14 masujirou

おおむら ますじろう

大村 益次郎

1824年~1869年

80

木戸孝允の招聘で長州藩に出仕し適塾仕込みの洋式兵学と武器輸入で近代的軍隊を創建、浜田城制圧や上野彰義隊との戦争を指揮し維新後は徴兵制・近代的国軍建設を進めたが暴漢に襲われ横死した「日本陸軍の創始者」

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

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大村益次郎(村田蔵六)は、木戸孝允の招聘で長州藩に出仕し適塾仕込みの洋式兵学と武器輸入で近代的軍隊を創建、浜田城制圧や上野彰義隊との戦争を指揮し維新後は徴兵制・近代的国軍建設を進めたが暴漢に襲われ横死した「日本陸軍の創始者」である。大村益次郎は、庶民の出自ながら、緒方洪庵の適塾に学んで塾頭に進み幕府の講武所教授に招聘されて蘭学者の道を極め、洋式軍制改革の第一人者として長州藩・明治政府で軍政官僚のトップに立った立志伝中の偉材である。出身地は周防だが最初から長州藩士だったわけではなく、江戸で存分に実力を示してから「先生」として長州藩に招かれ藩政に参与した。長州藩に乗込んだ大村益次郎は、藩校明倫館での熱血指導に留まらず、高杉晋作が創始した奇兵隊など諸隊の現場監督に任じて洋式兵制を導入し、軍艦やミニエー銃・ゲベール銃などの新式兵器を大量購入、険悪な関係にあった正規軍と諸隊を統合再編して全軍を洋式軍隊に改造し、自ら軍隊を指揮して幕府方の浜田城を攻落し江戸に乗込んで上野彰義隊を撃滅した。西洋通の大村益次郎には、諸藩兵の廃止と鎮台兵の設置、徴兵制の導入、兵学校による職業軍人の育成、兵器工場の建設といった明確な近代的軍事国家の建設プランがあり、大村は暴漢に襲われ道半ばで斃れたが明治国家は大村の方針通りに進み後輩の山縣有朋ら長州人が陸軍を牛耳った。

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軍事で鬼才を発揮した大村益次郎だが、政治力には関心が薄い或いはセンスが乏しく過剰な薩摩嫌いは自身の活躍の場を狭めた。薩摩藩は、禁門の変で幕府に与し長州藩を追落しながら密かに薩長同盟を結び、長州藩が第二次長州征討に勝利すると強硬な討幕路線へ転換、戊辰戦争が始まると西郷隆盛は徳川家赦免へ転じ江戸総攻撃を中止した。西郷隆盛・大久保利通の抜群の政治力の為せる業だが、大村益次郎には単なる反覆変転に映り、鳥羽伏見の戦いを制した薩摩藩が長州藩へ出兵を求めると猛反対、江戸無血開城が成ると西郷隆盛が勝海舟や大久保一翁に騙されたと憤慨し、自ら無法地帯と化した江戸へ乗込むと兵員不足を理由に慎重論を説く有村俊斎(西郷の子分で横柄な態度が他藩人から憎まれた)を「君は戦を知らぬ」と侮辱し上野彰義隊の武力討伐を断行した。長州軍首領として明治政府に入った大村益次郎は、見事な近代的軍事国家のプランを持ちながら兵制論争で桐野利秋ら薩摩士族と対立し徴兵制を頓挫させられ、間もなく暴漢に襲われ落命した。暗殺犯は長州士族だが有村俊斎の差金という噂がたった。大村益次郎の遺志を継いだ山縣有朋は西郷隆盛を味方につけて徴兵制を実現したが、大村に薩摩藩と妥協する要領があれば横死せずに済んだかも知れず、フランス流国民軍を志向した愛弟子の山田顕義が軍政を継げば山縣有朋は現場の大将で終わり歪な陸軍長州閥や文民統治の排除は無かったかも知れない。

Shijitsu

1824

周防吉敷郡鋳銭司村の村医者村田孝益の嫡子に大村益次郎が出生

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1825

異国船打払令

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1838

緒方洪庵が大阪瓦町で医師開業、適々斎塾(適塾)を開く

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1840

アヘン戦争(~1842)

