23 tonegawasusumu

とねがわ すすむ

利根川 進

1939年~-年

70

分子生物学を志し京大から渡米してダルベッコ門下に連なり免疫学100年の謎「抗体の多様性」の解明で日本人初のノーベル生理学・医学賞を獲得、次なる未解明分野を求めMIT・理研で世界の脳研究をリード

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

70

利根川進は、免疫学100年の謎「抗体の多様性」を解明し日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞した分子生物学者である。祖父も父も帝大卒の機械工学者という秀才一家に育った利根川進は、日比谷高校から一浪で京大理学部へ進み、ジャコブとモノーの遺伝子発現の制御メカニズム「オペロン説」に衝撃を受け「生命を分子の言葉で語る」分子生物学を志した。1963年利根川進は京大大学院へ進んだが、渡邊格教授の推薦でUCSD留学の機会に恵まれ僅か2ヶ月で渡米、博士号を得て1969年ソーク研究所へ移りレナート・ダルベッコのもと遺伝子調節プロセスの研究を開始した。ダルベッコは1975年にノーベル賞を獲得しソーク研究所は5人の受賞者を輩出、利根川進の在籍期間は2年に満たなかったが切磋琢磨で才能を開花させ強力なダルベッコ人脈に連なった。1971年利根川進は留学ビザの期限切れで一時帰国も考えたが、ダルベッコの勧めでスイスのバーゼル免疫学研究所へ移籍、「一時避難のつもり」が飛躍の契機となった。10万個も無い遺伝子から100億種類以上の抗体ができるのは何故か…「抗体の多様性」の問題は「神のミステリー」といわれ、抗体の遺伝子情報も親から受継ぐとする「生殖細胞系列説」と体細胞の分化過程で遺伝情報に変化が起るとする「体細胞系列説」が免疫学界を二分し100年も論争が続いていた。大御所の加担で前説が優勢だったが、利根川進は無成果失職に脅えつつ粘り強く塩基配列と「ドライヤー・ベネット仮説」を検証し後説の証明に成功した。遺伝子不変の常識が抗体には該当しないことを実証した利根川進は1976年の論文で一躍スター研究者となり、1981年MIT教授に招かれ、1987年ノーベル生理学・医学賞に輝いた。ハワード・ヒューズ医学研究所招聘の栄誉にも浴したが、自身の大御所化を嫌う利根川進は次なる未解明分野を求め米国が国策に掲げる脳科学へ転身、「MIT学習・記憶研究センター長」に就任し脳研究への遺伝子組換えマウス活用に先鞭を付けた。2015年末現在、利根川進はMIT教授に「理研脳科学総合研究センター長」を兼ね日米で「記憶を分子の言葉で語る」挑戦を続けている。

Shijitsu

1939

京大卒の機械工学技師で天満織物(現シキボウ)に勤める利根川勉の次男利根川進が名古屋市にて出生、大阪市の自宅で育つ

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1939

ノモンハン事件勃発

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1939

天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告

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1939

独ソ不可侵条約調印

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1940

日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立

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1940

第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)

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1940

アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化

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1940

近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる

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1940

日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動

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1940

近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任

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1940

アメリカが日本の外交暗号解読に着手

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1941

松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印

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1941

独ソ戦開戦

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1941

第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐

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1941

関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強

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1941

南部仏領インドシナ進駐開始

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1941

アメリカが対日石油輸出全面禁止

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1941

御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意

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1941

東條英機内閣(陸軍)発足

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1941

アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定

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1941

日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発

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1941

フランクリン・ルーズベルト米国政府が膨大な予算を投じ原子爆弾開発を本格始動(当初より日本への原爆投下を予定)

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1941

戦艦大和が就役

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1941

米軍が航空機の大増産を開始

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1942

日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略

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1942

日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)

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1942

ミッドウェー海戦で日本海軍大敗

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1942

フランクリン・ルーズベルト米国政府がグローヴス准将の総指揮のもとオッペンハイマーら物理学博士を招聘し原子爆弾開発「マンハッタン計画」始動

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1943

日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退

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1943

ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏

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1943

米英中が「カイロ宣言」発表

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1944

マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる

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1944

伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化

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1944

小磯國昭内閣(陸軍)発足

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1944

ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入

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1944

村田昭が村田製作所を創業し「三菱電機伊丹製作所協力工場」として軍需品チタンコンデンサの製造開始

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1944

小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」

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1944

レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)

