
なかおか しんたろう
中岡 慎太郎
1838年~1867年
90
点
武市半平太の「土佐勤皇党」から長州藩尊攘派に合流し浪士群を率いて高杉晋作の功山寺挙兵や薩長同盟に大活躍、薩土密約と陸援隊で武力討幕に備えたが戊辰戦争直前に暗殺された幕末浪士随一の殊勲者
同じ時代の人物

基礎点
90
点
中岡慎太郎は、17歳で武市半平太の剣術道場に入門し土佐勤皇党へ加盟、若輩で庶民の出自(大庄屋の豪農だが)ながら頭角を現し、脱藩後は長州藩に参集した浪士団に加わり大物志士の真木和泉・宮部鼎蔵らと肩を並べた。八月十八日政変・七卿落ち後の長州藩で浪士団は隠然たる勢力を占め過激路線を牽引、中岡慎太郎は禁門の変や馬関戦争で実戦を闘い、第二次長州征討では三条実美ら五卿の座す大宰府を拠点に西郷従道や吉井友実と連絡し長州藩の苦戦に備え薩摩藩の援軍工作に任じた。配下の田中光顕は高杉晋作の「丙寅丸」に同乗して大島海戦を戦い小倉城攻撃でも武功を挙げている。中岡慎太郎の最大の功績は、高杉晋作の功山寺挙兵に率先加わったことだろう。後に解散を迫られた山縣有朋の奇兵隊など諸隊が参戦したが、当初決起に応じたのは中岡慎太郎の遊撃隊60人と伊藤博文の力士隊30人のみであった。藩政奪回の功労者となった中岡慎太郎は、木戸孝允・高杉晋作に薩長和解を説いて「薩賊会奸」を忘れさせ、土佐浪士という中立的立場を活かして西郷隆盛の懐に飛込み薩長同盟の周旋役を果した。薩長和解自体は時代の要請だが、この時機を逃すと第二次長州征討で長州藩が敗北し歴史が変わったかも知れない。その後の中岡慎太郎は、乗遅れた土佐藩を中央政局へ導いて薩長陣営(武力討幕勢力)への抱込みを図り、板垣退助を啓発して薩土密約を結ばせ、京都土佐藩邸に浪士を集め討幕戦に備えた(陸援隊)。なお、薩長同盟といえば坂本龍馬が有名だが、坂本はもともと勝海舟の子分で、神戸海軍操練所の閉鎖に伴い勝が薩摩藩の西郷隆盛・小松帯刀に坂本ら門人の庇護を頼んだのが事の起りで、亀山社中は長州藩への輸入武器供与のために薩摩藩が設けたダミー会社であった。自由闊達な坂本龍馬は土佐藩に金を出させて世界の海援隊を志したが、薩摩藩での重みは長州藩における中岡慎太郎とは全く異なった。

1838
年
土佐安芸郡北川郷の大庄屋中岡小伝次の嫡子に中岡慎太郎が出世
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1850
年
武市半平太が小野派一刀流の麻田直養に入門、忽ち上達し高知城下に剣名を馳せる
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1853
年
武市半平太が西国筋形勢視察の藩命を受けるが待遇上の不満により辞退
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1853
年
土佐藩主山内容堂が吉田東洋を参政に抜擢し藩政改革を推進
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1854
年
中岡慎太郎が高知へ出て間崎哲馬の私塾に入門(吉村寅太郎・岩崎弥太郎は同窓)
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1854
年
武市半平太が高知城下新町に剣術道場を開く
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1854
年
安政の大地震、武市半平太は大津波で倒壊した自宅兼道場を新築
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1857
年
祖母が通風で倒れたため士学館塾頭の武市半平太が土佐へ戻り道場主に復帰、門人は100名を突破
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
武市半平太が武術修行の名目で九州遊学を許され尊攘派志士を歴訪
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1862
年
武市半平太の使者として坂本龍馬が長州と土佐を往来
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1862
年
幕府により山内容堂の謹慎が解かれる
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
武市半平太が他藩応接役に任じられる
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1862
年
武市半平太が京都へ戻り上士身分の留守居組に昇格
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
京都で薩長和解工作を進める武市半平太が山内容堂に召還され土佐へ帰国
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1863
年
山内容堂が青蓮院宮令旨事件を起した平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太を切腹に処す
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1863
年
長州藩尊攘派が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑
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1864
年
長州藩が高杉晋作を召還し脱藩罪により野山獄へ投獄
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1864
年
強盗罪で逮捕され土佐藩に送還された岡田以蔵が拷問に怯え自白
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1864
年
長州藩世子毛利定広の上洛・出兵に最後まで反対した周布政之助が逼塞に処される
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1864
年
来島又兵衛の遊撃軍300人が上方へ発進し久坂玄瑞・真木和泉が率いる諸隊が続く
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1864
年
高杉晋作が出獄を許され自宅座敷牢へ移される
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1864
年
遊撃隊で奮戦した中岡慎太郎が長州へ帰還
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1864
年
長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任
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1864
年
俗論党政府が奇兵隊ら諸隊の解散を命令、諸隊は結束して従わず
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1864
年
高杉晋作が長州へ舞戻り長府に駐屯する諸隊に決起を促す
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1865
年
高杉晋作が西欧渡航の許可を得て伊藤博文と共に長崎へ
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1865
年
高杉晋作が第二次長州征討に備えるべく戦時物資調達の責任者に就任、井上馨・伊藤博文を長崎へ派遣
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1865
年
中岡慎太郎が大宰府へ赴き三条実美から五卿応接掛に任じられる
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
高杉晋作が馬関口陸海軍参謀に任じられる
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
京都霊山護国神社に葬られる
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1871
年
義甥の中岡照行が中岡慎太郎の家督を相続
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1891
年
吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)、武市は高知市武市邸跡地の瑞山神社に祀られる
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山内容堂
見限った主君
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山内豊範
容堂養嗣子の土佐藩主
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間崎哲馬
学問の先生・土佐勤皇党同志
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岩崎弥太郎
間崎塾同門・東洋門人
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吉村寅太郎
間崎塾同門・土佐勤皇党の同志
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武市半平太
土佐勤皇党首領
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坂本龍馬
土佐勤皇党副首領・薩長同盟の同志
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大石弥太郎
土佐勤皇党員
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平井収二郎
土佐勤皇党員
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中岡慎太郎
土佐勤皇党員
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岡田以蔵
土佐勤皇党員の人斬り
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那須信吾
