21 yodo

やまうち ようどう

山内 容堂

1827年~1872年

0

「幕末四賢候」に列したが謀臣吉田東洋の死後は「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」の迷走、勇み足で武市半平太を殺して中央政局から脱落し大政奉還建白で徳川家擁護を図るも薩長に無視された土佐のアル中藩公

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

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山内容堂は、将軍徳川慶喜に大政奉還を建白した土佐藩の国主で、明治維新後に土佐藩は「薩長土肥」の一角を占めた。

-50

山内容堂は、「幕末土佐藩の最高権力者」というだけで個人的業績は無く、謀臣吉田東洋の活躍で「幕末四賢候」に名を連ねたが、吉田の死後は政見を見失い佐幕と勤皇の間を迷走し「酔えば勤皇・覚めれば佐幕」と揶揄された。山内容堂は、吉田東洋を殺した武市半平太に土佐藩の外交を委ねたが、下級藩士の専横に立腹して突然梯子を外し土佐勤皇党を弾圧、長州藩が挫折すると用無しとばかりに武市を誅殺した。が、高杉晋作のクーデターで長州藩尊攘派は復活し幕府軍を撃退、薩長同盟主導の政局に慌てた山内容堂は後藤象二郎を執政に据えて巻返しを図るが時期既に遅し、徳川慶喜を援護するつもりで出した大政奉還が辞官納地を早める結果となり、「徳川家を盟主とする大名共和制」は薩長に無視され幕府は戊辰戦争に引きずり込まれた。山内容堂は最後まで徳川家擁護に固執し出兵を拒否、「薩長土肥」入りは土佐勤皇党の残党「迅衝隊」を率い独断で戊辰戦争に参戦した板垣退助のお陰である。ハングリー精神旺盛な土佐郷士には有為の人材が多かったが山内容堂の「酔えば勤皇・覚めれば佐幕」に失望し悉くが脱藩、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・土方久元・田中光顕らは志士として名を成したが、藩の後ろ盾がないために大きな活躍をすることができず多くの受難者を出した。西郷隆盛ら他藩士も「単純な佐幕派のほうがはるかに始末がいい」と憤慨したようにブレる山内容堂はリーダーとして最悪、酒乱とアルコール中毒が拍車を掛け、見せ場の小御所会議でも醜態を晒した。

Shijitsu

1827

山内南家1500石の山内豊著の嫡子山内豊信(山内容堂)が高知城下にて出生

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1837

水戸藩主徳川斉昭と水戸学派が実権を掌握し藩校弘道館を開設し藩政改革を始動

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1841

吉田東洋(後藤象二郎の義理の叔父)が中級藩士(馬廻格200石)吉田家を相続、翌年土佐藩庁に出仕し藩政改革に参与

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1844

水戸藩守旧派の工作により幕府が徳川斉昭を隠居・謹慎処分、嫡子の徳川慶篤が10代藩主となる

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1845

水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる

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1848

14代土佐藩主山内豊惇が死去、山内容堂が末期養子となり15代藩主に就任

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1848

後藤正晴が死去し嫡子の後藤象二郎が家督相続、義理叔父の吉田東洋に養育される

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1850

井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す

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1851

島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手

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1852

彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任

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1853

海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁

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1853

徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発

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1853

土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進

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1854

吉田東洋が松下嘉兵衛打擲事件を起し長浜に蟄居処分、密かに少林塾を開き後藤象二郎・板垣退助・福岡孝悌・岩崎弥太郎を教育

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1854

武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

安政の大地震

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1855

徳川斉昭の要求により南紀派の老中松平乗全・忠固を更迭、堀田正睦が老中首座就任

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1855

武市半平太が槍術家で義叔父の島村寿之助と共同経営の道場を開業、中岡慎太郎・岡田以蔵・田中光顕ら多くの門人が参集

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上

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1856

白札格郷士の武市半平太が土佐藩の臨時御用に選ばれ江戸遊学

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1856

武市半平太が桃井春蔵(鏡心明智流)の士学館に入門、すぐに皆伝を授かり塾頭に任じられる

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1856

薩摩藩主島津斉彬が一門の島津敬子(篤姫)を将軍徳川家定に入輿させる・西郷隆盛が諸業務を担当

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1857

阿部正弘死去

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1857

祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破

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1858

江戸で剣名を馳せた武市半平太を麻田直養が上士に推挙するが土佐藩は終生二人扶持でお茶を濁す

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1858

吉田東洋が土佐藩主山内容堂に蟄居を解かれ江戸出府、参政に復帰し配下の後藤象二郎・板垣退助・福岡孝悌・岩崎弥太郎らを登用(新おこぜ組)

