30 katsu

かつ かいしゅう

勝 海舟

1823年~1899年

60

西郷隆盛に長州宥和を促し徳川慶喜に絶対恭順を説いて江戸城無血開城を果した開明派幕臣にして坂本龍馬の師匠、明治政府の高官に列すも距離を置き徳川家と旧幕臣の救済に余生を捧ぐ

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

80

勝海舟は幕臣でありながら雄藩諸侯や尊攘派志士と広く交流し、開国の利と幕藩体制変革の必要性を説いて反幕府陣営に大きな影響を与えた。幕府首脳で軍艦奉行も務めた勝海舟の言葉は非常に重く、討幕を奨励するような言説に志士たちを大いに勇気づけたに違いない。特に西郷隆盛との人間関係は重要で、長州征討の不利を説いて宥和路線へ転じさせ、弟子の坂本龍馬が薩長同盟に奔走、薩摩藩が戊辰戦争を引起すと勝海舟は徳川慶喜を説いて絶対恭順を決意させ、幕府代表として西郷隆盛に会い江戸城無血開城で内戦拡大を食止めた。勝海舟は、幕府においては無役の旗本から5千石の軍艦奉行に大出世し、戊辰戦争が起ると恭順派筆頭として徳川慶喜から全権を託され、明治政府でも参議・海軍卿・伯爵となり旧幕臣中異例の出世を遂げ77歳の長寿を全うした。勝海舟は、門閥世襲の要人を無能呼ばわりして憚らず大言壮語癖もあって敵が多かったが、結果をみると天才的処世術であり政治手腕も評価に値する。

-20

「勝てば官軍」とはいえ、勝海舟は幕府からみれば「獅子身中の虫」「二重スパイ」といわれても仕方ない役回りを演じた。政治心情はともかく幕府の禄を食む以上はそのために働くべきであり、人としての誠意や忠節に疑問が残る。明治政府の高官となった勝海舟は薩長政府に距離を置き、代わりに徳川家や旧幕臣の救済運動に余生を捧げた感があるが、贖罪意識の現れに思える。ただし、有能を自認し時局眼が鋭い勝海舟は、愚鈍な世襲門閥が牛耳る幕閣に我慢ならず、徳川幕府の体制温存より日本国のために機能不全の打破を優先したとの見方もできよう。

Shijitsu

1823

旗本勝小吉の嫡子勝麟太郎義邦(勝海舟)が江戸にて出生

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1825

異国船打払令

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1828

シーボルト事件

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1829

徳川斉脩の急死に伴い弟の徳川斉昭が9代水戸藩主に就任、水戸学に基づき尊皇攘夷運動を牽引

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1830

鍋島斉直の隠居に伴い鍋島直正が10代佐賀藩主に就任、佐賀藩の藩政改革と近代化が始まる

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1831

勝海舟が犬に睾丸を噛まれ重体に陥るが父小吉の看病と願掛けで回復

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1837

水戸藩主徳川斉昭と水戸学派が実権を掌握し藩校弘道館を開設し藩政改革を始動

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1838

勝小吉の隠居に伴い嫡子の勝海舟が家督を相続し小普請組に出仕(40俵扶持)、剣術修行に励み直心影流剣術の島田虎之助より免許皆伝を授かる

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1841

天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1844

水戸藩守旧派の工作により幕府が徳川斉昭を隠居・謹慎処分、嫡子の徳川慶篤が10代藩主となる

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1845

水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる

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1845

勝海舟が永井青崖に蘭学を学び赤坂田町に氷解塾を開講

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1846

フランスが琉球の開国を要求

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1847

徳川斉昭が老中安倍正弘を後ろ盾に諸生党首領の結城朝道を失脚・隠居に追込む

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1847

徳川慶喜が一橋昌丸に入嗣し御三卿一橋家を継ぐ

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1850

薩摩藩で島津斉彬の襲封を支持する西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

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1850

12代将軍徳川家慶・老中阿部正弘が薩摩藩主島津斉興に引退勧告

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1850

佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始

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1850

井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す

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1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

