36 yamagataaritomo

やまがた ありとも

山縣 有朋

1838年~1922年

0

奇兵隊幹部から運良く陸軍長州閥の首領に納まり汚職にまみれながら徴兵令を敷き外征のための軍事国家建設と政党弾圧に邁進、統帥権・軍部大臣現役武官制で文民統治を抹殺した軍部暴走の元凶

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

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長州藩の庶民軍である奇兵隊から明治政府で長州系軍人のトップに立った山縣有朋は、徴兵令・鎮台制に基づく国民皆兵政策を主導し近代的軍隊創設に貢献した。欧米列強が植民地争奪競争を繰広げる当時の世界情勢にあっては、国防上も強力な軍隊の建設は不可避の国家的課題であり、軍拡路線自体は責められない。山縣有朋は、上位者の相次ぐ失脚・横死で軍首脳に納まり、大村益次郎の国軍建設プランを踏襲したに過ぎないが、強大な長州閥で陸軍を牛耳り文民統治を排除した政治手腕は並々ならぬものであった。明治の政局は要するに国内外協調派の伊藤博文と藩閥主義・軍拡派の山縣有朋の綱引きであり、個人的力量はともかく歴史的役割は大きかった。しかし、軍閥・政商の利益代表と化した山縣有朋は、軍事から政府や国民の干渉(文民統治)を排除するシステムを構築し、外征を前提とした軍拡路線を常態化させ、薩長藩閥に対抗する政党勢力を弾圧した。さらに、山縣有朋の極端な長州閥優遇人事に不満を溜めたエリート陸軍将校が結束し陸軍の実権を奪取、一夕会の永田鉄山・石原莞爾・東條英機・武藤章・田中新一らは満州事変以後の外征で暴走を深め日本を亡国の対米開戦へと引きずり込んだ。昭和陸軍の暴走は山縣有朋の没後のことだが、シビリアン・コントロールの崩壊を招いた罪は極めて重い。具体的には、大日本帝国憲法に天皇の「統帥権の独立」を規定して軍令が政府の干渉を受けない枠組みを整え、教育勅語などで天皇崇拝思想を浸透させて実効性の担保とし、軍部大臣現役武官制で内閣を打す力を獲得した。ただし軍事費予算については明治憲法上も帝国議会の承認を要する仕組みとなっており、実際に起った軍拡と外征は国民の総意であったといえる。

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若き日に剣術師範を志し奇兵隊から出世した山縣有朋は、政治家より「生涯一介の武弁」たることを誇りとしたが、軍政はともかく軍令や実戦指揮は不得手なようで、保守的な性格故か攻めに弱く、目立つ武勲が無いまま失策を繰返した。山縣有朋は、高杉晋作から奇兵隊を引継ぎながら功山寺挙兵で日和見を決込み(高杉が敗れると諸隊解散が確実な情勢となってから参戦)、戊辰戦争では薩摩藩の黒田清隆との主導権争いで北陸方面軍を混乱させ、日清戦争では首相経験者ながら陸軍第1軍司令官に志願し朝鮮に出陣したが、大本営の冬営命令に背いて無謀な突撃を敢行し味方に大損害が発生、超大物現地司令官の解任・内地召還という前代未聞の大失態を演じた。日露戦争が起ると、懲りない山縣有朋は総司令官に志願したが現場の意を汲んだ明治天皇の英断により日本国内に留め置かれ、代わりに大山巌・児玉源太郎コンビが日露戦争を勝利に導いた。なお、『坂の上の雲』で無能のレッテルを貼られた乃木希典の第三軍司令官就任は、山縣有朋の推挙によるものであった。

-10

公私混同は長州人共通の悪弊で、西郷隆盛に「三井の番頭」と面罵された井上馨が貪官汚吏の代表格だが、山縣有朋と陸軍長州閥も相当なものだった。山縣有朋は、生涯最大のピンチ「山城屋事件」を西郷隆盛に救われたが、三井・大倉喜八郎ら政商と癒着して汚職にまみれ、東京で「椿山荘」京都で「無鄰菴」の豪華庭園造りに励み、奇兵隊軍監時代に隊士の給料を着服していたことを幹部の三浦梧楼に暴露された。西南戦争後に論功行賞の遅れと減給に怒った近衛砲兵隊士が暴動を起したが(竹橋事件)、逸早く勲章をもらい椿山荘建築に精を出す山縣有朋陸軍卿ら軍首脳への不満が背景にあったと思われる。