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1944

学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開

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1945

米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)

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1945

東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す

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1945

硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失

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1945

沖縄戦が始まる

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1945

ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告

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1945

鈴木貫太郎内閣(海軍)発足

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1945

ドイツが連合国に降伏

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1945

アメリカが原子爆弾実験に成功しトルーマン大統領が日本への投下命令

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1945

連合国がポツダム宣言発表

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1945

トルーマンが広島に原子爆弾投下

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1945

ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻

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1945

トルーマンが長崎に原子爆弾投下

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1945

日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告

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1945

玉音放送

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1945

全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)

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1945

東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる

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1945

『日米会話手帳』が発売3ヶ月で400万部の大ベストセラーに

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1945

マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始

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1945

日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧

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1945

GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始

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1945

米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定

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1945

御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す

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1945

連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)

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1945

GHQが五大改革指令

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1945

国際連合発足

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1945

雑誌の創刊・復刊ブーム

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1945

GHQが財閥解体指令

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1945

陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理

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1945

松本蒸治国務相(松本委員会)が憲法改正四原則を発表

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1945

GHQ命令により各新聞で「太平洋戦争史」連載、自虐史観が浸透

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1945

GHQが日本史・地理・修身の教育全廃を命令

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1946

天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)

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1946

GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)

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1946

アメリカ合衆国中央情報局(CIA)発足

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1946

GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪

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1946

GHQが松本委員会の憲法草案を拒否し「押付け憲法」を幣原喜重郎内閣が受諾

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1946

インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行

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1946

チャーチル元英首相が「鉄のカーテン」演説(ソ連の閉鎖性を批判し、共産主義勢力への共闘を呼掛け)

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1946

GHQ指令に基づき労働組合法公布

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1946

国際通貨基金(IMF)発足

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1946

伊豆諸島が本土復帰

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1946

新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)

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1946

GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化

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1946

極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)

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1946

井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業)

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1946

第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任

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1946

経済安定本部(安本)・物価庁設置

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1946

復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立

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1946

吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定

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1946

本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業)

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1946

吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布

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1946

吉田茂内閣が当用漢字1850字・旧かなづかい禁止の内閣告示

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1946

吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める

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1946

吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定

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1947

マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化

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1947

井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)

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1947

利根川勉(利根川進の父)が富山県大沢野町へ転勤となり一家で転居

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1947

GHQにより独占禁止法制定

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1947

GHQ作成日本国憲法施行

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1947

マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)

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1947

毛沢東の共産党軍が大反攻を開始し蒋介石の国民政府軍を圧倒、アメリカは防共のためアジア戦略変更を迫られる

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1947

石油配給公団発足に伴い出光興産が販売店指定を獲得し石油業界に復帰(出光商会を吸収合併)

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1947

山口良忠東京地裁判事が闇物資拒絶により餓死

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1947

過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行

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1947

民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)

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1947

GHQが匿退蔵物資事件捜査部(東京地検特捜部)を設置

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1947

村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功

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1948

アメリカで独立シンクタンク「ランド研究所」発足、米国学術界を牽引しノーベル賞受賞者も輩出

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1948

ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化

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1948

GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任

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1948

米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定

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1949

米軍が日本の再軍備方針を決定

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1949

ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す

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1949

GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定

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1949

北大西洋条約機構(NATO)発足

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1949

ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件

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1949

シャウプ勧告(税制改革指令)

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1949

ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化

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1949

毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる

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1949

東西ドイツ分離独立

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1949

湯川秀樹が「中間子の存在の予想」で日本人初のノーベル物理学賞受賞

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1949

蒋介石の国民政府が台湾台北に移転

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1950

ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言

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1950

中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる

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1950

学者グループが「厳正中立・全面講和」声明発表、西側との「単独講和」を進める吉田茂首相は「曲学阿世」発言で対抗

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1950

GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・NHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速

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1950

朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換

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1950

GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)

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1950

GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設

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1951

トルーマン米大統領が対立するマッカーサー連合軍最高司令官を罷免しリッジウェイ大将に交代(ウィロビー参謀第2部長も退官)

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1951

公職追放解除

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1952

利根川勉(利根川進の父)が愛媛県三瓶町へ転勤となり一家で転居

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1952

サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成

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1952

イギリスが核実験に成功(米ソに次ぐ3番目の保有国)

