
ながしま しげお
長嶋 茂雄
1936年~-年
70
点
勝負強い打撃と奔放な性格で巨人のV9黄金期を彩った野球界一の人気者、王貞治との「ON砲」でプロ野球人気を確立し渡邉恒雄ら財界の支持も篤い「ミスタープロ野球」
同じ時代の人物

基礎点
70
点
長嶋茂雄は千葉県佐倉市の農家出身、佐倉第一高校で甲子園出場は無かったが打撃センスを買われて立教大学野球部へ進み、当時大人気の六大学野球のスターとなった。1958年鳴物入りで巨人に入団した長嶋茂雄は、開幕戦から3番サードで大活躍し本塁打王・打点王・新人王を獲得、翌年の「天覧試合」でサヨナラ本塁打を放ち「この試合からプロ野球の隆盛は始まった」。長嶋茂雄は華麗な守備と勝負強い打撃に闘志溢れるプレイでファンを魅了し、1期後輩の王貞治との「ON砲」で常勝巨人軍を牽引し1973年9年連続日本一を達成(V9)、翌年「我が巨人軍は永久に不滅です!」の名演説で現役生活に幕を引いた。長嶋茂雄の生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回…王貞治の超絶記録には遠く及ばないが4年連続三冠阻止でライバル関係を印象付け、敬遠球本塁打やバットを持たず打席に立つといった奇行、明るいキャラと独特の「長嶋語」で「記録よりも記憶に残る選手」と称され「実力の王」を上回る人気を獲得した。プロ野球人気を担う長嶋茂雄は現役引退と同時に38歳で巨人監督に就任したが「名選手は名監督に非ず」を地で行き成績は低迷、川上哲治(前監督)派の攻撃に晒され1980年藤田元司に監督の座を奪われた。長嶋茂雄は長い雌伏期を過したが、1990年川上哲治と一応和解し後援者の渡邉恒雄が読売新聞社長に就任、藤田元司・王貞治監督の地味な巨人に飽きたファンから長嶋待望論が湧起こり1992年56歳で監督に返咲いた。V9再現の夢を担う長嶋茂雄は金に物を言わせた大型補強で落合博満・清原和博・工藤公康ら大物選手を次々獲得し(長男の長嶋一茂まで)、松井秀喜・上原浩治ら生え抜きも台頭、1994年初めて日本一監督となり2000年の日本シリーズではホークス王貞治監督との「ON対決」に勝利したが、投資額ほどに成績は振るわなかった。2001年長嶋茂雄は原辰徳に巨人監督を譲り「終身名誉監督」兼球団専務へ勇退、アテネ五輪代表監督在任中に脳梗塞で倒れたが一命を取留め、2013年愛弟子の松井秀喜と国民栄誉賞を同時受賞した。

1936
年
千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)の農家で町役場に勤める長嶋利の次男に長嶋茂雄が出生
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1937
年
東京自動車工業株式会社(現いすゞ自動車)設立
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1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1944
年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1944
年
学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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1945
年
全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
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1945
年
マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
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1945
年
国際連合発足
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1945
年
雑誌の創刊・復刊ブーム
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1945
年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945
年
衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
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1946
年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946
年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946
年
国際通貨基金(IMF)発足
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1946
年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946
年
親米派財界人により経済同友会発足
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1946
年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1946
年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946
年
村田製作所がチタンコンデンサ製造再開、ラジオブームで部品産業が復活
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1946
年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946
年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947
年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947
年
GHQにより独占禁止法制定
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1947
年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1947
年
長嶋茂雄が地元佐倉市の青年野球団「ハヤテ・クラブ」に入団
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1948
年
GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
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1949
年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949
年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949
年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949
年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949
年
ドッジ・ライン恐慌でラジオセットメーカーの大半が倒産し関西の生残りは松下電器産業と早川電機工業(シャープ)のみ、部品供給の村田製作所も経営難に陥る
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1950
年
GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・NHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
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1950
年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1950
年
産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%
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1951
年
長嶋茂雄が千葉県立佐倉第一高等学校に入学、野球部に入り2年秋から4番打者を担う
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1952
年
GHQ指令を受け吉田茂政府が海上警備隊(海上自衛隊)創設
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1952
年
ラジオ番組『君の名は』が空前の大ヒット(~1954年)
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1952
年
血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
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1952
年
東京都内のジーンズショップが100店を超える
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1953
年
テレビ放送開始
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1953
年
佐倉第一高校が南関東大会に千葉県代表で出場、熊谷高校戦で長嶋茂雄が高校公式試合唯一の特大本塁打を放ち注目される
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1953
年
林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退)
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1954
年
長嶋茂雄が佐倉第一高校を卒業し立教大学経済学部入学、強打の三塁手で鳴らし当時プロ野球より人気が高い六大学野球のスターとなる
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1954
年
集団就職列車はじまる(~1975)
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1954
年
朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
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1954
年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1955
年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
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1956
年
日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)
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1956
年
公団住宅の供給がはじまる
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1957
年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1958
年
長嶋茂雄が立教大学を卒業し(六大学野球で5季連続ベストナイン選出・通算本塁打8本)契約金1800万円・年俸200万円・背番号3の鳴物入りで巨人入団、開幕戦から3番サードで大活躍
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1958
年
NASA(アメリカ航空宇宙局)設立
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1958
年
巨人がセリーグ3連覇するも日本シリーズは稲尾和久の西鉄に敗退、長嶋茂雄は打率305・本塁打29・打点92・盗塁37で本塁打王・打点王・新人王を獲得(新人三冠王の快挙は首位打者の田宮謙次郎に阻まれる)
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1958
年
東京タワー開業
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1959
年
『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
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1959
年
王貞治が早稲田実業高校を卒業し契約金1800万円・年俸144万円・背番号1の破格待遇で巨人入団
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1959
年
「天覧試合」の阪神戦で長嶋茂雄で村山実からサヨナラ本塁打を放ち巨人が勝利、王貞治とのONアベック本塁打第1号も記録(以後通算106回)
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1959
年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1959
年
巨人がセリーグ4連覇するも日本シリーズは南海に敗退、長嶋茂雄は打率334・本塁打27・打点82・盗塁21で首位打者獲得
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1960
年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960
