5 saigo

さいごう たかもり

西郷 隆盛

1828年~1877年

100

島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

100

西郷隆盛は、薩摩藩を率いて討幕を成遂げた「維新の三傑」である。大久保利通ら地元の青年を集めて尊攘派グループ「精忠組」を結成し、下級藩士ながら薩摩藩主島津斉彬に抜擢され名代として将軍継嗣問題に奔走したが、斉彬が大老井伊直弼打倒の上洛軍を発動した直後に突然死し、絶望した西郷は勤皇僧月照を抱え錦江湾で入水自殺を図った。大久保が藩政を握ると西郷隆盛は復帰するが島津久光と衝突し遠島処分、2年の罪人生活の後に再び召還されると薩長同盟、戊辰戦争、明治政府樹立へと直走った。維新後は唯一の大将として全国民の輿望を担い廃藩置県や徴兵制を後押ししたが、政府高官の奢侈と腐敗に悲憤慷慨し、征韓論を大久保利通・木戸孝允・岩倉具視に退けられ下野、西郷が戻った鹿児島は「私学校王国」と化し大久保政府は対決姿勢を明示した。我が身を部下に預けた西郷隆盛は西南戦争の首領に担がれ上京軍を起すが熊本城や田原坂で政府軍に敗北、鹿児島城下の城山に追込まれ自殺した。

10

西郷隆盛は、栄耀栄華を好まない廉潔な人柄で明治維新後も清貧を通し、貪官汚吏の筆頭格に堕した井上馨を「三井の番頭」と侮蔑し、西郷嫌いの大隈重信を除く同時代人から徳望を賛美された。なお座右の銘として有名な「敬天愛人」には大した意味は無い。

-10

討幕活動における西郷隆盛は謀略も駆使するマキャベリストであったが、自分を慕う者、特に金銭に潔癖な武人への愛情が強く、私学校の門弟に対する同情に引きずられて西南戦争を起し、近代国家建設にほとんど貢献できなかった。また、井上馨と並ぶ腐敗の元凶たる山縣有朋を何故か高く評価し山城屋事件の窮地を救済、西郷の後援で徴兵制を実現した山縣は幸運に恵まれて陸軍・政府の最高実力者となり過剰な天皇崇拝を推進め暴走軍部の基礎を創った。

Shijitsu

1828

薩摩藩の下級藩士西郷吉兵衛隆盛の嫡子西郷吉之介隆盛が鹿児島城下加治屋町にて出生、西郷従道は15歳下の弟

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1839

西郷隆盛が喧嘩で重症を負う

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1841

西郷隆盛が13歳で元服

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1844

西郷隆盛が薩摩藩庁に出仕し郡方書役助に就く

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1846

フランスが琉球の開国を要求

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1849

お由羅騒動

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1850

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

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1850

12代将軍徳川家慶・老中阿部正弘が薩摩藩主島津斉興に引退勧告

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1850

井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す

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1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

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1852

西郷隆盛の父吉兵衛が死去

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1852

同志の有村俊斎・大山正円・樺山三円が江戸出府

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1852

彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

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1854

薩摩藩主島津斉彬が参勤交代で江戸入り、中小姓として随行した西郷隆盛を江戸藩邸で御庭方役に任じ直属の謀臣に抜擢

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1854

西郷隆盛が江戸の水戸藩邸にて藤田東湖と会う

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1855

安政の大地震、徳川斉昭のブレーン藤田東湖が圧死

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1855

徳川斉昭の要求により南紀派の老中松平乗全・忠固を更迭、堀田正睦が老中首座就任

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1855

西郷隆盛が家督相続

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1855

薩摩藩が日本初の国産蒸気船を開発

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1855

薩摩藩が国産2号となる洋式軍艦昇平丸(帆船)を建造、幕府に献上

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上

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1856

薩摩藩主島津斉彬が一門の島津敬子(篤姫)を将軍徳川家定に入輿させる・西郷隆盛が諸業務を担当

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1856

西郷隆盛が江戸薩摩藩邸にて橋本左内と会う

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1857

薩摩藩主島津斉彬が下級藩士の西郷隆盛・大久保利通を徒目付に登用

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1857

薩摩藩主島津斉彬が徳川慶喜擁立工作のため西郷隆盛を上洛させる

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1857

阿部正弘死去

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

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1858

島津斉彬が幕府抗議のため藩兵5千を率いての上洛を計画

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1858

西郷隆盛・有馬新七が島津斉彬に先発して上洛し準備工作

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1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1858