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1952

アメリカが世界初の水爆実験実施

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1952

本田宗一郎の本田技研工業が小型バイク「カブ」を発売し大ヒット

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1953

早川徳次の早川電機工業(シャープ)が国産初の白黒テレビ発売

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1953

テレビ放送開始

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1953

ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立

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1953

出光佐三の出光興産「日章丸二世」が英国海軍の監視をかわしイランから原油搬入、BPが積荷の所有権を主張するが東京地裁で出光興産の勝訴決定(日章丸事件)

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1953

朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る

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1953

奄美群島が本土復帰

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1953

アイゼンハワー米大統領が演説で「原子力の平和利用」を提唱

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1953

ソ連が水爆実験を開始

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1953

フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重らせん構造を発見~分子生物学の萌芽

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1954

日本漁船がビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に遭難(第五福竜丸事件)

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1954

アメリカの意を受けた中曽根康弘らが初の原子力予算案を衆議院に提出

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1954

利根川進が兄の利根川孝と共に東京の叔父宅へ預けられ大田区立雪谷中学校転入

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1954

集団就職列車はじまる(~1975)

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1954

朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道

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1954

アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)

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1954

第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任

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1954

高度経済成長はじまる(~1973)

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1955

米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力の平和利用」を喧伝

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1955

利根川進が東京都立日比谷高等学校に入学

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1955

ワルシャワ条約機構(WTO)発足

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1955

井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット

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1955

日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟

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1955

米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力平和利用博覧会」開催、来場者数37万人

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1955

アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立

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1956

原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら)

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1956

『昭和史』(岩波新書)の自虐的左翼史観を亀井勝一郎が批評し「昭和史論争」が起る

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1956

日本原子力研究所(茨城県那珂郡東海村)設立

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1956

鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言

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1956

自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成

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1956

日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される

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1956

石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任

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1957

第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)

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1957

欧州経済共同体(EEC)発足

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1957

原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議

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1957

岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言

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1957

中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)

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1957

ソ連で大規模原発事故発生(ウラル核惨事)

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1957

ソ連が初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、大陸間弾道ミサイル(ICBM)実用化により北米大陸を射程に置く

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1957

電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立

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1958

利根川進が東京都立日比谷高等学校卒業、京都大学受検に失敗

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1958

NASA(アメリカ航空宇宙局)設立

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1958

安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業)

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1958

岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる

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1958

東京タワー開業

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1958

全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱

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1959

利根川進が京都大学理学部に入学

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1959

稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業)

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1959

ソ連が世界初の月ロケット打ち上げに成功

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1959

三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北

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1959

アメリカがソ連に次いで大陸間弾道ミサイル (ICBM) の実戦配備開始

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1960

フランスが核実験に成功(米ソ英に次ぐ4番目の保有国)

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1960

日米新安保条約・地位協定発効

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1960

東芝が国産第1号のカラーテレビ発売

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1960

第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1960

石油輸出国機構 (OPEC) 設立

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1960

アメリカが世界初の原子力空母エンタープライズ完成

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1960

池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定

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1960

ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否

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1961

アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告

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1961

高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業)

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1961

ソ連軍のユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功し「地球は青かった」と発言

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1961

東ドイツが「ベルリンの壁」建設

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1961

パスツール研究所のフランソワ・ジャコブとジャック・モノーが「オペロン説」発表、京大生の利根川進が分子生物学を志す

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1961

電気洗濯機の世帯普及率が50%突破

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1962

キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避

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1962

DNA二重らせん構造の発見者フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがノーベル生理学・医学賞受賞

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1962

有名私立大学で軒並み女子学生が過半数を占め「女子学生亡国論」が話題に

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1963

日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始

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1963

日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化)

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1963

利根川進が京都大学理学部化学科から大学院のウイルス研究所へ進むが、2ヵ月後に渡邊格教授の推薦でカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)へ留学しジェイムズ・ボナーの分子生物学研究室に入る

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1963

米ソ英が部分的核実験停止条約調印

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1963

本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入

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1963

日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」)

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1963

キヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」発売、世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕

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1964

日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)

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1964

日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による)