年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960
年
巨人がセリーグ5連覇を逃し(2位)水原茂から川上哲治へ監督交代、長嶋茂雄は打率334・本塁打16・打点64・盗塁31で2年連続首位打者獲得
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1960
年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961
年
日本経済団体連合会(経団連)発足
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1961
年
巨人がセリーグ優勝し日本シリーズで南海を破り6年ぶりの日本一達成、長嶋茂雄は打率353(生涯最高)・本塁打28・打点86・盗塁14で3年連続首位打者と本塁打王の二冠達成でシリーズMVP獲得(三冠王は打点王を獲った桑田武に阻まれる)
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1961
年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962
年
王貞治が一本足打法に開眼し本塁打の量産開始
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1962
年
巨人がセリーグ4位で初のBクラス転落、長嶋茂雄は打率288・本塁打25・打点80・盗塁18でシーズン終了
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1962
年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1963
年
『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
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1963
年
巨人がセリーグ優勝するが日本シリーズは西鉄に敗退、長嶋茂雄は打率341・本塁打37・打点112・盗塁16で首位打者と打点王の二冠達成しシリーズMVP獲得(三冠王は本塁打王の王貞治に阻まれる)
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1964
年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964
年
家電製品の「価格破壊」をめぐり「ダイエー・松下戦争」勃発(~1994)
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1964
年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964
年
IMF・世界銀行東京総会
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1964
年
巨人がセリーグ3位に転落、長嶋茂雄は打率314・本塁打31・打点90・盗塁13でシーズン終了、長嶋茂雄と王貞治の「ON砲」の呼称が定着
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1964
年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964
年
東京オリンピック
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1964
年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1965
年
日韓基本条約調印
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1965
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V1)、長嶋茂雄は打率300・本塁打17・打点80・盗塁2でシーズン終了
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1965
年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965
年
プロ野球ドラフト制度はじまる
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1965
年
日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
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1965
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966
年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1966
年
日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
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1966
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V2)、長嶋茂雄は打率344・本塁打17・打点105・盗塁14で首位打者とシリーズMVPを獲得
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1967
年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967
年
欧州共同体(EC)発足
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1967
年
公害対策基本法施行
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1967
年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1967
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V3)、長嶋茂雄は打率283・本塁打19・打点77・盗塁2でシーズン終了
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1968
年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968
年
少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
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1968
年
インテル設立
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1968
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V4)、長嶋茂雄は打率318・本塁打39(生涯最高)・打点125(生涯最高)・盗塁8で打点王とシリーズMVP獲得(王貞治の三冠達成を阻止)
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1968
年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969
年
『週刊少年チャンピオン』創刊
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1969
年
アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功
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1969
年
テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
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1969
年
ウォルマート設立
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1969
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V5)、長嶋茂雄は打率311・本塁打32・打点115・盗塁1で2年連続打点王獲得(2年連続で王貞治の三冠達成を阻止)
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1969
年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970
年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V6)、長嶋茂雄は打率269・本塁打22・打点105・盗塁1で3年連続打点王(5回目)獲得(3年連続で王貞治の三冠達成を阻止)
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1970
年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970
年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1970
年
産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
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1971
年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971
年
ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)
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1971
年
環境庁発足
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1971
年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V7)、長嶋茂雄は打率320・本塁打34・打点86・盗塁4で首位打者(6回目)とシリーズMVP(5回目)を獲得(4年連続で王貞治の三冠達成を阻止)
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1971
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972
年
札幌冬季オリンピック
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1972
年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972
年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972
年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972
年
巨人がセリーグと日本シリーズを制覇(V8)、長嶋茂雄は打率266・本塁打27・打点92・盗塁3でシーズン終了
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1972
年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973
年
『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
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1973
年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973
年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973
年
手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活
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1973
年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1974
年
田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
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1974
年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974
年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974
年
巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得
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1974
年
フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
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1974
年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975
年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975
