35 kurodakiyotaka

くろだ きよたか

黒田 清隆

1842年~1900年

40

「維新の三傑」の政争に翻弄され西南戦争後は酒乱となり、開拓使官有物払下げ事件に逆ギレして「超然主義」を唱え民権派と三菱を弾圧、順送りで2代首相・元老に栄達したが政治的業績を残せなかった孤独な薩摩閥のボス

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

40

黒田清隆は、西郷隆盛・大久保利通の薩摩藩志士グループに連なり、戊辰戦争と西南戦争では官軍の指揮官として活躍、政治家不足の薩摩閥にあって順送りでボス的存在となり第2代内閣総理大臣・元老に栄達した。しかしながら、黒田清隆は軍人としては優秀だったが、政治的事跡というと、薩長同盟で西郷隆盛の使いとして木戸孝允の案内役を務めたこと、榎本武揚の救済、北海道開拓使でのケプロンやクラークの招聘と樺太・千島交換条約、開拓使官有物払下げ事件と逆ギレによる大隈重信・岩崎弥太郎・三菱潰し、薩長藩閥「超然主義」重鎮としての政党弾圧くらいで、おまけに西南戦争後は酒乱の厄介者となり薩摩閥でも孤立した。首相職は薩長平等の原則により伊藤博文から譲られたに過ぎず、在任中の大日本帝国憲法公布も専ら伊藤の業績である。明治の軍部を担った同郷の大山巌や山本権兵衛、長州の伊藤博文・山縣有朋・井上馨や民権派の板垣退助・福澤諭吉・大隈重信らに比べ黒田清隆は非常に存在感が薄い。松方正義も同様だが、西郷隆盛・大久保利通の後釜としては力量不足で恵まれた地位を活かせなかった。

Shijitsu

1840

薩摩藩の下級藩士黒田仲佐衛門清行の嫡子黒田清隆が鹿児島にて出生

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1846

フランスが琉球の開国を要求

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1849

お由羅騒動

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1850

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

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1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

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1854

薩摩藩主島津斉彬が参勤交代で江戸入り、中小姓として随行した西郷隆盛を江戸藩邸で御庭方役に任じ直属の謀臣に抜擢

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

薩摩藩主島津斉彬が一門の島津敬子(篤姫)を将軍徳川家定に入輿させる・西郷隆盛が諸業務を担当

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1857

薩摩藩主島津斉彬が下級藩士の西郷隆盛・大久保利通を徒目付に登用

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

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1858

島津斉彬が幕府抗議のため藩兵5千を率いての上洛を計画

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1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1858

西郷隆盛が月照を伴い鹿児島へ帰国するが島津斉興の佐幕転換により月照・西郷の入水事件が発生

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1858

島津久光の了解のもと菊池源吾へ変名した西郷隆盛が奄美大島に潜居(幕府の捕吏から逃すためで罪人扱いではなかった)

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される

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1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

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1859

大久保利通が有馬新七ら精忠組の突出脱藩騒動を抑える

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

桜田門外の変の指揮者関鉄之助が鹿児島来訪、有馬新七らが再び突出脱藩騒ぎを起すが大久保利通が制止

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1861

薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢

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1862

上洛を期す島津久光の召還命令により西郷隆盛が鹿児島へ帰還

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1862

西郷隆盛が島津久光の率兵上洛の準備と動静視察のため先発

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1862

島津久光が西郷隆盛を遠島に処す

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

島津久光が西郷隆盛を赦免し藩政に復帰させる

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変、薩摩兵を指揮する西郷隆盛は負傷を負いつつ勝利

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式武器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1865

高杉晋作・井上馨が長州の藩論を薩長和解に纏め木戸孝允を京都へ送出す

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1866

薩長同盟

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1866

黒田清隆が長州藩主毛利敬親に拝謁

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛(黒田清隆も従軍)、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される

