
とくがわ よしのぶ
徳川 慶喜
1837年~1913年
40
点
大老井伊直弼に14代将軍就任を阻まれたが島津久光の文久の改革で幕政を掌握、長州征討を強行するもまさかの完敗で薩摩藩は薩長同盟へ鞍替え、大政奉還で体制温存を図り辞官納地を拒否しながら土壇場で恭順へ転じた最後の将軍
同じ時代の人物

基礎点
80
点
徳川慶喜は、1862年の文久の改革から1867年の大政奉還まで日本政治を宰領し長州征討や開国政策を推進したが、自身の専横から政権奪取の恩人である島津久光や松平春嶽に見限られ戊辰戦争へ引込まれた。最後の将軍として徳川幕府に終止符を打ち、辞官納地は不本意であったが、絶対恭順を貫いて内戦の拡大を食止めた。本人の意図はともかく、結果として穏便な政権移譲が為され、円滑な新国家創業の功労者となった。維新後しばらく謹慎を続けたが、勝海舟ら旧幕臣の奔走で徳川家達に譲った徳川宗家と自身が興した徳川慶喜家、実家の水戸徳川家までもが最上位の公爵に叙され、歴代将軍中最高の77歳まで長寿を保ち平穏で豊かな余生を送った。
-40
点
徳川慶喜は、島津久光(薩摩藩)・松平春嶽(福井藩)ら雄藩連合・公武合体派に担がれて幕政を握ったが、身勝手な行動が薩摩藩を薩長同盟へ奔らせ倒幕の決定的要因となった。英明を謳われた徳川慶喜は将軍らしからぬ政治力を発揮し「家康の再来を見るがごとし」と木戸孝允を慨嘆させたが、世襲貴族らしく人を利用し人が自分に奉仕するのを当然と考える性質が強く思いやりや協調性が欠落、多くの部下を便利使いの末に見殺しにした。京都に一会桑政権を樹立した徳川慶喜は武力補強のため水戸天狗党を呼び寄せたが、幕府が強硬策を採ると自ら追討軍に加わり助命嘆願を黙殺、絶望した天狗党は投降し首謀者の武田耕雲斎・藤田小四郎だけでなく352人もが斬首された。政権の武力を担わされた会津藩は更に悲惨な末路を辿った。徳川慶喜・松平春嶽より京都守護職を押付けられた会津藩主松平容保は、実弟の桑名藩主松平定敬を京都所司代に任じ、藩財政を犠牲にして多くの藩士を京都に駐在させ新撰組・見廻組も雇って長州藩や尊攘派志士と闘った。戊辰戦争が起ると徳川慶喜は松平容保・松平定敬を伴い江戸へ逃避、絶対恭順に決すると薩長に目の敵にされ引くに引けない松平兄弟と小栗忠順ら抗戦派の幕閣を江戸から追払った。松平容保は会津藩士のみならず奥羽越列藩同盟で隣藩も巻込み大義名分の立たない会津戦争を強行、白虎隊・少年隊に象徴される多くの犠牲者を出した。維新後、徳川慶喜は公爵に叙され幸福な余生を送ったが正に「一将功成って万骨枯る」、朝敵とされた東北諸藩人は明治政府で出世の機会を制限され、会津藩士に至っては不毛の下北半島に押込められ(斗南藩)付随う領民も無く塗炭の苦しみに喘いだ。

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1841
年
天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1845
年
水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる
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1846
年
フランスが琉球の開国を要求
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1847
年
徳川斉昭が老中安倍正弘を後ろ盾に諸生党首領の結城朝道を失脚・隠居に追込む
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1850
年
佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1851
年
島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手
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1852
年
松平容敬が死去し養嗣子の松平容保が9代会津藩主となる
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1853
年
徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任
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1853
年
海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁
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1853
年
徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
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1853
年
老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置
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1853
年
結城朝道ら諸生党が井伊直弼を後ろ盾に藩政に復帰し松平頼胤(支藩の讃岐高松藩主)の水戸藩主擁立を画策
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される
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1859
年
島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
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1860
年
勝海舟が長崎海軍伝習所から江戸へ戻り蕃書調所頭取・講武所砲術師範・軍艦操練所頭取などを歴任(400石)
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1860
年
徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1862
年
久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
将軍徳川家茂が二度目の上洛
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
新撰組の隊士全員が幕臣に採用され旗本格(三百俵)に栄進した近藤勇は幕府・朝廷に征長論を主張、新撰組屯所を西本願寺から下京不動寺村へ移転
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
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1868
年
松平容保が会津若松城に戻って謹慎し養子の松平喜徳(徳川慶喜の実弟)に10代会津藩主を譲る
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1868
年
西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
官軍が高崎市に隠遁した小栗忠順を襲い斬首
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1868
年
河井継之助の長岡藩が降伏
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869
年
会津藩が家名断絶・領地没収に処され松平容保と10代藩主松平喜徳は永禁固刑
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1869
年
徳川慶喜が赦免され静岡で平穏な余生を送る
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1869
年
松平容保に長子の容大が誕生、松平容大に家名存続が赦され陸奥斗南藩3万石へ移封
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1872
年
山内容堂が死去(享年46)
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1873
年
岩倉使節団帰国
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1873
年
勝海舟が参議・海軍卿に任じられる
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1876
年
廃刀令布告
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1876
年
岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1880
年
松平容保が日光東照宮の宮司となる
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1887
年
島津久光が鹿児島にて死去(享年71)
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1888
年
徳川慶喜・松平春嶽が従一位に昇叙
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1890
年
松平春嶽が死去(享年63)、東京品川の海晏寺に葬られる
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1890
年
第一回帝国議会開催
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1893
年
松平容保が正三位を贈位され死去(享年59)
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1897
年
徳川慶喜が東京に移住、江戸城で明治天皇に拝謁
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1899
年
勝海舟が死去(享年77)
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1902
年
徳川慶喜(斉昭の七男)が徳川宗家と別に公爵に叙され(慶喜家)貴族院議員となる
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1903
年
徳川斉昭に追贈正一位
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1910
年
七男の慶久に家督を譲り隠居
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1913
年
徳川慶喜が歴代将軍中最高齢の77で死去、谷中霊園に葬られる
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徳川斉昭
実父にして一橋派の首領
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徳川慶久