年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975
年
広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
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1975
年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975
年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1976
年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976
年
『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
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1976
年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1976
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ首位に返り咲くも日本シリーズは阪急に敗退
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1977
年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977
年
王貞治が国民栄誉賞第1号を受賞
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1977
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ連覇するも日本シリーズは阪急に2年連続敗退
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1977
年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977
年
「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利
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1977
年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978
年
『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』が日本で上映されSFブーム到来
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1978
年
タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる
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1978
年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ2位に陥落しオフに「江川卓事件」発生
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1978
年
長嶋茂雄・王貞治が窮状の金田正一を救うため「日本プロ野球名球界」設立(2010年まで金田会長が私物化し物議を醸す)
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1978
年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978
年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978
年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979
年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979
年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979
年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979
年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979
年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ5位に転落
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1979
年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979
年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1980
年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980
年
巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代
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1980
年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1980
年
産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%
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1981
年
第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
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1981
年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1981
年
藤田元司監督・王貞治助監督の巨人がセリーグと日本シリーズを制覇
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1982
年
長嶋茂雄が海外野球視察を経て報知新聞社の客員評論家となりテレビ番組やCMに多数登場
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1982
年
東北新幹線・上越新幹線開業
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1982
年
藤田元司監督・王貞治助監督の巨人が中日に敗れセリーグ2位
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1983
年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983
年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983
年
東京ディズニーランド開園
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1983
年
世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
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1983
年
AT&T創業
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1983
年
巨人がセリーグ優勝するも日本シリーズは西武に敗退、藤田元司から王貞治へ監督交代
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1984
年
グリコ・森永事件
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1984
年
王貞治監督の巨人がセリーグ3位
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1985
年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985
年
女子差別撤廃条約批准のため男女雇用機会均等法成立
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1985
年
王貞治監督の巨人がセリーグ3位
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1985
年
プロ野球選手の労働組合「プロ野球選手会」発足(初代会長は巨人の中畑清)
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1985
年
エアコンの世帯普及率が50%突破
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1986
年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986
年
エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
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1986
年
王貞治監督の巨人がセリーグ2位
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1986
年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987
年
中国で保守派が巻返し革新派の胡耀邦総書記(鄧小平の腹心)が失脚
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1987
年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987
年
ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)
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1987
年
王貞治監督の巨人がセリーグ優勝するも日本シリーズは西鉄に敗退
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1987
年
スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
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1988
年
青函トンネル開業
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1988
年
瀬戸大橋開通
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1988
年
イラン・イラク戦争終結
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1988
年
セリーグ2位の巨人で王貞治が電撃解任され藤田元司へ監督交代
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1988
年
ダイエーが南海ホークスを承継し福岡ダイエーホークス発足
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1989
年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989
年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989
年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989
年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1989
年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989
年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989
年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989
年
藤田元司監督の巨人がセリーグと日本シリーズを制覇
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1989
年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1990
年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990
年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990
年
ドイツ再統一
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1990
年
藤田元司監督の巨人がセリーグ連覇を果たすが日本シリーズは西武に敗退
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1990
年
長嶋茂雄が川上哲治と和解し巨人の内紛が一応決着
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1990
年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1990
