38 ookumashigenobu

おおくま しげのぶ

大隈 重信

1838年~1922年

20

「対外硬」と口八丁で参議に出世、自滅するも政党政治家として首相となり、脱亜論に乗せられて対華21カ条要求をしでかした「反日」の元凶

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

60

大隈重信は外国語ができて押しも強い実務官僚として頭角を現し、「維新の三傑」亡き後、伊藤博文・山縣有朋が実権を掌握するまでの過渡期において、参議筆頭として重要な役割を果した。明治十四年の政変で失脚した後は、政党政治家の大物として自由民権運動に参加し、内閣総理大臣を2度勤めた。

-30

軍人でもないのに大隈重信がしでかした「対華21カ条要求」は最悪だった。国際政治上は無意味なパフォーマンスに過ぎず、日中戦争泥沼化と今日まで続く「反日」の元凶となった。戦争を職業とする軍人が「対外硬」に傾くのは仕方のない面があり、だからこそ軍事優位の国家で文官は国際協調を本旨とすべきである。大隈重信首相・加藤高明外相による「対華21カ条要求」は、後の近衛文麿や松岡洋右ほどではないが、末代まで禍根を残す大失策であった。老人が「成功体験」に固執してやらかす典型例であろう。

-20

大隈重信はパフォーマンスが派手で民権派の大物として国民の人気も高いが、これといった政治的業績はあげていない。財政では野放図な紙幣増刷と借金でインフレを巻き起し、外交では「対外硬」で国際情勢をわきまえない妄言により混乱を生起した。明治政府で大隈重信が出世したのは、戊辰戦争で活躍した佐賀藩の出であること、伊藤博文や井上馨に巧みに取り入ったこと、薩長平等の建前で「バルカン政治家」が浮かび上がる素地があったことなどによるもので、決して本人の政治的業績や識見によるものではない。

10

大隈重信は単なる政治屋で福澤諭吉のような教育者とはいえないが、早稲田大学創始者としての功績は評価すべきだろう。

Shijitsu

1838

佐賀藩の上級藩士大隈信保の嫡子大隈重信が佐賀城下にて出生

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1840

佐賀藩主鍋島直正が藩校弘道館を移転拡充し蒙養舎を設立

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1850

佐賀藩の枝吉神陽・大隈重信・副島種臣・江藤新平・大木喬任・島義勇らが義祭同盟を結成

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1850

佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始

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1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

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1851

佐賀藩が洋式技術導入のため精煉方を開設

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1852

オランダ商館長が長崎奉行にペリー来航を予告、佐賀藩主鍋島直正が軍備を増強

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1853

「からくり儀右衛門」こと田中久重が佐賀藩精煉方に着任

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

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1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

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1855

大隈重信が『葉隠』教育に反発し藩校弘道館の教育改革を図るが退学処分

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1856

大隈重信が佐賀藩蘭学寮に入学

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1858

佐賀藩主鍋島直正が洋式船舶の建造・修理・運用のため三重津海軍所を開設

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

佐賀藩主鍋島直正が大老井伊直弼と交流を深める

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

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1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1861

井伊直弼暗殺に伴い鍋島直正が嫡子の鍋島直大に11代佐賀藩主を譲るが実権は保持し佐賀に雌伏し富国強兵を推進

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復、賠償金は幕府が負担

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1864

田中久重が佐賀藩精煉方を辞し故郷の久留米藩に出仕

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

徳川慶喜が長崎・横浜・函館開港の勅許を獲得

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式武器とユニオン号を購入

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1865

佐賀藩が国産初の実用蒸気船凌風丸を建造

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1865

大隈重信・副島種臣が佐賀藩校英学塾「致遠館」の教頭格となる

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

幕府長崎奉行所が浦上キリシタン68人を逮捕(浦上四番崩れ)

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

王政復古の大号令

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1868

土佐海援隊の佐々木高行と薩摩藩の松方正義が長崎奉行所を占拠・岩崎弥太郎が土佐商会の全権を掌握、大隈重信が長崎裁判所副参謀となる

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

佐賀藩が官軍に参加

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置、佐賀藩からは藩主鍋島直正が議定・副島種臣が参与に任じられる