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北

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1858

薩摩藩主島津斉彬が幕府抗議のため藩兵5千を動員し上洛を計画

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1858

西郷隆盛・有馬新七が島津斉彬に先発して上洛し準備工作

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1858

薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1858

江戸城無断登城事件、大老井伊直弼が無断で江戸登城した徳川斉昭・徳川慶喜・松平春嶽・徳川慶勝を謹慎に処す

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

岩崎弥太郎が土佐藩に郷廻役で出仕し長崎出張へ出るが公金横領で辞職、井ノ口村で隠遁

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1859

安政の大獄により一橋派諸侯処分、山内容堂は隠居し山内豊範に16代土佐藩主を譲るが吉田東洋を参政に独裁権を強化

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1859

安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される

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1859

島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)

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1860

後藤象二郎が大坂の土佐藩邸建築の普請奉行に任じられる

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪

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1861

尊攘運動に目覚めた武市半平太が土佐藩庁に願出て江戸出向、薩長の志士と交流し久坂玄瑞に感化される

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1861

武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束

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1861

武市半平太が土佐へ戻り破約攘夷への藩論転換運動

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1862

武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼

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1862

武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認

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1862

後藤象二郎が御近習目付の任を解かれる

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1862

平野国臣の扇動により土佐藩の吉村寅太郎・坂本龍馬らが脱藩、坂本は江戸の桶町千葉道場に寄寓し志士活動に入る

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

幕府により山内容堂の謹慎が解かれる

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らが「四奸二嬪」を弾劾し岩倉具視を辞官隠居へ追込む

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

武市半平太の工作により土佐藩主山内豊範が京都へ立寄り国事周旋の勅命を受ける

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1862

武市半平太が他藩応接役に任じられる

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1862

岩崎弥太郎が下横目となり吉田東洋暗殺犯探索の任に就くが辞職、井ノ口村で帰農し富豪となる

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ

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1862

平井収二郎・中岡慎太郎土佐勤皇党の「五十人組」が東上

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止

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1862

土佐勤皇党の平井収二郎・間崎哲馬らが青蓮院宮から藩政改革を促す令旨を得る

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1862

武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格

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1862

坂本龍馬が松平春嶽の紹介で勝海舟に面会を許され門人となる

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1863

山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す

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1863

後藤象二郎が江戸遊学し開成所で就学

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄

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1863

中岡慎太郎が七卿落ちの情勢を探るため周防三田尻へ出向

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1863

長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱

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1863

土佐浪士の中岡慎太郎が上京し長州藩復権運動

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

坂本龍馬が勝海舟の口利で土佐藩より脱藩罪を赦され神戸海軍操練所の設立準備に奔走

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1863

長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国

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1863

幕府が神戸海軍操練所の設立を許可、勝海舟は土佐浪士の受皿として坂本龍馬を塾頭に神戸海軍塾を設立

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1863

青蓮院宮から令旨の一件を聞いた山内容堂が土佐へ戻り吉田東洋暗殺犯の捜索と土佐勤皇党の粛清を開始

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1863

京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1864

土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白

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1864

幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変、久坂玄瑞が京都鷹司邸にて自刃(享年25)

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

神戸海軍塾生の不祥事により勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行罷免、坂本龍馬ら神戸海軍塾生を薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛に託す

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1864

中岡慎太郎が長州藩諸隊(浪士隊)の忠勇隊総督となる

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1864

野根山屯集事件

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1864

山内容堂が新おこぜ組を藩政に復帰させ後藤象二郎・板垣退助を大監察に任じ土佐勤皇党の尋問を強化(尊攘派の板垣は辞職し江戸へ遊学)

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1865

幕府が神戸海軍操練所を廃止

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1865

中岡慎太郎が京都で西郷隆盛に薩長和解工作、田中顕助・那須盛馬・大橋慎三(元長州藩忠勇隊士)らと会盟

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1865

中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

坂本龍馬がユニオン号に乗り長州藩の小倉渡海作戦に参加

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1866

高杉晋作が大島口奇襲で勝利

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1866

大村益次郎が浜田城制圧

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

土佐藩執政の後藤象二郎が藩政改革と洋式軍備導入のため開成館を創設・岩崎弥太郎が実務を差配

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

中岡慎太郎が幕府の動向視察のため上京、土佐藩に藩政改革案を示し薩摩藩の西郷隆盛を紹介

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1867

坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行

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1867

岩崎弥太郎が後藤象二郎の招聘により貨殖局長崎出張所に勤務、実質上の責任者となる

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

土佐海援隊の「いろは丸」が紀州藩軍艦と衝突し沈没

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

坂本龍馬が後藤象二郎に「夕顔丸」船上で船中八策を提案

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

イカロス号事件、坂本龍馬の土佐海援隊が疑われる

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

坂本龍馬が土佐に小銃1000挺を運び、上京

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

山内容堂が後藤象二郎を参政(土佐藩政のトップ)に任じる

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

土佐海援隊の陸奥宗光らが天満屋事件を起す

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1867

長崎の岩崎弥太郎が佐々木高行と対立し京都の後藤象二郎に直訴、佐々木は土佐帰国を命じられ岩崎は上士格の新居留守組に昇格

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置、土佐藩からは山内容堂が議定に後藤象二郎・福岡孝弟らが参与に任じられる