年
産業別労働人口:第一次産業7.1%・第二次33.3%・第三次59.0%
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1990
年
15年ぶりに赤字国債発行停止
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1991
年
バブル潰しの金融証券不祥事摘発はじまる
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1991
年
読売新聞で務臺光雄(長嶋茂雄を嫌う川上哲治の支持者)が死去し渡邉恒雄(長嶋支持者)が後継社長就任
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1991
年
ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
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1991
年
藤田元司監督の巨人がセリーグ4位に転落
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1991
年
宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
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1991
年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991
年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991
年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992
年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992
年
アメリカの「エコニミック・アニマル」批判を受け完全週休二日制が普及
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1992
年
国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱
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1992
年
セリーグ2位の巨人で藤田元司から長嶋茂雄へ監督交代、オフのドラフトで松井秀喜を引当てヤクルトから長男の長嶋一茂を獲得
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1993
年
中内功の福岡ダイエーホークスが本拠地「福岡ドーム球場」開設
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1993
年
小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
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1993
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ3位、オフに落合博満を獲得
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1993
年
欧州連合(EU)発足
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1993
年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1993
年
プロ野球フリーエージェント制度はじまる
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1994
年
ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売
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1994
年
Amazon.com設立
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1994
年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994
年
巨人がセリーグ優勝し長嶋茂雄監督が初の日本シリーズ制覇、オフに30億円補強を行う
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1994
年
王貞治が福岡ダイエーホークス監督就任
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1994
年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995
年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995
年
阪神・淡路大震災
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1995
年
地下鉄サリン事件
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1995
年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995
年
野茂英雄が鈴木啓示監督と衝突し近鉄退団、「任意引退」で日本球界を追われマイナー契約でLAドジャースに入団すると開幕直後にMLBデビューし13勝・防御率2.54で最多奪三振・新人王獲得
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1995
年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1995
年
Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)
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1995
年
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
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1995
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ3位に転落し原辰徳が現役引退
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1996
年
ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット
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1996
年
台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任
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1996
年
長嶋茂雄監督の巨人で正力亨(正力松太郎の長男)から渡邉恒雄(読売新聞社長)へオーナー交代
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1996
年
住専処理法成立
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1996
年
長嶋茂雄監督の巨人が「メークドラマ」のセリーグ優勝を果たすが日本シリーズはオリックスに敗退、オフに清原和博をFAで獲得し落合博満を日本ハムへ放出・長男の長嶋一茂が現役引退
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1996
年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1997
年
三木谷浩史が楽天創業
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1997
年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997
年
消費増税(5%)
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1997
年
アメリカの圧力により独占禁止法改定・持株会社解禁
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1997
年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997
年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ4位に転落、オフに高橋由伸が入団し東京ドームに「長嶋ゲート」復活
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1997
年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1997
年
京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず
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1997
年
携帯電話普及率が50%突破
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1997
年
乗用車の世帯普及率が80%突破
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1998
年
長野冬季オリンピック
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1998
年
アメリカの圧力により大規模小売店舗法廃止(大店立地法に移行後2000年完全廃止)
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1998
年
小渕恵三内閣(自自公連立)発足
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1998
年
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立
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1998
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ3位、オフに上原浩治が入団
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1998
年
長銀経営破綻、リップルウッドが僅か10億円で買収に成功
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1998
年
金融再生関連法が相次いで成立
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1998
年
エアコンの世帯普及率が80%突破
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1998
年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999
年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999
年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999
年
東海村JCO臨界事故
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1999
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ2位、オフに工藤公康・江藤智ら大型補強を実施
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1999
年
アメリカの圧力で労働者派遣法が改定され人材派遣原則自由化
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1999
年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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1999
年
ODA154億ドル・最高額更新
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2000
年
第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2000
年
ベライゾン・コミュニケーションズ設立
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2000
年
ソフトバンク・オリックス・東京海上が連合し経営破綻した日本債券信用銀行を安値で買収(→あおぞら銀行)、孫正義のソフトバンクは株価急騰で株式時価総額が国内2位となり2003年持分転売で巨利を獲得
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2000
年
長嶋茂雄監督の巨人がセリーグ優勝し日本シリーズは福岡ダイエーホークス・王貞治監督との「ON対決」に勝利
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2000
年
中国移動通信(チャイナモバイル)設立