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1842

異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

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1842

大村益次郎が周防防府に出て梅田幽斎(シーボルトの弟子)の私塾で医学や蘭学を学ぶ

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1843

大村益次郎が豊後日田へ遊学し広瀬淡窓の私塾咸宜園に入門

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1844

大村益次郎が帰国し梅田塾に復帰

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1846

大村益次郎が大阪遊学し緒方洪庵の適塾に入門、翌年から1年間長崎へ遊学

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1848

久坂玄機(玄瑞の長兄)が緒方洪庵の適塾の塾頭となるが翌年長州藩に召還され医学所好生館の都講に就任、適塾塾頭は大村益次郎が後継

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1849

福井藩士の橋本佐内が緒方洪庵の適塾に入門

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1849

緒方洪庵が大阪古手町に除痘館を開き牛痘種痘法を開始

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1850

佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始

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1850

大村益次郎が周防へ戻り四辻村で村医を開業

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1851

佐賀藩が洋式技術導入のため精煉方を開設

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1851

大村益次郎が隣村の農家の娘琴子と結婚

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1852

大鳥圭介が緒方洪庵の適塾に入門

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1853

「からくり儀右衛門」こと田中久重が佐賀藩精煉方に着任

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1853

[ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付

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1853

徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任

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1853

海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁

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1853

老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置

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1853

大村益次郎が宇和島藩に仕官

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1854

宇和島藩士の大村益次郎が長崎へ派遣され軍艦製造の技術を学ぶ

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1854

久坂玄機が病死し弟の久坂玄瑞が家督を継ぎ医者坊主となる

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1854

ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される

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1854

ロシア艦隊が長崎に来航し通商を求める

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1855

幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学

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1855

薩摩藩が日本初の国産蒸気船を開発

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1855

薩摩藩が国産2号となる洋式軍艦昇平丸(帆船)を建造、幕府に献上

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1855

大村益次郎が宇和島に帰藩し前原巧山と共に洋式軍艦の雛形を製造

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1855

福澤諭吉が緒方洪庵の適塾に入門

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1856

アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争

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1856

水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上

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1856

大村益次郎が宇和島藩主伊達宗城の参勤に随い江戸出府

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1856

宇和島藩士の大村益次郎が藩の許しを得て江戸麹町に私塾鳩居堂を開き蘭学・洋式兵学・医学を教授

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1856

大村益次郎が宇和島藩士のまま幕府の蕃書調所に招聘され教授方手伝に任じられる

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1856

長州藩主毛利敬親の尊攘方針により周布政之助らが要路に就く

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1857

吉田松陰の門人が増えたため杉家邸内に塾舎を設置し(松陰神社内に現存)叔父の玉木文之進から「松下村塾」の塾名を承継

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1857

大村益次郎が宇和島藩士のまま最高学府の幕府講武所に招聘され教授に任じられる

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1857

福澤諭吉が最年少の22歳で適塾の塾頭となる

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1858

老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件)

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1858

井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄)

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1858

幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約)

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1858

福澤諭吉が築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で蘭学塾を開講(慶應義塾の起源)

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1858

大村益次郎が長州藩江戸藩邸に招かれ兵学書を講義、木戸孝允は大村を長州藩へスカウト

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1859

神奈川・長崎・函館開港

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1859

吉田松陰が老中間部詮勝襲撃計画を自白し江戸小塚原刑場にて斬首(享年30)、江戸に居た木戸孝允・伊藤博文らが小塚原に埋葬

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1860

清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に

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1860

幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら)

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1860

桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48)

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1860

ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去

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1860

宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進

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1860

米国から帰国した福澤諭吉が築地鉄砲洲に復帰し蘭学塾から英学塾へ方針転換

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1861

武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上京を約束

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1862

大村益次郎が幕府の要請でヘボンに英語を学ぶ

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1862

幕府が第一回遣欧使節を派遣(文久遣欧使節)しロンドン覚書に調印(随員に福澤諭吉・福地源一郎・寺島宗則・箕作秋坪ら)

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1862

坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃

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1862

和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼

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1862

武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責

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1862

生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷

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1862

京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発

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1862

武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち

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1862

緒方洪庵が江戸幕府に招聘され奥医師兼西洋医学所頭取に就任・将軍徳川家茂の侍医として法眼の地位を与えられる

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1862

会津藩主松平容保が京都守護職として入洛

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1863

伊藤博文・山尾庸三が江戸で国学者の塙次郎(保己一の子)を暗殺

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1863

京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成

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1863

長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害

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1863

長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束

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1863

緒方洪庵が江戸にて死去(享年54)

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1863

松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国

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1863

久坂玄瑞が長州に戻り入江九一・吉田稔麿・山縣有朋ら松下村塾生を糾合し光明寺党を結成

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

青蓮院宮から令旨の一件を聞いた山内容堂が土佐へ戻り吉田東洋暗殺犯の捜索と土佐勤皇党の粛清を開始

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1863

長州藩の伊藤博文・井上馨・山尾庸三・野村弥吉・遠藤謹助がイギリス留学(長州ファイブ)

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1863

長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進

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1863

大村益次郎が長州藩の政務座役・奇兵隊総管に任じられる

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1863

高杉晋作の奇兵隊が下関の前田砲台を再建し対岸の小倉藩領田の浦を占拠し砲台を建設

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1863

大村益次郎が奇兵隊など諸隊に加え選鋒隊など長州藩正規兵の軍制改革、京都へ出張

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1863

朝陽丸事件

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1863

尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される

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1863

攘夷親征計画(大和行幸)

