

基礎点
80
点
周布政之助は、村田清風から正義派を受継いだ尊攘思想家で、家柄家老ではないが長州藩主毛利敬親の信任を得て「破約攘夷」運動を主導、木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞ら吉田松蔭門下生を藩政に登用し活躍を支えた功績は大きい。久坂・木戸の後見人として自ら前面に出て志士活動に奔走、長州藩の重臣である周布政之助の参加は他藩の志士に安心感を与え他藩主や重臣に「下級藩士や浪士が騒ぎたてているだけではない」と説得するうえで重要な役割を果した。ただし、周布政之助の主眼は尊攘運動というよりは椋梨藤太ら俗論党との藩内政争にあったと考えられ、過激な尊攘運動には一貫して反対の立場をとり抑止に努めた。老中間部詮勝要撃を企てた吉田松蔭を野山獄へ再投獄し、長井雅楽襲撃を主張する高杉晋作や久坂玄瑞を制止し、禁門事変後の世子毛利定広の上洛・出兵には木戸孝允・高杉晋作と共に断固として反対したが、自ら点けた火を消すことはできなかった。
-10
点
周布政之助は、酒乱癖があり度々舌禍事件を起したが、心が弱かったようである。禁門の変で長州藩が朝敵となり幕府が長州征討を発動すると心折れて自決、出兵に猛反対した周布は無罪で実際に幕府からの追及もなかったので動機は判然としない。功山寺決起で挽回を図った高杉晋作や、禁門事変の直前に行方を晦ました木戸孝允のような図太さが欲しかった。

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1824
年
10代長州藩主毛利斉熙が隠居、嫡子(庶子で次男)の毛利斉広が幼少のため従弟の毛利斉元が11代藩主を承継
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1825
年
異国船打払令
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1836
年
毛利斉熙と11代長州藩主毛利斉元が相次いで死去、毛利斉広(斉熙の庶子)が12代藩主を承継
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1837
年
12代長州藩主毛利斉広の急死に伴い毛利敬親(11代藩主毛利斉元の嫡子)が13代藩主を承継
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1847
年
革新派の村田清風と保守派の坪井九右衛門の連立政権、村田派の周布政之助は蔵元検使暫役・椋梨藤太の添役に任じられる
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1852
年
江戸桜田藩邸に戻った吉田松陰が萩へ召還され脱藩罪により士籍・家禄剥奪のうえ杉百合之助の「育み」とされる
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1852
年
周布政之助が政務役に任じられ藩政に参与
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1853
年
長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が10年間の諸国遊学を許され江戸へ出立
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1855
年
長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が病気保養の名目で野山獄を出され実家の杉家で閉門蟄居
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1855
年
正義派の村田清風が死去、椋梨藤太の俗論党が藩政を握り政務役筆頭の周布政之助は大津代官へ左遷
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1858
年
木戸孝允が長州藩に出仕し大検使となり江戸番手を命じられる
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1858
年
大村益次郎が長州藩江戸藩邸に招かれ兵学書を講義、木戸孝允は大村を長州藩へスカウト
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1858
年
吉田松陰が長州藩庁に度々上書し藩政改革を提言、若手藩士の遊学や軍制改革の諸献策が容れられ松下村塾が活気付く(松陰の後押しで多くの塾生が遊学を許される)
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1858
年
周布政之助が政務役に復帰
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1858
年
周布政之助が「戊午の密勅」への答勅使として上京、すぐに萩へ戻り長州藩主毛利敬親に復命
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1858
年
大老井伊直弼の意を受けた老中間部詮勝が入洛し安政の大獄を断行
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1858
年
吉田松陰盟友の梅田雲浜が幕府に逮捕され翌年獄死(拷問死とも)
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
吉田松陰が幕命で江戸に召喚され評定所の尋問を受ける
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進
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1861
年
高杉晋作が長州藩世子毛利定広の小姓役に任じられ江戸出府に随う
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1862
年
周布政之助が逼塞を命じられる
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1862
年
島津久光上洛に際し周布政之助が赦免され藩命により上京
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
久坂玄瑞が長井雅楽の襲撃を企てるが中止し自主して京都長州藩邸で謹慎を命じられる
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1862
年
周布政之助が薩長和解のため会合を開くが失敗
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1862
年
周布政之助が長州藩の使者として朝廷に「破約攘夷」確定を伝える
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
高杉晋作が長州藩主毛利敬親に召喚され馬関の防御を一任される
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1863
年
長州藩尊攘派が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑
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1864
年
長州藩が高杉晋作を召還し脱藩罪により野山獄へ投獄
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1864
年
長州藩世子毛利定広の上洛・出兵に最後まで反対した周布政之助が逼塞に処される
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1864
年
来島又兵衛の遊撃軍300人が上方へ発進し久坂玄瑞・真木和泉が率いる諸隊が続く
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1864
年
長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任
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1891
年
吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)
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毛利敬親
主君にして良き理解者
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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村田清風
親分
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能美隆庵
嚶鳴社同志
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来原良蔵
嚶鳴社同志
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松島剛三
嚶鳴社同志
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浦靱負
正義派家老
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益田弾正
正義派家老
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長井雅楽
正義派だが政敵
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坪井九右衛門
村田の宿敵
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椋梨藤太
宿敵の俗論党首領
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吉田松陰
過激な正義派同志
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木戸孝允
松蔭門弟
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久坂玄瑞
松下村塾の双璧
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高杉晋作
松下村塾の双璧
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吉田稔麿
松下村塾の四天王
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入江九一
松下村塾の四天王
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伊藤博文
松下村塾生・高杉舎弟
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山縣有朋
松下村塾生
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前原一誠
松下村塾生
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品川弥二郎
松下村塾生
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山田顕義
松下村塾生
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赤根武人
松下村塾生
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寺島忠三郎
松下村塾生
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大村益次郎
木戸舎弟
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井上馨
高杉舎弟
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滝弥太郎
光明寺党
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河上弥市
光明寺党・生野の変で戦死
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来島又兵衛
困った過激派
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
「四奸二嬪」の政敵
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真木和泉
困った扇動家
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平野国臣
困った扇動家
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山内容堂
武市を殺した土佐国主・犬猿の仲
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武市半平太
土佐勤皇党首領・尊攘運動のパートナー
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吉村寅太郎
土佐の同志
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坂本龍馬
薩摩系土佐浪士
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中岡慎太郎
長州系土佐浪士
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島津久光
薩摩藩国父・政敵
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西郷隆盛
薩摩の謀臣
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大久保利通
薩摩の謀臣
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小松帯刀
薩摩の謀臣
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有馬新七
薩摩の過激派
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徳川家茂
上洛させた将軍
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徳川慶喜
禁門の変の戦争相手
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松平容保
禁門の変の戦争相手
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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松平春嶽
慶喜の傅役
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