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ほうじょう そううん

北条 早雲

1432年~1519年

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室町将軍の家臣から甥今川氏親の駿河守護擁立で今川家の重臣となり、関東公方足利家・関東管領上杉家の内紛に乗じて伊豆・相模二国と小田原を奪取、関東の覇者後北条氏の礎を築いた戦国下克上の先駆者

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

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北条早雲(伊勢新九郎長氏・伊勢盛時)は、衰亡する室町将軍を見限り40歳過ぎで関東に下向、甥今川氏親の駿河守護擁立で今川家の重臣となり、関東公方足利家・関東管領上杉家の内紛に乗じて伊豆・相模二国と小田原を奪取、関東の覇者後北条氏の礎を築いた戦国下克上の先駆者である。続く北条氏綱・氏康が関東全域を切り従えたが、北条氏政・氏直が豊臣秀吉の小田原征伐に屈し後北条氏は5代で滅亡した。北条早雲は、室町将軍家の重臣伊勢氏の出自で将軍足利義政や義視・義尚に近侍したとされるが、前半生に目立つ事跡はない。40歳を過ぎた頃、妹北川殿が嫁いだ駿河守護今川義忠が戦死し家督争いが発生、調停に乗り込んだ早雲は扇谷上杉定正・太田道灌の介入を退け甥龍王丸(今川氏親)の擁立に成功、戦功により興国寺城を与えられ60歳にして一国一城の主となり、後嗣無く死去した伊豆韮山城主の養子に入って鎌倉幕府執権北条氏の名跡を継いだ。1491年、室町将軍家・両上杉家と古河公方の和解で宙に浮いた堀越公方の足利政知が亡くなると、北条早雲は戦乱で守衛が手薄となった堀越御所を急襲し後継者足利茶々丸を追放し、寛容な帰服受入れと減税で土豪と領民を靡かせて伊豆支配を確立、東国戦国時代の端緒といわれる快挙を成遂げた。1494年、明応の政変で兄茶々丸を憎悪する足利義澄が将軍に就任すると、北条早雲は三浦氏の内紛に乗じて新井城に籠る茶々丸を攻め滅ぼし、翌年には東方に鞍を返して扇谷上杉方の大森藤頼を騙し討ちして小田原城を奪取、関東制覇の拠点を打ち立てた。その後の北条早雲は、今川家・扇谷上杉家の被官として各地に転戦しつつ、伊豆・相模の戦国大名として独立を果し領国経営に勤しんだ。機略縦横で連戦連勝だったが、今川軍の総大将を務めた三河攻めでは徳川家康の曽祖父松平長親に唯一といえる黒星を喫している。茶々丸征伐の盟友で相模三浦氏の旧領を継いだ三浦義同を族滅して後顧の憂いを絶ち、優秀な嫡子北条氏綱に家督を譲り伊豆韮山城で88歳の大往生を遂げた。早雲の遺訓は『早雲寺殿廿一箇条』に受け継がれた。

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「一介の素浪人からの下克上」ではなくても、北条早雲が戦国時代の先駆けと呼ぶに相応しい一代の英雄であったことは間違いないだろう。野心満々で悪どい騙し討ちも行ったが人品の卑劣さは感じられず、善政を敷いて豪族や領民に慕われ、後北条氏は関東公方足利家と関東管領上杉家の果てしない争乱を鎮めて関東に一定の平和をもたらした。戦争・政治・知略のどれをとっても一流だが、老成後に戦国大名となったせいか、粘り強く準備をして疾風迅雷で事を起し万全の戦後処理まで持ち込む手腕は抜群の冴えを放った。

Shijitsu

1432

8代室町将軍足利義政の申次衆で備中荏原荘領主の伊勢(平氏)盛定と政所執事伊勢貞国の娘との間に伊勢新九郎盛時(北条早雲)が出生

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1438

[永享の乱]鎌倉公方足利持氏と対立した山内上杉憲実が関東管領を辞任し領国上野国に退去、持氏は征討軍を送るが、将軍足利義教が持氏追討軍を派遣、扇谷上杉持朝も山内上杉支持で参戦し、足利持氏・義久父子と稲村公方足利満貞を自害させ鎌倉公方は一旦滅亡

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1440

[結城合戦]結城氏朝・持朝父子が前鎌倉公方足利持氏の遺児春王丸・安王丸を担いで挙兵するが山内・扇谷両上杉氏・幕府軍に鎮圧され滅亡、論功行賞で扇谷上杉持朝は相模守護を叙任

