22 iwasaki

いわさき やたろう

岩崎 弥太郎

1835年~1885年

80

後藤象二郎に重宝され土佐藩の貿易商社「土佐商会」を掌握、維新後独立し大久保利通の保護政策と台湾出兵・西南戦争の特需に乗じて「三菱海上王国」を現出させたが大隈重信に肩入れし薩摩閥との激闘の渦中に憤死した三菱財閥の創始者

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

80

岩崎弥太郎は、郷士より下の地下浪人の出自ながら吉田東洋の「少林塾」入門で開運、後藤象二郎のもとで土佐藩の貿易商社「土佐商会」を掌握し維新の混乱に乗じて私企業「三菱商会」へ改組、台湾出兵で大久保利通政府から「保護育成会社」指定を勝取り国内海運業を独占し「三菱海上王国」と称された。板垣退助が戊辰戦争に独断参戦し土佐藩は「薩長土肥」に食込んだが、資金難のなか軍備調達に孤軍奮闘した岩崎弥太郎の活躍は見逃せない。大久保利通の暗殺で後ろ盾を喪った岩崎弥太郎は、大隈重信(福澤諭吉)の政治活動に肩入れしたことで薩摩閥の恨みを買い、薩長藩閥・政商連合が設立したオールジャパンの「共同運輸会社」との過当競争で追詰められたが、死ぬまで猛烈に戦い商人の心意気を見せ付けた。岩崎弥太郎が没するとすぐに岩崎弥之助は海運業から撤退したが、弥太郎が築いた膨大な財産と人脈、鉱山・造船などの事業シーズを元手に短期間で今日に至る三菱財閥の礎を築き上げた。

Shijitsu

1835

土佐安芸郡井ノ口村の地下浪人岩崎弥次郎の嫡子に岩崎弥太郎が出生

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1841

吉田東洋(後藤象二郎の義理の叔父)が中級藩士(馬廻格200石)吉田家を相続、翌年土佐藩庁に出仕し藩政改革に参与

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1848

14代土佐藩主山内豊惇が死去、山内容堂が末期養子となり15代藩主に就任

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1850

岩崎弥太郎が高知城下に出て岡本寧浦の私塾紅友舎に入門

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1851

土佐安芸郡井ノ口村の地下浪人岩崎弥次郎の三男として出生(嫡子の岩崎弥太郎より16歳年少)

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進

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1854

岡本寧浦が死去

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1854

吉田東洋が松下嘉兵衛打擲事件を起し長浜に蟄居処分、密かに少林塾を開き後藤象二郎・板垣退助・福岡孝悌・岩崎弥太郎を教育

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1854

武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

安政の大地震

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1855

武市半平太が槍術家で義叔父の島村寿之助と共同経営の道場を開業、中岡慎太郎・岡田以蔵・田中光顕ら多くの門人が参集

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1855

岩崎弥太郎が江戸へ遊学し安積艮斎の私塾に入門

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1855

岩崎弥次郎リンチ事件により岩崎弥太郎が江戸から帰国、安芸郡奉行所を挑発し投獄される

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

白札格郷士の武市半平太が土佐藩の臨時御用に選ばれ江戸遊学

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1856

武市半平太が桃井春蔵(鏡心明智流)の士学館に入門、すぐに皆伝を授かり塾頭に任じられる

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1857

喧嘩両成敗で岩崎弥太郎が出獄、蟄居中に私塾を開き近藤長次郎・池内蔵太らを教育

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1857

祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破

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1857

岩崎弥太郎が吉田東洋の少林塾に入門、土佐藩出仕の手掛りを掴む

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1858

江戸で剣名を馳せた武市半平太を麻田直養が上士に推挙するが土佐藩は終生二人扶持でお茶を濁す

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1858

吉田東洋が土佐藩主山内容堂に蟄居を解かれ江戸出府、参政に復帰し配下の後藤象二郎・板垣退助・福岡孝悌・岩崎弥太郎らを登用(新おこぜ組)