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1851

佐賀藩が洋式技術導入のため精煉方を開設

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1852

オランダ商館長が長崎奉行にペリー来航を予告、佐賀藩主鍋島直正が軍備を増強

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1852

松平容敬が死去し養嗣子の松平容保が9代会津藩主となる

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1852

彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる

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1852

勝海舟が洋学の師である佐久間象山に実妹の順を嫁がせる

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任

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1853

幕府がペリー艦隊への対処法について大規模な世論調査を実施

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1853

勝海舟の海防意見書が安倍正弘や大久保一翁の目に留まり出世の糸口を掴む

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1853

海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁

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1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

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1853

老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置

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1853

結城朝道ら諸生党が井伊直弼を後ろ盾に藩政に復帰し松平頼胤(支藩の讃岐高松藩主)の水戸藩主擁立を画策

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

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1854

薩摩藩主島津斉彬が参勤交代で江戸入り、中小姓として随行した西郷隆盛を江戸藩邸で御庭方役に任じ直属の謀臣に抜擢

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1855

安政の大地震、徳川斉昭のブレーン藤田東湖が圧死

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1855

徳川斉昭の要求により南紀派の老中松平乗全・忠固を更迭、堀田正睦が老中首座就任

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1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上

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1856

徳川斉昭と水戸天狗党が藩主徳川慶篤の暗殺未遂罪により諸生党首領の結城朝道を死罪に処す

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1856

薩摩藩主島津斉彬が一門の島津敬子(篤姫)を将軍徳川家定に入輿させる・西郷隆盛が諸業務を担当

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1857

阿部正弘死去

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1858

佐賀藩主鍋島直正が洋式船舶の建造・修理・運用のため三重津海軍所を開設

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

佐賀藩主鍋島直正が大老井伊直弼と交流を深める

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

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1858

薩摩藩主島津斉彬が幕府抗議のため藩兵5千を動員し上洛を計画

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1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1858

江戸城無断登城事件、大老井伊直弼が無断で江戸登城した徳川斉昭・徳川慶喜・松平春嶽・徳川慶勝を謹慎に処す

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される

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1859

安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される

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1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

勝海舟が長崎海軍伝習所から江戸へ戻り蕃書調所頭取・講武所砲術師範・軍艦操練所頭取などを歴任(400石)

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1860

徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免

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1861

薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢

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1862

上洛を期す島津久光の召還命令により西郷隆盛が鹿児島へ帰還

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

勝海舟が軍艦奉行並に任じられる(1千石)

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1862

坂本龍馬・間崎哲馬・近藤長次郎が政治総裁職(前福井藩主)の松平春嶽に拝謁

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1862

坂本龍馬が松平春嶽の紹介で勝海舟に面会を許され門人となる

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

坂本龍馬が勝海舟の口利で土佐藩より脱藩罪を赦され神戸海軍操練所の設立準備に奔走

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国

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1863

幕府が神戸海軍操練所の設立を許可、勝海舟は土佐浪士の受皿として坂本龍馬を塾頭に神戸海軍塾を設立

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

近藤勇・土方歳三の試衛館派が京都守護職松平容保の意を受けて水戸派の芹沢鴨・新見錦らを殺害し新撰組の独裁体制を確立

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1863

長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱

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1863

将軍徳川家茂が二度目の上洛

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1864

土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩

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1864

勝海舟が長崎出張、随行した坂本龍馬は横井小楠を紹介され開国通商の利と民主主義を学ぶ

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進

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1864

池田屋事件

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1864

洋式兵学者の佐久間象山が河上彦斎ら攘夷狂に暗殺される(妹を嫁がせた勝海舟は「蓋世の英雄」と惜しむ)