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1441

[嘉吉の乱]将軍足利義教が赤松義雅の所領を没収し男色相手の赤松貞村に下賜、怒った赤松満祐・教康父子が将軍足利義教を饗応に招請し殺害、幕府討伐軍により赤松一族滅亡

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1442

前将軍足利義教の嫡子足利義勝が7代室町将軍就任

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1449

足利義勝死去に伴い同母弟の足利義政が8代室町将軍就任

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1449

越後・信濃守護上杉房定が足利持氏の末子成氏を担いで鎌倉公方再興、山内上杉憲忠が関東管領に就任し扇谷上杉持朝(持氏殺害の首謀者)は嫡子顕房に家督を譲って和解の意を示すが両上杉氏と足利氏の緊張関係は続く

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1450

山内上杉家家宰の長尾景仲と扇谷上杉家家宰の太田資清(道灌の父)が関東公方府を襲撃、足利成氏は一時江ノ島に非難

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1452

細川勝元が幕府管領に就任

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1454

[享徳の乱]関東公方足利成氏が関東管領山内上杉憲忠を謀殺(家宰長尾景仲は憲忠の弟房顕を関東管領に擁立)、山内・扇谷上杉氏は反撃に出るが武蔵分倍河原で大敗し扇谷上杉顕房も戦死(遺児政真を祖父持朝と家宰の太田資清・道灌父子が後見)、勢い付く成氏は下総古河へ出征するが、将軍足利義政の成氏追討の号令に応じた駿河守護今川範忠が鎌倉を制圧、成氏は鎌倉に戻れず古河に留まり(古河公方)、諸豪は利根川を堺に両陣営に別れ30年に及ぶ関東大乱に発展

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1457

太田資清・道灌父子が武蔵国に防衛拠点を構築、資清は扇谷上杉持朝を守護して河越城に居城し道灌は江戸城を守る

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1457

関東管領山内上杉房顕の要請により将軍足利義政が弟政知(天龍寺清久)を還俗させて関東に派遣、同時に関東諸豪に古河公方足利成氏討伐を号令するが足並み揃わず扇谷上杉持朝も離反、鎌倉入りを阻まれ孤立した政知は堀越公方と称される

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1457

[長禄の変]赤松氏遺臣らが奥吉野襲撃・自天王と忠義王を殺害して後南朝を滅ぼし神璽を奪回、赤松政則は管領細川勝元から赤松家再興を許され加賀守護に就任

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1462

寛正の大飢饉により京畿に土一揆が広がる

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1464

男児のない将軍足利義政が弟の浄土寺義尋を還俗させて足利義視とし養嗣子に擁立、伊勢新九郎長氏(北条早雲)が近侍となる

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1465

将軍足利義政と正室日野富子の間に足利義尚が出生、足利義視派との継嗣争いが発生

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1466

[太田庄の戦い]上杉氏が武蔵五十子に築城し(五十子陣)古河公方足利成氏と対峙、将軍足利義政の号令虚しく成氏討伐軍は来援せず、関東管領山内上杉房顕が陣没、男児が無かったため上杉房定の実子顕定が養嗣子に入り後継

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1467

[応仁の乱]将軍家と斯波・畠山両管領家の家督争いから京都で戦争が勃発、全国諸大名が細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)に分れ11年に及ぶ全国規模の内乱に発展

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1468

雪舟が本場中国で水墨画を学ぶため大内政弘・室町将軍足利義政・管領細川勝元が明へ派遣した勘合貿易船(正使は天與清啓)に同乗を許され渡海、夏珪・李唐など宋・元代の水墨画に感化されて模写に励み揚子江流域など中国各地で風景を写生し「風景こそ最大の師」の境地に到達、天童山景徳禅寺で「四明天童山第一座」の尊称を贈られ首都北京でも画名を博し2年弱の滞在を終えて帰国し周防山口を拠点に豊後や石見へも足を伸ばす

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1470

[京極騒乱]応仁の乱の渦中に京極家当主持清が死去、嫡孫の童子丸が後を継ぐが翌年夭逝、政経と高清の間で30年に及ぶ熾烈な家督争いが勃発(京極政経は出雲へ隠遁、勝利した京極高清・六角高頼による南北近江分割統治で決着)