Shijitsu

1838

長州藩の中間山縣有稔の嫡子山縣小助(山縣有朋)が萩近郊阿武郡川島村にて出生

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1851

吉田松陰が東北旅行へ出奔、手続き不備のため脱藩の罪を得る

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1852

江戸桜田藩邸に戻った吉田松陰が萩へ召還され脱藩罪により士籍・家禄剥奪のうえ杉百合之助の「育み」とされる

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

吉田松陰が藩主毛利敬親に上書し長州藩の国防論を提言

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1853

攘夷を決意する吉田松陰が京阪で梁川星厳・梅田雲浜と会談し江戸で長州藩主毛利敬親に『海戦策』を上書

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

吉田松陰が江戸伝馬町の獄舎で取調べを受け幕府より自藩幽閉を命じられる

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1854

吉田松陰が罪人として萩へ護送され野山獄に投獄される

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1855

長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が病気保養の名目で野山獄を出され実家の杉家で閉門蟄居

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

長州藩主毛利敬親の尊攘方針により周布政之助らが要路に就く

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1856

萩郊外の松本村で蟄居する吉田松陰のもとへ近郷の若者が参集し私塾となる

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1857

吉田松陰の門人が増えたため杉家邸内に塾舎を設置し(松陰神社内に現存)叔父の玉木文之進から「松下村塾」の塾名を承継

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1857

久坂玄瑞が松下村塾に入門、吉田松陰は妹の文を愛弟子の久坂に嫁がせる

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1857

高杉晋作が吉田松陰の松下村塾に入門

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1858

伊藤博文が主人来原良蔵の紹介で吉田松陰の松下村塾に入門、来原の長崎出張に随行

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1858

木戸孝允が長州藩に出仕し大検使となり江戸番手を命じられる

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1858

大村益次郎が長州藩江戸藩邸に招かれ兵学書を講義、木戸孝允は大村を長州藩へスカウト

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1858

吉田松陰が長州藩庁に度々上書し藩政改革を提言、若手藩士の遊学や軍制改革の諸献策が容れられ松下村塾が活気付く(松陰の後押しで多くの塾生が遊学を許される)

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1858

長州藩庁が吉田松陰に家学教授の許可を与え松下村塾が公認となる

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

破約攘夷を主張する吉田松陰が長州藩主毛利敬親に度々上書、周布政之助ら藩政府首脳と対立

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1858

久坂玄瑞が梅田雲浜・梁川星厳らと連携し京都で尊攘運動を開始

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1858

高杉晋作が『益田弾正君にたてまつるの書』を著す

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

山縣有朋が2ヶ月の京都・江戸外遊を許され長州に戻り松下村塾に入門(吉田松陰の最後の門人)

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1858

大老井伊直弼の意を受けた老中間部詮勝が入洛し安政の大獄を断行

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1858

吉田松陰盟友の梅田雲浜が幕府に逮捕され翌年獄死(拷問死とも)

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1858

吉田松陰が公然と老中間部詮勝要撃計画を策動

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1858

吉田松陰が野山獄に再投獄され松下村塾は廃止

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

吉田松陰が獄中で反幕府運動を画策、高杉晋作・久坂玄瑞の諫止に逆ギレ

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1859

獄中の吉田松陰が長州藩討幕挙兵を画策するが挫折

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1859

吉田松陰が幕命で江戸に召喚され評定所の尋問を受ける

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1859

吉田松陰が老中間部詮勝襲撃計画を自白し江戸小塚原刑場にて斬首(享年30)、江戸に居た木戸孝允・伊藤博文らが小塚原に埋葬

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

長州藩と水戸藩が幕政改革の盟約(成破の盟約)