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1864

禁門の変、禁裏御守衛総督徳川慶喜・京都守護職松平容保の指揮のもと薩会連合軍が長州軍を撃退し一会桑政権樹立

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1864

新撰組が褒称され隊士募集により組織拡大、尊攘派志士の伊東甲子太郎が一派を率いて加入

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

坂本龍馬が勝海舟の紹介により西郷隆盛と会う

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1864

神戸海軍塾生の不祥事により勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行罷免、坂本龍馬ら神戸海軍塾生を薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛に託す

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

幕府が神戸海軍操練所を廃止

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

幕府がフランスからの借款で横須賀製鉄所起工

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1865

徳川慶喜が長崎・横浜・函館開港の勅許を獲得

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式武器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1866

勝海舟が軍艦奉行に復職(5千石)

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1866

ユニオン号購入で活躍した亀山社中の近藤長次郎が自決

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

亀山社中のワイル・ウエフ号が遭難沈没

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

坂本龍馬がユニオン号に乗り長州藩の小倉渡海作戦に参加

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

土佐海援隊の「いろは丸」が紀州藩軍艦と衝突し沈没

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

新撰組の隊士全員が幕臣に採用され旗本格(三百俵)に栄進した近藤勇は幕府・朝廷に征長論を主張、新撰組屯所を西本願寺から下京不動寺村へ移転

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1867

坂本龍馬が後藤象二郎に「夕顔丸」船上で船中八策を提案

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

坂本龍馬が土佐に小銃1000挺を運び、上京

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

土方歳三率いる新撰組が鳥羽伏見の敗戦で壊滅、土方らは大阪城へ退き会津藩士と共に徹底抗戦を主張

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

松平容保が会津若松城に戻って謹慎し養子の松平喜徳(徳川慶喜の実弟)に10代会津藩主を譲る

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

官軍が高崎市に隠遁した小栗忠順を襲い斬首

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置

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1868

河井継之助の長岡藩が降伏

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

徳川斉昭が水戸偕楽園の常盤神社に祀られる

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1869

会津藩が家名断絶・領地没収に処され松平容保と10代藩主松平喜徳は永禁固刑

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

勝海舟が外務大丞として新政府に出仕

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1869

四民平等~華族・士族・平民の三身分制の実施

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1869

徳川慶喜が赦免され静岡で平穏な余生を送る

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1869

版籍奉還

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1869

松平容保に長子の容大が誕生、松平容大に家名存続が赦され陸奥斗南藩3万石へ移封

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣

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1872

明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置

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1872

勝海舟が海軍大輔に任じられる

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1872

山内容堂が死去(享年46)

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1873

徴兵令布告

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

岩倉使節団帰国

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1873

明治六年政変、西郷隆盛が参議・陸軍大将を辞任し鹿児島へ退く

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

勝海舟が参議・海軍卿に任じられる

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野、西郷隆盛が弟の西郷従道の要請に応じ薩摩士族を送る

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1875

勝海舟が参議・海軍卿を辞し元老院議官に任官

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1876

廃刀令布告

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1876

岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く

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1876

秩禄処分

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1877

西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)

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1877

木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

西南戦争に呼応する立志社の策動が発覚、陸奥宗光は5年の禁固刑を受け山形監獄に収容される

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1880

松平容保が日光東照宮の宮司となる

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1884

華族令公布、徳川家達が公爵を受爵

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)

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1887

島津久光が鹿児島にて死去(享年71)

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1887

勝海舟が伯爵を受爵

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1888

徳川慶喜・松平春嶽が従一位に昇叙

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1888

伊藤博文が枢密院を設立し初代議長に就任、勝海舟が元老院議官から枢密顧問官に転任

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1889

大日本帝国憲法発布

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1890

松平春嶽が死去(享年63)、東京品川の海晏寺に葬られる

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1890

岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用

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1890

第一回衆議院総選挙、民党が過半数を獲得

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1890

第一回帝国議会開催

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1892

勝海舟の一子勝小鹿が死去、徳川慶喜の十男精を小鹿の娘の婿養子に迎え伯爵勝家を継がせる

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1893

松平容保が正三位を贈位され死去(享年59)