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1868

西園寺公望が会津征討越後口総督府大参謀に任じられ出征

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1868

黒田清隆・山縣有朋が北陸方面軍参謀として越後長岡へ出征

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置

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1868

河井継之助の長岡藩が降伏、北陸方面軍の山縣有朋隊は会津・黒田清隆隊は庄内へ転戦

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

西郷隆盛が薩摩藩北陸出征軍の総差引(司令官)を命じられ越後柏崎へ出征

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

黒田清隆が明治政府の軍務官に徴され函館追討軍参謀として出征

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1869

西郷隆盛が薩摩藩の援軍を率い函館戦争へ出征

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

黒田清隆が榎本武揚の赦免運動を開始

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1869

王政復古の賞典禄下賜、黒田清隆は700石を賜る

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1869

版籍奉還

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1869

黒田清隆が外務権大丞を経て兵部大丞に就任するが上司(兵部大輔)の前原一誠と衝突し喧嘩両成敗で軍務を解かれ文官(北海道開拓)に転進

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1869

新政府が北海道に開拓使を設置、旧佐賀藩主で議定の鍋島直正が蝦夷開拓総督・初代開拓使長官に就任するがすぐに転任し黒田清隆が後継

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1870

小松帯刀が死去

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1871

北海道開拓使の黒田清隆が欧米視察旅行、米国農務長官ホーレス・ケプロンをお雇い外国人として招聘

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1871

西郷隆盛が明治政府に出仕し木戸孝允と共に参議(最高実力者)となる

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣

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1872

明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1872

黒田清隆の嘆願により西郷隆盛の留守政府が榎本武揚の赦免を決定

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1873

徴兵令布告

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1873

岩崎弥太郎が三菱商会を設立

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

岩倉使節団帰国

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1873

明治六年政変、西郷隆盛が参議・陸軍大将を辞任し鹿児島へ退去(黒田清隆は大久保利通に加担)

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1874

佐賀の乱

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野(黒田清隆は木戸に加担)、西郷隆盛が弟の西郷従道の要請に応じ薩摩士族を送る

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1874

岩崎弥太郎の三菱が台湾出兵の海上輸送を一手に引受け、大久保利通に感謝され飛躍への画期となる

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1874

西郷隆盛が薩摩藩の不平士族を統御するため私学校を設立

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1874

大久保利通が台湾出兵に反対する黒田清隆を参議ポストで懐柔(北海道開拓使次官から長官へ昇格)

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1875

黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結

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1875

開拓使顧問のホーレス・ケプロンがアメリカへ帰国

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1875

江華島事件

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1875

大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

廃刀令布告

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1876

岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く

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1876

北海道開拓使がマサチューセッツ農科大学学長のウィリアム・スミス・クラークを札幌農学校教頭に招聘(8ヵ月後に帰国)

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1876

秩禄処分

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1876

神風連の乱

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1877

西南戦争、参軍として従軍した黒田清隆は熊本城解放に貢献

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

駐露特命全権公使の榎本武揚が帰国し外務省出仕、黒田清隆の薩摩閥に連なり第一次伊藤博文内閣から6内閣で大臣を歴任

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1879

伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任

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1880

板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

黒田清隆長官が引責辞任に追込まれ開拓使廃止(農商務卿の西郷従道が1月間長官を兼任)

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1881

自由党結成

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1881

松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる

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1882

薩長藩閥政府が岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社に「第三命令書」を交付し事業妨害

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

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1882

朝鮮で壬午事変

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1882

西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立

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1882

松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める

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1882

大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)

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1882

集会条例改定、自由民権運動が激化

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1882

伊藤博文が立憲制視察のため渡欧

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1883

鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉

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1884

華族令公布、黒田清隆は伯爵を受爵

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1884

松方デフレによる不況深刻化

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1884

秩父事件

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1884

朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援

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1884

薩長藩閥政府が岩崎弥太郎の三菱に官営長崎造船所の経営を押付ける

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1884

郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の船舶が衝突事故を起し薩長藩閥政府が和解に乗出す

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1885

福澤諭吉が「脱亜論」を発表

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1885

岩崎弥太郎が共同運輸会社との死闘の最中に東京六義園にて死去(享年51)、弟の岩崎弥之助が三菱を承継

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1885

西郷従道農商務卿の和解勧告を岩崎弥之助が受入れ共同運輸会社が郵便汽船三菱会社を併合し日本郵船会社が発足

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)

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1886

岩崎弥之助が三菱社設立

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1886

民権諸派の大同団結運動が始まる(発起人の後藤象二郎は黒田清隆内閣に懐柔される)