西郷隆盛が水戸藩を見限り諸大藩への勅諚降下運動を展開、有馬新七は土佐藩等へ遊説

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1858

江戸城無断登城事件、大老井伊直弼が無断で江戸登城した徳川斉昭・徳川慶喜・松平春嶽・徳川慶勝を謹慎に処す

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1858

西郷隆盛が月照を伴い鹿児島へ帰国するが島津斉興の佐幕転換により月照・西郷の入水事件が発生

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1858

島津久光の了解のもと菊池源吾へ変名した西郷隆盛が奄美大島に潜居(幕府の捕吏から逃すためで罪人扱いではなかった)

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される

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1859

安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される

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1859

西郷隆盛が奄美大島でアイガナを娶り一男一女を生す

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1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

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1859

大久保利通が有馬新七ら精忠組の突出脱藩騒動を抑える

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

桜田門外の変の指揮者関鉄之助が鹿児島来訪、有馬新七らが再び突出脱藩騒ぎを起すが大久保利通が制止

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1860

徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1861

薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢

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1862

上洛を期す島津久光の召還命令により西郷隆盛が鹿児島へ帰還

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1862

西郷隆盛が島津久光の率兵上洛の準備と動静視察のため先発

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1862

島津久光が西郷隆盛を遠島に処す

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1864

高杉晋作が来島又兵衛・久坂玄瑞らの激発を抑えるべく京都で長州藩復権運動、島津久光要撃を企てる

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

島津久光が西郷隆盛を赦免し藩政に復帰させる

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1864

幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変、薩摩兵を指揮する西郷隆盛は負傷を負いつつ勝利

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

坂本龍馬が勝海舟の紹介により西郷隆盛と会う

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1864

神戸海軍塾生の不祥事により勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行罷免、坂本龍馬ら神戸海軍塾生を薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛に託す

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻りイトを娶る

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・吉井友実らが九州諸藩連合のため久留米藩・福岡藩などを遊説

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式武器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1865

中岡慎太郎が京都で西郷隆盛に薩長和解工作、田中顕助・那須盛馬・大橋慎三(元長州藩忠勇隊士)らと会盟

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1865

高杉晋作・井上馨が長州の藩論を薩長和解に纏め木戸孝允を京都へ送出す

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1866

勝海舟が軍艦奉行に復職(5千石)