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

大隈重信が井上馨の推挙で参与兼外国事務局判事に登用され浦上キリシタン問題でパークス英公使と交渉

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1868

大隈重信が小松帯刀の推挙により外国官副知事(外務次官)に抜擢される

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

版籍奉還

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1869

新政府が北海道に開拓使を設置、旧佐賀藩主で議定の鍋島直正が蝦夷開拓総督・初代開拓使長官に就任するがすぐに転任し黒田清隆が後継

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1870

大隈重信が参議兼大蔵卿就任

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1870

松方正義が大蔵省入省

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

廃藩置県

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1871

鍋島直正が東京の藩邸にて死去(享年58)

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1871

西郷隆盛が明治政府に出仕し木戸孝允と共に参議(最高実力者)となる

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

郵便制度開始

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1871

新貨条例布告、円が通貨単位となる

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1871

陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣、大隈重信は実務に働かない西郷隆盛を嫌悪

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1872

明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置

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1872

陸奥宗光が大蔵省租税頭・地租改正局長就任(井上馨に次ぐ地位)

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1872

新橋-横浜間に鉄道が開通

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1872

渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始

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1872

渋沢栄一の主導で三井小野組合銀行(後の第一国立銀行)が設立され国立銀行条例制定

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1873

徴兵令布告

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1873

岩崎弥太郎が三菱商会を設立

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

岩倉使節団帰国

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1873

明治六年政変、西郷隆盛を嫌悪する大隈重信は伊藤博文と共に征韓派一掃に奔走

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1873

岩崎弥之助がアメリカから帰国、三菱商会入りして副社長となる

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1874

愛国公党が政府に『民撰議院設立建白書』を提出

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1874

佐賀の乱

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野、西郷隆盛が弟の西郷従道の要請に応じ薩摩士族を送る

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1874

岩崎弥太郎の三菱が台湾出兵の海上輸送を一手に引受け、大久保利通に感謝され飛躍への画期となる

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1875

黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結

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1875

江華島事件

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1875

大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

事実上、金銀複本位制が確立

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1876

廃刀令布告

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1876

岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く

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1876

秩禄処分

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1876

神風連の乱

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1876

国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる

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1876

三井銀行および三井物産設立

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1876

安田善次郎が第三国立銀行を設立し「銀行王」への道を踏出す

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1877

三井組総帥の三野村利左衛門が井上馨に後事を託し死去

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1877

西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

大隈重信が主席参議となる

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1878

松方正義が大隈重信大蔵卿の紙幣整理案に反対し伊藤博文の計いで内務卿に転出、日仏博覧会事務総長の名目で渡仏し財政を学ぶ

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1878

福地源一郎・渋沢栄一ら有力財界人の出願により東京株式取引所設立

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1878

会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足

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1879

伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任

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1880

板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成

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1880

西南戦争後の財政再建策を巡り渋沢栄一・井上馨・薩長閥と岩崎弥太郎・大隈重信の陣営が対立

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1880

渋沢栄一らが郵便汽船三菱会社に対抗すべく風帆船会社を設立するが大隈重信・岩崎弥太郎に切崩され経営は難航

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1881

犬養毅が東洋経済新報退社、大隈重信の引きで内閣統計局権少書記官出仕

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

自由党結成

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1881

大隈重信が郵便報知新聞社を買収

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1881

松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる

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1881

大隈重信の周旋により岩崎弥太郎が後藤象二郎から高島炭鉱を買取る

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1882

薩長藩閥政府が岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社に「第三命令書」を交付し事業妨害

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1882

板垣退助遭難事件

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1882

板垣退助と後藤象二郎が立憲政治視察のため渡欧、後藤が三井から受取った洋行費を散財し板垣の自由党総理を引責辞任

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

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1882

朝鮮で壬午事変

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1882

西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立

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1882

松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める

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1882

大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)

