
いい なおすけ
井伊 直弼
1815年~1862年
40
点
「譜代筆頭」彦根藩主として幕政に乗込み「魔王」長野主膳の暗躍で大老に就き安政五ヶ国条約の無勅許調印と徳川家茂の将軍就任を強行、安政の大獄で反抗勢力を大弾圧したが桜田門外の変で横死し尊攘運動・幕府不要論が勃興
同じ時代の人物

基礎点
70
点
井伊直弼は、ペリー来航後の混迷期に「譜代筆頭」彦根藩主として幕政に乗込み大老の強権を発動して安政五ヶ国条約の無勅許調印と徳川家茂の将軍就任を強行、安政の大獄で一橋派諸侯と尊攘派志士を弾圧したが桜田門外の変で水戸浪士に殺害された。幕末一の悪役である井伊直弼の登場と劇的な大老の暗殺劇は、武力政権たる徳川幕府の権威を著しく損なわせ、幕府不要論を呼起す契機となり、雄藩や志士の政治運動がエスカレートする一大画期となった。事なかれ主義の幕閣で敢えて憎まれ役を買って出た勇気と野心、有能を謳われた徳川斉昭・島津斉彬・松平春嶽を打倒し独裁体制を築いた行動力は政治家として評価すべきだろう。
-30
点
開国政策を断行した井伊直弼だが、外圧への対応策とか政治体制をどうすべきかといった政治理念よりも「攘夷の姿勢を見せつけてから開国し洋式軍備を整え西洋列強と対峙すべし」と主張する「四賢候」への対抗上、安政五ヶ国条約の無勅許調印を強行したに過ぎないようにみえる。徳川家茂の将軍擁立も同様で、徳川慶喜を推す一橋派を退け自身が幕政を握るための政治的行動だった。徳川慶喜が「才略には乏しいが、決断力のある人物」と評したように、現代風にいえば井伊直弼は政治家ならぬ政治屋であり、また長野主膳への依存度が強すぎたせいか意外にキャラクターも薄い。極めつけは桜田門外の変の大失態で、最高位の大老が白昼しかも江戸城で襲撃され落命した事件は前代未聞・驚天動地の出来事であり、武力に拠って立つ徳川幕府の威信を大きく傷つけた。

1815
年
13代彦根藩主井伊直中の十四男井伊直弼が彦根城にて出生(当時の彦根藩主は長兄の井伊直亮)
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1817
年
イギリス船が浦賀に来航
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1825
年
異国船打払令
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1828
年
シーボルト事件
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1829
年
徳川斉脩の急死に伴い弟の徳川斉昭が9代水戸藩主に就任、水戸学に基づき尊皇攘夷運動を牽引
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1841
年
天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1842
年
部屋住みの井伊直弼が国学者の長野主膳と親交を結ぶ
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1845
年
水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる
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1846
年
フランスが琉球の開国を要求
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1846
年
井伊直元が死去し弟の井伊直弼が彦根藩世子となる
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1850
年
佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1851
年
島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手
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1852
年
松平容敬が死去し養嗣子の松平容保が9代会津藩主となる
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1852
年
彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる
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1853
年
徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任
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1853
年
海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁
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1853
年
徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
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1853
年
老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置
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1853
年
結城朝道ら諸生党が井伊直弼を後ろ盾に藩政に復帰し松平頼胤(支藩の讃岐高松藩主)の水戸藩主擁立を画策
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される
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1859
年
島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
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1862
年
彦根藩が長野主膳を縛り首で処刑
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1862
年
彦根藩が井伊直弼の安政の大獄を咎められ30万石から20万石へ減封される(後に3万石加増)
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井伊直政
偉大な彦根藩祖
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井伊直中
父・13代彦根藩主
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井伊直亮
長兄・14代彦根藩主
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井伊直元
早世した次兄
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井伊直憲
庶長子・16代彦根藩主
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長野主膳
異能の謀臣
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徳川家斉
11代将軍
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徳川家慶
12代将軍
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徳川家定
篭絡した13代将軍
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徳川家茂
擁立した14代将軍
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安倍正弘
一橋派寄りの老中
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松平乗全
子分の老中
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松平忠固
子分の老中
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間部詮勝
子分の老中
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堀田正睦
自派だと思っていた老中
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水野忠央
紀州の盟友
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松平容保
会津の盟友
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鍋島直正
佐賀の親友
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島左近
長野の密偵
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猿の文吉
長野の密偵
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徳川斉昭
政敵一橋派の首領
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徳川慶喜
斉昭七男・一橋派の旗印
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徳川慶篤
斉昭嫡子・10代水戸藩主
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会沢正志斎
斉昭の師
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藤田東湖
斉昭謀臣
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関鉄之助
桜田門外事変指揮者
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結城朝道
斉昭が殺した諸生党首領
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島津斉彬
一橋派の四賢候
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篤姫
徳川家定に入輿した斉彬従妹
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西郷隆盛
取り逃がした斉彬寵臣
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月照
取り逃がした勤皇僧
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有村雄助
桜田門外事変有志
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有村次左衛門
桜田門外事変有志
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松平春嶽
一橋派の四賢候
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橋本左内
処刑した春嶽謀臣
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山内容堂
一橋派の四賢候
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吉田東洋
容堂謀臣
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伊達宗城
一橋派の四賢候
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黒田長溥
斉彬大叔父・福岡藩主
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梅田雲浜
処刑した尊攘派志士
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吉田松陰
処刑した尊攘派志士
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頼三樹三郎
処刑した尊攘派志士
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ペリー
条約交渉の相手
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