31 iwakura

いわくら ともみ

岩倉 具視

1825年~1883年

60

大久保利通の盟友として薩摩藩の朝廷工作を担い王政復古・討幕の密勅・辞官納地を成功させた豪腕公卿、王政復古の大号令で朝廷から世襲制を排除し自ら太政官の最高位に就いたが公家優遇に固執し立憲制・自由民権運動に反対

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

80

岩倉具視は、大久保利通の盟友として薩摩藩の朝廷工作を担い王政復古・討幕の密勅・辞官納地を成功させた豪腕公卿である。イカツイ容貌で押しが強く謀略も得意、岩倉具視は軟弱な公家社会にあって極めて希少な硬骨漢であり、明治維新に不可欠な役割を果し新政府の最高位に就いた。

-20

岩倉具視は、幕末の土壇場で薩摩藩に担がれ朝廷サイドで主役級の働きをしたが、それ以外に見るべき業績は無く、開国か鎖国か・尊攘か佐幕かといった政治理念は二の次で朝廷の発揚と自身の出世のために動いたようにみえる。少壮期から世襲公卿に反発した岩倉具視は、「八十八卿列参事件」で幕府の条約勅許を妨害したが、安政の大獄で佐幕化し和宮降嫁を主導、久坂玄瑞・武市半平太ら尊攘派の糾弾で失脚し孝明天皇崩御まで政局から姿を消した。大久保利通に担ぎ出された岩倉具視は最幕末の朝廷工作を担い、太王政復古の大号令で朝廷から世襲制を排除し自ら太政官の最高位に就いたが、大久保を支持し西郷隆盛ら征韓派を追放したくらいしか業績は無く、公家優遇に固執し立憲制・自由民権運動に反対する反動政治家の首魁となった。

Shijitsu

1825

羽林家堀河康親の次男堀河周丸(岩倉具視)が京都にて出生

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1838

堀河周丸(岩倉具視)が羽林家岩倉具慶の次女誠子の許婚として入嗣

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1852

彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる

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1853

岩倉具視が関白鷹司政通へ歌道入門、公家社会上層部にアクセス

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

久坂玄瑞が梅田雲浜・梁川星厳らと連携し京都で尊攘運動を開始

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1858

大老井伊直弼の意を受けた老中間部詮勝が入洛し安政の大獄を断行

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

吉田松陰が老中間部詮勝襲撃計画を自白し江戸小塚原刑場にて斬首(享年30)、江戸に居た木戸孝允・伊藤博文らが小塚原に埋葬

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

岩倉具視が孝明天皇に「和宮御降嫁に関する上申書」を提出

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1861

尊攘運動に目覚めた武市半平太が土佐藩庁に願出て江戸出向、薩長の志士と交流し久坂玄瑞に感化される

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1861

武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束

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1861

武市半平太が帰国、破約攘夷への藩論転換運動

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1861

久坂玄瑞が長井雅楽の公武周旋を弾劾し和宮降下への反対運動を展開

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1861

久坂玄瑞・周布政之助が長州藩主毛利敬親の江戸参勤阻止を企てるが失敗し帰国を命じられる

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼

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1862

岩倉具視が和宮降嫁を差配し江戸下向、将軍徳川家茂より廃帝を否定する誓書を得る

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1862

武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らが「四奸二嬪」を弾劾し岩倉具視を辞官隠居へ追込む

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1862

武市半平太の工作により土佐藩主山内豊範が京都へ立寄り国事周旋の勅命を受ける

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

大久保利通が御側役兼御小納戸頭取に就任

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

島津久光が西郷隆盛を赦免し藩政に復帰させる

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変、禁裏御守衛総督徳川慶喜・京都守護職松平容保の指揮のもと薩会連合軍が長州軍を撃退し一会桑政権樹立

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

神戸海軍塾生の不祥事により勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行罷免、坂本龍馬ら神戸海軍塾生を薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛に託す

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1866

勝海舟が軍艦奉行に復職(5千石)

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

睦仁親王(明治天皇)即位

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

藩主薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

藩主薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置、岩倉具視が参議に就任(間もなく議定に昇格)