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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大石団蔵
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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安岡嘉助
土佐勤皇党員・吉田東洋暗殺の刺客
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土方久元
土佐勤皇党員・招賢閣同志
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田中光顕
土佐勤皇党員・陸援隊幹部
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那須盛馬
陸援隊員
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大橋慎三
陸援隊員
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香川敬三
陸援隊員
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山内民部
重臣の同志
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小南五郎右衛門
重臣の同志
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清岡道之助
野根山屯集事件を起した同志
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吉田東洋
武市が暗殺した土佐藩執政
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後藤象二郎
吉田の甥で後継執政
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板垣退助
討幕の後継者
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福岡孝悌
陸援隊取締役
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小笠原唯八
陸援隊取締役
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佐々木高行
陸援隊取締役
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谷干城
上士の同志
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陸奥宗光
龍馬舎弟
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毛利敬親
長州の「そうせい侯」
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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久坂玄瑞
長州の同志・武市盟友
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木戸孝允
長州の同志
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高杉晋作
長州の同志・巧山寺挙兵の盟主
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周布政之助
長州の同志
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大村益次郎
長州の同志
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井上馨
長州の同志・巧山寺挙兵の同志
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伊藤博文
長州の同志
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長井雅楽
久坂の政敵
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前原一誠
招賢閣の世話掛
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佐々木男也
招賢閣の世話掛
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河瀬真孝
遊撃隊の同志
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赤根武人
奇兵隊の裏切り者
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山縣有朋
巧山寺挙兵で日和見した奇兵隊首領
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真木和泉
招賢閣の親分
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宮部鼎蔵
招賢閣の同志
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長谷川鉄之助
忠勇隊の同志
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真木外記
忠勇隊の同志
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平野国臣
過激派同志
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三条実美
長州系公卿・主人
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姉小路公知
長州系公卿
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三条西季知
七卿
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四条隆謌
七卿
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東久世通禧
七卿
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壬生基修・
七卿
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錦小路頼徳
七卿
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澤宣嘉
七卿
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岩倉具視
懇意の薩摩系公卿
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青蓮院宮
軽口公家
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島津久光
高杉の指示で襲撃を試みた薩摩公
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島津忠義
薩摩藩主を継いだ久光長子
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西郷隆盛
薩摩の謀臣
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大久保利通
薩摩の謀臣
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小松帯刀
薩摩の謀臣
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吉井友実
薩摩藩の同志
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田中新兵衛
西郷舎弟の人斬り・武市義兄弟
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桐野利秋
西郷舎弟の人斬り
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有馬新七
薩摩の過激派
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河上彦斎
熊本藩の人斬り
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佐久間象山
河上に斬殺された西洋兵学者
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徳川家茂
上洛させた将軍
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徳川慶喜
最後の将軍
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松平春嶽
慶喜の傅役
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松平容保
京都守護職で坂本・中岡暗殺の命令者
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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勝海舟
薩長和解を勧めた幕臣・龍馬の師匠
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佐々木唯三郎
坂本・中岡暗殺を実行した見廻組幹部
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今井信郎
坂本・中岡暗殺を実行した見廻組士
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渡辺篤
坂本・中岡暗殺を実行した見廻組士
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