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1964

ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向

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1964

日本が経済協力開発機構(OECD)加盟

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1964

米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化

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1964

東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通

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1964

東京オリンピック

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1964

中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)

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1964

第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足

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1964

利根川進がカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)で林多紀の研究室へ移籍

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1965

日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面

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1965

朝永振一郎が「量子電気力学分野での基礎的研究」でノーベル物理学賞受賞

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1965

電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破

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1966

政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)

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1966

『ウルトラマン』のテレビ放送開始

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1966

利根川進が最初の論文を発表

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1967

公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)

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1967

中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)

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1967

欧州共同体(EC)発足

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1967

公害対策基本法施行

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1967

東南アジア諸国連合(ASEAN)発足

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1968

全共闘運動が全国の大学に広がる

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1968

小笠原諸島が本土復帰

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1968

佐藤栄作内閣が国連に核保有国の行動規制を提言

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1968

米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印

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1968

インテル設立

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1968

利根川進がカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の林多紀研究室で博士号取得

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1968

日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる

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1969

東大安田講堂事件

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1969

利根川進がUCSDに隣接するソーク研究所へ移りレナート・ダルベッコの研究室でポストドクターとして「遺伝子が働く調節の仕組み」の研究を開始

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1969

アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功

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1969

サルバドール・エドワード・ルリア(利根川進の師レナート・ダルベッコの師匠)がノーベル生理学・医学賞を受賞

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1969

佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約

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1969

御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸

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1969

冷戦のデタント時代(~1979)

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1970

日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録

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1970

佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択

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1970

電気洗濯機の世帯普及率が90%突破

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1970

対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大

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1971

利根川進がフルブライト留学ビザの期限切れでスイスのバーゼル免疫学研究所へ移籍(2年契約)、免疫学100年の謎「抗体の多様性」に挑む

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1971

『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始

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1971

ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)

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1971

環境庁発足

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1971

ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外

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1971

ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃

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1971

安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる

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1971

アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)

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1971

ドル切下げにより1ドル360円から308円となる

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1971

電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破

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1972

沖縄返還

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1972

富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業)

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1972

田中角栄が「日本列島改造論」発表

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1972

第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足

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1972

「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる

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1972

中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成

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1972

田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒

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1972

カラーテレビの世帯普及率が50%突破

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1973

利根川進がバーゼル免疫学研究所より1年間の契約延長を獲得

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1973

日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰

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1973

鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006)

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1973

藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始

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1973

永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始

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1973

第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換

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1973

江崎玲於奈が「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」でノーベル物理学賞受賞

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1973

カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破

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1974

利根川進の「抗体の多様性」の研究成果が現れ始め、当初拒否したバーゼル免疫学研究所が2年間の契約延長を承認(最終的に永年契約となる)

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1974

高校進学率が90%を突破し大学進学率は30%を超え更に上昇

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1974

鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業

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1974

インドが核実験に成功(米ソ英仏中に次ぐ6番目の保有国)

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1974

滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)

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1974

鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令

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1974

テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始

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1974

電源三法成立で原発建設への交付金制度確立

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1975

サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結

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1975

ビル・ゲイツがマイクロソフト創業

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1975

レナート・ダルベッコ(利根川進の師匠)がノーベル生理学・医学賞を受賞(ハワード・マーティン・テミンおよびデビッド・ボルティモアと共同受賞)

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1975

第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加

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1975

カラーテレビの世帯普及率が90%突破

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1976

スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立

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1976

『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速

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1976

田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される

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1976

利根川進がコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで「抗体の多様性」研究論文を発表、以降『ネイチャー』『サイエンス』『セル』等の一流科学誌に年間数本の論文を投稿しバーゼル免疫学研究所の花形研究者となる

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1976

毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結

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1977

第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握

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1977

日本人の平均寿命が男女共に世界一となる

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1978

『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』が日本で上映されSFブーム到来

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1978

タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる

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1978

日中平和友好条約締結

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1978

鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察

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1978

第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定

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1978

「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始

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1978

乗用車の世帯普及率が50%突破

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1979

鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる

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1979

米国スリーマイル島原発事故

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1979

テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始

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1979

『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行

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1979

大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調

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1979

松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立

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1979

井深大のソニーがウォークマン(WALKMAN)を発売し世界中で革命的大ヒット

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1979

イスラエルが核実験に成功(7番目の保有国)