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1887

土方久元に代わり黒田清隆が農商務大臣就任

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1887

鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代

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1888

伊藤博文が枢密院を設立し初代議長に就任

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1888

黒田清隆内閣発足

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1888

鎮台制を師団制に改編

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1889

大日本帝国憲法発布、大赦で西郷隆盛が赦免され追贈正三位

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1889

民法典論争が起る

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1889

川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進

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1889

大隈重信外相が玄洋社来島恒喜に襲撃される

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1889

大隈重信襲撃事件で黒田清隆が首相を辞任、第一次山縣有朋内閣発足まで三条実美が内閣総理大臣を代行

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1890

第一回帝国議会開催

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1890

第一次山縣有朋内閣発足

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1890

第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得

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1891

吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)

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1891

第一次松方正義内閣発足

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1891

大津事件

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1891

帝政ロシアがシベリア鉄道起工

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1892

第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利

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1892

第二次伊藤博文内閣発足、黒田清隆が逓信大臣就任

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1893

三菱社が三菱合資会社に改組、岩崎弥之助が岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲

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1893

岩崎弥太郎の功により嫡子の岩崎久弥が男爵を受爵、三菱2代目の岩崎弥之助も別に男爵家を樹立

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1894

不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

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1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

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1894

日清戦争勃発

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

黒田清隆が逓信大臣から枢密院議長へ転任

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1895

台湾総督府設置

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1895

朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件

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1896

露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得

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1896

第二次松方正義内閣発足

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1897

朝鮮が大韓帝国と改称

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1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

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1898

第三次伊藤博文内閣発足

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1898

憲政党結成~2大民党の合同

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1898

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣

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1898

第二次山縣有朋内閣発足

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1898

清で康有為の戊戌の変法が挫折

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1899

地租増徴

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1900

軍部大臣現役武官制制定

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1900

北清事変

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1900

黒田清隆が死去(享年59)

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Kouyuuroku

島津斉彬

偉大な主君

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島津久光

斉彬庶弟・薩摩国主

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島津忠義

薩摩藩主を継いだ久光長子

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西郷隆盛

大恩人のボス

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大久保利通

ボス

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小松帯刀

良き上司

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吉井友実

精忠組同志

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伊地知正治

精忠組同志

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有村俊斎

精忠組同志

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大山正円

精忠組同志

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樺山三円

精忠組同志

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篠原国幹

西郷子分

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桐野利秋

西郷子分

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村田新八

西郷子分

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田中新兵衛

西郷子分

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有馬新七

精忠組の跳返り

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西郷従道

隆盛弟・盟友

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大山巌

隆盛従弟・薩摩閥仲間

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松方正義

薩摩閥仲間

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山本権兵衛

海軍創始者

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川上操六

薩摩陸軍人

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赤塚源六

薩摩海軍人

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東郷平八郎

薩摩海軍人

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五代友厚

汚職仲間

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榎本武揚

ラブ・イン・ユウ

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毛利敬親

長州藩主

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木戸孝允

長州のリーダー

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高杉晋作

長州の英雄

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山縣有朋

陸軍長州閥のドン・犬猿の仲

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伊藤博文

大久保後継者

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井上馨

伊藤の親友

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山田顕義

参謀仲間

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大村益次郎

陸軍創設者

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前原一誠

衝突した上司

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岩倉具視

大久保盟友の薩摩系公卿

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三条実美

長州系公卿

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坂本龍馬

薩摩系土佐浪士

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中岡慎太郎

長州系土佐浪士

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谷干城

西南戦争の戦友

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板垣退助

征韓派・民権カリスマ

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後藤象二郎

板垣の愚友

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大隈重信

宿敵

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福澤諭吉

大隈の黒幕

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岩崎弥太郎

大隈の資金源・苛めた三菱創始者

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岩崎弥之助

弥太郎弟・三菱2代目

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鍋島直正

佐賀藩主・初代開拓使長官

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島義勇

鍋島腹心

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江藤新平

征韓派

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副島種臣

征韓派

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勝海舟

薩長和解を勧めた幕臣

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河井継之助

難敵

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土方歳三

難敵

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ケプロン

世話になった米農務局長

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クラーク

来日してくれた農学者

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