
ひじかた としぞう
土方 歳三
1835年~1869年
70
点
武蔵多摩の農民ながら近藤勇と共に幕府浪士組に身を投じ京都の尊攘派志士を戦慄させた新撰組「鬼の副長」、新撰組壊滅後も戊辰戦争を戦い抜き武士の意気地を示して函館に散った佐幕派志士のヒーロー
同じ時代の人物

基礎点
80
点
土方歳三は、武蔵多摩の農民ながら近藤勇と共に幕府浪士組に身を投じ京都の尊攘派志士を戦慄させた新撰組「鬼の副長」、新撰組壊滅後も戊辰戦争を戦い抜き武士の意気地を示して函館に散った佐幕派志士のヒーローである。機能不全に陥った幕府の汚れ役を担い志士弾圧に狂奔した新撰組の行動は時流に逆行するものであったが、裸一貫で幕末の風雲に身を投じ度胸剣法と命懸けの働きで身分制の壁を打破り、惰弱化した大名や武士達が続々と無条件降伏するなか最も武士らしく闘い抜き幕府の有終の美を飾った。潔い新撰組の青春群像が日本人を魅了するのは尤もな現象であり、現在も文芸・観光の重要資源として活躍を続けている。土方歳三は、百姓身分ながら武士に憧れて剣術修行に励み「試衛館」道場主の近藤勇と共に幕府浪士組に応募、清河八郎の策謀を排し京都守護職松平容保のもとに「新撰組」を結成すると、芹沢鴨を斃して愚連隊を統制のとれた精強部隊に改造し、八月十八日政変・禁門の変・池田屋事件などに活躍、幕末混乱の「位打ち」で新撰組隊士全員が幕臣に採用された。鳥羽伏見の戦いが起ると刀剣専門の新撰組は薩長軍の洋式軍備を前に為す術無く壊滅、土方歳三は負傷した近藤勇を励まし徳川慶喜を追って江戸へ下るが厄介払いされ、「甲陽鎮撫隊」で官軍に挑むも完敗した。失意の近藤勇は投降を選び斬首されたが、なお闘志の衰えない土方歳三は江戸へ戻って旧幕府軍に合流し北関東で官軍と戦いつつ会津戦争に参陣、庄内藩に援軍を断られると仙台から榎本武揚の旧幕府海軍に合流し北海道へ乗込んで箱館五稜郭・松前城を占拠した。榎本武揚は「蝦夷共和国」樹立を宣言したが、頼みの綱である「開陽丸」の座礁沈没で官軍に制海権を奪われ、五稜郭は猛撃に晒され次々に拠点を落とされた。頽勢挽回が不可能となっても土方歳三は徹底抗戦を貫き、死に場所を求めるように弁天台場に突撃し官軍の銃撃に身を晒した。
-10
点
土方歳三は、新撰組の編成と統率に抜群の才能を発揮し愚連隊集団を精強部隊へ改造したが、陰謀を凝らして多数の同志を殺害した行動は組織防衛とはいえ行過ぎであった。また、新撰組は剣士の集まりで戦争ではなく治安維持を任務としたので仕方ないが、洋式兵器の導入に全く手を付けず戊辰戦争で薩長軍に手も足も出ない結果となった。

1835
年
武蔵多摩郡石田村の豪農土方隼人の十子の末子に土方歳三が出生、父母の死去により兄の土方喜六に養育される
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1841
年
天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1849
年
土方歳三が江戸上野の松坂屋呉服店に奉公、退職後は家業の石田散薬の行商のかたわら各地の道場を巡訪し剣術修行に励む
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1850
年
近藤勇(宮川勝五郎)が天然理心流剣術道場「試衛館」の近藤周助に入嗣
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1852
年
松平容敬が死去し養嗣子の松平容保が9代会津藩主となる
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1853
年
徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任
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1853
年
海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁
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1853
年
徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
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1859
年
島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
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1859
年
土方歳三が姉婿の佐藤彦五郎の紹介で近藤勇の試衛館(天然理心流)に入門
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、松平春嶽は隠居を強制され養嗣子の松平茂昭が17代福井藩主となる
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1860
年
徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1861
年
近藤勇が養父の近藤周助より天然理心流剣術道場「試衛館」を承継
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1862
年
久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
将軍徳川家茂が二度目の上洛
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1865
年
新撰組幹部の山南敬助が脱走事件を起し切腹に処される
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
佐幕派の近藤勇・土方歳三と対立した勤皇派の伊東甲子太郎・藤堂平助らが新撰組を脱退し孝明天皇「御陵衛士」を結成、近藤派の斎藤一がスパイとして潜入
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
新撰組の隊士全員が幕臣に採用され旗本格(三百俵)に栄進した近藤勇は幕府・朝廷に征長論を主張、新撰組屯所を西本願寺から下京不動寺村へ移転
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
新撰組の近藤勇が御陵衛士の伊東甲子太郎を酒宴に誘い七条油小路で暗殺、遺骸を放置し来援した藤堂平助らも殺害
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1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1867
年
新撰組の近藤勇が御陵衛士残党に狙撃され負傷、結核の沖田総司と共に大坂城へ退き松本良順(幕府典医)の治療を受ける
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
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1868
年
近藤勇・土方歳三ら新撰組残党が甲陽鎮撫隊を結成し甲府城へ進発
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1868
年
松平容保が会津若松城に戻って謹慎し養子の松平喜徳(徳川慶喜の実弟)に10代会津藩主を譲る
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1868
年
西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
土方歳三・島田魁ら数名の新撰組残党が江戸へ潜行し大鳥圭介の旧幕府軍に合流、江戸城開城に伴い会津へ向け進発
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1868
年
官軍が高崎市に隠遁した小栗忠順を襲い斬首
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1868
年
河井継之助の長岡藩が降伏
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869
年
会津藩が家名断絶・領地没収に処され松平容保と10代藩主松平喜徳は永禁固刑
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近藤勇
兄貴分の新撰組局長
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沖田総司
弟分で近藤の試衛館の後継者・新撰組一番隊長
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長倉新八
生延びた新撰組二番隊長
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斎藤一
生延びた新撰組三番隊長
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松原忠司
新撰組四番隊長
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武田観柳斎
新撰組五番隊長
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井上源三郎
新撰組六番隊長
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谷三十郎
新撰組七番隊長
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藤堂平助
新撰組八番隊長