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1894

不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

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1894

日清戦争勃発

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1897

徳川慶喜が東京に移住、江戸城で明治天皇に拝謁

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1897

陸奥宗光が死去(享年53)

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1899

勝海舟が死去(享年77)

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1899

勝海舟に追贈正二位

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Kouyuuroku

勝小吉

極道の父

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勝小鹿

急逝した一人息子

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男谷精一郎

従兄で剣術の師匠

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島田虎之助

男谷高弟で剣術の師匠

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佐久間象山

洋学の師で妹婿

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永井青崖

蘭学の先生

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徳川家定

不肖の13代将軍

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徳川家茂

大好きな14代将軍

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井伊直弼

最後の大老

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長野主膳

井伊謀臣

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松平乗全

井伊の子分

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松平忠固

井伊の子分

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間部詮勝

井伊の子分

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堀田正睦

井伊寄りの老中首座

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水野忠央

井伊の盟友

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阿部正弘

出世の糸口

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大久保一翁

良き理解者

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親見正興

遣米使節の正使

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福澤諭吉

生意気な若造

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徳川斉昭

一橋派の首領

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徳川慶喜

斉昭七男・暴走将軍

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徳川慶篤

斉昭嫡子・水戸藩主

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徳川家達

徳川宗家の後継

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藤田東湖

斉昭謀臣

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会沢正志斎

斉昭謀臣

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武田耕雲斎

天狗党の乱首領

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関鉄之助

桜田門外事変指揮者

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松平春嶽

慶喜の傅役

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松平茂昭

春嶽養嗣子・17代福井藩主

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中根雪江

春嶽謀臣

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横井小楠

春嶽謀臣

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橋本左内

春嶽謀臣

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由利公正

春嶽謀臣

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松平容保

京都守護職

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松平定敬

京都所司代

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近藤勇

新撰組局長

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土方歳三

新撰組副長

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徳川慶勝

征長総督

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小笠原長行

高杉晋作に敗れた老中

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永井尚志

大政奉還派の老中

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板倉勝静

慶喜側近の老中

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山岡鉄舟

西郷への使者

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小栗忠順

抗戦派の幕臣

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榎本武揚

抗戦派の幕臣

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大鳥圭介

抗戦派の幕臣

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島津斉彬

一橋派四賢候

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島津久光

盟友転じて最大の敵に

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島津忠義

薩摩藩主・久光長子

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篤姫

徳川家定に入輿した斉彬従妹

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西郷隆盛

完敗

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大久保利通

完敗

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小松帯刀

薩摩藩家老

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黒田長溥

斉彬大叔父・福岡藩主

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伊達宗城

一橋派四賢候

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山内容堂

一橋派四賢候

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山内豊範

容堂養嗣子・土佐藩主

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吉田東洋

容堂謀臣

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後藤象二郎

吉田の甥で後継執政・大政奉還建白者

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板垣退助

討幕派で中岡の盟友

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武市半平太

土佐勤皇党首領

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中岡新太郎

長州系土佐浪士

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岡田以蔵

ボディガード

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坂本龍馬

愛弟子

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陸奥宗光

最優秀門人

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近藤長次郎

門人

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菅野覚兵衛

門人

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沢村惣之丞

門人

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長岡健吉

門人

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池内蔵太

門人

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坂本直

龍馬の甥

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望月亀弥太

困った門人

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安岡金馬

困った門人

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鍋島直正

漁夫の利

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毛利敬親

長州藩主

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毛利定広

敬親養嗣子の長州藩世子

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高杉晋作

慶喜の悪夢

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木戸孝允

長州のリーダー

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大村益次郎

長州の軍事指導者

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井上馨

和睦交渉の相手

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広沢真臣

和睦交渉の相手

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三条実美

長州系公卿

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姉小路公知

長州系公卿

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岩倉具視

薩摩系公卿

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