
やまうち ようどう
山内 容堂
1827年~1872年
0
点
「幕末四賢候」に列したが謀臣吉田東洋の死後は「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」の迷走、勇み足で武市半平太を殺して中央政局から脱落し大政奉還建白で徳川家擁護を図るも薩長に無視された土佐のアル中藩公
同じ時代の人物

基礎点
50
点
山内容堂は、将軍徳川慶喜に大政奉還を建白した土佐藩の国主で、明治維新後に土佐藩は「薩長土肥」の一角を占めた。
-50
点
山内容堂は、「幕末土佐藩の最高権力者」というだけで個人的業績は無く、謀臣吉田東洋の活躍で「幕末四賢候」に名を連ねたが、吉田の死後は政見を見失い佐幕と勤皇の間を迷走し「酔えば勤皇・覚めれば佐幕」と揶揄された。山内容堂は、吉田東洋を殺した武市半平太に土佐藩の外交を委ねたが、下級藩士の専横に立腹して突然梯子を外し土佐勤皇党を弾圧、長州藩が挫折すると用無しとばかりに武市を誅殺した。が、高杉晋作のクーデターで長州藩尊攘派は復活し幕府軍を撃退、薩長同盟主導の政局に慌てた山内容堂は後藤象二郎を執政に据えて巻返しを図るが時期既に遅し、徳川慶喜を援護するつもりで出した大政奉還が辞官納地を早める結果となり、「徳川家を盟主とする大名共和制」は薩長に無視され幕府は戊辰戦争に引きずり込まれた。山内容堂は最後まで徳川家擁護に固執し出兵を拒否、「薩長土肥」入りは土佐勤皇党の残党「迅衝隊」を率い独断で戊辰戦争に参戦した板垣退助のお陰である。ハングリー精神旺盛な土佐郷士には有為の人材が多かったが山内容堂の「酔えば勤皇・覚めれば佐幕」に失望し悉くが脱藩、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・土方久元・田中光顕らは志士として名を成したが、藩の後ろ盾がないために大きな活躍をすることができず多くの受難者を出した。西郷隆盛ら他藩士も「単純な佐幕派のほうがはるかに始末がいい」と憤慨したようにブレる山内容堂はリーダーとして最悪、酒乱とアルコール中毒が拍車を掛け、見せ場の小御所会議でも醜態を晒した。

1827
年
山内南家1500石の山内豊著の嫡子山内豊信(山内容堂)が高知城下にて出生
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1841
年
吉田東洋(後藤象二郎の義理の叔父)が中級藩士(馬廻格200石)吉田家を相続、翌年土佐藩庁に出仕し藩政改革に参与
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1845
年
水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる
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1848
年
14代土佐藩主山内豊惇が死去、山内容堂が末期養子となり15代藩主に就任
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1848
年
後藤正晴が死去し嫡子の後藤象二郎が家督相続、義理叔父の吉田東洋に養育される
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1851
年
島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手
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1853
年
徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任
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1853
年
海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁
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1853
年
徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
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1853
年
土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進
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1854
年
武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く
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1854
年
安政の大地震
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1857
年
祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
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1860
年
後藤象二郎が大坂の土佐藩邸建築の普請奉行に任じられる
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1860
年
徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪
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1862
年
武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来
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1862
年
後藤象二郎が御近習目付の任を解かれる
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1862
年
幕府により山内容堂の謹慎が解かれる
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
武市半平太が他藩応接役に任じられる
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1862
年
武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格
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1863
年
山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国
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1864
年
土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩
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1864
年
強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白
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1865
年
幕府が神戸海軍操練所を廃止
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1865
年
中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
山内容堂が後藤象二郎を参政(土佐藩政のトップ)に任じる
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
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1868
年
西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1868
年
板垣退助が土佐藩家老格・陸軍総督に任じられ600石に加増される
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1869
年
東北戦争から凱旋した板垣退助が明治政府の参与に任じられる
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1869
年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1869
年
山内容堂が官職を辞任
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1872
年
山内容堂が死去(享年46)
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1872
年
山内容堂に追贈従一位
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1884
年
山内豊範が侯爵を受爵
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山内豊著
父
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山内豊資
父の兄・12代土佐藩主
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山内豊熈
豊資嫡子・13代土佐藩主
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山内豊惇
豊資次男・14代土佐藩主
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山内豊範
豊惇嫡子で容堂養嗣子・16代土佐藩主
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吉田東洋
恩人にして側近
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後藤象二郎
吉田の義理甥・新おこぜ組首領
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板垣退助
新おこぜ組
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福岡孝悌
新おこぜ組
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小笠原唯八
新おこぜ組
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岩崎弥太郎
後藤の子分
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福岡宮内
近臣
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桐間将監
近臣
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山内民部
武市派重臣
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小南五郎右衛門
武市派重臣
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松下嘉兵衛
困った親戚
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佐々木高行
尊攘派上士
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谷干城
尊攘派上士
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武市半平太
切腹させた土佐勤皇党首領
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坂本龍馬
土佐藩のために働く脱藩浪士
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中岡慎太郎
土佐藩のために働く脱藩浪士
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間崎哲馬
切腹させた土佐勤皇党員
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平井収二郎
切腹させた土佐勤皇党員
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那須信吾
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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大石団蔵
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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安岡嘉助
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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岡田以蔵
土佐勤皇党員の人斬り
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大石弥太郎
土佐勤皇党員
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吉村寅太郎
土佐勤皇党員
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土方久元
土佐勤皇党員
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田中光顕
土佐勤皇党員
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清岡道之助
野根山屯集事件の首謀者
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長岡健吉
船中八策を書いた海援隊士
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陸奥宗光
超優秀な海援隊士
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中島信行
海援隊士から板垣舎弟
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徳川家定
不肖の将軍
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徳川家茂
井伊派の将軍
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徳川斉昭
一橋派の首領
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徳川慶喜
大政奉還した将軍
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島津斉彬
四賢候
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島津久光
斉彬弟
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島津忠義
薩摩藩主を継いだ久光長子
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松平春嶽
四賢候
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伊達宗城
四賢候
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安倍正弘
公武合体運動の盟友
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井伊直弼
政敵
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長野主膳
井伊の謀臣
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間部詮勝
井伊の子分
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水野忠央
井伊の盟友
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松平容保
京都守護職
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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勝海舟
薩長寄りの幕臣
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大久保一翁
勝の盟友
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西郷隆盛
薩摩の謀臣・政敵
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大久保利通
薩摩の謀臣・政敵
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小松帯刀
薩摩の謀臣・政敵
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毛利敬親
長州の「そうせい侯」・「大和魂」と揶揄
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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久坂玄瑞
武市盟友
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高杉晋作
長州維新の英雄
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木戸孝允
明治政府の親友
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周布政之助
犬猿の仲
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大村益次郎
長州の軍事指導者
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三条実万
舅・尊攘派公卿
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三条公睦
実万長子・妹婿
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三条実美
実万三男・長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
薩摩系公卿・政敵
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青蓮院宮
土佐勤皇党弾圧の契機
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