19 ryoma

さかもと りょうま

坂本 龍馬

1835年~1867年

70

土佐藩を脱藩して勝海舟に師事するが神戸海軍操練所の閉鎖に伴い薩摩藩の庇護下に入り亀山社中・薩長同盟に貢献、土佐藩に戻って大政奉還を差配し「世界の海援隊」を夢見たが暗殺された幕末一の人気者

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

70

坂本龍馬は、勝海舟に学んだ航海術と周旋の才を武器に幕臣や諸藩の志士と交流し、薩摩藩のエージェントとして薩長同盟の成立に貢献した。ただ、龍馬ファンには耳障りだろうが、薩長同盟と「裏書」のほかに大きな政治的貢献はなく、それとて主役は西郷隆盛・大久保利通と木戸孝允・高杉晋作であり、周旋の労は長州藩で重きをなした中岡慎太郎の方が大きかった。亀山社中は薩摩藩が長州藩に武器輸入の便宜を図るために設けたダミー会社、土佐海援隊は土佐藩による懐柔策である。本来政治活動家である坂本龍馬らの操船技術と商才は怪しいもので、「ワイル・ウエフ号」「いろは丸」を海難事故で失い、両社とも経営は火の車で海援隊の世話を押付けられた岩崎弥太郎は大いに苦労した。坂本龍馬は、土佐藩執政の後藤象二郎に大政奉還建白を促し薩長志士に周旋して土佐藩の中央政局復帰に貢献したが、大政奉還論は坂本龍馬のオリジナルではなく幕臣の勝海舟や大久保一翁すら主張した時流であり、戊辰戦争勃発で薩長の機先をかわす効果も得られなかった。「船中八策」は中央情勢に疎い後藤象二郎ら土佐藩士には画期的だったろうが、民主主義の元祖である横井小楠ら福井藩士や進歩派知識人が共有していた政治思想の域を出ず、さらに作成者は海援隊士の長岡健吉とされる。坂本龍馬が有名になったのは、田中光顕と司馬遼太郎のお陰である。日露戦争開戦前夜、美子皇后の枕頭に白装束の武人が立ち自分が日本海軍を守護すると言った。不思議に思った皇后が宮内大臣の田中光顕に語り、それは坂本龍馬に違いないということになった。田中光顕は、土佐勤皇党から中岡慎太郎に随身して陸援隊の幹部となり、明治政府で土佐人の佐々木高行・土方久元と共に宮廷政治を主宰した人物。薩長の専横に対抗するため坂本龍馬を持ち出したと思われ、皇后の夢が「陸軍人」なら兄貴分の中岡慎太郎に代わっていただろう。司馬遼太郎は『竜馬がゆく』の作者で、過剰な感情移入により坂本龍馬を幕末の主人公に仕立て上げた。

Shijitsu

1835

土佐藩郷士の坂本八平直足の次男坂本龍馬が高知城下にて出生

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1848

坂本龍馬が日根野弁治の小栗流道場に入門

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1850

武市半平太が小野派一刀流の麻田直養に入門、忽ち上達し高知城下に剣名を馳せる

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1850

井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す

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1852

彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる

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1853

坂本龍馬が江戸へ1年間の自費遊学、千葉定吉(北辰一刀流)の桶町千葉道場に入門

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1853

ペリー来航、坂本龍馬は臨時招集され品川の土佐藩下屋敷の守備にあたる

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1853

坂本龍馬が佐久間象山の私塾に入門し西洋知識を学ぶ

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1853

武市半平太が西国筋形勢視察の藩命を受けるが待遇上の不満により辞退

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1853

土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進

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1854

吉田東洋が松下嘉兵衛打擲事件を起し長浜に蟄居処分、密かに少林塾を開き後藤象二郎・板垣退助・福岡孝悌・岩崎弥太郎を教育

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1854

坂本龍馬が河田小龍から国際情勢を学び近藤長次郎や長岡謙吉を紹介される

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1854

武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く

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1854

武市半平太が麻田直養より皆伝を授かる

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

安政の大地震、坂本龍馬は江戸遊学を切上げ帰国

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1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

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1855

武市半平太が槍術家で義叔父の島村寿之助と共同経営の道場を開業、中岡慎太郎・岡田以蔵・田中光顕ら多くの門人が参集

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1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

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1855

岩崎弥次郎リンチ事件により岩崎弥太郎が江戸から帰国、安芸郡奉行所を挑発し投獄される

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

坂本龍馬が再び1年間の江戸遊学、桶町千葉道場に復帰し塾頭を任される

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1856

白札格郷士の武市半平太が土佐藩の臨時御用に選ばれ江戸遊学

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1856

武市半平太が桃井春蔵(鏡心明智流)の士学館に入門、すぐに皆伝を授かり塾頭に任じられる

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1857

喧嘩両成敗で岩崎弥太郎が出獄、蟄居中に私塾を開き近藤長次郎・池内蔵太らを教育

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1857

祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破

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1858

江戸で剣名を馳せた武市半平太を麻田直養が上士に推挙するが土佐藩は終生二人扶持でお茶を濁す

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1858

吉田東洋が土佐藩主山内容堂に蟄居を解かれ江戸出府、参政に復帰し配下の後藤象二郎・板垣退助・福岡孝悌・岩崎弥太郎らを登用(新おこぜ組)

