33 ogata

おがた こうあん

緒方 洪庵

1810年~1863年

80

種痘を広めた蘭方医にして「適塾」から大村益次郎・福澤諭吉・橋本左内・大鳥圭介らを輩出した大教育者

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

80

緒方洪庵が大坂に開いた蘭学塾「適塾」は、大村益次郎・福澤諭吉・橋本左内・大鳥圭介ら多くの偉材を輩出し「文明開化」の先駆となった。師の緒方洪庵は政治を語らず蘭学教授に徹したが門人は西洋知識と頭脳で幕末維新をリード、特に長州藩軍を洋式軍隊に改造し幕府の長州征討を撃退した大村益次郎、西洋礼賛と「脱亜論」を国論に高め文明開化の象徴となった福澤諭吉は世の中を変えるほどの働きをした。政治への影響では討幕の原動力となった吉田松陰の「松下村塾」に及ばないが、純粋な学問的成果において適塾は異彩を放ち緒方洪庵は吉田松陰に比肩すべき大教育者となった。緒方洪庵は「牛痘接種法」の普及など医師としても業績を残し将軍徳川家茂の侍医・法眼の極冠に栄達、子孫の多くも医学会で活躍した。

Shijitsu

1810

備中足守藩の下級藩士緒方瀬左衛門惟因の三男に緒方惟章(緒方洪庵)が出生

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1816

伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』完成

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1817

緒方洪庵が天然痘に罹患

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1817

イギリス船が浦賀に来航

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1823

シーボルト来日

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1824

イギリス捕鯨船員の常陸上陸事件、徳川斉昭の水戸藩を中心に攘夷熱が高まる

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1825

異国船打払令

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1825

緒方惟因が大坂蔵屋敷留守居役となり一家は大阪に転居

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1826

緒方洪庵が蘭方医中天游の思々斎塾に入門

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1828

シーボルト事件

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1830

鍋島斉直の隠居に伴い鍋島直正が10代佐賀藩主に就任、佐賀藩の藩政改革と近代化が始まる

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1831

緒方洪庵が江戸遊学し蘭方医坪井信道の安懐堂塾に入門

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1835

中天游が急逝、弟子の緒方洪庵が大阪に戻り思々斎塾で代理教鞭をとる

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1836

緒方洪庵が長崎遊学しオランダ人医師ニーマンに学ぶ

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1837

モリソン号事件~アメリカ商船を異国船打払令に基づき砲撃

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1838

緒方洪庵が大阪瓦町で医師開業、適々斎塾(適塾)を開く

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1839

蛮社の獄~渡辺崋山や高野長英らの鎖国政策批判への弾圧

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1842

南京条約

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1843

上海開港

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1844

オランダ国王特使の開国勧告を幕府が無視

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1845

水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる

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1845

門人増により緒方洪庵が大坂過書町に屋敷を購入し適塾を移転

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1846

アメリカのピットル艦隊が浦賀に来航し開国を打診

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1846

フランスが琉球の開国を要求

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1846

大村益次郎が大阪遊学し緒方洪庵の適塾に入門、翌年から1年間長崎へ遊学

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1848

久坂玄機(玄瑞の長兄)が緒方洪庵の適塾の塾頭となるが翌年長州藩に召還され医学所好生館の都講に就任、適塾塾頭は大村益次郎が後継

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1848

坪井信道が死去

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1849

福井藩士の橋本佐内が緒方洪庵の適塾に入門

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1849

緒方洪庵が大阪古手町に除痘館を開き牛痘種痘法を開始

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1850

佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始

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1850

大村益次郎が周防へ戻り四辻村で村医を開業

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1850

緒方洪庵が故郷の備中足守藩に「足守除痘館」を開設

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1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

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1851

佐賀藩が洋式技術導入のため精煉方を開設

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1852

オランダ商館長が長崎奉行にペリー来航を予告、佐賀藩主鍋島直正が軍備を増強

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1852

ジョン万次郎が琉球に上陸、島津斉彬の謁見を経て、土佐藩に仕官

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1852

大鳥圭介が緒方洪庵の適塾に入門

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1853

「からくり儀右衛門」こと田中久重が佐賀藩精煉方に着任

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任

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1853

海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁

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1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

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1853

老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置

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1853

大村益次郎が宇和島藩に仕官

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1854

久坂玄機が病死し弟の久坂玄瑞が家督を継ぎ医者坊主となる

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

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1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

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1855

薩摩藩が日本初の国産蒸気船を開発

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1855

薩摩藩が国産2号となる洋式軍艦昇平丸(帆船)を建造、幕府に献上

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1855

福澤諭吉が緒方洪庵の適塾に入門

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上

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1857

吉田松陰の門人が増えたため杉家邸内に塾舎を設置し(松陰神社内に現存)叔父の玉木文之進から「松下村塾」の塾名を承継

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1857

大村益次郎が宇和島藩士のまま最高学府の幕府講武所に招聘され教授に任じられる

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1857

福澤諭吉が最年少の22歳で適塾の塾頭となる

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1858

佐賀藩主鍋島直正が洋式船舶の建造・修理・運用のため三重津海軍所を開設

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

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1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1858

福澤諭吉が築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で蘭学塾を開講(慶應義塾の起源)

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1858

コレラの流行を受け緒方洪庵が治療の手引書『虎狼痢治準』を出版し医師に配布

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1858

幕府が緒方洪庵の天然痘予防活動を公認・牛痘種痘を免許制としモグリ医療を規制

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される

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1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進

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1860

米国から帰国した福澤諭吉が築地鉄砲洲に復帰し蘭学塾から英学塾へ方針転換

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1862

幕府が第一回遣欧使節を派遣(文久遣欧使節)しロンドン覚書に調印(随員に福澤諭吉・福地源一郎・寺島宗則・箕作秋坪ら)

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち

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1862

緒方洪庵が江戸幕府に招聘され奥医師兼西洋医学所頭取に就任・将軍徳川家茂の侍医として法眼の地位を与えられる

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

緒方洪庵が江戸にて死去(享年54)

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1909

緒方洪庵に追贈従四位

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Kouyuuroku

中天游

蘭学の師匠

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億川百記

中門下の先輩

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坪井信道

蘭学の先生

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青木周弼

坪井門下の学友

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宇田川玄真

蘭学の先生

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ニーマン

師事したオランダ人医師

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大村益次郎

門人

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福澤諭吉

門人

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橋本左内

門人

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大鳥圭介

門人

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箕作秋坪

門人

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佐野常民

門人

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本野盛亨

門人

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手塚良仙

門人

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北里柴三郎

偉大な後進

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徳川家茂

侍医を勤めた将軍

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鍋島直正

開明的な佐賀藩主

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