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1471

本願寺蓮如が興福寺経覚・本覚寺蓮光の援助のもと越前北潟湖畔吉崎山の頂に吉崎御坊を建立(付近の河口荘は経覚の領地で、朝倉孝景の横領に対抗するため蓮如を下向させたとされる)、庶民に分り易い『御文』や「南無阿弥陀仏」の六字名号下付で教線を伸ばし北陸から奥羽の門徒が参集し繁華な寺内町を形成(4年後に蓮如が去り1506年九頭竜川の戦いで越前一向一揆が朝倉宗滴に敗れ破却される)

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1473

山名宗全・細川勝元が相次いで死去、足利義政は隠居して小河新邸に移り足利義尚が9代室町将軍就任、義尚の生母日野富子が幕府実権を掌握

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1473

[五十子の戦い]古河公方足利成氏が長躯遠征して相模の堀越公方足利政知を襲撃、太田道灌率いる上杉軍は撃退し武蔵五十子陣まで押し返すが、扇谷上杉政真が戦死し(後継は叔父定正)山内上杉家家宰長尾景信も陣没(山内上杉は景信の弟忠景を後継としたため嫡子景春の謀反を招く)

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1473

伊勢新九郎長氏(北条早雲)の妹北川殿が駿河守護今川義忠の嫡子龍王丸(今川氏親)を出産

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1474

西軍大将の山名政豊(宗全の後嗣)が細川政元の東軍に投降、西軍の畠山義就・大内政弘らが継戦

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1474

[加賀一向一揆]加賀守護富樫成春の後継争いが発生、次男の富樫幸千代が浄土真宗高田派や越前守護代甲斐敏光と結び一旦勝利するも嫡子の富樫政親が本願寺蓮如の力添えで幸千代一派を追放し加賀守護職を奪取、宗徒が暴徒化し一向一揆へ発展すると政親は弾圧に転じ一揆勢は越中瑞泉寺に退避、蓮如は一揆を扇動した下間蓮崇を破門して吉崎御坊から逃れ小浜、丹波、摂津を経て河内出口に寓居する

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1476

駿河守護今川義忠が遠江の土豪一揆平定戦で落命、扇谷上杉定正の家宰太田道灌が大軍を率いて乗り込み小鹿範満(義忠の従兄弟で母は犬懸上杉政憲氏)の今川家相続を強迫するが、伊勢新九郎長氏(北条早雲)が室町幕府の権威を背景に調停、当主には龍王丸(今川氏親・義忠と早雲の妹北川殿の子)を立て成人まで範満が後見することで決着

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1476

[長尾景春の乱]太田道灌・扇谷上杉軍の駿河出張の隙を衝き、叔父長尾忠景に山内上杉家家宰をさらわれた景信の嫡子長尾景春が古河公方足利成氏に寝返り武蔵鉢形城で挙兵、関東管領山内上杉顕定を上野国に敗走させ反上杉勢の蜂起が広がるが、帰還した太田道灌が東奔西走の活躍で豊島氏・千葉氏ら抵抗勢力を討平(弟の太田資忠は房総臼井城攻めで戦死)

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1477

大内政弘ら西軍諸大名の撤収により応仁の乱終息、足利義視は美濃に退去するが、畠山義就・政長は戦闘を継続

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1478

応仁の乱の活躍で周防・長門・豊前・筑前の守護職を安堵された大内政弘が山口に帰国後間もなく九州へ転戦、反乱挙兵した少弐教頼を攻め殺し豊前・筑前を制圧(後継の少弐政資は大内氏への抵抗を続ける)

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1479

越前一向一揆発生を嫌い吉崎御坊を退去した本願寺蓮如が京都山科に坊舎を築き居を定める(山科本願寺落成は5年後)

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1481

[越中一向一揆]加賀守護富樫政親に弾圧され越中瑞泉寺に逃込んだ蓮乗(蓮如の次男)ら一揆衆を福光城主石黒光義が攻撃するが返討ちに遭い越中砺波郡は一向一揆の支配下に置かれる

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1482

前将軍足利義政が古河公方足利成氏と和解

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1483

[都鄙合体・享徳の乱終息]太田道灌の活躍により古河公方足利成氏・長尾景春が降伏し30年に及んだ関東大乱が終息するが、道灌率いる扇谷上杉氏の権勢が関東管領山内上杉顕定を凌駕し両上杉家の対立抗争が勃発、主君の扇谷上杉定正にも警戒された道灌は『太田道灌状』で「山内家が武蔵・上野両国を支配できるのは、私の功である」と憤慨