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1882

集会条例改定、自由民権運動が激化

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1882

伊藤博文が立憲制視察のため渡欧

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1883

鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉

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1883

板垣退助・後藤象二郎がヨーロッパ視察旅行より帰国、公金流用疑惑で自由党が分裂し板垣は総理辞任に追込まれる

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1884

伊藤博文の計いで陸奥宗光がヨーロッパ遊学

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1884

華族令公布

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1884

松方デフレによる不況深刻化

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1884

秩父事件

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1884

朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援

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1884

加波山事件、自由党が一旦解党

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1885

福澤諭吉が「脱亜論」を発表

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1885

大阪事件

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1885

岩崎弥太郎が共同運輸会社との死闘の最中に東京六義園にて死去(享年51)、弟の岩崎弥之助が三菱を承継

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1885

西郷従道農商務卿の和解勧告を岩崎弥之助が受入れ共同運輸会社が郵便汽船三菱会社を併合し日本郵船会社が発足

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)

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1886

岩崎弥之助が三菱社設立

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1886

ノルマントン号事件

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1886

民権諸派の大同団結運動が始まる(発起人の後藤象二郎は黒田清隆内閣に懐柔される)

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1887

板垣退助が政府の要請を受入れ伯爵を受爵(後に孫の板垣守正が爵位を返上)

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1887

徳富蘇峰が民友社結成、『国民之友』創刊

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1887

保安条例

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1887

鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代

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1888

黒田清隆内閣発足、大隈重信が外務大臣就任

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1889

大日本帝国憲法発布

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1889

民法典論争が起る

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1889

大隈重信外相が玄洋社来島恒喜に襲撃される

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1890

第一次山縣有朋内閣発足

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1890

岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用

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1890

第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得

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1890

板垣退助が立憲自由党を再興

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1890

第一回帝国議会開催

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1891

板垣退助が自由党総理に復帰

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1891

足尾銅山鉱毒事件

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1891

第一次松方正義内閣発足

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1891

内村鑑三不敬事件

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1892

第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利

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1892

第二次伊藤博文内閣発足

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1893

三菱社が三菱合資会社に改組、岩崎弥之助が岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲

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1894

後藤象二郎が収賄事件により農商務大臣を引責辞任

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1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

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1894

日清戦争勃発

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1896

大隈重信の改進党が小政党を糾合して進歩党発足、主導者の犬養毅・尾崎行雄が松方正義に接近

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1896

第二次松方正義内閣発足、大隈重信が農商務大臣就任

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1896

岩崎弥之助が第4代日銀総裁就任

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1897

板垣退助が自由党総理辞任

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1897

後藤象二郎死去

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1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

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1898

第三次伊藤博文内閣発足

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1898

憲政党結成~2大民党の合同

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1898

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣

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1898

明治民法施行

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1898

共和演説事件で辞任した尾崎行雄に代わって、犬養毅が文部大臣就任

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1898

憲政党で大隈重信首相・犬養毅文相ら進歩党系が自由党系に追出され憲政本党を分立

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1898

第二次山縣有朋内閣発足

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1898

清で康有為の戊戌の変法が挫折

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1899

地租増徴

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1899

文官任用令改定

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1900

治安警察法公布

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1900

立憲政友会結成、板垣退助が政界引退

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1900

第四次伊藤博文内閣(政友会)発足

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1901

社会民主党結成

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1901

第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足~桂園時代始まる

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1901

田中正造が足尾鉱毒問題を天皇に直訴

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1902

第一次日英同盟協約締結

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1903

岩崎弥之助の援助により大隈重信の東京専門学校が早稲田大学に昇格

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1903

西園寺公望が伊藤博文に代わって政友会総裁就任

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1903

幸徳秋水らが平民社を結成、『平民新聞』創刊

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1904

日露戦争開戦

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1905

ポーツマス条約調印

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1905

日比谷焼打事件

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1906

第一次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1907

大隈重信が憲政本党党首を辞任し政界引退、早稲田大学総長に就き文化運動に専念

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1908

岩崎弥之助死去

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1908

第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足、寺内正毅が陸軍大臣就任

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1909

伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

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1910

犬養毅らの憲政本党が小政党を糾合し立憲国民党発足

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1910

大逆事件

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1911

警視庁に特別高等課設置

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1911

第二次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1911

平塚雷鳥が青鞜社結成、『青鞜』創刊

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1912

孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡

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1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

