43 haratakashi

はら たかし

原 敬

1856年~1921年

30

結婚で長州閥に食込み、首相に上り詰めて「初の本格的政党内閣」を実現したが、政党政治の限界を示す役割を演じた虚構の平民宰相

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

50

原敬は、結婚によって長州閥に食込み井上馨や伊藤博文の庇護を受けて長州閥に連なる有力政治家に成長、伊藤から引継いだ政友会を絶対多数党に育て「初の本格的政党内閣」を実現した。ただ、軍部・財界との妥協や巧みな寝技で多数派工作には成功したものの、政党政治が担うべき民主主義においてはむしろ後退、「政党政治=民主政治」の誤解を戒める事実として、また玉虫色の政治的妥協による多数党支配が国民に幸福をもたらさないことを、後世は原敬に学ぶべきであろう。

-20

「平民宰相」の登場に世論は期待したが、原敬内閣の政策は決して民衆のためのものではなく、資本家と軍閥の側に立つものであり、党勢拡大のために利権を求め、官僚と妥協し、軍閥のドン山縣有朋と提携した。軍部懐柔のため国防の充実を掲げて急激な軍事費予算増大を推進、安易な増税と公債を財源としたため当然ながらインフレが発生し小作争議や労働ストライキが頻発、原敬内閣は治安警察法によって民衆の抵抗を弾圧した。原敬首相は、閣僚3人が政商と結託し株の不正売買を行った「大正のリクルート事件」が発覚すると議会の絶対多数により強引に握り潰した。歴史的に見ると、原敬内閣は政権獲得と党勢拡大の視野狭窄に陥って「政治」を見ない政党政治の限界を示しただけに終わり、原敬は首相在任中に初めて暗殺された人物となった。

Shijitsu

1856

盛岡の上級藩士原直治の次男原敬が岩手郡本宮村にて出生

もっと見る

1870

原敬が盛岡藩の藩校作人館・英学塾共慣義塾に学ぶ

もっと見る

1872

原敬がフランス人伝道師マリンの神学校の学僕となる

詳細を見る

もっと見る

1873

徴兵令布告、原敬が徴兵逃れのため別家戸主となり平民に降下

詳細を見る

もっと見る

1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

もっと見る

1876

原敬が司法省法学校に入学するが3年で退学となる

詳細を見る

もっと見る

1878

西南戦争に呼応する立志社の策動が発覚、陸奥宗光は5年の禁固刑を受け山形監獄に収容される

詳細を見る

もっと見る

1879

原敬が中井弘の斡旋で郵便報知新聞社に入社

詳細を見る

もっと見る

1879

伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任

もっと見る

1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

詳細を見る

もっと見る

1881

自由党結成

詳細を見る

もっと見る

1881

大隈重信が郵便報知新聞社を買収、原敬は退社

詳細を見る

もっと見る

1881

原敬が薩長閥の御用新聞『大東日報』の主筆となる

詳細を見る

もっと見る

1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

詳細を見る

もっと見る

1882

原敬が『大東日報』辞職、井上馨の引きで外務省出仕

もっと見る

1883

原敬が中井貞子と結婚、井上馨の縁戚となる

詳細を見る

もっと見る

1883

原敬が天津領事に大抜擢され赴任

もっと見る

1883

鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉

詳細を見る

もっと見る

1884

伊藤博文の計いで陸奥宗光がヨーロッパ遊学

詳細を見る

もっと見る

1885

原敬がパリ公使館付書記官(翌年代理公使に昇進)に任じられ3年余パリ在住

もっと見る

1885

第一次伊藤博文内閣発足、井上馨が外務大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1886

井上馨が内閣臨時建築局を設置し官庁集中計画始動(井上失脚により頓挫)