慶喜嫡子
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徳川慶篤
斉昭嫡子・10代水戸藩主
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徳川篤敬
慶篤嫡子
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徳川昭武
斉昭十八男
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一橋昌丸
養父
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徳川家達
徳川宗家の後継
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藤田幽谷
水戸学の泰斗・彰考館総裁
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藤田東湖
幽谷次男・優秀な謀臣
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藤田小四郎
東湖四男・見捨てた天狗党幹部
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会沢正志斎
幽谷後継の彰考館総裁・水戸学の先生
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武田耕雲斎
見捨てた天狗党の乱首領
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戸田忠太夫
水戸学派
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豊田天功
水戸学派
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山野辺義観
水戸学派
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安島帯刀
水戸学派
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青山拙斎
水戸学派
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関鉄之助
桜田門外事変指揮者
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本圀寺勢
天狗党の乱の生残り
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武田金次郎
天狗党の乱の生残り
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結城朝道
死罪に追遣った諸生党首領
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徳川家慶
12代将軍
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徳川家定
13代将軍
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徳川家茂
14代将軍
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安倍正弘
公武合体運動の盟友
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井伊直弼
政敵
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長野主膳
井伊謀臣
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松平乗全
井伊の子分
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松平忠固
井伊の子分
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間部詮勝
井伊の子分
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堀田正睦
井伊寄りの老中首座
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水野忠央
井伊の盟友
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松平春嶽
一橋派四賢候・幕政のパートナー
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松平茂昭
春嶽養嗣子・福井藩主
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橋本左内
春嶽謀臣
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中根雪江
春嶽謀臣
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横井小楠
春嶽謀臣
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由利公正
春嶽謀臣
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松平容保
見捨てた股肱の臣
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松平定敬
見捨てた股肱の臣
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近藤勇
見捨てた新撰組局長
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土方歳三
見捨てた新撰組副長
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徳川慶勝
征長総督
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小笠原長行
高杉晋作に敗れた老中
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永井尚志
大政奉還派の老中
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板倉勝静
側近の老中
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勝海舟
恭順派の幕臣
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大久保一翁
勝の盟友
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小栗忠順
抗戦派の幕臣
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榎本武揚
抗戦派の幕臣
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大鳥圭介
抗戦派の幕臣
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渋沢栄一
出世した幕臣
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島津斉彬
一橋派四賢候
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島津久光
盟友転じて最大の敵に
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島津忠義
薩摩藩主・久光長子
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篤姫
徳川家定に入輿した斉彬従妹
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西郷隆盛
完敗
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大久保利通
完敗
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小松帯刀
薩摩藩家老
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有村雄助
桜田門外事変有志
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有村次左衛門
桜田門外事変有志
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黒田長溥
斉彬大叔父・福岡藩主
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伊達宗城
一橋派四賢候
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山内容堂
一橋派四賢候
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山内豊範
容堂養嗣子・土佐藩主
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吉田東洋
容堂謀臣
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武市半平太
土佐勤皇党首領
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中岡新太郎
長州系土佐浪士
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坂本龍馬
薩摩系土佐浪士
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鍋島直正
ずるい人
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毛利敬親
戦争相手の長州藩主
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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高杉晋作
悪夢
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木戸孝允
長州のリーダー
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大村益次郎
長州の軍事指導者
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
薩摩系公卿
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新門辰五郎
江戸町火消しの親分・妾の兄
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