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

土佐海援隊の佐々木高行と薩摩藩の松方正義が長崎奉行所を占拠・岩崎弥太郎が土佐商会の全権を掌握

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置、土佐藩からは山内容堂が議定・後藤象二郎・福岡孝悌らが参与に任じられる

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

板垣退助が土佐藩家老格・陸軍総督に任じられ600石に加増される

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1869

兵庫開港に伴い土佐藩が土佐商会を閉鎖し大阪商会へ機能移転、主任の岩崎弥太郎は業務を急拡大し小参事(中老)に昇進

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

王政復古の賞典禄下賜、後藤象二郎・板垣退助は賞典禄永世1000石を賜る

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1869

版籍奉還

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1869

東北戦争から凱旋した板垣退助が明治政府の参与に任じられる

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1869

四民平等~華族・士族・平民の三身分制の実施

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1869

山内容堂が官職を辞任

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1870

国内初の日刊紙・横浜毎日新聞創刊

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣、板垣退助・後藤象二郎が留守政府の参議に就く

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1872

山内容堂が死去(享年46)

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1872

山内容堂に追贈従一位

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1884

山内豊範が侯爵を受爵

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Kouyuuroku

山内豊著

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山内豊資

父の兄・12代土佐藩主

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山内豊熈

豊資嫡子・13代土佐藩主

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山内豊惇

豊資次男・14代土佐藩主

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山内豊範

豊惇嫡子で容堂養嗣子・16代土佐藩主

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吉田東洋

恩人にして側近

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後藤象二郎

吉田の義理甥・新おこぜ組首領

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板垣退助

新おこぜ組

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福岡孝悌

新おこぜ組

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小笠原唯八

新おこぜ組

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岩崎弥太郎

後藤の子分

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福岡宮内

近臣

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桐間将監

近臣

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山内民部

武市派重臣

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小南五郎右衛門

武市派重臣

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松下嘉兵衛

困った親戚

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佐々木高行

尊攘派上士

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谷干城

尊攘派上士

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武市半平太

切腹させた土佐勤皇党首領

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坂本龍馬

土佐藩のために働く脱藩浪士

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中岡慎太郎

土佐藩のために働く脱藩浪士

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間崎哲馬

切腹させた土佐勤皇党員

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平井収二郎

切腹させた土佐勤皇党員

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那須信吾

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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大石団蔵

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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安岡嘉助

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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岡田以蔵

土佐勤皇党員の人斬り

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大石弥太郎

土佐勤皇党員

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吉村寅太郎

土佐勤皇党員

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土方久元

土佐勤皇党員

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田中光顕

土佐勤皇党員

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清岡道之助

野根山屯集事件の首謀者

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長岡健吉

船中八策を書いた海援隊士

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陸奥宗光

超優秀な海援隊士

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中島信行

海援隊士から板垣舎弟

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徳川家定

不肖の将軍

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徳川家茂

井伊派の将軍

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徳川斉昭

一橋派の首領

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徳川慶喜

大政奉還した将軍

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島津斉彬

四賢候

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島津久光

斉彬弟

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島津忠義

薩摩藩主を継いだ久光長子

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松平春嶽

四賢候

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伊達宗城

四賢候

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安倍正弘

公武合体運動の盟友

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井伊直弼

政敵

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長野主膳

井伊の謀臣

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間部詮勝

井伊の子分

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水野忠央

井伊の盟友

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松平容保

京都守護職

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松平定敬

容保実弟の京都所司代

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近藤勇

新撰組局長

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土方歳三

新撰組鬼の副長

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勝海舟

薩長寄りの幕臣

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大久保一翁

勝の盟友

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西郷隆盛

薩摩の謀臣・政敵

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大久保利通

薩摩の謀臣・政敵

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小松帯刀

薩摩の謀臣・政敵

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毛利敬親

長州の「そうせい侯」・「大和魂」と揶揄

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毛利定広

敬親養嗣子の長州藩世子

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久坂玄瑞

武市盟友

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高杉晋作

長州維新の英雄

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木戸孝允

明治政府の親友

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周布政之助

犬猿の仲

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大村益次郎

長州の軍事指導者

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三条実万

舅・尊攘派公卿

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三条公睦

実万長子・妹婿

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三条実美

実万三男・長州系公卿

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姉小路公知

長州系公卿

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岩倉具視

薩摩系公卿・政敵

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青蓮院宮

土佐勤皇党弾圧の契機

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