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進

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1861

武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1861

長州藩世子毛利定広が高杉晋作に幕府使節に参加し外国視察へ出るよう命令

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼

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1862

武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

高杉晋作が幕府使節の随員として上海へ渡航

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

公武合体運動に失望し「防長割拠論」を説く高杉晋作が江戸藩邸で長州藩世子毛利定広に上書し脱藩騒ぎを起す

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1863

伊藤博文が木戸孝允の計いで長州藩の士分に昇格し入江九一の妹すみ子と結婚、藩命により江戸へ鉄砲買い付けに出向

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1863

伊藤博文・山尾庸三が江戸で国学者の塙次郎(保己一の子)を暗殺

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

高杉晋作・伊藤博文らが吉田松陰の遺骸を掘出し世田谷若林に改葬

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1863

長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

高杉晋作が長州藩世子毛利定広の命で上京するが同志から孤立し江戸へ出奔、学習院用掛の辞任と10年の暇を許され剃髪して東行と号す

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1863

久坂玄瑞が長州に戻り入江九一・吉田稔麿・山縣有朋ら松下村塾生を糾合し光明寺党を結成

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍(山縣有朋も従軍)

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1863

高杉晋作が長州藩主毛利敬親に召喚され馬関の防御を一任される

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1863

長州藩の伊藤博文・井上馨・山尾庸三・野村弥吉・遠藤謹助がイギリス留学(長州ファイブ)

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進(光明寺党の山縣有朋らが幹部に就任)

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1863

高杉晋作の奇兵隊が下関の前田砲台を再建し対岸の小倉藩領田の浦を占拠し砲台を建設

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

長州藩で俗論党が盛返すが高杉晋作が奇兵隊を小郡へ転陣し山口政庁を威嚇、高杉と久坂玄瑞が政務座役に就く(高杉は奇兵隊総管を退き河上弥市・滝弥太郎に託す)

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1863

長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱

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1863

長州藩尊攘派が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑

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1864

高杉晋作が暴発寸前の遊撃軍の制止に赴くが来島又兵衛に妨害され二度目の脱藩事件を起し上方へ出奔

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1864

高杉晋作が来島又兵衛・久坂玄瑞らの激発を抑えるべく京都で長州藩復権運動、島津久光要撃を企てる

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1864

長州藩が高杉晋作を召還し脱藩罪により野山獄へ投獄

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

参預会議瓦解を受けて久坂玄瑞が長州藩庁に即時出兵を進言

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

伊藤博文・井上馨がイギリス留学から急遽帰国、横浜でオールコック英公使より藩主宛親書を授かり長州藩で不戦工作

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1864

池田屋事件

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1864

長州藩世子毛利定広の上洛・出兵に最後まで反対した周布政之助が逼塞に処される

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1864

来島又兵衛の遊撃軍300人が上方へ発進し久坂玄瑞・真木和泉が率いる諸隊が続く

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1864

禁門の変、久坂玄瑞が京都鷹司邸にて自刃(享年25)