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1979

アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化

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1979

電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功

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1980

山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し大ヒット

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1980

イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)

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1980

ロジャー・コーンバーグ(利根川進と同じレナート・ダルベッコ門下生)がノーベル化学賞を受賞

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1980

日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一

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1981

ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換

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1981

日本が対米乗用車輸出の自主規制開始(年間168万台からスタート)

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1981

利根川進が10年在籍したバーゼル免疫学研究所からサルバドール・エドワード・ルリア(レナート・ダルベッコの師匠)のMITがん研究所へ移籍し教授就任

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1981

孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出

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1981

福井謙一とロアルド・ホフマンが「化学反応過程の理論的研究」(フロンティア軌道理論)でノーベル化学賞を共同受賞

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1981

湯川秀樹死去

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1982

東北新幹線・上越新幹線開業

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1982

第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足

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1983

世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる

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1983

レーガン米政権が戦略防衛構想(SDI)発動

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1983

山内溥の任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売し家庭用ゲーム機産業の嚆矢となる

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1983

AT&T創業

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1983

鈴木修の鈴木自動車工業(スズキ)がインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」で小型車生産開始、インド市場でシェア5割へ躍進

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1984

稲盛和夫の京セラが中心となり第二電電(DDI→KDDI)創業

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1985

ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行

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1985

中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足

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1985

中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足

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1985

アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始

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1985

山内溥の任天堂がゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』発売(2015年現在も任天堂の代表キャラに君臨)

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1985

プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる

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1985

エアコンの世帯普及率が50%突破

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1986

ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故

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1986

エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当

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1986

日米半導体協定で中曽根康弘首相が日本市場の20%分の米国製半導体輸入を容認

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1986

「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる

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1986

ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増

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1987

中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足

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1987

利根川進(MIT教授)が「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」(免疫学100年の謎「抗体の多様性」の解明)で日本人初のノーベル生理学・医学賞受賞

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1987

竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足

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1987

スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売

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1987

米ソが中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)締結

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1988

アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化

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1988

青函トンネル開業

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1988

瀬戸大橋開通

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1988

FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換

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1988

イラン・イラク戦争終結

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1988

利根川進が米国のエリート研究者支援システム「ハワード・ヒューズ医学研究所」のインベスティゲーターに選ばれる

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1989

昭和天皇が崩御し平成に改元

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1989

ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要

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1989

「マンガの神様」手塚治虫死去

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1989

竹下登政権が初の消費税導入(3%)

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1989

山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲームボーイ」発売

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1989

高度経済成長を象徴する松下幸之助が死去(享年94)

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1989

日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始

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1989

三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車

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1989

アジア太平洋経済協力(APEC)発足

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1989

「ベルリンの壁」崩壊

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1989

H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言

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1989

日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)

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1990

ドイツ再統一

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1990

山内溥の任天堂が「スーパーファミコン」を発売し世界的ゲーム産業を創出

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1990

米国議会が「脳の10年」を決議し全米の大学で脳研究推進の機運が高まる

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1990

世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り

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1991

「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に

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1991

湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる

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1991

バブル崩壊(「失われた10年」)

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1991

ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開

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1991

エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結

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1991

利根川進MIT教授が遺伝子・免疫研究から脳研究へ転進

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1991

米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭

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1991

ODAが100億ドル突破・以後高止まり

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1992

鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける

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1992

国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱

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1992

CIAの役割が経済諜報へシフトし日本が主標的となる

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1993

ビル・クリントン(民主党)が米大統領就任(~2001)~日本から中国への重点シフト・円高政策と「年次要望改革書」による対日経済攻勢

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1993

欧州連合(EU)発足

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1993

APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱

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1994

ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売

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1994

Amazon.com設立

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1994

利根川進がMITピカウア学習・記憶研究センター長に就任

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1994

ダイキン工業で17年ぶりの赤字転落に伴い山田稔(創業者山田晁の長男)が会長に退き井上礼之が社長就任、不採算部門を閉鎖しエアコン事業と海外展開に集中

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1994

アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始

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1994

赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増

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1995

GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足

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1995

阪神・淡路大震災

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1995

ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロがYahoo!設立、孫正義のソフトバンクが出資し一時筆頭株主となる

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1995

地下鉄サリン事件

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1995

円高が急進しドル円が80円割れ

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1995

オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕

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1995

Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)