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2000
年
産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%
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2000
年
国債発行額が200兆円突破
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2001
年
ITバブル崩壊
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2001
年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001
年
イチローが任天堂・山内溥オーナーのシアトル・マリナーズでMLBデビュー、最多得票でオールスターゲームに選出され242安打・打率350・盗塁56で首位打者・盗塁王・新人王・シリーズMVP・ゴールドグラブ賞を獲得
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2001
年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001
年
セリーグ2位の巨人で長嶋茂雄が終身名誉監督へ退き原辰徳が監督就任
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2001
年
ゴールドマン・サックスが「BRICs」の潜在能力を示唆
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2001
年
パソコンの世帯普及率が50%突破
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2001
年
国債発行額が300兆円突破
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2001
年
完全失業率が初めて5%突破
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2002
年
EU統一通貨ユーロ流通開始
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2002
年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002
年
FIFAワールドカップ日韓大会
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2002
年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2002
年
長嶋茂雄がアテネオリンピック出場を目指す日本代表野球チームの監督に就任
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2002
年
フリーターが200万人突破
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2002
年
携帯電話普及率が90%突破
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2003
年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003
年
個人情報保護法成立
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2003
年
王貞治監督の福岡ダイエーホークスがパリーグと日本シリーズを制覇、オフに小久保裕紀を巨人へ無償トレード(小久保事件)
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2003
年
国債発行額が400兆円突破
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2004
年
マーク・ザッカーバーグがFacebook設立
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2004
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
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2004
年
長嶋茂雄が脳梗塞で入院しアテネオリンピック日本代表監督を中畑清に託す(結果3位)
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2004
年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2004
年
近鉄球団がライブドアの買収提案を拒否し解散を選択、選手等はオリックスと新設の楽天へ分配
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2004
年
デジカメの世帯普及率が50%突破
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2005
年
渡邉恒雄が読売新聞グループ本社会長に就任
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2005
年
王貞治がソフトバンク・ホークスの監督兼任で球団取締役副社長兼ゼネラルマネージャーに就任
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005
年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005
年
合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
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2005
年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005
年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2006
年
王貞治監督率いる日本代表野球チームがWBC第1回大会優勝
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2006
年
オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる
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2006
年
第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2007
年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007
年
アップルが「iPhone」発売
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2007
年
アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
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2007
年
参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
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2008
年
第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
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2008
年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008
年
麻生太郎内閣(自公連立)発足
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2008
年
ソフトバンク・ホークスがパリーグ最下位に転落し王貞治は監督を秋山幸二へ譲り球団会長就任
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2009
年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009
年
原辰徳監督率いる日本代表野球チームがWBC第2回大会を連覇
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2009
年
大学進学率が50%突破
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2009
年
長嶋一茂が父長嶋茂雄の記念品等を無断売却し妹の長嶋三奈から「長嶋茂雄」の登録商標を奪取
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2009
年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009
年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2010
年
野茂英雄が名球界総会で「何をするための組織なのか」と爆弾発言、発足後33年も金田正一の私物だった名球界は王貞治理事長のもと一般社団法人へ改組
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2010
年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011
年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011
年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011
年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011
年
王貞治球団会長・秋山幸二監督のソフトバンク・ホークスがパリーグ制覇し日本シリーズで中日を破り8年ぶりの日本一達成、オフに杉内俊哉・和田毅・ホールトン・川崎宗則が離脱
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2011
年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2012
年
東京スカイツリーが開業
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2012
年
石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
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2012
年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012
年
民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
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2012
年
第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2012
年
スマートフォン普及率が50%突破
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2013
年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013
年
山本浩二監督率いる日本代表野球チームがWBC第3回大会3位で3連覇を逸す
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2013
年
長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞同時受賞
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2013
年
総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消
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2013
年
65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)
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2013
年
川上哲治(長嶋茂雄の宿敵)が死去
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2014
年
安倍晋三内閣が軽自動車税増税を閣議決定
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2014
年
ロシア・ウクライナ紛争
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2014
年
消費増税(8%)
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渡邉恒雄
読売・巨人と球界の暴君にして長嶋シンパ
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氏家齊一郎
日テレの天皇
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正力松太郎
読売のドンにしてCIAのエージェント
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正力亨