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

中岡慎太郎が長州藩諸隊(浪士隊)の忠勇隊総督となる

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

俗論党政府が奇兵隊ら諸隊の解散を命令、諸隊は結束して従わず

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1864

高杉晋作が萩を脱出し筑前へ亡命

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

高杉晋作が長州へ舞戻り長府に駐屯する諸隊に決起を促す

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1864

奇兵隊総督の赤根武人が逃亡し軍監の山縣有朋が奇兵隊の事実上のトップとなる

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

高杉晋作・伊藤博文・井上馨が西欧列強を抱込むため下関開港を策動するが攘夷派に狙われ高杉は四国へ・井上は豊後別府へ逃避

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

高杉晋作が第二次長州征討に備えるべく戦時物資調達の責任者に就任、井上馨・伊藤博文を長崎へ派遣

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1865

俗論党首領の椋梨藤太が野山獄で斬首される

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

高杉晋作・井上馨が長州の藩論を薩長和解に纏め木戸孝允を京都へ送出す

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1866

薩長同盟

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1866

上海渡航を志す高杉晋作が伊藤博文を伴い長崎へ出向、長州藩庁に無断で丙寅丸を購入

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

高杉晋作が大島口奇襲で勝利

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1866

大村益次郎が浜田城制圧

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

大倉喜八郎が大倉銃砲店開業、官軍御用達となり巨利を得る

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

伊藤博文が三十三人通士に昇格、京都出張を経て長崎に常駐し武器購入の任にあたる

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

木戸孝允が新政府の徴士となり総裁局顧問に任じられる

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

伊藤博文が明治政府に徴され外国事務掛、外国事務局判事、兵庫県知事などを歴任

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

西園寺公望が会津征討越後口総督府大参謀に任じられ出征

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1868

黒田清隆・山縣有朋が北陸方面軍参謀として越後長岡へ出征

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

木戸孝允の主導により明治天皇が五箇条の御誓文を公布

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置

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1868

河井継之助の長岡藩が降伏、北陸方面軍の山縣有朋隊は会津・黒田清隆隊は庄内へ転戦

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

西郷隆盛が薩摩藩北陸出征軍の総差引(司令官)を命じられ越後柏崎へ出征

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

王政復古の賞典禄下賜、戊辰戦争で長州軍を指揮した大村益次郎は1500石、山田顕義・山縣有朋・前原一誠は600石を賜る

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1869

版籍奉還

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1869

奇兵隊などの長州藩諸隊の廃止に伴い脱退騒動が起るが木戸孝允は武力鎮圧を断行し130余人を処刑

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1869

大村益次郎が京都三条木屋町の旅館で会食中に急進的な兵制改革に反発する元長州藩士8人に襲われ大阪にて死去(享年46)、郷里の山口市鋳銭司に葬られる

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1869

山縣有朋と西郷従道が軍制視察のため渡欧

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1871

西郷隆盛が明治政府に出仕し木戸孝允と共に参議(最高実力者)となる

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣、随行した伊藤博文は大久保利通に接近

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1872

大倉喜八郎が欧米旅行、岩倉使節団の大久保利通・伊藤博文らと交際

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1872

木戸孝允文部卿の主導により学制制定

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1873

徴兵令布告

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1873

地租改正法・地租改正条例布告、木戸孝允は反対

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1873

岩倉使節団が帰国

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1873

木戸孝允が憲法制定の意見書を提出

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1873

明治六年政変、山縣有朋は政争を避け東京を脱出

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1874

参議の木戸孝允が兼文部卿・宮内省統括職を歴任

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1874

佐賀の乱

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野

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1875

黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結

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1875

江華島事件

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1875

大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占

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1875

木戸孝允が参議に復帰、立憲政体の詔書を発布し地方官会議を開催

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1875

木戸孝允の持病の頭痛が悪化し左足が麻痺し半身不随となる

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

廃刀令布告

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1876

岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く

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1876

秩禄処分、反対した木戸孝允は病状悪化のため参議を辞任し内閣顧問に退く

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1876

神風連の乱

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1877

西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)

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1877

木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる

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1878

竹橋事件

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

参謀本部設置

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1878

山縣有朋に代わり西郷従道が陸軍卿就任(参議兼務)

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1879

伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任

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1880

板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

自由党結成

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1881

松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる

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1882

軍人勅諭公布

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1882

板垣退助遭難事件

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1882

板垣退助と後藤象二郎が立憲政治視察のため渡欧、後藤が三井から受取った洋行費を散財し板垣の自由党総理を引責辞任

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

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1882

朝鮮で壬午事変

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1882

西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立

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1882

集会条例改定、自由民権運動が激化

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1882

伊藤博文が立憲制視察のため渡欧

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1883

鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉

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1883

山縣有朋が内務卿就任(~1885)

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1884

華族令公布、山縣有朋は伯爵を受爵

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1884

松方デフレによる不況深刻化

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1884

秩父事件

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1884

朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援

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1885

福澤諭吉が「脱亜論」を発表

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)、山縣有朋が内務大臣就任

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1886

民権諸派の大同団結運動が始まる(発起人の後藤象二郎は黒田清隆内閣に懐柔される)

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1886

井上馨が内閣臨時建築局を設置し官庁集中計画始動(井上失脚により頓挫)

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1887

保安条例

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1887

鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代

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1888

伊藤博文が枢密院を設立し初代議長に就任

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1888

黒田清隆内閣発足、山縣有朋が内務大臣就任

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1888

鎮台制を師団制に改編

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1889

大日本帝国憲法発布

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1889

民法典論争が起る

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1889

川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進

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1889

大隈重信外相が玄洋社来島恒喜に襲撃される

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1890

第一次山縣有朋内閣発足

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1890

岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用

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1890

府県制・郡制公布

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1890

第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得

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1890

教育勅語発令

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1890

第一回帝国議会開催

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1891

吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)