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1912

第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1913

桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任

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1913

第一次護憲運動、大正政変

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1913

第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足

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1914

シーメンス事件、第一次山本権兵衛内閣が退陣し山本および斎藤実海相が予備役編入

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1914

第二次大隈重信内閣(同志会)発足

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1914

原敬が西園寺公望に代わって政友会総裁就任

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

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1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

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1915

日本が漢冶萍公司の支配権を掌握

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1915

大隈重信内閣が二個師団増設を断行

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1915

井上馨死去

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1916

吉野作造が民本主義を提唱~大正デモクラシーの萌芽

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1916

薩長藩閥に尽くした大隈重信首相が侯爵を受爵

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1916

寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足

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1916

非政友会政党が合同し憲政会発足・同志会の加藤高明が総裁に就任

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1916

大隈重信が貴族院議員となる

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1917

レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)

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1918

インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣

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1918

シベリア出兵

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1918

原敬内閣(政友会)発足

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1918

第一次世界大戦終結

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1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

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1919

自由民権運動のカリスマ板垣退助が死去(享年82)

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1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1921

原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ

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1921

高橋是清内閣(政友会)発足

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1921

アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる

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1921

加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行

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1921

宮中某重大事件、山縣有朋の権威失墜

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1921

バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる

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1922

大隈重信が早稲田の自宅で死去し盛大な「国民葬」で送られる(享年83)

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Kouyuuroku

鍋島直正

つれない主君

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鍋島直大

直正嫡子・10代佐賀藩主

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枝吉神陽

佐賀藩尊攘派の盟主

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江藤新平

佐賀藩尊攘派の同志

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副島種臣

佐賀藩尊攘派の同志

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大木喬任

佐賀藩尊攘派の同志

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島義勇

佐賀藩尊攘派の同志

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佐野常民

適塾生

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田中久重

優秀な技術者

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フルベッキ

英語の先生

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パークス

交渉相手にして出世の糸口

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福澤諭吉

黒幕

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河野敏鎌

改進党幹部

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前島密

改進党幹部

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犬養毅

改進党幹部

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矢野文雄

改進党幹部

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加藤高明

改進党幹部

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佐々木高行

土佐の同志

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板垣退助

ライバル

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後藤象二郎

板垣の愚友

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尾崎行雄

自由党幹部

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中島信行

自由党幹部

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片岡謙吉

自由党幹部

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河野広中

自由党幹部

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星亨

裏切り者

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岩崎弥太郎

スポンサー・三菱創始者

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岩崎弥之助

三菱2代目

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岩崎久弥

三菱3代目

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岩崎小弥太

三菱4代目

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木戸孝允

長州のリーダー

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井上馨

盟友転じて政敵

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伊藤博文

盟友転じて政敵

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陸奥宗光

反逆した元下僚・伊藤舎弟

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渋沢栄一

政府に招聘した井上派財界人

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西園寺公望

伊藤後継者

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原敬

伊藤後継者

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大村益次郎

長州軍のドン

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山縣有朋

政敵

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桂太郎

山縣の子分

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小村寿太郎

桂の盟友

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寺内正毅

山縣の子分

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小松帯刀

出世の恩人

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大久保利通

偉大なボス

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西郷隆盛

大嫌い

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松方正義

反逆した元下僚

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黒田清隆

政敵

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西郷従道

西郷隆盛弟・政敵

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大山巌

西郷隆盛従弟

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山本権兵衛

日本海軍創設者

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岩倉具視

大久保盟友の薩摩系公卿

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三条実美

長州系公卿

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来島恒喜

右脚返せ

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