
いわくら ともみ
岩倉 具視
1825年~1883年
60
点
大久保利通の盟友として薩摩藩の朝廷工作を担い王政復古・討幕の密勅・辞官納地を成功させた豪腕公卿、王政復古の大号令で朝廷から世襲制を排除し自ら太政官の最高位に就いたが公家優遇に固執し立憲制・自由民権運動に反対
同じ時代の人物

基礎点
80
点
岩倉具視は、大久保利通の盟友として薩摩藩の朝廷工作を担い王政復古・討幕の密勅・辞官納地を成功させた豪腕公卿である。イカツイ容貌で押しが強く謀略も得意、岩倉具視は軟弱な公家社会にあって極めて希少な硬骨漢であり、明治維新に不可欠な役割を果し新政府の最高位に就いた。
-20
点
岩倉具視は、幕末の土壇場で薩摩藩に担がれ朝廷サイドで主役級の働きをしたが、それ以外に見るべき業績は無く、開国か鎖国か・尊攘か佐幕かといった政治理念は二の次で朝廷の発揚と自身の出世のために動いたようにみえる。少壮期から世襲公卿に反発した岩倉具視は、「八十八卿列参事件」で幕府の条約勅許を妨害したが、安政の大獄で佐幕化し和宮降嫁を主導、久坂玄瑞・武市半平太ら尊攘派の糾弾で失脚し孝明天皇崩御まで政局から姿を消した。大久保利通に担ぎ出された岩倉具視は最幕末の朝廷工作を担い、太王政復古の大号令で朝廷から世襲制を排除し自ら太政官の最高位に就いたが、大久保を支持し西郷隆盛ら征韓派を追放したくらいしか業績は無く、公家優遇に固執し立憲制・自由民権運動に反対する反動政治家の首魁となった。

1825
年
羽林家堀河康親の次男堀河周丸(岩倉具視)が京都にて出生
もっと見る
1838
年
堀河周丸(岩倉具視)が羽林家岩倉具慶の次女誠子の許婚として入嗣
もっと見る
もっと見る
1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
もっと見る
もっと見る
1853
年
岩倉具視が関白鷹司政通へ歌道入門、公家社会上層部にアクセス
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1858
年
大老井伊直弼の意を受けた老中間部詮勝が入洛し安政の大獄を断行
もっと見る
1859
年
神奈川・長崎・函館開港
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
もっと見る
1860
年
岩倉具視が孝明天皇に「和宮御降嫁に関する上申書」を提出
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1862
年
岩倉具視が和宮降嫁を差配し江戸下向、将軍徳川家茂より廃帝を否定する誓書を得る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1863
年
大久保利通が御側役兼御小納戸頭取に就任
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
もっと見る
もっと見る
1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
もっと見る
もっと見る
1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
もっと見る
1866
年
孝明天皇崩御
もっと見る
1867
年
睦仁親王(明治天皇)即位
もっと見る
1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
もっと見る
もっと見る
1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
もっと見る
もっと見る
1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
もっと見る
1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
もっと見る
もっと見る
1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
もっと見る
1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
もっと見る
もっと見る
1867
年
藩主薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
もっと見る
1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
もっと見る
もっと見る
1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
もっと見る
1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1868
年
大久保利通が大阪遷都建白書を提出
もっと見る
1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
もっと見る
1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
もっと見る
もっと見る
1868
年
西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠
もっと見る
1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
もっと見る
もっと見る
1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
もっと見る
もっと見る
1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1869
年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
詳細を見る
もっと見る
1870
年
小松帯刀が死去
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1873
年
岩倉使節団が帰国
もっと見る
1873
年
大久保利通が参議に復帰
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1874
年
大久保利通が自ら北京の清国政府へ乗込み台湾出兵問題を解決
もっと見る
1875
年
黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1876
年
岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
もっと見る
もっと見る
1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1883
年
岩倉具視が死去(享年59)、日本初の国葬で送られ品川区の海晏寺に葬られる
もっと見る
もっと見る
1885
年
岩倉具視に追贈正一位
もっと見る

孝明天皇
主君
もっと見る
明治天皇
幼君
もっと見る
和宮
孝明天皇の異母妹・公武合体の駒
もっと見る
岩倉具定
公爵に叙された次男
もっと見る
堀河紀子
実妹・和宮降嫁の同志
もっと見る
久我建通
和宮降嫁の同志
もっと見る
千種有文
和宮降嫁の同志
もっと見る
富小路敬直
和宮降嫁の同志
もっと見る
今城重子
和宮降嫁の同志
もっと見る
大原重徳
同志
もっと見る
鷹司政通
出世の糸口
もっと見る
九条尚忠
政敵の関白
もっと見る
姉小路公知
長州系公卿
もっと見る
三条実美
ライバルの長州系公卿
もっと見る
三条西季知
七卿
もっと見る
四条隆謌
七卿
もっと見る
東久世通禧
七卿
もっと見る
壬生基修
七卿
もっと見る
錦小路頼徳
七卿
もっと見る
澤宣嘉
七卿・生野の変で大失態
もっと見る
有栖川宮熾仁親王
明治政府総裁に担いだ宮様
もっと見る
西園寺公望
公家政治家のホープ
もっと見る
島津斉彬
四賢侯
もっと見る
島津久光
斉彬庶弟・討幕の盟友
もっと見る
島津忠義
薩摩藩主を継いだ久光長子
もっと見る
大久保利通
討幕の盟友
もっと見る
西郷隆盛
討幕の盟友
もっと見る
小松帯刀
討幕の盟友
もっと見る
西郷従道
生延びた西郷弟
もっと見る
大山巌
西郷従兄弟
もっと見る
月照
近衛家の勤皇僧
もっと見る
毛利敬親
長州藩主
もっと見る
久坂玄瑞
四奸二嬪弾劾の急先鋒
もっと見る
高杉晋作
討幕の尖兵
もっと見る
木戸孝允
反征韓派の同志にして立憲派の政敵
もっと見る
大村益次郎
薩摩嫌いの長州軍首脳
もっと見る
周布政之助
長州執政
もっと見る
山縣有朋
西郷が何故か救った長州軍首脳
もっと見る
伊藤博文
大久保舎弟
もっと見る
井上馨
伊藤親友・三井の番頭さん
もっと見る
山内容堂
徳川擁護派の政敵
もっと見る
武市半平太
四奸二嬪弾劾の急先鋒
もっと見る
中岡慎太郎
長州系土佐浪士・討幕の盟友
もっと見る
坂本龍馬
薩摩系土佐浪士
もっと見る
陸奥宗光
登用した坂本舎弟
もっと見る
板垣退助
中岡の後継者・征韓派
もっと見る
後藤象二郎
征韓派
もっと見る
伊達宗城
四賢候
もっと見る
鍋島直正
漁夫の利
もっと見る
大隈重信
大久保舎弟
もっと見る
江藤新平
征韓派
もっと見る
副島種臣
征韓派
もっと見る
大木喬任
大久保舎弟
もっと見る
徳川家茂
和宮が入輿した14代将軍
もっと見る
安藤信正
和宮降嫁の同志
もっと見る
安倍正弘
一橋派寄りの老中
もっと見る
井伊直弼
最後の大老
もっと見る
徳川斉昭
一橋派首領
もっと見る
徳川慶喜
斉昭実子で最後の将軍
もっと見る
松平容保
慶喜腹心の京都守護職
もっと見る
松平定敬
容保実弟の京都所司代
もっと見る
松平春嶽
徳川擁護派の政敵
もっと見る
勝海舟
薩長和解を勧めた幕臣
もっと見る
大久保一翁
勝の同志
もっと見る