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鈴木三樹三郎
新撰組九番隊長
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原田左之助
新撰組十番隊長
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島田魁
新撰組幹部
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吉村貫一郎
壬生義士伝は架空
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佐藤彦五郎
姉婿で近藤勇の義兄弟・甲陽鎮撫隊に合流
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近藤周平
谷三十郎の弟で勇の養子扱い
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殿内義雄
暗殺した壬生浪士組幹部
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芹沢鴨
暗殺した水戸派首領
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新見錦
暗殺した水戸派副首領
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伊東甲子太郎
暗殺した御陵衛士首領
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藤堂平助
暗殺した御陵衛士副首領
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清河八郎
浪士組の仕掛け人
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佐々木只三郎
清河を殺害した幕臣剣豪
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相馬主計
箱館新選組隊長
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松本良順
好意的な幕府典医
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松平容保
主君・会津藩主で京都守護職
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松平定敬
容保の弟・桑名藩主で京都所司代
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松平喜徳
容保養嗣子で9代会津藩主
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松平容大
容保嫡子・初代陸奥斗南藩主
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西郷頼母
良識派の会津藩国家老
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徳川家茂
14代将軍
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徳川慶喜
主君・15代将軍
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徳川家達
徳川宗家の後継
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松平春嶽
慶喜の傅役
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榎本武揚
蝦夷共和国総裁
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松平太郎
蝦夷共和国副総裁
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大鳥圭介
蝦夷共和国陸軍奉行
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永井尚志
敗走老中
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板倉勝静
敗走老中
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小笠原長行
敗走老中
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伊庭八郎
蝦夷共和国幹部
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中島三郎助
蝦夷共和国幹部
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渋沢成一郎
蝦夷共和国幹部
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勝海舟
恭順派の幕臣
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大久保一翁
勝の盟友
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小栗忠順
抗戦派の幕臣
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島津久光
土佐藩国主
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島津忠義
薩摩藩主・久光長子
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西郷隆盛
完敗
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大久保利通
完敗
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小松帯刀
薩摩藩家老
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桐野利秋
人斬り
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田中新兵衛
人斬り
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山内容堂
土佐藩国主
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山内豊範
容堂養嗣子・土佐藩主
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武市半平太
土佐勤皇党首領
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中岡新太郎
長州系土佐浪士・暗殺犯は見廻組
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坂本龍馬
薩摩系土佐浪士・暗殺犯は見廻組
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北添佶摩
池田屋で殺害
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望月亀弥太
池田屋で自決
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岡田以蔵
人斬り
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板垣退助
東山道軍指揮官
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鍋島直正
漁夫の利
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河上彦斎
人斬り
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毛利敬親
長州藩主
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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久坂玄瑞
長州尊攘派首領
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高杉晋作
慶喜の悪夢
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木戸孝允
長州のリーダー
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大村益次郎
長州の軍事指導者
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吉田稔麿
池田屋で殺害
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宮部鼎蔵
池田屋で殺害
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宮部鼎蔵
池田屋で殺害
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平野国臣
池田屋で捕縛
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
薩摩系公卿
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