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1858

後藤象二郎が土佐幡多郡奉行に任じられる

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

岩崎弥太郎が土佐藩に郷廻役で出仕し長崎出張へ出るが公金横領で辞職、井ノ口村で隠遁

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1859

安政の大獄により一橋派諸侯処分、山内容堂は隠居し豊範が16代藩主となる

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪

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1861

尊攘運動に目覚めた武市半平太が土佐藩庁に願出て江戸出向、薩長の志士と交流し久坂玄瑞に感化される

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1861

武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束

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1861

武市半平太が土佐へ戻り破約攘夷への藩論転換運動

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1861

岩崎弥太郎が郷士株を買取り家老福岡宮内の御預郷士となる

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1862

岩崎弥太郎が郷士高芝重春の次女喜勢と結婚

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1862

武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼

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1862

武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認

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1862

後藤象二郎が御近習目付の任を解かれる

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1862

平野国臣の扇動により土佐藩の吉村寅太郎・坂本龍馬らが脱藩、坂本は江戸の桶町千葉道場に寄寓し志士活動に入る

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

幕府により山内容堂の謹慎が解かれる

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らが「四奸二嬪」を弾劾し岩倉具視を辞官隠居へ追込む

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

武市半平太の工作により土佐藩主山内豊範が京都へ立寄り国事周旋の勅命を受ける

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1862

武市半平太が他藩応接役に任じられる

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1862

岩崎弥太郎が下横目となり吉田東洋暗殺犯探索の任に就くが辞職、井ノ口村で帰農し富豪となる

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

平井収二郎・中岡慎太郎土佐勤皇党の「五十人組」が東上

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1862

土佐勤皇党の平井収二郎・間崎哲馬らが青蓮院宮から藩政改革を促す令旨を得る

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1862

武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格

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1862

坂本龍馬が松平春嶽の紹介で勝海舟に面会を許され門人となる

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1863

坂本龍馬が勝海舟の口利で土佐藩より脱藩罪を赦され神戸海軍操練所の設立準備に奔走

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1863

長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

幕府が神戸海軍操練所の設立を許可、勝海舟は土佐浪士の受皿として坂本龍馬を塾頭に神戸海軍塾を設立

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1863

青蓮院宮から令旨の一件を聞いた山内容堂が土佐へ戻り吉田東洋暗殺犯の捜索と土佐勤皇党の粛清を開始

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1863

京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す

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1863

後藤象二郎が江戸遊学し開成所で就学

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄

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1863

中岡慎太郎が七卿落ちの情勢を探るため周防三田尻へ出向

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1863

長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱

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1863

土佐浪士の中岡慎太郎が上京し長州藩復権運動

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1864

土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白

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1864

幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変、久坂玄瑞が京都鷹司邸にて自刃(享年25)

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

神戸海軍塾生の不祥事により勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行罷免、坂本龍馬ら神戸海軍塾生を薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛に託す

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1864

中岡慎太郎が長州藩諸隊(浪士隊)の忠勇隊総督となる

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1864

野根山屯集事件

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1864

山内容堂が新おこぜ組を藩政に復帰させ後藤象二郎・板垣退助を大監察に任じ土佐勤皇党の尋問を強化(尊攘派の板垣は辞職し江戸へ遊学)

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1865

幕府が神戸海軍操練所を廃止

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

井ノ口村で農業に励む岩崎弥太郎に長男の岩崎久弥が誕生

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

岩崎弥太郎が土佐藩庁に召還され三郡奉行下役に任じられる

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1865

中岡慎太郎が京都で西郷隆盛に薩長和解工作、田中顕助・那須盛馬・大橋慎三(元長州藩忠勇隊士)らと会盟

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1865

中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

坂本龍馬がユニオン号に乗り長州藩の小倉渡海作戦に参加

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1866

高杉晋作が大島口奇襲で勝利

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1866

大村益次郎が浜田城制圧

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

土佐藩執政の後藤象二郎が藩政改革と洋式軍備導入のため開成館を創設・岩崎弥太郎が実務を差配

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1866

岩崎弥太郎が後藤象二郎の命令で開成館貨殖局に出勤するが僅か40日で退職

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1866

安田善次郎が日本橋小舟町に店舗を購入、安田商店に改称し両替専業となり、幕府の古金銀回収取扱方を務める

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

中岡慎太郎が幕府の動向視察のため上京、土佐藩に藩政改革案を示し薩摩藩の西郷隆盛を紹介

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1867

坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行

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1867

岩崎弥太郎が後藤象二郎の招聘により貨殖局長崎出張所に勤務、実質上の責任者となる

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

土佐海援隊の「いろは丸」が紀州藩軍艦と衝突し沈没

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

坂本龍馬が後藤象二郎に「夕顔丸」船上で船中八策を提案

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

イカロス号事件、坂本龍馬の土佐海援隊が疑われる

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

坂本龍馬が土佐に小銃1000挺を運び、上京

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

山内容堂が後藤象二郎を参政(土佐藩政のトップ)に任じる

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

土佐海援隊の陸奥宗光らが天満屋事件を起す

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1867

長崎の岩崎弥太郎が佐々木高行と対立し京都の後藤象二郎に直訴、佐々木は土佐帰国を命じられ岩崎は上士格の新居留守組に昇格

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置、土佐藩からは山内容堂が議定に後藤象二郎・福岡孝弟らが参与に任じられる

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

土佐海援隊の佐々木高行と薩摩藩の松方正義が長崎奉行所を占拠・岩崎弥太郎が土佐商会の全権を掌握

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

木戸孝允の主導により明治天皇が五箇条の御誓文を公布

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置、土佐藩からは山内容堂が議定・後藤象二郎・福岡孝悌らが参与に任じられる