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1863

福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止

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1863

中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変

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1863

薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1863

島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現

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1863

大村益次郎が萩に帰国し手当防御事務用掛に任じられる

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1863

山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄

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1863

中岡慎太郎が七卿落ちの情勢を探るため周防三田尻へ出向

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1863

三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開

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1863

長州藩で俗論党が盛返すが高杉晋作が奇兵隊を小郡へ転陣し山口政庁を威嚇、高杉と久坂玄瑞が政務座役に就く(高杉は奇兵隊総管を退き河上弥市・滝弥太郎に託す)

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1863

河上弥市・平野国臣らによる生野の変

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1863

長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱

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1863

長州藩尊攘派が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑

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1864

大村益次郎が藩校明倫館の兵学校教授役に任じられる

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1864

大村益次郎が鉄煩御用取調方を兼任し製鉄所建設などに従事

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1864

高杉晋作が暴発寸前の遊撃軍の制止に赴くが来島又兵衛に妨害され二度目の脱藩事件を起し上方へ出奔

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1864

高杉晋作が来島又兵衛・久坂玄瑞らの激発を抑えるべく京都で長州藩復権運動、島津久光要撃を企てる

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1864

長州藩が高杉晋作を召還し脱藩罪により野山獄へ投獄

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1864

参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折

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1864

参預会議瓦解を受けて久坂玄瑞が長州藩庁に即時出兵を進言

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1864

徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る

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1864

天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解

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1864

伊藤博文・井上馨がイギリス留学から急遽帰国、横浜でオールコック英公使より藩主宛親書を授かり長州藩で不戦工作

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1864

池田屋事件

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1864

長州藩世子毛利定広の上洛・出兵に最後まで反対した周布政之助が逼塞に処される

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1864

来島又兵衛の遊撃軍300人が上方へ発進し久坂玄瑞・真木和泉が率いる諸隊が続く

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1864

禁門の変、久坂玄瑞が京都鷹司邸にて自刃(享年25)

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任

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1864

大村益次郎が外人応接掛に補され高杉晋作の講和交渉を補佐

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1864

大村益次郎が政務座役事務掛として軍事業務に復帰

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1864

西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換

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1864

中岡慎太郎が長州藩諸隊(浪士隊)の忠勇隊総督となる

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

中岡慎太郎が五卿遷座の周旋工作、西郷隆盛ら薩摩藩士と連携

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

俗論党首領の椋梨藤太が野山獄で斬首される

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州系土佐浪士の中岡慎太郎・土方久元が上京して薩摩屋敷に滞在し薩長和解工作

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1865

薩摩系土佐浪士の坂本龍馬が長州藩で薩長和解工作

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1865

山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

中岡慎太郎が京都で西郷隆盛に薩長和解工作、田中顕助・那須盛馬・大橋慎三(元長州藩忠勇隊士)らと会盟

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1866

大村益次郎が木戸孝允の推挙により大組士100石に昇格、軍制改革を指揮する

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1866

薩長同盟

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1866

坂本龍馬が伏見寺田屋で幕吏に襲われ負傷、鹿児島へ逃れる

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1866

福澤諭吉が『西洋事情』初編刊行(1870年完成)

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

坂本龍馬がユニオン号に乗り長州藩の小倉渡海作戦に参加

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1866

高杉晋作が大島口奇襲で勝利

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1866

大村益次郎が浜田城制圧

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

山口に凱旋、海軍用掛となり、海軍頭取前原一誠を補佐する

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1866

孝明天皇崩御

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1867

孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される

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1867

徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く

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1867

中岡慎太郎が幕府の動向視察のため上京、土佐藩に藩政改革案を示し薩摩藩の西郷隆盛を紹介

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編

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1867

島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て

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1867

京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催

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1867

将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める

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1867

薩土密約

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1867

薩土同盟

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1867

中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成

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1867

西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通の薩摩首脳が長州藩に立寄り山縣有朋・品川弥二郎らに薩長同盟を確認

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1867

大村益次郎が木戸孝允らの討幕挙兵に慎重論を唱え左遷される

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1867

土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出

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1867

西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち

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1867

薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ

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1867

薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約

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1867

薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)

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1867

坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去

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1867

長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)