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

岩崎弥太郎が土佐藩に郷廻役で出仕し長崎出張へ出るが公金横領で辞職、井ノ口村で隠遁

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1859

安政の大獄により一橋派諸侯処分、山内容堂は隠居し豊範が16代藩主となる

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

勝海舟が長崎海軍伝習所から江戸へ戻り蕃書調所頭取・講武所砲術師範・軍艦操練所頭取などを歴任(400石)

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1860

武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪

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1861

尊攘運動に目覚めた武市半平太が土佐藩庁に願出て江戸出向、薩長の志士と交流し久坂玄瑞に感化される

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1861

武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束

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1861

武市半平太が土佐へ戻り破約攘夷への藩論転換運動

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1862

平井収二郎・中岡慎太郎土佐勤皇党の「五十人組」が東上

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止

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1862

土佐勤皇党の平井収二郎・間崎哲馬らが青蓮院宮から藩政改革を促す令旨を得る

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1862

武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格

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1862

坂本龍馬・間崎哲馬・近藤長次郎が政治総裁職(前福井藩主)の松平春嶽に拝謁

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1862

坂本龍馬が松平春嶽の紹介で勝海舟に面会を許され門人となる

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1862

武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼

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1862

武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認

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1862

平野国臣が『尊攘英断録』を薩摩藩に献じ武力討幕を提案、大久保利通は追払うが有馬新七ら精忠組急進派が賛同し上洛した平野は「島津久光の討幕挙兵近し!」と吹聴し尊攘派は狂奔

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1862

平野国臣の扇動により土佐藩の吉村寅太郎・坂本龍馬らが脱藩、坂本は江戸の桶町千葉道場に寄寓し志士活動に入る

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

勝海舟が軍艦奉行並に任じられる(1千石)

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1862

幕府により山内容堂の謹慎が解かれる

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らが「四奸二嬪」を弾劾し岩倉具視を辞官隠居へ追込む

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

武市半平太の工作により土佐藩主山内豊範が京都へ立寄り国事周旋の勅命を受ける

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1862

武市半平太が他藩応接役に任じられる

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1862

岩崎弥太郎が下横目となり吉田東洋暗殺犯探索の任に就くが辞職、井ノ口村で帰農し富豪となる

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

坂本龍馬が勝海舟の口利で土佐藩より脱藩罪を赦され神戸海軍操練所の設立準備に奔走

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1863

長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国

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1863

幕府が神戸海軍操練所の設立を許可、勝海舟は土佐浪士の受皿として坂本龍馬を塾頭に神戸海軍塾を設立

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1863

青蓮院宮から令旨の一件を聞いた山内容堂が土佐へ戻り吉田東洋暗殺犯の捜索と土佐勤皇党の粛清を開始

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1863

京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1863

山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄

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1863

中岡慎太郎が七卿落ちの情勢を探るため周防三田尻へ出向

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1863

長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱

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1863

土佐浪士の中岡慎太郎が上京し長州藩復権運動

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1864

土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩

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1864

勝海舟が長崎出張、随行した坂本龍馬は横井小楠を紹介され開国通商の利と民主主義を学ぶ

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白

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1864

幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変、久坂玄瑞が京都鷹司邸にて自刃(享年25)

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

坂本龍馬が勝海舟の紹介により西郷隆盛と会う

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1864

神戸海軍塾生の不祥事により勝海舟が江戸に召還され軍艦奉行罷免、坂本龍馬ら神戸海軍塾生を薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛に託す

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1864

中岡慎太郎が長州藩諸隊(浪士隊)の忠勇隊総督となる

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1864

野根山屯集事件

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1864

山内容堂が新おこぜ組を藩政に復帰させ後藤象二郎・板垣退助を大監察に任じ土佐勤皇党の尋問を強化(尊攘派の板垣は辞職し江戸へ遊学)

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1865

幕府が神戸海軍操練所を廃止

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・吉井友実らが九州諸藩連合のため久留米藩・福岡藩などを遊説

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害

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1865

中岡慎太郎が京都で西郷隆盛に薩長和解工作、田中顕助・那須盛馬・大橋慎三(元長州藩忠勇隊士)らと会盟

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1865

中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる

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1865

高杉晋作・井上馨が長州の藩論を薩長和解に纏め木戸孝允を京都へ送出す

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1866

勝海舟が軍艦奉行に復職(5千石)

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1866

勝海舟が軍艦奉行に復職(5千石)