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置、西郷隆盛が参議に任じられる

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置、西郷隆盛が参与に任じられる

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

西郷隆盛が江戸から京都へ戻り藩主島津忠義に随従して鹿児島へ帰還

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

西郷隆盛が薩摩藩北陸出征軍の総差引(司令官)を命じられ越後柏崎へ出征

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

西郷隆盛が江戸、京都、大阪を経て鹿児島に帰還

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1869

西郷隆盛が藩主島津忠義の要請により薩摩藩参政・一代寄合に就任

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1869

西郷隆盛が薩摩藩の援軍を率い函館戦争へ出征

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

王政復古の賞典禄下賜、西郷隆盛は賞典禄永世2千石を供され正三位に叙任

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1869

版籍奉還

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1870

小松帯刀が死去

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1870

西郷隆盛が薩摩藩執政を辞任し相談役に退く

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1870

西郷隆盛が明治政府により鹿児島藩大参事(藩主の次の地位)に任じられる

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1871

西郷隆盛が明治政府に出仕し木戸孝允と共に参議(最高実力者)となる

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣

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1871

西郷隆盛が参議筆頭として留守政府を宰領する

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1872

明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1873

徴兵令布告

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1873

筆頭参議の西郷隆盛が唯一の陸軍大将を兼任

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1873

岩崎弥太郎が三菱商会を設立

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

岩倉使節団帰国

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1873

明治六年政変、西郷隆盛が参議・陸軍大将を辞任し鹿児島へ退く

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1874

佐賀の乱

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野、西郷隆盛が弟の西郷従道の要請に応じ薩摩士族を送る

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1874

岩崎弥太郎の三菱が台湾出兵の海上輸送を一手に引受け、大久保利通に感謝され飛躍への画期となる

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1874

西郷隆盛が薩摩藩の不平士族を統御するため私学校を設立

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1874

山本権兵衛が鹿児島に戻るが西郷隆盛に諭され海軍兵学寮に復籍

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1875

江華島事件

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1875

大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

廃刀令布告

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1876

岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く

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1876

秩禄処分

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1876

神風連の乱

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1877

西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)

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1877

西郷隆盛が官位を剥奪され賊軍の将とされる

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1889

大日本帝国憲法発布に伴う大赦で西郷隆盛が赦免され追贈正三位

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1902

西郷隆盛の維新の功により嫡子の西郷寅太郎が侯爵を受爵

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1922

西郷隆盛が鹿児島の南州神社に祀られる

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Kouyuuroku

島津斉彬

神君

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島津久光

大嫌いな斉彬庶弟

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島津忠義

薩摩藩主を継いだ久光長子

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黒田長溥

斉彬の大叔父で後援者

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大久保利通

竹馬の友にして盟友

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小松帯刀

良き上司

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吉井友実

精忠組同志

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伊地知正治

精忠組同志

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有村俊斎

精忠組同志

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大山正円

精忠組同志

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樺山三円

精忠組同志

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篠原国幹

西郷子分

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桐野利秋

西郷子分

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村田新八

西郷子分

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田中新兵衛

西郷子分

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有馬新七

精忠組の跳返り

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西郷従道

生延びた西郷弟

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大山巌

西郷従兄弟

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月照

無理心中で死なせた同志

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平野国臣

福岡の同志

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坂本龍馬

薩摩系土佐浪士

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岩倉具視

大久保盟友の薩摩系公卿

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三条実美

長州系公卿

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毛利敬親

長州藩主

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木戸孝允

薩長同盟のパートナー

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高杉晋作

薩長同盟のパートナー

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久坂玄瑞

長州尊攘派首領

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大村益次郎

薩摩嫌いの長州軍首脳

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周布政之助

長州執政

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山縣有朋

西郷が何故か救った長州軍首脳

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伊藤博文

大久保舎弟

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井上馨

伊藤親友・三井の番頭さん

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中岡慎太郎

長州系土佐浪士

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安倍正弘

斉彬盟友

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徳川斉昭

一橋派首領

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徳川慶喜

斉昭実子で最後の将軍

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藤田東湖

敬服した斉昭謀臣

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松平春嶽

四賢候

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橋本左内

敬服した春嶽謀臣

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梅田雲浜

貧乏同志

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山内容堂

因循な四賢候

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吉田東洋

容堂謀臣

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武市半平太

土佐勤皇党首領

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伊達宗城

四賢候

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鍋島直正

佐賀藩主・斉彬の従兄弟でライバル

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松平容保

慶喜腹心の京都守護職

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松平定敬

容保実弟の京都所司代

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井伊直弼

斉彬宿敵

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長野主膳

井伊謀臣

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間部詮勝

井伊子分

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水野忠央

井伊盟友

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勝海舟

薩長和解を勧めた幕臣

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大久保一翁

勝の同志

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板垣退助

征韓派

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後藤象二郎

征韓派

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江藤新平

征韓派

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副島種臣

征韓派

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大隈重信

西郷嫌いの大久保舎弟

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