もっと見る

1887

鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代

詳細を見る

もっと見る

1888

黒田清隆内閣発足

詳細を見る

もっと見る

1888

榎本武揚に代わって井上馨が農商務大臣就任、外務省を追放された原敬を農商務省参事官に迎える

詳細を見る

もっと見る

1889

大日本帝国憲法発布

詳細を見る

もっと見る

1890

第一次山縣有朋内閣発足

詳細を見る

もっと見る

1890

岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用

詳細を見る

もっと見る

1890

第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得

詳細を見る

もっと見る

1890

第一回帝国議会開催

もっと見る

1891

第一次松方正義内閣発足、陸奥宗光が農商務大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1892

第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利

もっと見る

1892

陸奥宗光が農商務相辞任、原敬も退官

詳細を見る

もっと見る

1892

第二次伊藤博文内閣発足、陸奥宗光が外務大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1892

陸奥宗光外相の引きで原敬が外務省通商局長就任

もっと見る

1894

不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

詳細を見る

もっと見る

1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

詳細を見る

もっと見る

1894

日清戦争勃発

詳細を見る

もっと見る

1894

中井弘(原敬の妻貞子の実父)死去

もっと見る

1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

詳細を見る

もっと見る

1895

原敬が外務次官に昇進

もっと見る

1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

詳細を見る

もっと見る

1895

台湾総督府設置

詳細を見る

もっと見る

1895

朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件

詳細を見る

もっと見る

1896

露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得

詳細を見る

もっと見る

1896

病気の陸奥宗光に代わって西園寺公望文相が外相兼任

詳細を見る

もっと見る

1896

小村寿太郎に代わって原敬が朝鮮駐在公使赴任

もっと見る

1896

第二次松方正義内閣発足、大隈重信が外相就任

詳細を見る

もっと見る

1896

原敬が新橋芸妓浅の妾宅へ移り妻貞子と別居

もっと見る

1897

原敬が外務省を退官し大阪毎日新聞社に入社

もっと見る

1897

陸奥宗光死去

もっと見る

1900

原敬が大阪毎日新聞社を退社し伊藤博文の立憲政友会結成に参加

詳細を見る

もっと見る

1900

第四次伊藤博文内閣(政友会)発足

詳細を見る

もっと見る

1900

星亨に代わって原敬が逓信大臣で初入閣

もっと見る

1901

井上馨に組閣大命が下るが渋沢栄一の入閣拒否で頓挫

もっと見る

1901

第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足~桂園時代始まる

詳細を見る

もっと見る

1901

田中正造が足尾鉱毒問題を天皇に直訴

詳細を見る

もっと見る

1903

西園寺公望が伊藤博文に代わって政友会総裁就任

もっと見る

1904

日露戦争開戦

詳細を見る

もっと見る

1905

ポーツマス条約調印

詳細を見る

もっと見る

1905

原敬が貞子を離縁

もっと見る

1905

日比谷焼打事件

詳細を見る

もっと見る

1906

第一次西園寺公望内閣(政友会)発足、原敬が内務大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1908

第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

詳細を見る

もっと見る

1909

伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

詳細を見る

もっと見る

1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

詳細を見る

もっと見る

1910

鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立

詳細を見る

もっと見る

1911

第二次西園寺公望内閣(政友会)発足、原敬が内務大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

もっと見る

1912

二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す

詳細を見る

もっと見る

1912

第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

詳細を見る

もっと見る

1913

第一次護憲運動、大正政変

詳細を見る

もっと見る

1913

第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足、原敬が内務大臣就任

詳細を見る

もっと見る

1914

第二次大隈重信内閣(同志会)発足

詳細を見る

もっと見る

1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

詳細を見る

もっと見る

1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

もっと見る

1914

原敬が西園寺公望に代わって政友会総裁就任

詳細を見る

もっと見る

1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

詳細を見る

もっと見る

1915

井上馨死去

もっと見る

1916

寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足

詳細を見る

もっと見る

1918

インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣

詳細を見る

もっと見る

1918

シベリア出兵

詳細を見る

もっと見る

1918

原敬内閣(政友会)発足

詳細を見る

もっと見る

1918

第一次世界大戦終結

詳細を見る

もっと見る

1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

詳細を見る

もっと見る

1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

詳細を見る

もっと見る

1920

鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成

詳細を見る

もっと見る

1921

安田善次郎が大磯の別荘で右翼生年に刺殺される

詳細を見る

もっと見る

1921

原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ

もっと見る

Kouyuuroku

中井弘

義父にして出世の糸口

もっと見る

原貞子

妻にして出世の糸口

もっと見る

井上武子

義母にして出世の糸口

もっと見る

井上馨

最初のボス

もっと見る

鮎川義介

井上親族の政商

もっと見る

陸奥宗光

二番目のボス

もっと見る

伊藤博文

最後のボス

もっと見る

西園寺公望

お公家さん

もっと見る

伊東巳代治

政友会の仲間

もっと見る

金子堅太郎

政友会の仲間

もっと見る

星亨

政友会の盟友

もっと見る

尾崎行雄

政友会の仲間

もっと見る

片岡健吉

政友会の仲間

もっと見る

山縣有朋

提携した軍部のドン

もっと見る

桂太郎

山縣の子分

もっと見る

山本権兵衛

提携した海軍のドン

もっと見る

阿部浩

郷党の先輩

もっと見る

福地桜痴

出世の恩人

もっと見る

大隈重信

宿敵

もっと見る

矢野文雄

大隈の手下

もっと見る

藤田茂吉

大隈の手下

もっと見る

犬養毅

大隈の手下

もっと見る

岩村通俊

脳病の上司

もっと見る

マリン

フランス語の先生

もっと見る

エブラル

フランス語の先生

もっと見る