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1996

ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット

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1996

台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任

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1996

「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進

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1997

鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速

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1997

消費増税(5%)

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1997

鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還

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1997

ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る

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1997

理化学研究所が脳科学総合研究センターを開設し日本の脳研究の拠点となる

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1997

政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ

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1997

京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず

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1997

携帯電話普及率が50%突破

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1997

乗用車の世帯普及率が80%突破

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1998

福井謙一死去

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1998

パキスタンが核実験に成功(8番目の保有国)

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1998

北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン」を日本に向け発射

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1998

ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立

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1998

エアコンの世帯普及率が80%突破

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1998

「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻

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1999

日銀のゼロ金利政策はじまる

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1999

新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立

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1999

東海村JCO臨界事故

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1999

ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継

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1999

中国石油天然気(ペトロチャイナ)設立

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2000

ベライゾン・コミュニケーションズ設立

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2000

白川英樹が「導電性高分子の発見と発展」でノーベル化学賞受賞

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2000

中国移動通信(チャイナモバイル)設立

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2000

産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%

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2001

ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け

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2001

第一次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足

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2001

9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明

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2001

野依良治が「キラル触媒による不斉反応の研究」でノーベル化学賞受賞

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2001

リーランド・ハートウェル(利根川進と同じレナート・ダルベッコ門下生)がノーベル生理学・医学賞を受賞

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2001

パソコンの世帯普及率が50%突破

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2001

国債発行額が300兆円突破

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2001

完全失業率が初めて5%突破

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2002

携帯電話普及率が90%突破

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2002

EU統一通貨ユーロ流通開始

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2002

ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪

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2002

小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ健康保険本人3割負担導入

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2002

小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向

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2002

小柴昌俊が「カミオカンデ」を使った「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」でノーベル物理学賞受賞

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2002

田中耕一(島津製作所従業員)が「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」でノーベル化学賞受賞

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2002

フリーターが200万人突破

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2003

イラク戦争(~2011)、フセイン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く

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2003

小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足

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2003

小泉純一郎内閣がイラク戦争に自衛隊を派遣(~2009)

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2003

国債発行額が400兆円突破

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2004

マーク・ザッカーバーグがFacebook設立

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2004

小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ司法試験制度を変更し法科大学院(ロースクール)設置

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2004

江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代

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2004

デジカメの世帯普及率が50%突破

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2005

「青色LED訴訟」東京高裁和解勧告を中村修二が「日本の司法は腐っている」と罵りつつ受諾(一審判決約200億円に対し和解金額は延滞損害金込で約8億4千万円に激減)、事件後東京高裁は知的財産高等裁判所を設置

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2005

JR福知山線脱線事故

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2005

小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化

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2005

小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編

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2005

「郵政解散」総選挙で小泉純一郎首相が「抵抗勢力」を駆逐し民主党も大敗

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2005

人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)

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2005

合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる

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2005

小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大

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2005

小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成

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2006

公共サービス改革法(市場化テスト法)成立で「小泉構造改革」総仕上げ、宮内義彦議長の総合規制改革会議が法定の議事録を残していない不祥事が発覚

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2006

北朝鮮の核実験成功宣言で(真偽不明)東アジア情勢が緊迫化

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2006

利根川進が内部告発の責を負いMITピカウア学習・記憶研究センター長を辞任(MIT教授は継続)

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2007

サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入

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2007

アップルが「iPhone」発売

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2008

リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ

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2008

小林誠・益川敏英が「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見」でノーベル物理学賞共同受賞

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2008

南部陽一郎(米国籍)が「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見」でノーベル物理賞受賞

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2008

下村脩が「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」でノーベル化学賞受賞

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2009

バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任

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2009

大学進学率が50%突破

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2009

利根川進MIT教授が理研脳科学総合研究センター長を併任

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2009

裁判員制度はじまる

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2009

総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得

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2009

鳩山由紀夫内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足

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2009

鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止

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2009

民主党政権が行政刷新会議で目玉政策「事業仕分け」をはじめるが官僚の抵抗でパフォーマンスに終始(のちノーベル賞を受賞する山中伸弥京大教授も大幅予算カット)

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2010

日経新聞報道でゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し小泉純一郎政権の郵政民営化の真意に疑問符

