
ごとう しょうじろう
後藤 象二郎
1838年~1897年
30
点
山内容堂と共に土佐勤皇党を粛清し時流に取残されたが坂本龍馬・中岡慎太郎を抱込み大政奉還建白で桧舞台に立った土佐藩執政、維新後は政府高官となり板垣退助の自由民権運動に従うも迷走続きで事業も破綻
同じ時代の人物

基礎点
50
点
後藤象二郎は、義理叔父の山内容堂を暗殺した武市半平太を切腹させ土佐勤皇党を壊滅させたが、第二次長州征討で幕府権威が失墜すると図太くも武市門下の坂本龍馬・中岡慎太郎に急接近し海援隊・陸援隊で懐柔、土佐藩参政として山内容堂を動かし大政奉還建白に漕ぎ着けた。坂本龍馬の進言に従ったに過ぎないが、薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通を相手に一時的とはいえ政局の主導権を握った手腕はなかなかであった。が、薩長の陰謀で幕府が戊辰戦争へ引きずり込まれ大政奉還は無効化、後藤象二郎は徳川家擁護に固執する山内容堂を翻意させることができなかった。土佐藩が「薩長土肥」に食込めたのは、戊辰戦争に独断参戦した板垣退助の功績である。
-20
点
後藤象二郎には大政奉還建白の他に大した業績は無い。特に維新後は新政府の首班に名を連ねながら泣かず飛ばず、同じく政争で下野し自由民権運動の旗手となった板垣退助・大隈重信とは段違いであった。さらに後藤象二郎は、親友の板垣退助とは正反対で金銭にだらしなく、公金を蕩尽した挙句に収賄事件を起し自滅した。後藤象二郎が土佐商会の責任者に抜擢した岩崎弥太郎は三菱財閥を興したが、後藤は下僚として便利遣いしただけでインサイダー情報提供くらいの貢献しかしておらず、晩年は娘婿の岩崎弥之助のお陰で貧窮を免れた。さらに、伯爵後藤家を継いだ嫡子の後藤猛太郎と孫の後藤保弥太も遊蕩で身を持崩し、妻に逃げられ「さすらいの子連れ伯爵」と世の嘲笑を浴びた保弥太は貧乏故に爵位を放棄した。華族制度に反対し自ら伯爵位を返上した板垣退助の家と好対照で、3代続いた狂気の遊蕩癖は後藤象二郎の不徳の致す処であった。

1838
年
土佐藩の中級藩士(馬廻格150石)後藤正晴の嫡子後藤象二郎が高知城下にて出生
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1841
年
吉田東洋(後藤象二郎の義理の叔父)が中級藩士(馬廻格200石)吉田家を相続、翌年土佐藩庁に出仕し藩政改革に参与
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1848
年
14代土佐藩主山内豊惇が死去、山内容堂が末期養子となり15代藩主に就任
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1848
年
後藤正晴が死去し嫡子の後藤象二郎が家督相続、義理叔父の吉田東洋に養育される
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1853
年
土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進
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1854
年
武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く
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1854
年
安政の大地震
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1857
年
祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破
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1858
年
後藤象二郎が土佐幡多郡奉行に任じられる
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1860
年
後藤象二郎が大坂の土佐藩邸建築の普請奉行に任じられる
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1860
年
徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪
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1862
年
武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来
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1862
年
後藤象二郎が御近習目付の任を解かれる
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1862
年
幕府により山内容堂の謹慎が解かれる
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
武市半平太が他藩応接役に任じられる
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1862
年
武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国
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1863
年
山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す
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1864
年
土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩
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1864
年
強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白
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1865
年
幕府が神戸海軍操練所を廃止
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1865
年
中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
岩崎弥太郎が後藤象二郎の命令で開成館貨殖局に出勤するが僅か40日で退職
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
山内容堂が後藤象二郎を参政(土佐藩政のトップ)に任じる
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1868
年
板垣退助が土佐藩家老格・陸軍総督に任じられ600石に加増される
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1869
年
東北戦争から凱旋した板垣退助が明治政府の参与に任じられる
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1869
年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1872
年
山内容堂が死去(享年46)
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1873
年
岩倉使節団が帰国
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1873
年
岩崎弥之助がアメリカから帰国、三菱商会入りして副社長となる
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1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1874
年
後藤象二郎が蓬莱社を設立し高島炭鉱の払下げを受けるが2年後に放漫経営で破綻し岩崎弥太郎の三菱に押付ける
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1874
年
岩崎弥之助が後藤象二郎の娘早苗と結婚
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1876
年
岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1879
年
伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任
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1880
年
板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成
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1882
年
大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)
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1883
年
板垣退助・後藤象二郎がヨーロッパ視察旅行より帰国、公金流用疑惑で自由党が分裂し板垣は総理辞任に追込まれる
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1884
年
松方デフレによる不況深刻化
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1884
年
加波山事件、自由党が一旦解党
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1887
年
後藤象二郎が伯爵を受爵
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1887
年
徳富蘇峰が民友社結成、『国民之友』創刊
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1890
年
板垣退助が立憲自由党を再興
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1890
年
第一回帝国議会開催
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1891
年
板垣退助が自由党総理に復帰
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1891
年
第一次松方正義内閣発足、後藤象二郎が逓信大臣に就任