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1866

ユニオン号購入で活躍した亀山社中の近藤長次郎が自決

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

亀山社中のワイル・ウエフ号が遭難沈没

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

坂本龍馬がユニオン号に乗り長州藩の小倉渡海作戦に参加

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1866

高杉晋作が大島口奇襲で勝利

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1866

大村益次郎が浜田城制圧

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

土佐藩執政の後藤象二郎が藩政改革と洋式軍備導入のため開成館を創設・岩崎弥太郎が実務を差配

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

中岡慎太郎が幕府の動向視察のため上京、土佐藩に藩政改革案を示し薩摩藩の西郷隆盛を紹介

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1867

坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

岩崎弥太郎が後藤象二郎の招聘により貨殖局長崎出張所に勤務、実質上の責任者となる

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

土佐海援隊の「いろは丸」が紀州藩軍艦と衝突し沈没

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

坂本龍馬が後藤象二郎に「夕顔丸」船上で船中八策を提案

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

イカロス号事件、坂本龍馬の土佐海援隊が疑われる

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

坂本龍馬が土佐に小銃1000挺を運び、上京

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

京都霊山護国神社に葬られる

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1867

土佐海援隊の陸奥宗光らが天満屋事件を起す

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1871

姉の子の坂本直が坂本龍馬の家督を相続

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1891

吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)、武市は高知市武市邸跡地の瑞山神社に祀られる

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Kouyuuroku

山内容堂

見限った主君

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山内豊範

容堂養嗣子の土佐藩主

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日根野弁治

剣術の先生

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武市半平太

土佐勤皇党首領

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中岡慎太郎

土佐勤皇党員・薩長同盟の同志

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大石弥太郎

土佐勤皇党員

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間崎哲馬

土佐勤皇党員

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平井収二郎

土佐勤皇党員

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吉村寅太郎

土佐勤皇党員・脱藩仲間

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岡田以蔵

土佐勤皇党員の人斬り

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那須信吾

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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大石団蔵

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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安岡嘉助

土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客

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土方久元

土佐勤皇党員

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田中光顕

土佐勤皇党員

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山内民部

重臣の同志

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小南五郎右衛門

重臣の同志

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清岡道之助

野根山屯集事件を起した同志

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吉田東洋

武市が暗殺した土佐藩執政

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後藤象二郎

吉田の甥で後継執政・大政奉還の同志

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板垣退助

討幕派で中岡の盟友

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福岡孝悌

海援隊取締役

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佐々木高行

海援隊取締役

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谷干城

海援隊取締役

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小笠原唯八

上士の同志

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岩崎弥太郎

海援隊の会計係

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千葉定吉

剣術の師匠

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千葉重太郎

定吉嫡子

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佐久間象山

洋式兵学の先生

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河田小龍

物知り先生

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勝海舟

大師匠

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大久保一翁

勝の盟友

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近藤長次郎

切腹した部下

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長岡健吉

優秀な部下

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菅野覚兵衛

まとめ役の部下

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沢村惣之丞

脱藩仲間にして部下

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池内蔵太

遭難死した部下

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望月亀弥太

困った部下

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安岡金馬

困った部下

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中島信行

出世した部下

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陸奥宗光

一番優秀な部下

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松平春嶽

尊敬する福井国主

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横井小楠

民主主義の師匠

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由利公正

横井の弟子

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島津久光

薩摩国主

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島津忠義

薩摩藩主を継いだ久光長子

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西郷隆盛

薩摩の親方

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小松帯刀

拾ってくれた恩人

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大久保利通

薩摩の副親方

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黒田清隆

西郷の使者

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吉井友実

薩摩の同志

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田中新兵衛

西郷舎弟の人斬り・武市義兄弟

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桐野利秋

西郷舎弟の人斬り

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有馬新七

薩摩の過激派

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平野国臣

扇動に乗って脱藩

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グラバー

出入りの武器商人

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ハットマン

出入りの武器商人

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毛利敬親

長州の「そうせい侯」

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毛利定広

敬親養嗣子の長州藩世子

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久坂玄瑞

長州の同志・武市盟友

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木戸孝允

長州の同志

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高杉晋作

長州の同志

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周布政之助

長州の同志

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大村益次郎

長州の同志

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井上馨

長州の同志

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伊藤博文

長州の同志

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山縣有朋

長州の同志

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三吉慎三

長州の同志・ボディーガード

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長井雅楽

久坂の政敵

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三条実美

長州系公卿

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姉小路公知

長州系公卿

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岩倉具視

薩摩系公卿

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青蓮院宮

軽口公家

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三浦休太郎

賠償金をせしめた紀州藩士

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徳川家茂

14代将軍

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徳川慶喜

大政奉還した将軍

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小笠原長行

戦争相手の老中

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永井尚志

幕閣の理解者

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松平容保

京都守護職で坂本・中岡暗殺の命令者

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松平定敬

容保実弟の京都所司代

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近藤勇

新撰組局長

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土方歳三

新撰組鬼の副長

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佐々木唯三郎

坂本・中岡暗殺を実行した見廻組幹部

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今井信郎

坂本・中岡暗殺を実行した見廻組士

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渡辺篤

坂本・中岡暗殺を実行した見廻組士

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