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2010

鈴木章・根岸英一が「クロスカップリングの開発」でノーベル化学賞共同受賞

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2010

中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落

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2011

菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明

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2011

菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ

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2011

井上礼之のダイキン工業が米国キャリア社を抜きエアコン売上高世界一を達成

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2011

東日本大震災および福島第一原子力発電所事故

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2011

民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新

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2011

米軍の完全撤収によりオバマ米大統領がイラク戦争終結を宣言

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2012

レナート・ダルベッコ(利根川進の師匠でノーベル生理学・医学賞の先達)が死去

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2012

沖縄科学技術大学院大学が開校し利根川進が理事就任

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2012

東京スカイツリーが開業

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2012

胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜

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2012

山中伸弥が「様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製」で初期化研究の先駆者ジョン・ガードンと共にノーベル生理学・医学賞受賞

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2012

スマートフォン普及率が50%突破

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2013

アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展

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2013

スノーデン元CIA職員の告発によりアメリカの全世界的通信傍受が発覚

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2013

65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)

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2014

小保方晴子の「STAP論文」の不正が発覚し理研は論文を撤回、理研発生・再生科学総合研究センター長の笹井芳樹が自殺

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2014

消費増税(8%)

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2014

赤崎勇・天野浩・中村修二が「青色発光ダイオード(LED)開発」でノーベル物理学賞共同受賞(中村修二UCSB教授は米国籍)

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2015

梶田隆章(小柴昌俊の門下生)が「スーパーカミオカンデ」を使った「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞受賞

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2015

大村智が「微生物による感染症治療法の発見」でノーベル物理学賞受賞

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Kouyuuroku

レナート・ダルベッコ

ソーク研究所の大師匠・ノーベル賞受賞者

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サルバドール・ルリア

ダルベッコの師匠でMIT招聘の恩人・ノーベル賞受賞者

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デビッド・ボルティモア

ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者

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ハワード・テミン

ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者

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ポール・バーグ

ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者

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リーランド・ハートウェル

ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者

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ジェームズ・ワトソン

DNA二十らせん構造の発見者、コールド・スプリング・ハーバー研究所所長

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デイビット・ボナー

UCSD教授

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林多紀

UCSD教授

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ニールス・ヤーネ

バーゼル免疫学研究所所長

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チャールズ・スタインバーグ

バーゼル免疫学研究所の親友

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クリスチーヌ・ブラック

研究協力者

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ウォルター・ギルバート・ハーバード

研究協力者

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バーバラ・マクリントック

研究協力者

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山田広美

分子生物学に導いてくれた京大先輩

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岡田節人

京大教授

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田中正三

京大の指導教官

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渡邊格

京大ウイルス研究所の恩師で米国留学の恩人

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由良隆

京大ウイルス研究所の恩師で米国留学の恩人

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穂積信道

研究協力者

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黒沢良和

研究協力者

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フランソワ・ジャコブ

衝撃を受けたオペロン説論者

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ジャック・モノー

衝撃を受けたオペロン説論者

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アラン・ウィリアムソン

「多様性の発現」研究のライバル

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フィリップ・リーダー

「多様性の発現」研究のライバル

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フランシス・クリック

DNA二十らせん構造の発見者

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野依良治

ノーベル化学賞受賞の理研理事長

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伊藤正男

理研脳センター長の前任者

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山中伸弥

ノーベル生理学・医学賞の後進

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北里柴三郎

偉大な先達

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福井謙一

ノーベル化学賞受賞者

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白川英樹

ノーベル化学賞受賞者

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田中耕一

ノーベル化学賞受賞者

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下村脩

ノーベル化学賞受賞者

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鈴木章

ノーベル化学賞受賞者

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根岸英一

ノーベル化学賞受賞者

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湯川秀樹

ノーベル物理学賞受賞者

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朝永振一郎

ノーベル物理学賞受賞者

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江崎玲於奈

ノーベル物理学賞受賞者

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小柴昌俊

ノーベル物理学賞受賞者

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小林誠

ノーベル物理学賞受賞者

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益川敏英

ノーベル物理学賞受賞者

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天野浩

ノーベル物理学賞受賞者

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赤崎勇

ノーベル物理学賞受賞者

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南部陽一郎

ノーベル物理学賞受賞者

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中村修二

ノーベル物理学賞受賞者

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尾身幸次

沖縄科学技術大学院大学の旗振り役

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