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1483

伊勢新九郎長氏(北条早雲)が足利義視を離れ室町将軍足利義尚に仕える

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1485

細川政元の後援により山城の国人が結束し山城国一揆が勃発、畠山義就・政長の両派を国外に追放

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1486

扇谷上杉定正が権臣太田道灌を相模糟屋館に招き騙し討ちで殺害(享年55)(北条早雲の謀略説あり)、柱石を失った関東諸豪は再び動揺し山内・扇谷の両陣営に分れ再び争乱に突入(長享の乱)(共倒れの途を辿った両上杉家は道灌末期の「当家滅亡」の叫びどおり60年後に北条氏康に滅ぼされる)

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1487

今川氏親が成人し正式に駿河守護を承継(家督を争った小鹿範満は暗殺された疑いが濃厚)、叔父の伊勢新九郎長氏(北条早雲)は富士郡下方庄十二郷の所領と伊豆国境の興国寺城を与えられ60歳にして一国一城の主となる

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1487

伊勢新九郎長氏(北条早雲)と室町幕府奉公衆小笠原政清の娘(南陽院殿)との間に嫡子北条氏綱が出生

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1488

[加賀一向一揆]蓮綱(蓮如の三男)・蓮誓(同四男)・蓮悟(同七男)率いる一向一揆が戦費負担に不満を募らせる国人衆を味方に付け高尾城の加賀守護富樫政親を討ち滅ぼして加賀一国を制圧(京都山科本願寺の蓮如は一揆を諌めるが収まらず)、これより加賀は本願寺顕如が織田信長に降伏し一揆が解体されるまで90余年に及び「百姓の持ちたる国」となる

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1488

伊豆韮山城主北条氏(最後の執権北条高時の子孫)が後嗣無く死去、伊勢新九郎長氏(北条早雲)が養子に入り名跡を継ぐ

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1489

将軍足利義尚が六角高頼征伐に乗り込んだ近江で陣没、翌年足利義視の子足利義材(義稙)が10代室町将軍に就任、高頼は赦免され近江守護に復帰するが六角氏と足利幕府の争乱は続く

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1491

伊勢新九郎長氏が出家して早雲庵宗瑞を名乗る

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1491

北条早雲の妹で駿河守護今川氏親生母の北側殿が死去

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1493

堀越公方足利政知が死去(虐待した嫡子茶々丸に妻子とともに殺害されたとの説あり)、扇谷・山内上杉家の上野合戦で守衛が手薄となった堀越御所を今川家被官北条早雲が急襲し政知の後継者足利茶々丸を追放、善政を敷き伊豆全域を平定(東国戦国時代・下克上の起り)

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1494

[明応の政変]管領細川政元が足利義材(義稙)を追放し足利義澄(堀越公方足利茶々丸の弟だが母と兄弟を殺害され憎悪)を11代室町将軍に擁立、義稙は幽閉から脱出し越中に逃亡

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1494

相模三浦氏の内紛に付け込んだ北条早雲が豪傑三浦義同を引き込み新井城(伊豆油壺)を攻略、堀越公方足利茶々丸と三浦高時を滅ぼす

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1494

北条早雲率いる今川氏親軍が遠江侵攻を開始、数年で遠江国を制圧し斯波義寛から守護職を奪取、国境を隔てて甲斐武田氏・三河松平氏と対峙

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1495

扇谷上杉家の重臣で小田原城主の大森氏頼が死去、北条早雲は後継の大森藤頼に取り入って安心させ、武蔵の合戦で扇谷上杉定正が落馬死した機を衝き、巻き狩りと偽って小田原城を急襲し奪取、扇谷上杉家に取り入って報復を防ぎつつ関東制覇を睨む

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1497

関東管領上杉氏と敵対し30年に及ぶ享徳の乱を戦い抜いた古河公方足利成氏が鎌倉に戻れぬまま死去、嫡子足利政氏が2代古河公方を襲名

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1499

越前朝倉氏の参軍を得られぬまま足利義材(義稙)が挙兵上洛を強行、比叡山延暦寺・根来寺・高野山金剛峰寺と連携して近江へ進軍するが六角高頼に敗北、逃れた河内で管領細川政元に敗れ大内義興を頼り周防山口へ亡命、政元・将軍足利義澄は綸旨も得て西国28大名に義興討伐を号令し大友親治(宗麟の祖父)・大内高弘(義興の弟で大友氏に亡命中)・少弐資元らの反大内勢力が勢い付くが、義興は大友・少弐連合軍を撃退して筑前・豊前を防衛し毛利弘元(元就の父)ら安芸国人も掌握して勢力均衡を保つ