巨人オーナー
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務臺光雄
読売新聞社長
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徳光和夫
長嶋狂信者
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中曽根康弘
ナベツネの後ろ盾
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長嶋一茂
野球タレントとなった長男
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長嶋三奈
テレ朝タレントとなった次女
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川上哲治
V9巨人監督にして巨人内派閥の宿敵
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藤田元司
川上の子分
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水原茂
入団時の巨人監督
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王貞治
ON砲の盟友にして打撃タイトルを分け合った宿敵
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森祇晶
V9巨人仲間
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柴田勲
V9巨人仲間
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黒江透修
V9巨人仲間
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高田繁
V9巨人仲間
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土井正三
ミスター愛のV9巨人仲間
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堀内恒夫
V9巨人仲間
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金田正一
V9巨人仲間
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高橋一三
V9巨人仲間
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城之内邦雄
V9巨人仲間
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渡辺秀武
V9巨人仲間
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張本勲
巨人に来た安打王
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小林繁
江川事件の被害者
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別所毅彦
巨人OB
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広岡達朗
巨人OB・西武躍進の立役者
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中畑清
巨人長嶋派
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江川卓
巨人長嶋派
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篠塚利夫
巨人の後輩
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吉村禎章
巨人の後輩
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斎藤雅樹
巨人監督期の中心選手
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桑田真澄
巨人監督期の中心選手
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槇原寛己
巨人監督期の中心選手
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石毛博史
巨人監督期の中心選手
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木田優夫
巨人監督期の中心選手
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工藤公康
巨人監督期の中心選手
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上原浩治
巨人監督期の中心選手
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高橋尚成
巨人監督期の中心選手
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ダレル・メイ
巨人監督期の中心選手
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原辰徳
巨人監督の後継者
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落合博満
巨人監督期の中心選手
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松井秀樹
巨人の愛弟子
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仁志敏久
巨人監督期の中心選手
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清水隆行
巨人監督期の中心選手
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高橋由伸
巨人監督期の中心選手
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村田真一
巨人監督期の中心選手
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二岡智宏
巨人監督期の中心選手
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清原和博
不発の大型補強選手
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阿波野秀幸
不発の大型補強選手
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川口和久
不発の大型補強選手
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広沢克己
不発の大型補強選手
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江藤智
不発の大型補強選手
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石井浩郎
不発の大型補強選手
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ジャック・ハウエル
不発の大型補強選手
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シェーン・マック
不発の大型補強選手
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バルビーノ・ガルベス
巨人監督期の中心選手
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ドミンゴ・マルティネス
巨人監督期の中心選手
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関根潤三
巨人監督期のコーチ
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宮田征典
巨人監督期のコーチ
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黒江透修
巨人監督期のコーチ
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淡河弘
巨人監督期のコーチ
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鹿取義隆
巨人監督期のコーチ
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小野秀夫
立教大進学の恩人
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砂押邦信
立教大野球部監督
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辻猛
立教大野球部監督
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大沢啓二
立教先輩のワル
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杉浦忠
立教三羽烏の親友
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本屋敷錦吾
立教三羽烏の同期
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鶴岡一人
入団勧誘を蹴った南海監督
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藤村富美男
憧れのミスター阪神
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村山実
天覧試合でサヨナラ本塁打を打った阪神のエース
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小山正明
阪神のエース
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権藤博
中日のエース
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星野仙一
打倒長嶋に燃えた中日のエース
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杉浦忠
南海のエース
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皆川睦雄
南海のエース
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米田哲也
阪急のエース
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梶本隆夫
阪急のエース
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山田久志
阪急のエース
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稲尾和久
西鉄のエース
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鈴木啓示
近鉄のエース
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江夏豊
脱三振王
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田宮謙次郎
新人三冠王妨害者
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桑田武
三冠王の壁
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野村克也
長嶋人気を妬む南海の主砲
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高木守道
才能を見抜いた中日内野手
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野茂英雄
MLBに道を拓いた異端児
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イチロー
MLBで大成したサムライ
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平岩外四
財界の長島応援団
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樋口廣太郎
財界の長島応援団
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盛田昭夫
財界の長島応援団
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安倍晋三
国民栄誉賞受賞時の首相
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石原裕次郎
親友
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高倉健
親友
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プリティ長嶋
県会議員に出世したモノマネ芸人
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