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1868

大久保利通が大阪遷都建白書を提出

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置、岩倉具視・三条実美が事実上の最高位(副総裁)に就く

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

王政復古の賞典禄下賜、岩倉具視と三条実美は最高の5千石を賜る

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1869

版籍奉還

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1870

小松帯刀が死去

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1870

西園寺公望が岩倉具視の意を受けフランス留学

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣、大久保利通が副使として参加

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1873

徴兵令布告

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

岩倉使節団が帰国

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1873

大久保利通が参議に復帰

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1873

明治六年政変

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1873

大久保利通が立憲政体に関する意見書を提出

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1874

大久保利通が殖産興業に関する建議書を提出

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1874

佐賀の乱、大久保利通が自ら鎮台兵を率いて鎮圧

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野

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1874

大久保利通が自ら北京の清国政府へ乗込み台湾出兵問題を解決

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1875

黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結

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1875

江華島事件

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1875

大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占

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1875

木戸孝允が参議に復帰、立憲政体の詔書を発布し地方官会議を開催

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く

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1876

秩禄処分

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1876

神風連の乱

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1876

国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる

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1877

西南戦争、大久保利通は京都で政府軍の指揮を採り鎮圧

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1877

木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる

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1877

第一回内国勧業博覧会開催

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1881

東洋自由新聞社設立、西園寺公望が社長に就くが岩倉具視の妨害で辞任

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

自由党結成

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1881

松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる

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1881

日本鉄道会社設立、岩倉具視が華族の出資を募る

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1881

岩倉具視・伊藤博文が西園寺公望を参事院議官補として政府に復職させる

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1882

板垣退助遭難事件

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

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1882

朝鮮で壬午事変

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1882

集会条例改定、自由民権運動が激化

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1882

伊藤博文が立憲制視察のため渡欧、岩倉具視の工作により西園寺公望も随員に加わる

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1883

岩倉具視が死去(享年59)、日本初の国葬で送られ品川区の海晏寺に葬られる

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1884

華族令公布、岩倉具定が公爵を受爵

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1885

岩倉具視に追贈正一位

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Kouyuuroku

孝明天皇

主君

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明治天皇

幼君

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和宮

孝明天皇の異母妹・公武合体の駒

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岩倉具定

公爵に叙された次男

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堀河紀子

実妹・和宮降嫁の同志

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久我建通

和宮降嫁の同志

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千種有文

和宮降嫁の同志

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富小路敬直

和宮降嫁の同志

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今城重子

和宮降嫁の同志

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大原重徳

同志

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鷹司政通

出世の糸口

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九条尚忠

政敵の関白

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姉小路公知

長州系公卿

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三条実美

ライバルの長州系公卿

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三条西季知

七卿

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四条隆謌

七卿

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東久世通禧

七卿

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壬生基修

七卿

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錦小路頼徳

七卿

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澤宣嘉

七卿・生野の変で大失態

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有栖川宮熾仁親王

明治政府総裁に担いだ宮様

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西園寺公望

公家政治家のホープ

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島津斉彬

四賢侯

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島津久光

斉彬庶弟・討幕の盟友

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島津忠義

薩摩藩主を継いだ久光長子

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大久保利通

討幕の盟友

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西郷隆盛

討幕の盟友

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小松帯刀

討幕の盟友

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西郷従道

生延びた西郷弟

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大山巌

西郷従兄弟

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月照

近衛家の勤皇僧

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毛利敬親

長州藩主

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久坂玄瑞

四奸二嬪弾劾の急先鋒

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高杉晋作

討幕の尖兵

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木戸孝允

反征韓派の同志にして立憲派の政敵

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大村益次郎

薩摩嫌いの長州軍首脳

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周布政之助

長州執政

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山縣有朋

西郷が何故か救った長州軍首脳

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伊藤博文

大久保舎弟

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井上馨

伊藤親友・三井の番頭さん

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山内容堂

徳川擁護派の政敵

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武市半平太

四奸二嬪弾劾の急先鋒

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中岡慎太郎

長州系土佐浪士・討幕の盟友

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坂本龍馬

薩摩系土佐浪士

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陸奥宗光

登用した坂本舎弟

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板垣退助

中岡の後継者・征韓派

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後藤象二郎

征韓派

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伊達宗城

四賢候

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鍋島直正

漁夫の利

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大隈重信

大久保舎弟

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江藤新平

征韓派

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副島種臣

征韓派

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大木喬任

大久保舎弟

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徳川家茂

和宮が入輿した14代将軍

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安藤信正

和宮降嫁の同志

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安倍正弘

一橋派寄りの老中

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井伊直弼

最後の大老

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徳川斉昭

一橋派首領

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徳川慶喜

斉昭実子で最後の将軍

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松平容保

慶喜腹心の京都守護職

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松平定敬

容保実弟の京都所司代

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松平春嶽

徳川擁護派の政敵

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勝海舟

薩長和解を勧めた幕臣

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大久保一翁

勝の同志

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