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1499

家祖親鸞が起した浄土真宗を再興し平易な『御文』と辻説法で強大な一向教団を築いた蓮如が死去(享年85)、五男実如が承継した一向教団は孫の顕如の代に摂津・加賀を支配する「戦国大名」へ発展し各地に一向一揆を起して諸大名を苦しめるが織田信長に降伏して武力を放棄、子孫は今日まで東西本願寺の門首を世襲し皇族に準ずる権勢を保持する

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1500

追放された前出雲守護代尼子清定の嫡子尼子経久が山中勝重(鹿介の先祖)・鉢屋(賤視された遊芸民)を従え元旦の千秋万歳と偽り潜入する奇計を用いて月山冨田城を攻略、塩冶掃部介を討取って出雲守護代職を奪還し出雲国を制圧、石見・伯耆・安芸・備後へ侵出し西の大内義興・東の山名氏と対峙

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1504

[立河原の戦い・長享の乱終結]関東管領山内上杉顕定が古河公方足利政氏(成氏の嫡子)を味方に付け扇谷上杉朝良(定正の後嗣)を圧迫、今川氏親・北条早雲と同盟した朝良は武蔵立河原(立川)の決戦で圧勝し顕定を北武蔵の鉢形城に追詰めるが、来援した越後守護代長尾能景(為景の父)が椚田城(八王子)・実田城(平塚)を攻落として扇谷上杉領と今川・北条領を遮断し河越城に孤立した朝良を降伏させて18年続いた長享の乱は山内方の勝利で終結、関東公方足利諸家に続いて疲弊した両上杉氏も没落し北条・今川・長尾・長野ら国人勢力に関東争覇の主導権が移る(西上野の領袖長野房兼は戦死するが後継の長野業尚・憲業・業正が台頭)

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1505

実父の卜部覚賢・養父の塚原安幹から天真正伝香取神道流を学んだ16歳の塚原卜伝(高幹)が常陸から京都へ武者修行に出立、落合虎左衛門ら京八流の兵法者との立ち合いで名を挙げ11代将軍足利義澄に出仕、義澄の下で大内義興・細川高国、12代将軍足利義晴(義澄の嫡子)の下で細川晴元・三好元長と戦った卜伝は生涯37度の合戦・19度の真剣勝負で無敗を通し大将首12と端武者首16・合計212人の首級を挙げながら一度も刀傷を負わず

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1506

北条早雲を総大将とする1万余の今川氏親軍が三河に侵攻、安祥城主松平長親(徳川家康の先祖)が500の寡兵で撃退

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1506

北条早雲が小田原周辺で指出検地を実施

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1506

[九頭竜川の戦い・般若野の戦い]室町幕府管領細川政元の要請を受けた本願寺実如(蓮如の後嗣)が加賀・越中一向一揆を圧迫する越前朝倉氏と越中・能登畠山氏の討伐を号令、越前では朝倉宗滴が圧倒的寡勢で九頭竜川の決戦に勝利し吉崎御坊を破却(1万対30万とも)、能登守護畠山慶致も防衛に成功すると一向一揆勢は内紛に揺れる越中に殺到、越中守護畠山尚順の要請に応じた越後の長尾能景が来援するが砺波郡般若野の合戦で神保慶宗の裏切に遭い罠に嵌って討死(越後守護上杉房能は傍観)、長尾勢は越後へ敗走し嫡子長尾為景は復讐を誓う

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1506

中国作品の模写を脱して日本風水墨画を確立し『四季山水図』『秋冬山水図』『破墨山水図』『慧可断臂図』『天橋立図』など国宝6点と数多の重文作品を遺した雪舟が石見益田にて死去(享年86。雪舟が庇護者の益田兼堯を描いた『兼堯像』が現存)、雪舟は江戸時代に日本画壇を支配した狩野派に崇敬され芸術神となる

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1507

[永正の錯乱~両細川の乱]室町幕府の実権を握る細川宗家(京兆家)で政元の養子3人(澄之・澄元・高国)の家督争奪戦が勃発、「半将軍」管領細川政元が重用する細川澄元が三好之長ら阿波勢を率いて入京し優位に立つと、細川澄之・香西元長が政元を暗殺して京兆家を簒奪(変人政元は愛宕の勝軍地蔵を信仰して飛行自在の妖術修行に凝り一切女色を断ったため子が無かった)、澄元・之長は近江へ逃れるが、高国・政賢ら細川一族と丹後守護一色義有が澄之・元長を征伐、帰京した澄元が京兆家当主に納まる

