29 iinaosuke

いい なおすけ

井伊 直弼

1815年~1862年

40

「譜代筆頭」彦根藩主として幕政に乗込み「魔王」長野主膳の暗躍で大老に就き安政五ヶ国条約の無勅許調印と徳川家茂の将軍就任を強行、安政の大獄で反抗勢力を大弾圧したが桜田門外の変で横死し尊攘運動・幕府不要論が勃興

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

70

井伊直弼は、ペリー来航後の混迷期に「譜代筆頭」彦根藩主として幕政に乗込み大老の強権を発動して安政五ヶ国条約の無勅許調印と徳川家茂の将軍就任を強行、安政の大獄で一橋派諸侯と尊攘派志士を弾圧したが桜田門外の変で水戸浪士に殺害された。幕末一の悪役である井伊直弼の登場と劇的な大老の暗殺劇は、武力政権たる徳川幕府の権威を著しく損なわせ、幕府不要論を呼起す契機となり、雄藩や志士の政治運動がエスカレートする一大画期となった。事なかれ主義の幕閣で敢えて憎まれ役を買って出た勇気と野心、有能を謳われた徳川斉昭・島津斉彬・松平春嶽を打倒し独裁体制を築いた行動力は政治家として評価すべきだろう。

-30

開国政策を断行した井伊直弼だが、外圧への対応策とか政治体制をどうすべきかといった政治理念よりも「攘夷の姿勢を見せつけてから開国し洋式軍備を整え西洋列強と対峙すべし」と主張する「四賢候」への対抗上、安政五ヶ国条約の無勅許調印を強行したに過ぎないようにみえる。徳川家茂の将軍擁立も同様で、徳川慶喜を推す一橋派を退け自身が幕政を握るための政治的行動だった。徳川慶喜が「才略には乏しいが、決断力のある人物」と評したように、現代風にいえば井伊直弼は政治家ならぬ政治屋であり、また長野主膳への依存度が強すぎたせいか意外にキャラクターも薄い。極めつけは桜田門外の変の大失態で、最高位の大老が白昼しかも江戸城で襲撃され落命した事件は前代未聞・驚天動地の出来事であり、武力に拠って立つ徳川幕府の威信を大きく傷つけた。

Shijitsu

1815

13代彦根藩主井伊直中の十四男井伊直弼が彦根城にて出生(当時の彦根藩主は長兄の井伊直亮)

もっと見る

1817

イギリス船が浦賀に来航

もっと見る

1824

イギリス捕鯨船員の常陸上陸事件、徳川斉昭の水戸藩を中心に攘夷熱が高まる

詳細を見る

もっと見る

1825

水戸藩の会沢正志斎が尊王攘夷の思想書「新論」を著作

詳細を見る

もっと見る

1825

異国船打払令

もっと見る

1828

シーボルト事件

もっと見る

1829

徳川斉脩の急死に伴い弟の徳川斉昭が9代水戸藩主に就任、水戸学に基づき尊皇攘夷運動を牽引

もっと見る

1830

鍋島斉直の隠居に伴い鍋島直正が10代佐賀藩主に就任、佐賀藩の藩政改革と近代化が始まる

詳細を見る

もっと見る

1837

水戸藩主徳川斉昭と水戸学派が実権を掌握し藩校弘道館を開設し藩政改革を始動

詳細を見る

もっと見る

1840

アヘン戦争(~1842)

