
さかもと りょうま
坂本 龍馬
1835年~1867年
70
点
土佐藩を脱藩して勝海舟に師事するが神戸海軍操練所の閉鎖に伴い薩摩藩の庇護下に入り亀山社中・薩長同盟に貢献、土佐藩に戻って大政奉還を差配し「世界の海援隊」を夢見たが暗殺された幕末一の人気者
同じ時代の人物

基礎点
70
点
坂本龍馬は、勝海舟に学んだ航海術と周旋の才を武器に幕臣や諸藩の志士と交流し、薩摩藩のエージェントとして薩長同盟の成立に貢献した。ただ、龍馬ファンには耳障りだろうが、薩長同盟と「裏書」のほかに大きな政治的貢献はなく、それとて主役は西郷隆盛・大久保利通と木戸孝允・高杉晋作であり、周旋の労は長州藩で重きをなした中岡慎太郎の方が大きかった。亀山社中は薩摩藩が長州藩に武器輸入の便宜を図るために設けたダミー会社、土佐海援隊は土佐藩による懐柔策である。本来政治活動家である坂本龍馬らの操船技術と商才は怪しいもので、「ワイル・ウエフ号」「いろは丸」を海難事故で失い、両社とも経営は火の車で海援隊の世話を押付けられた岩崎弥太郎は大いに苦労した。坂本龍馬は、土佐藩執政の後藤象二郎に大政奉還建白を促し薩長志士に周旋して土佐藩の中央政局復帰に貢献したが、大政奉還論は坂本龍馬のオリジナルではなく幕臣の勝海舟や大久保一翁すら主張した時流であり、戊辰戦争勃発で薩長の機先をかわす効果も得られなかった。「船中八策」は中央情勢に疎い後藤象二郎ら土佐藩士には画期的だったろうが、民主主義の元祖である横井小楠ら福井藩士や進歩派知識人が共有していた政治思想の域を出ず、さらに作成者は海援隊士の長岡健吉とされる。坂本龍馬が有名になったのは、田中光顕と司馬遼太郎のお陰である。日露戦争開戦前夜、美子皇后の枕頭に白装束の武人が立ち自分が日本海軍を守護すると言った。不思議に思った皇后が宮内大臣の田中光顕に語り、それは坂本龍馬に違いないということになった。田中光顕は、土佐勤皇党から中岡慎太郎に随身して陸援隊の幹部となり、明治政府で土佐人の佐々木高行・土方久元と共に宮廷政治を主宰した人物。薩長の専横に対抗するため坂本龍馬を持ち出したと思われ、皇后の夢が「陸軍人」なら兄貴分の中岡慎太郎に代わっていただろう。司馬遼太郎は『竜馬がゆく』の作者で、過剰な感情移入により坂本龍馬を幕末の主人公に仕立て上げた。

1835
年
土佐藩郷士の坂本八平直足の次男坂本龍馬が高知城下にて出生
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1848
年
坂本龍馬が日根野弁治の小栗流道場に入門
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1850
年
武市半平太が小野派一刀流の麻田直養に入門、忽ち上達し高知城下に剣名を馳せる
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1853
年
武市半平太が西国筋形勢視察の藩命を受けるが待遇上の不満により辞退
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1853
年
土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進
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1854
年
武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く
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1854
年
安政の大地震、坂本龍馬は江戸遊学を切上げ帰国
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1856
年
坂本龍馬が再び1年間の江戸遊学、桶町千葉道場に復帰し塾頭を任される
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1857
年
祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
勝海舟が長崎海軍伝習所から江戸へ戻り蕃書調所頭取・講武所砲術師範・軍艦操練所頭取などを歴任(400石)
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1860
年
武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪
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1862
年
武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格
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1862
年
武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来
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1862
年
幕府により山内容堂の謹慎が解かれる
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
武市半平太が他藩応接役に任じられる
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国
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1863
年
山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す
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1864
年
土佐藩に帰国延期申請を拒否された坂本龍馬が再び脱藩
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1864
年
勝海舟が長崎出張、随行した坂本龍馬は横井小楠を紹介され開国通商の利と民主主義を学ぶ
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1864
年
強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白
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1864
年
坂本龍馬が勝海舟の紹介により西郷隆盛と会う
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1865
年
幕府が神戸海軍操練所を廃止
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・吉井友実らが九州諸藩連合のため久留米藩・福岡藩などを遊説
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1865
年
中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
京都霊山護国神社に葬られる
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1871
年
姉の子の坂本直が坂本龍馬の家督を相続
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1891
年
吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)、武市は高知市武市邸跡地の瑞山神社に祀られる
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山内容堂
見限った主君
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山内豊範
容堂養嗣子の土佐藩主
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日根野弁治
剣術の先生
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武市半平太
土佐勤皇党首領
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中岡慎太郎
土佐勤皇党員・薩長同盟の同志
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大石弥太郎
土佐勤皇党員
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間崎哲馬
土佐勤皇党員
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平井収二郎
土佐勤皇党員
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吉村寅太郎
土佐勤皇党員・脱藩仲間
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岡田以蔵
土佐勤皇党員の人斬り
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那須信吾
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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大石団蔵
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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安岡嘉助
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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土方久元
土佐勤皇党員