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1891

山本権兵衛が西郷従道海相のもと海軍省大臣官房主事に就き海軍の分離独立改革を断行

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1891

第一次松方正義内閣発足

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1891

内村鑑三不敬事件

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1891

大津事件

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1891

帝政ロシアがシベリア鉄道起工

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1892

第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利

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1892

第二次伊藤博文内閣発足、山縣有朋が司法大臣就任

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1893

海軍軍令部設置

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1894

不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

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1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

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1894

日清戦争勃発、第一軍司令官の山縣有朋が軍令違反で大損害を蒙り解任・内地召還される

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1895

山縣有朋が貴族院議員となる

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1895

台湾総督府設置

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1895

朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件

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1896

露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得

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1896

第二次松方正義内閣発足

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1897

朝鮮が大韓帝国と改称

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1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

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1898

第三次伊藤博文内閣発足

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1898

憲政党結成~2大民党の合同

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1898

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣

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1898

第二次山縣有朋内閣発足

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1898

清で康有為の戊戌の変法が挫折

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1899

地租増徴

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1899

文官任用令改定

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1900

治安警察法公布

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1900

軍部大臣現役武官制制定

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1900

北清事変

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1900

立憲政友会結成

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1900

第四次伊藤博文内閣(政友会)発足

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1900

伊藤博文が貴族院議長就任

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1901

井上馨に組閣大命が下るが渋沢栄一の入閣拒否で頓挫

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1901

第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1901

北京議定書調印

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1901

ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立

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1902

第一次日英同盟協約締結

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1903

ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂

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1904

仁川沖海戦

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1904

日露戦争開戦

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1904

伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣

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1904

井上馨の依頼を受け高橋是清が日露戦費調達のため渡欧米

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1904

第一次日韓協約締結

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1904

遼陽会戦

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1905

旅順攻略

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1905

血の日曜日事件~ロシア革命が始まる

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1905

奉天会戦

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1905

孫文が東京で中国同盟会を結成

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1905

日本海海戦

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1905

第二次日英同盟協約締結

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1905

ポーツマス条約調印

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1905

桂太郎政府がアメリカと桂・タフト協定

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1905

日比谷焼打事件

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1905

大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立

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1906

第一次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1906

第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任

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1906

井上勝・桂太郎ら長州閥主導で鉄道国有法が成立し幹線鉄道国有化

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1906

南満州に関東都督府設置

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1906

南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる

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1907

韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結

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1907

第一次日露協約締結

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1907

伊藤博文が公爵に昇叙

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1908

第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1908

山縣有朋が公爵に昇叙

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1908

東洋拓殖会社設立

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1909

アメリカが満鉄の中立化を提唱

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1909

伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

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1910

大逆事件

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1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

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1910

鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立

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1911

不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)

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1911

警視庁に特別高等課設置

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1911

第二次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1911

中国で辛亥革命勃発

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1912

孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡

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1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

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1912

再組閣を期す山縣有朋が直系の桂太郎を内大臣に押込める

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1912

二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す

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1912

第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1913

桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任

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1913

第一次護憲運動、大正政変

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1913

第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足

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1913

軍部大臣現役武官制緩和

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1913

桂太郎が死去(享年65)、加藤高明が同志会総理を継ぐ

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1914

シーメンス事件、第一次山本権兵衛内閣が退陣し山本および斎藤実海相が予備役編入

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1914

第二次大隈重信内閣(同志会)発足

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1914

孫文が東京で中国革命党(後の国民党)を結成

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

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1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

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1915

井上馨死去

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1916

寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足

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1917

レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)

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1918

ソビエト政権がドイツと休戦協定(ブレスト・リトフスク条約調印)

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1918

インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣

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1918

シベリア出兵

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1918

原敬内閣(政友会)発足

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1918

第一次世界大戦終結

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1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

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1919

自由民権運動のカリスマ板垣退助が死去(享年82)

