第二次山縣有朋内閣発足

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1898

清で康有為の戊戌の変法が挫折

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1899

文官任用令改定

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1900

治安警察法公布

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1900

立憲政友会結成

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1900

第四次伊藤博文内閣(政友会)発足

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1901

第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足~桂園時代始まる

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1904

日露戦争開戦

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1905

孫文が東京で中国同盟会を結成

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1905

ポーツマス条約調印

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1905

日比谷焼打事件

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1906

第一次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1907

北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘

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1907

犬養毅が玄洋社の頭山満と中国旅行し孫文を援助

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1908

第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1909

伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

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1910

犬養毅らの憲政本党が小政党を糾合し立憲国民党発足

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1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

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1910

大逆事件

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1911

第二次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1911

辛亥革命勃発、犬養毅が中国の孫文を訪問

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1912

孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡

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1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

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1912

第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1913

桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任

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1913

国民党から多数が桂太郎の同志会に奔り残った犬養毅が党首となる

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1913

第一次護憲運動、大正政変

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1913

第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足

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1913

小林一三の箕面有馬電気軌道(阪急)が宝塚新温泉内に「宝塚唱歌隊」結成(「宝塚歌劇団」へ改称)

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1914

第二次大隈重信内閣(同志会)発足、犬養毅が入閣要請を拒否

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1914

孫文が東京で中国革命党(後の国民党)を結成

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

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1914

原敬が西園寺公望に代わって政友会総裁就任

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1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

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1915

日本が漢冶萍公司の支配権を掌握

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1916

吉野作造が民本主義を提唱~大正デモクラシーの萌芽

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1916

寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足

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1916

非政友会政党が合同し憲政会発足・同志会の加藤高明が総裁に就任

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1918

インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣

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1918

原敬内閣(政友会)発足

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1918

第一次世界大戦終結

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1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

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1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1921

バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる

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1921

原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ

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1921

高橋是清内閣(政友会)発足

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1922

大隈重信死去

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1922

陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去

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1922

加藤友三郎内閣(海軍)発足

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1922

犬養毅の国民党が革新倶楽部へ改組

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1923

関東大震災

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1923

第二次山本権兵衛内閣(海軍)発足、犬養毅が文相兼逓信相就任

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1924

清浦奎吾内閣(貴族院)発足

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1924

第一次国共合作

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1924

護憲三派による第二次護憲運動

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1924

加藤高明内閣(憲政会)発足、犬養毅が逓信大臣就任(安達謙藏に途中交代)

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1925

治安維持法制定

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1925

孫文死去、蒋介石が国民政府を承継

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1925

高橋是清に代わって田中義一が政友会総裁就任

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1925

普通選挙法制定

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1925

革新倶楽部が政友会に合流、犬養毅は逓信相辞任に伴い政界引退を表明

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1926

孫文の死に伴い蒋介石が広東の国民政府を掌握し北伐開始

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1926

第一次若槻禮次郞内閣(憲政会)発足

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1926

大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

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1927

田中義一内閣(長州・陸軍・政友会)発足

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1927

憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が発足

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1928

蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了

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1928

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1929

永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足

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1929

濱口雄幸内閣(民政党)発足

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1929

田中義一が死去(享年65)、隠居の犬養毅(74歳)が政友会総裁に担出される

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1929

世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

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1929

農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

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1930

鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる

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1930

濱口雄幸首相銃撃事件

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1931

第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足

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1931

関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

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1931

朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

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1931

軍事費の急増が始まる

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1931

新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延

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1931

石原莞爾ら満州事変首謀者が「満蒙問題解決案」を策定

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1931

十月事件

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1931

若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定

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1931

外相退任の幣原喜重郎が隠退し対英米協調・対中不干渉の「幣原外交」が終焉

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1931

犬養毅内閣(政友会)発足、一夕会系の荒木貞夫が陸相就任

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1931

犬養毅内閣が金輸出再禁止を実施

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1931

高橋是清蔵相のリフレーション政策によりデフレ脱却

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1932

衆議院総選挙で与党政友会が圧勝、犬養毅内閣が高い支持率を得る

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1932

関東軍が満州全域を制圧

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1932

第一次上海事変

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1932

軍拡反米英派(艦隊派)首領の伏見宮博恭王が海軍軍令部長(総長へ改称)就任(~1941)

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1932

血盟団事件

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1932

満州国建国

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1932

国際連盟が満州国にリットン調査団を派遣

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1932

上海天長節爆弾事件

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1932

五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉

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Kouyuuroku

大隈重信

大ボス

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福澤諭吉

大師匠

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尾崎行雄

生涯の盟友

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小林一三

慶應OB

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栗本鋤雲

良き上司

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藤田茂吉

そりの合わない上司

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矢野文雄

良き上司

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河野敏鎌

大隈の子分

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前島密

大隈の子分

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末広鉄腸

新聞仲間

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大石正巳

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河野広中

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片岡直温

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桂太郎

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加藤高明

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若槻禮次郞

付いたり離れたり

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濱口雄幸

付いたり離れたり

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幣原喜重郎

軟弱外交

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板垣退助

政党仲間

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後藤象二郎

息子の嫁の祖父

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伊藤博文

大隈のライバル

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西園寺公望

政敵転じて首相指名者

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原敬

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高橋是清

頼れる蔵相

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星亨

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田中義一

棚ボタ

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松岡洋右

積極外交

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鳩山一郎

統帥権仲間

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北一輝

統帥権発案者の右翼

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松方正義

伊藤への対抗馬

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山本権兵衛

入閣時の首相

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清浦奎吾

攻撃目標

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森恪

最悪の部下

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宮崎滔天

右翼仲間

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頭山満

右翼仲間

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孫文

応援団

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蒋介石

孫文の後継者

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三上卓

殺し屋

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