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

板垣退助が土佐藩家老格・陸軍総督に任じられ600石に加増される

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1869

兵庫開港に伴い土佐藩が土佐商会を閉鎖し大阪商会へ機能移転、主任の岩崎弥太郎は業務を急拡大し小参事(中老)に昇進

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1869

岩崎弥之助が大阪の土佐藩蔵屋敷に転居、重野安繹の成達書院に学ぶ

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

版籍奉還

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1869

東北戦争から凱旋した板垣退助が明治政府の参与に任じられる

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1869

四民平等~華族・士族・平民の三身分制の実施

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1870

国内初の日刊紙・横浜毎日新聞創刊

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1870

土佐藩が大阪商会を九十九商会に改組

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出

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1871

廃藩置県

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1871

九十九商会が三川商会へ改称

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1871

岩倉使節団派遣、板垣退助・後藤象二郎が留守政府の参議に就く

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1872

山内容堂が死去(享年46)

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1872

井上馨・渋沢栄一の主導で銀座煉瓦街の建設が始まる

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1872

新橋-横浜間に鉄道が開通

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1872

渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始

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1872

渋沢栄一の主導で三井小野組合銀行(後の第一国立銀行)が設立され国立銀行条例制定

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1872

岩崎弥之助がニューヨークへ語学留学

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1872

日本独自の海運網整備のため明治政府が政商連合に日本国郵便蒸気船会社を設立させる

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1873

徴兵令布告

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1873

岩崎弥太郎が三菱商会を設立

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

岩倉使節団が帰国

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1873

明治六年政変、板垣退助・後藤象二郎は西郷隆盛の征韓派に与し下野

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

岩崎弥之助がアメリカから帰国、三菱商会入りして副社長となる

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1873

最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1874

岩崎弥太郎が土佐藩から吉岡銅山を買収

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1874

板垣退助が高知で立志社を設立

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1874

佐賀の乱

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野

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1874

岩崎弥太郎の三菱が台湾出兵の海上輸送を一手に引受け、大久保利通に感謝され飛躍への画期となる

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1874

後藤象二郎が蓬莱社を設立し高島炭鉱の払下げを受けるが2年後に放漫経営で破綻し岩崎弥太郎の三菱に押付ける

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1874

岩崎弥之助が後藤象二郎の娘早苗と結婚

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1875

江華島事件

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1875

大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占

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1875

岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社が政府の命により上海航路を開設

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社がピー・アンド・オー社を熾烈な競争の末に撤退させる

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1876

大久保利通政府が岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社に「第二命令書」を交付し15年の保護政策継続を約束

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1876

岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社が政府の命により北清航路・釜山航路を開設

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1876

秩禄処分

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1876

神風連の乱

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1876

国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる

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1876

三井銀行および三井物産設立

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1876

安田善次郎が第三国立銀行を設立し「銀行王」への道を踏出す

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1877

三井組総帥の三野村利左衛門が井上馨に後事を託し死去

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1877

西南戦争、政府軍輸送を担った岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社が絶頂を迎える

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1877

木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる

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1878

西南戦争に呼応する立志社の策動が発覚、陸奥宗光は5年の禁固刑を受け山形監獄に収容される

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

福地源一郎・渋沢栄一ら有力財界人の出願により東京株式取引所設立

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1878

会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足

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1879

岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社が香港航路・元山津航路を開設

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1880

西南戦争後の財政再建策を巡り渋沢栄一・井上馨・薩長閥と岩崎弥太郎・大隈重信の陣営が対立

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1880

渋沢栄一らが郵便汽船三菱会社に対抗すべく風帆船会社を設立するが大隈重信・岩崎弥太郎に切崩され経営は難航

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

自由党結党、板垣退助が総理就任、後藤象二郎は常議員として参加

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1881

松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる

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1881

岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社が仁川航路・ウラジオストク航路を開設

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1881

大隈重信の周旋により岩崎弥太郎が後藤象二郎から高島炭鉱を買取る

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1881

日本鉄道会社設立

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1882

薩長藩閥政府が岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社に「第三命令書」を交付し事業妨害

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1882

板垣退助遭難事件

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1882

板垣退助と後藤象二郎が立憲政治視察のため渡欧、後藤が三井から受取った洋行費を散財し板垣の自由党総理を引責辞任

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

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1882

朝鮮で壬午事変

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1882

西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立

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1882

松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める

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1882

大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)