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1891
年
武市半平太(瑞山)・坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎に追贈正四位、武市は高知市武市邸跡地の瑞山神社に祀られる
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1892
年
第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利
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1894
年
後藤象二郎が収賄事件により農商務大臣を引責辞任
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1896
年
板垣退助に代わって樺山資紀が内務大臣就任
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1897
年
板垣退助が自由党総理辞任
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1897
年
後藤象二郎が死去し(享年60)青山霊園に葬られる、追贈正二位
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山内容堂
主君
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山内豊範
容堂養嗣子の土佐藩主
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吉田東洋
義理叔父で大師匠
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板垣退助
新おこぜ組の同志
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福岡孝悌
新おこぜ組の同志
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小笠原唯八
新おこぜ組の同志
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岩崎弥太郎
便利な部下・三菱初代
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岩崎弥之助
娘婿・三菱2代目
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岩崎久弥
三菱3代目
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岩崎小弥太
孫・三菱4代目
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武市半平太
土佐勤皇党首領
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坂本龍馬
土佐勤皇党副首領・大政奉還の同志
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中岡慎太郎
土佐勤皇党員・板垣の盟友
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大石弥太郎
土佐勤皇党員
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間崎哲馬
土佐勤皇党員
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平井収二郎
土佐勤皇党員
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吉村寅太郎
土佐勤皇党員
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岡田以蔵
土佐勤皇党員の人斬り
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那須信吾
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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大石団蔵
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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安岡嘉助
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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土方久元
土佐勤皇党員
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田中光顕
土佐勤皇党員
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山内民部
武市派重臣
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小南五郎右衛門
武市派重臣
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清岡道之助
野根山屯集事件の首謀者
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佐々木高行
尊攘派の同僚
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谷干城
尊攘派の同僚
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長岡健吉
船中八策を書いた海援隊士
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陸奥宗光
超優秀な海援隊士
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中島信行
海援隊士から板垣舎弟
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勝海舟
坂本の大師匠
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大久保一翁
勝の盟友
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松平春嶽
福井国主
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島津久光
薩摩国主
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島津忠義
薩摩藩主を継いだ久光長子
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西郷隆盛
維新の三傑
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大久保利通
維新の三傑
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小松帯刀
薩摩の謀臣
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毛利敬親
長州の「そうせい侯」
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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久坂玄瑞
武市盟友
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高杉晋作
長州維新の英雄
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木戸孝允
維新の三傑
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周布政之助
長州の執政
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大村益次郎
長州の軍事指導者
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伊藤博文
長州閥だが大久保舎弟
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井上馨
伊藤親友
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山縣有朋
陸軍長州閥
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
薩摩系公卿
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青蓮院宮
軽口公家
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三浦休太郎
賠償金をせしめた紀州藩士
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徳川家茂
14代将軍
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徳川慶喜
大政奉還した将軍
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松平春嶽
慶喜の傅役
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松平容保
京都守護職で坂本・中岡暗殺の命令者
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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江藤新平
征韓派
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副島種臣
征韓派
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大隈重信
大久保舎弟
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大木喬任
大久保舎弟
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黒田清隆
入閣
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松方正義
入閣
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