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1919

寺内正毅死去

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1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1920

鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成

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1921

宮中某重大事件、山縣有朋の権威失墜

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1921

バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる

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1921

原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ

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1921

高橋是清内閣(政友会)発足

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1921

アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる

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1921

加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行

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1922

大隈重信が早稲田の自宅で死去し盛大な「国民葬」で送られる(享年83)

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1922

陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去

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Kouyuuroku

毛利敬親

主君にして良き理解者

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毛利定広

敬親養嗣子の長州藩世子

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吉田松陰

出世の大恩人

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木戸孝允

気難しいボス

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高杉晋作

松下村塾の双璧・奇兵隊のボス

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久坂玄瑞

松下村塾の双璧・光明寺党のボス

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大村益次郎

暗殺された長州軍首領

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前原一誠

失脚した上司・萩の乱首謀者

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伊藤博文

松下村塾生・宿命のライバル

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井上馨

伊藤の大親友

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吉田稔麿

松下村塾の四天王

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入江九一

松下村塾の四天王

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品川弥二郎

松下村塾生

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山田顕義

松下村塾生・大村愛弟子のライバル

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赤根武人

松下村塾生の裏切り者

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寺島忠三郎

松下村塾生

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周布政之助

正義派首領

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広沢真臣

木戸舎弟

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来島又兵衛

困った過激派

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長井雅楽

正義派だが政敵

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浦靱負

正義派家老

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益田弾正

正義派家老

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椋梨藤太

俗論党首領

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滝弥太郎

奇兵隊幹部

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河上弥市

奇兵隊幹部

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三浦梧楼

奇兵隊三人衆・山田顕義一派

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鳥尾小弥太

奇兵隊三人衆・山田顕義一派

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三好重臣

奇兵隊三人衆

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時山直八

失策で死なせた親友

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山城屋和助

奇兵隊あがりの政商・疫病神

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大楽源太郎

諸隊反乱の首謀者

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桂太郎

先に死んだ陸軍長州閥後継者

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寺内正毅

先に死んだ陸軍長州閥後継者

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児玉源太郎

優秀な後輩

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乃木希典

無能扱いの後輩

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田中義一

陸軍長州閥後継者

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宇垣一成

陸軍長州閥後継者

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鮎川義介

井上親族の政商

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渋沢栄一

井上派財界人

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大倉喜八郎

長州系武器商人

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三条実美

長州系公卿

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姉小路公知

長州系公卿

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岩倉具視

薩摩系公卿

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真木和泉

困った扇動家

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平野国臣

困った扇動家

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島津久光

薩摩藩国父

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西郷隆盛

偉大な恩人

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大久保利通

偉大なボス

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小松帯刀

薩摩の執政

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桐野利秋

西郷子分で政敵

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篠原国幹

西郷子分で政敵

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村田新八

西郷子分で政敵

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黒田清隆

犬猿の仲の薩摩閥首領

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西郷従道

西郷隆盛弟・薩摩閥首領

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大山巌

西郷隆盛従弟・薩摩閥首領

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黒木為楨

優秀な薩摩軍人

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野津道貫

優秀な薩摩軍人

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奥保鞏

優秀な陸軍人

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松方正義

伊藤の手下

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山本権兵衛

日本海軍創設者

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山内容堂

武市を殺した土佐国主

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武市半平太

土佐勤皇党首領・久坂の盟友

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中岡慎太郎

長州系土佐浪士

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坂本龍馬

薩摩系土佐浪士

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谷干城

山田顕義一派の土佐軍人

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板垣退助

宿敵の民権カリスマ

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後藤象二郎

板垣の愚友

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大隈重信

懐柔した民権派

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福澤諭吉

大隈の黒幕

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岩崎弥太郎

大隈の金脈

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大木喬任

大久保舎弟

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江藤新平

征韓派

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副島種臣

征韓派

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勝海舟

海軍卿

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河井継之助

長岡藩の難敵

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小村寿太郎

桂太郎の盟友

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陸奥宗光

伊藤舎弟

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西園寺公望

伊藤後継者

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原敬

伊藤後継者

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永田鉄山

陸軍の反逆児

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東條英機

永田舎弟

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石原莞爾

陸軍の異端児

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