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1882

伊藤博文が立憲制視察のため渡欧

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1882

渋沢栄一主導で大阪紡績(現東洋紡)株式会社設立、紡績業の発展を牽引

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1883

板垣退助・後藤象二郎がヨーロッパ視察旅行より帰国、公金流用疑惑で自由党が分裂し板垣は総理辞任に追込まれる

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1884

伊藤博文の計いで陸奥宗光がヨーロッパ遊学

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1884

華族令公布

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1884

松方デフレによる不況深刻化

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1884

秩父事件

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1884

朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援

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1884

薩長藩閥政府が岩崎弥太郎の三菱に官営長崎造船所の経営を押付ける

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1884

郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の船舶が衝突事故を起し薩長藩閥政府が和解に乗出す

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1885

福澤諭吉が「脱亜論」を発表

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1885

岩崎弥太郎が共同運輸会社との死闘の最中に東京六義園にて死去(享年51)、弟の岩崎弥之助が三菱を承継

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1885

西郷従道農商務卿の和解勧告を岩崎弥之助が受入れ共同運輸会社が郵便汽船三菱会社を併合し日本郵船会社が発足

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)

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1886

岩崎弥之助が三菱社設立

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1893

岩崎弥太郎の功により嫡子の岩崎久弥が男爵を受爵、三菱2代目の岩崎弥之助も別に男爵家を樹立

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Kouyuuroku

岩崎弥之助

弟・三菱2代目

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岩崎久弥

弥太郎嫡子・三菱3代目

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岩崎小弥太

弥之助嫡子・三菱4代目

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岩崎俊弥

弥之助次男・旭硝子創業者

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加藤高明

弥太郎娘婿

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幣原喜重郎

弥太郎娘婿

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木内重四郎

弥太郎娘婿

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渋沢敬三

木内娘婿

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渋沢栄一

敬三祖父

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松方正作

弥之助娘婿・正義次男

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後藤象二郎

人使いの荒い上司・弥之助舅

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山内豊熈

褒美をくれた13代土佐藩主

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山内容堂

登用してくれた主君

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山内豊範

容堂養嗣子の土佐藩主

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山内豊中

豊範四男・木内娘婿

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岡本寧浦

学問の先生

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安積艮斎

学問の先生

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吉田東洋

師匠にして出世の糸口

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板垣退助

新おこぜ組の上司

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福岡孝悌

新おこぜ組の上司

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小笠原唯八

新おこぜ組の上司

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福岡宮内

主人

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佐々木高行

大嫌いな尊攘派上士

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谷干城

尊攘派上士

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井上佐市郎

気の毒な同僚

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武市半平太

土佐勤皇党首領

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坂本龍馬

土佐勤皇党副首領・気は合うが金食い虫

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近藤長次郎

坂本舎弟・寺子屋の教え子

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池内蔵太

坂本舎弟・寺子屋の教え子

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菅野覚兵衛

海援隊幹部

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陸奥宗光

超優秀な海援隊士

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中島信行

海援隊士から板垣舎弟

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中岡慎太郎

土佐勤皇党員・板垣の盟友

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大石弥太郎

土佐勤皇党員

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間崎哲馬

土佐勤皇党員

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平井収二郎

土佐勤皇党員

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吉村寅太郎

土佐勤皇党員

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岡田以蔵

土佐勤皇党員の人斬り

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那須信吾

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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大石団蔵

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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安岡嘉助

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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土方久元

土佐勤皇党員

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田中光顕

土佐勤皇党員

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山内民部

武市派重臣

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小南五郎右衛門

武市派重臣

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清岡道之助

野根山屯集事件の首謀者

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川田小一郎

三川商会幹部

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石川七財

三川商会幹部

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中川亀之助

三川商会幹部

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荘田平五郎

三菱幹部・姉の娘婿

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大久保利通

維新の三傑・三菱の恩人

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前島密

大久保舎弟・三菱支援者

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大隈重信

大久保舎弟・痛恨の肩入れ

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江藤新平

征韓派

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副島種臣

征韓派

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大木喬任

大久保舎弟

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福澤諭吉

大隈の黒幕

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西郷隆盛

維新の三傑

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西郷従道

隆盛弟・三菱潰しの急先鋒

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黒田清隆

三菱潰しの急先鋒

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松方正義

弥之助娘婿の正作の父

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木戸孝允

維新の三傑

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伊藤博文

長州閥だが大久保舎弟

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山縣有朋

陸軍長州閥

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井上馨

三井の番頭・商売敵

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渋沢栄一

井上派財界人

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三野村利左衛門

三井幹部

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三野村利助

三井幹部

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中上川彦次郎

三井幹部

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益田孝

三井幹部

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團琢磨

三井幹部

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雨宮敬次郎

商売敵

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大倉喜八郎

商売敵

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川崎正蔵

商売敵

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安田善次郎

商売敵

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三条実美

長州系公卿

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岩倉具視

薩摩系公卿

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青蓮院宮

軽口公家

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三浦休太郎

賠償金をせしめた紀州藩士

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