詳細を見る

もっと見る

1841

天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策

もっと見る

1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

もっと見る

1842

部屋住みの井伊直弼が国学者の長野主膳と親交を結ぶ

もっと見る

1844

水戸藩守旧派の工作により幕府が徳川斉昭を隠居・謹慎処分、嫡子の徳川慶篤が10代藩主となる

詳細を見る

もっと見る

1845

水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる

もっと見る

1846

フランスが琉球の開国を要求

もっと見る

1846

井伊直元が死去し弟の井伊直弼が彦根藩世子となる

もっと見る

1850

薩摩藩で島津斉彬の襲封を支持する西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

詳細を見る

もっと見る

1850

12代将軍徳川家慶・老中阿部正弘が薩摩藩主島津斉興に引退勧告

詳細を見る

もっと見る

1850

佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始

もっと見る

1850

井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す

もっと見る

1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

もっと見る

1851

佐賀藩が洋式技術導入のため精煉方を開設

詳細を見る

もっと見る

1852

オランダ商館長が長崎奉行にペリー来航を予告、佐賀藩主鍋島直正が軍備を増強

詳細を見る

もっと見る

1852

松平容敬が死去し養嗣子の松平容保が9代会津藩主となる

もっと見る

1852

彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる

もっと見る

1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

詳細を見る

もっと見る

1853

徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任

もっと見る

1853

海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁

もっと見る

1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

もっと見る

1853

老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置

もっと見る

1853

結城朝道ら諸生党が井伊直弼を後ろ盾に藩政に復帰し松平頼胤(支藩の讃岐高松藩主)の水戸藩主擁立を画策

もっと見る

1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

詳細を見る

もっと見る

1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

詳細を見る

もっと見る

1854

薩摩藩主島津斉彬が参勤交代で江戸入り、中小姓として随行した西郷隆盛を江戸藩邸で御庭方役に任じ直属の謀臣に抜擢

詳細を見る

もっと見る

1855

安政の大地震、徳川斉昭のブレーン藤田東湖が圧死

詳細を見る

もっと見る

1855

徳川斉昭の要求により南紀派の老中松平乗全・忠固を更迭、堀田正睦が老中首座就任

詳細を見る

もっと見る

1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

詳細を見る

もっと見る

1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

詳細を見る

もっと見る

1856

水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上

詳細を見る

もっと見る

1856

徳川斉昭と水戸天狗党が藩主徳川慶篤の暗殺未遂罪により諸生党首領の結城朝道を死罪に処す

詳細を見る

もっと見る

1856

薩摩藩主島津斉彬が一門の島津敬子(篤姫)を将軍徳川家定に入輿させる・西郷隆盛が諸業務を担当

詳細を見る

もっと見る

1857

阿部正弘死去

詳細を見る

もっと見る

1858

佐賀藩主鍋島直正が洋式船舶の建造・修理・運用のため三重津海軍所を開設

詳細を見る

もっと見る

1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

詳細を見る

もっと見る

1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

詳細を見る

もっと見る

1858

佐賀藩主鍋島直正が大老井伊直弼と交流を深める

詳細を見る

もっと見る

1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

詳細を見る

もっと見る

1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

詳細を見る

もっと見る

1858

薩摩藩主島津斉彬が幕府抗議のため藩兵5千を動員し上洛を計画

詳細を見る

もっと見る

1858

西郷隆盛・有馬新七が島津斉彬に先発して上洛し準備工作

詳細を見る

もっと見る

1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

詳細を見る

もっと見る

1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

詳細を見る

もっと見る

1858

江戸城無断登城事件、大老井伊直弼が無断で江戸登城した徳川斉昭・徳川慶喜・松平春嶽・徳川慶勝を謹慎に処す

詳細を見る

もっと見る

1859

神奈川・長崎・函館開港

もっと見る

1859

安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される

もっと見る

1859

安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される

詳細を見る

もっと見る

1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

もっと見る

1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

詳細を見る

もっと見る

1860

幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)

詳細を見る

もっと見る

1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

詳細を見る

もっと見る

1860

幕府が井伊直弼の大老免職後に死を公表、庶長子の井伊直憲が16代彦根藩主となる

詳細を見る

もっと見る

1862

彦根藩が長野主膳を縛り首で処刑

もっと見る

1862

彦根藩が井伊直弼の安政の大獄を咎められ30万石から20万石へ減封される(後に3万石加増)

もっと見る

1884

華族令公布、井伊直憲が伯爵を受爵

詳細を見る

もっと見る

Kouyuuroku

井伊直政

偉大な彦根藩祖

もっと見る

井伊直中

父・13代彦根藩主

もっと見る

井伊直亮

長兄・14代彦根藩主

もっと見る

井伊直元

早世した次兄

もっと見る

井伊直憲

庶長子・16代彦根藩主

もっと見る

長野主膳

異能の謀臣

もっと見る

徳川家斉

11代将軍

もっと見る

徳川家慶

12代将軍

もっと見る

徳川家定

篭絡した13代将軍

もっと見る

徳川家茂

擁立した14代将軍

もっと見る

安倍正弘

一橋派寄りの老中

もっと見る

松平乗全

子分の老中

もっと見る

松平忠固

子分の老中

もっと見る

間部詮勝

子分の老中

もっと見る

堀田正睦

自派だと思っていた老中

もっと見る

水野忠央

紀州の盟友

もっと見る

松平容保

会津の盟友

もっと見る

鍋島直正

佐賀の親友

もっと見る

島左近

長野の密偵

もっと見る

猿の文吉

長野の密偵

もっと見る

徳川斉昭

政敵一橋派の首領

もっと見る

徳川慶喜

斉昭七男・一橋派の旗印

もっと見る

徳川慶篤

斉昭嫡子・10代水戸藩主

もっと見る

会沢正志斎

斉昭の師

もっと見る

藤田東湖

斉昭謀臣

もっと見る

関鉄之助

桜田門外事変指揮者

もっと見る

結城朝道

斉昭が殺した諸生党首領

もっと見る

島津斉彬

一橋派の四賢候

もっと見る

篤姫

徳川家定に入輿した斉彬従妹

もっと見る

西郷隆盛

取り逃がした斉彬寵臣

もっと見る

月照

取り逃がした勤皇僧

もっと見る

有村雄助

桜田門外事変有志

もっと見る

有村次左衛門

桜田門外事変有志

もっと見る

松平春嶽

一橋派の四賢候

もっと見る

橋本左内

処刑した春嶽謀臣

もっと見る

山内容堂

一橋派の四賢候

もっと見る

吉田東洋

容堂謀臣

もっと見る

伊達宗城

一橋派の四賢候

もっと見る

黒田長溥

斉彬大叔父・福岡藩主

もっと見る

梅田雲浜

処刑した尊攘派志士

もっと見る

吉田松陰

処刑した尊攘派志士

もっと見る

頼三樹三郎

処刑した尊攘派志士

もっと見る

ペリー

条約交渉の相手

もっと見る