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田中光顕
土佐勤皇党員
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山内民部
重臣の同志
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小南五郎右衛門
重臣の同志
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清岡道之助
野根山屯集事件を起した同志
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吉田東洋
武市が暗殺した土佐藩執政
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後藤象二郎
吉田の甥で後継執政・大政奉還の同志
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板垣退助
討幕派で中岡の盟友
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福岡孝悌
海援隊取締役
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佐々木高行
海援隊取締役
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谷干城
海援隊取締役
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小笠原唯八
上士の同志
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岩崎弥太郎
海援隊の会計係
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千葉定吉
剣術の師匠
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千葉重太郎
定吉嫡子
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佐久間象山
洋式兵学の先生
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河田小龍
物知り先生
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勝海舟
大師匠
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大久保一翁
勝の盟友
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近藤長次郎
切腹した部下
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長岡健吉
優秀な部下
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菅野覚兵衛
まとめ役の部下
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沢村惣之丞
脱藩仲間にして部下
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池内蔵太
遭難死した部下
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望月亀弥太
困った部下
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安岡金馬
困った部下
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中島信行
出世した部下
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陸奥宗光
一番優秀な部下
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松平春嶽
尊敬する福井国主
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横井小楠
民主主義の師匠
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由利公正
横井の弟子
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島津久光
薩摩国主
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島津忠義
薩摩藩主を継いだ久光長子
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西郷隆盛
薩摩の親方
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小松帯刀
拾ってくれた恩人
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大久保利通
薩摩の副親方
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黒田清隆
西郷の使者
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吉井友実
薩摩の同志
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田中新兵衛
西郷舎弟の人斬り・武市義兄弟
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桐野利秋
西郷舎弟の人斬り
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有馬新七
薩摩の過激派
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平野国臣
扇動に乗って脱藩
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グラバー
出入りの武器商人
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ハットマン
出入りの武器商人
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毛利敬親
長州の「そうせい侯」
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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久坂玄瑞
長州の同志・武市盟友
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木戸孝允
長州の同志
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高杉晋作
長州の同志
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周布政之助
長州の同志
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大村益次郎
長州の同志
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井上馨
長州の同志
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伊藤博文
長州の同志
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山縣有朋
長州の同志
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三吉慎三
長州の同志・ボディーガード
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長井雅楽
久坂の政敵
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
薩摩系公卿
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青蓮院宮
軽口公家
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三浦休太郎
賠償金をせしめた紀州藩士
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徳川家茂
14代将軍
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徳川慶喜
大政奉還した将軍
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小笠原長行
戦争相手の老中
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永井尚志
幕閣の理解者
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松平容保
京都守護職で坂本・中岡暗殺の命令者
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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佐々木唯三郎
坂本・中岡暗殺を実行した見廻組幹部
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今井信郎
坂本・中岡暗殺を実行した見廻組士
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渡辺篤
坂本・中岡暗殺を実行した見廻組士
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