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1507

越後守護上杉房能が権臣長尾為景(上杉謙信の父)誅殺を企てるが先手を打って襲撃され自害、為景は傀儡の越後守護に上杉定実を擁立

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1508

周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前を支配する大内義興の軍勢が京都を制圧、義興は将軍足利義澄を追放して足利義尹(義稙)を将軍に復位させ管領代・山城守護に就いて幕政を掌握、義興へ寝返った細川高国が細川宗家の家督を奪い細川澄元・三好之長は足利義澄を伴って近江へ逃亡するが京都奪還を窺い、義興不在に乗じた尼子経久が石見・伯耆・安芸・備後へ勢力を伸張

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1509

[如意ヶ嶽の戦い・岡山城の戦い]近江甲賀で体制を立直した細川澄元・三好之長が京都奪還を目指して粟田口に侵入するが大内義興・細川高国の大軍に迎撃され本拠の阿波へ逃亡、義興・高国軍は近江岡山城に逃れた前将軍を追撃するが六角高頼に敗れ京都へ撤退

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1510

[長森原の戦い]長尾為景に弟の上杉房能(越後守護)を殺された関東管領上杉顕定(房能の実兄)が大軍を率いて越後に来襲、為景は傀儡守護の上杉定実を伴い佐渡へ逃れるが佐渡国人や信濃の高梨政盛を加えて猛攻を掛け顕定を討取る快勝を収め定実に妹を娶わせ越後国人の反抗を抑圧、顕定に従った上野の高津長尾定明が戦死し嫡子の長尾顕景が家督相続

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1511

[船岡山合戦]前将軍足利義澄を擁する細川澄元・政賢と三好之長ら阿波勢が京都を奪還するが、近江の六角高頼が寝返り義澄が病死、洛北船岡山に陣取って大内義興・細川高国に決戦を挑むが総大将政賢まで討取られ壊滅、澄元・之長は本拠地の阿波へ逃れ抵抗を続ける

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1511

今川氏親に遠江を奪われた尾張守護斯波義達(義寛嫡子)が三河国境の浜松刑部城を攻撃、今川軍は撃退するが戦闘状態が続く

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1515

伊豆・相模国主で関東に勢力を伸ばした北条氏綱(北条早雲の嫡子)の嫡子に北条氏康が出生

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1516

北条早雲が反旗を掲げた三浦義同を攻撃、扇谷上杉朝興の救援軍を撃退し、新井城の兵糧攻めで勝利、義同以下の相模三浦一族を滅ぼし相模全域を平定

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1516

尾張守護斯波義達と結んだ浜松引馬城主大河内貞綱が寝返り、今川氏親は貞綱を討取る完勝を収め義達も出家降伏させ遠江の反抗勢力を一掃

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1517

遠江を征服した今川氏親が国人領主大井信達と提携し甲斐西部へ侵攻、甲斐守護武田信虎と戦い勝山城を一時占拠するが停戦和睦

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1519

戦国大名の先駆け北条早雲が嫡子北条氏綱に家督を譲り伊豆韮山城にて死去(享年88)、早雲の遺訓は『早雲寺殿廿一箇条』に受け継がれる

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Kouyuuroku

北条氏綱

嫡子

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北条氏康

氏綱嫡子

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伊勢貞国

政所執事の外祖父

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伊勢貞親

政所執事の伯父

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伊勢盛定

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北川殿

今川義忠に嫁いだ妹・出世の糸口

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今川義忠

主君

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今川氏親

擁立した甥・主君

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小鹿範満

排除した氏親対抗者

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小笠原政清

岳父

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荒木兵庫

股肱の臣

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多目権兵衛

股肱の臣

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山中才四郎

股肱の臣

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荒川又次郎

股肱の臣

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大道寺太郎

股肱の臣

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在竹兵衛

股肱の臣

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足利義政

旧主・8代将軍

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足利義視

旧主

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足利義尚

旧主・9代将軍

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足利義材

10代将軍

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足利義澄

11代将軍・茶々丸討伐の後ろ盾

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足利成氏

古河公方

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足利政知

堀越公方

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足利茶々丸

滅ぼした堀越公方

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上杉定正

扇谷上杉家当主

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上杉朝興

扇谷上杉家当主

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太田道灌

扇谷上杉家重鎮

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上杉顕定

上杉山内家当主

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三浦高時

滅ぼした相模三浦家当主

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三浦義同

滅ぼした相模三浦家当主

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大森氏頼

攻めあぐねた小田原城主

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大森藤頼

追い出した小田原城主

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松平長親

敗戦を喫した安祥城主

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