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1867

王政復古の大号令

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1867

長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1867

大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される

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1868

徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る

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1868

西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠

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1868

大村益次郎が長州藩世子毛利定広の出兵に随行し上京、江戸攻撃案を作成

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1868

大村益次郎が明治政府に出仕し軍防事務局判事加勢に就任、京都伏見に兵学寮を開設し諸藩献上の御親兵を訓練

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1868

明治天皇の大阪行幸、大村益次郎が御親兵を率い随従

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1868

東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発

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1868

甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される

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1868

福澤諭吉が私塾を芝新銭座(浜松町)に移転し慶應義塾と改称

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

大村益次郎が無法地帯と化した江戸の鎮定を建言し東征大総督府補佐・江戸府判事として江戸へ入る

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1868

西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置

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1868

河井継之助の長岡藩が降伏

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1868

明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る

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1868

土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮

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1868

陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

王政復古の賞典禄下賜、戊辰戦争で長州軍を指揮した大村益次郎は1500石、山田顕義・山縣有朋・前原一誠は600石を賜る

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1869

大村益次郎が軍務官副知事に就き近代的軍隊の建設を主導

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1869

大村益次郎が東京招魂社(靖国神社)建立を建言(境内の一等地に今も大村益次郎像が建つ)

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1869

版籍奉還

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1869

奇兵隊などの長州藩諸隊の廃止に伴い脱退騒動が起るが木戸孝允は武力鎮圧を断行し130余人を処刑

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1869

大村益次郎が京都河東操練所開設、児玉源太郎・寺内正毅らが入学

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1869

大村益次郎が京都三条木屋町の旅館で会食中に急進的な兵制改革に反発する元長州藩士8人に襲われ大阪にて死去(享年46)、郷里の山口市鋳銭司に葬られる

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1891

大村益次郎の功により嫡孫の大村寛人が子爵を受爵

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1896

東京靖国神社に大村益次郎の銅像が建立される

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1919

大村益次郎に追贈従二位

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Kouyuuroku

緒方洪庵

大師匠

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梅田幽斎

蘭学の先生

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シーボルト

梅田の先生

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広瀬淡窓

咸宜園の先生

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久坂玄機

適塾生・前任塾頭

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橋本左内

適塾生

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福澤諭吉

適塾生

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大鳥圭介

適塾生

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箕作秋坪

適塾生

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佐野常民

適塾生

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二宮敬作

シーボルト門人

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伊達宗城

最初に仕えた宇和島藩主

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前原巧山

宇和島藩の部下

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ヘボン

英語の先生

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佐久間象山

洋式兵学者・松陰の師匠

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江川坦庵

洋式兵学者

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中島三郎助

洋式兵学者

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毛利敬親

主君にして良き理解者

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毛利定広

敬親養嗣子の長州藩世子

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木戸孝允

盟友

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吉田松陰

松下村塾主宰

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高杉晋作

松下村塾の双璧

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久坂玄瑞

松下村塾の双璧

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吉田稔麿

松下村塾の四天王

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入江九一

松下村塾の四天王

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伊藤博文

松下村塾生・高杉舎弟

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山縣有朋

松下村塾生・徴兵制後継者

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前原一誠

松下村塾生・徴兵制反対者

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品川弥二郎

松下村塾生

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山田顕義

松下村塾生・愛弟子

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赤根武人

松下村塾生の裏切り者

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寺島忠三郎

松下村塾生

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井上馨

高杉舎弟

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周布政之助

正義派首領

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浦靱負

正義派家老

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広沢真臣

木戸舎弟

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来島又兵衛

困った過激派

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長井雅楽

正義派だが政敵

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益田弾正

正義派家老

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椋梨藤太

俗論党首領

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大楽源太郎

諸隊反乱の首謀者

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三条実美

長州系公卿

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姉小路公知

長州系公卿

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岩倉具視

薩摩系公卿の政敵

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真木和泉

困った扇動家

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平野国臣

困った扇動家

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山内容堂

武市を殺した土佐国主

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武市半平太

土佐勤皇党首領・久坂の盟友

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吉村寅太郎

土佐浪士・久坂の盟友

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坂本龍馬

薩摩系土佐浪士

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中岡慎太郎

長州系土佐浪士

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島津久光

薩摩藩国父

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西郷隆盛

死ぬまで警戒

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大久保利通

死ぬまで警戒

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小松帯刀

死ぬまで警戒

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有村俊斎

西郷舎弟・戦知らず

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桐野利秋

西郷舎弟・徴兵制反対者

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有馬新七

薩摩の過激派

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黒田清隆

西郷の使者

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西郷従道

西郷弟

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大山巌

西郷従弟

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江藤新平

薩摩嫌い仲間

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板垣退助

土佐の勇将

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後藤象二郎

土佐執政

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徳川家茂

14代将軍

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徳川慶喜

15代将軍

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松平春嶽

慶喜の傅役

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松平容保

慶喜腹心の京都守護職

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松平定敬

容保実弟の京都所司代

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近藤勇

新撰組局長

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土方歳三

新撰組鬼の副長

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勝海舟

西郷を懐柔した幕府首脳

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大久保一翁

勝の同志

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キューバ提督

講和交渉した連合国軍提督

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