
とねがわ すすむ
利根川 進
1939年~-年
70
点
分子生物学を志し京大から渡米してダルベッコ門下に連なり免疫学100年の謎「抗体の多様性」の解明で日本人初のノーベル生理学・医学賞を獲得、次なる未解明分野を求めMIT・理研で世界の脳研究をリード
同じ時代の人物

基礎点
70
点
利根川進は、免疫学100年の謎「抗体の多様性」を解明し日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞した分子生物学者である。祖父も父も帝大卒の機械工学者という秀才一家に育った利根川進は、日比谷高校から一浪で京大理学部へ進み、ジャコブとモノーの遺伝子発現の制御メカニズム「オペロン説」に衝撃を受け「生命を分子の言葉で語る」分子生物学を志した。1963年利根川進は京大大学院へ進んだが、渡邊格教授の推薦でUCSD留学の機会に恵まれ僅か2ヶ月で渡米、博士号を得て1969年ソーク研究所へ移りレナート・ダルベッコのもと遺伝子調節プロセスの研究を開始した。ダルベッコは1975年にノーベル賞を獲得しソーク研究所は5人の受賞者を輩出、利根川進の在籍期間は2年に満たなかったが切磋琢磨で才能を開花させ強力なダルベッコ人脈に連なった。1971年利根川進は留学ビザの期限切れで一時帰国も考えたが、ダルベッコの勧めでスイスのバーゼル免疫学研究所へ移籍、「一時避難のつもり」が飛躍の契機となった。10万個も無い遺伝子から100億種類以上の抗体ができるのは何故か…「抗体の多様性」の問題は「神のミステリー」といわれ、抗体の遺伝子情報も親から受継ぐとする「生殖細胞系列説」と体細胞の分化過程で遺伝情報に変化が起るとする「体細胞系列説」が免疫学界を二分し100年も論争が続いていた。大御所の加担で前説が優勢だったが、利根川進は無成果失職に脅えつつ粘り強く塩基配列と「ドライヤー・ベネット仮説」を検証し後説の証明に成功した。遺伝子不変の常識が抗体には該当しないことを実証した利根川進は1976年の論文で一躍スター研究者となり、1981年MIT教授に招かれ、1987年ノーベル生理学・医学賞に輝いた。ハワード・ヒューズ医学研究所招聘の栄誉にも浴したが、自身の大御所化を嫌う利根川進は次なる未解明分野を求め米国が国策に掲げる脳科学へ転身、「MIT学習・記憶研究センター長」に就任し脳研究への遺伝子組換えマウス活用に先鞭を付けた。2015年末現在、利根川進はMIT教授に「理研脳科学総合研究センター長」を兼ね日米で「記憶を分子の言葉で語る」挑戦を続けている。

1939
年
京大卒の機械工学技師で天満織物(現シキボウ)に勤める利根川勉の次男利根川進が名古屋市にて出生、大阪市の自宅で育つ
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1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1944
年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1944
年
学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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1945
年
全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
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1945
年
『日米会話手帳』が発売3ヶ月で400万部の大ベストセラーに
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1945
年
国際連合発足
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1945
年
雑誌の創刊・復刊ブーム
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1945
年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945
年
GHQ命令により各新聞で「太平洋戦争史」連載、自虐史観が浸透
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1945
年
GHQが日本史・地理・修身の教育全廃を命令
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1946
年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946
年
アメリカ合衆国中央情報局(CIA)発足
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1946
年
GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪
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1946
年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946
年
チャーチル元英首相が「鉄のカーテン」演説(ソ連の閉鎖性を批判し、共産主義勢力への共闘を呼掛け)
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1946
年
国際通貨基金(IMF)発足
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1946
年
伊豆諸島が本土復帰
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1946
年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946
年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946
年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946
年
吉田茂内閣が当用漢字1850字・旧かなづかい禁止の内閣告示
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1946
年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947
年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947
年
利根川勉(利根川進の父)が富山県大沢野町へ転勤となり一家で転居
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1947
年
GHQにより独占禁止法制定
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1947
年
マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)
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1947
年
山口良忠東京地裁判事が闇物資拒絶により餓死
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1947
年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1947
年
GHQが匿退蔵物資事件捜査部(東京地検特捜部)を設置
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1948
年
アメリカで独立シンクタンク「ランド研究所」発足、米国学術界を牽引しノーベル賞受賞者も輩出
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1948
年
ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化
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1949
年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949
年
北大西洋条約機構(NATO)発足
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1949
年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949
年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949
年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949
年
毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
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1949
年
東西ドイツ分離独立
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1949
年
蒋介石の国民政府が台湾台北に移転
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1950
年
中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
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1950
年
学者グループが「厳正中立・全面講和」声明発表、西側との「単独講和」を進める吉田茂首相は「曲学阿世」発言で対抗
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1950
年
GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・NHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
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1950
年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1952
年
利根川勉(利根川進の父)が愛媛県三瓶町へ転勤となり一家で転居
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1952
年
イギリスが核実験に成功(米ソに次ぐ3番目の保有国)
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1952
年
アメリカが世界初の水爆実験実施
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1953
年
テレビ放送開始
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1953
年
ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立
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1953
年
奄美群島が本土復帰
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1953
年
ソ連が水爆実験を開始
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1953
年
フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重らせん構造を発見~分子生物学の萌芽
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1954
年
日本漁船がビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に遭難(第五福竜丸事件)
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1954
年
利根川進が兄の利根川孝と共に東京の叔父宅へ預けられ大田区立雪谷中学校転入
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1954
年
集団就職列車はじまる(~1975)
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1954
年
朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
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1954
年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1955
年
利根川進が東京都立日比谷高等学校に入学
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1955
年
ワルシャワ条約機構(WTO)発足
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1956
年
『昭和史』(岩波新書)の自虐的左翼史観を亀井勝一郎が批評し「昭和史論争」が起る
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1957
年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1957
年
ソ連で大規模原発事故発生(ウラル核惨事)
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1957
年
ソ連が初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、大陸間弾道ミサイル(ICBM)実用化により北米大陸を射程に置く
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1958
年
利根川進が東京都立日比谷高等学校卒業、京都大学受検に失敗
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1958
年
NASA(アメリカ航空宇宙局)設立
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1958
年
岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる
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1958
年
東京タワー開業
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1959
年
利根川進が京都大学理学部に入学
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1959
年
ソ連が世界初の月ロケット打ち上げに成功
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1959
年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1959
年
アメリカがソ連に次いで大陸間弾道ミサイル (ICBM) の実戦配備開始
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1960
年
フランスが核実験に成功(米ソ英に次ぐ4番目の保有国)
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1960
年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960
年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960
年
アメリカが世界初の原子力空母エンタープライズ完成
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1960
年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961
年
ソ連軍のユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功し「地球は青かった」と発言
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1961
年
東ドイツが「ベルリンの壁」建設
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1961
年
パスツール研究所のフランソワ・ジャコブとジャック・モノーが「オペロン説」発表、京大生の利根川進が分子生物学を志す
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1961
年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962
年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1962
年
DNA二重らせん構造の発見者フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがノーベル生理学・医学賞受賞
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1962
年
有名私立大学で軒並み女子学生が過半数を占め「女子学生亡国論」が話題に
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1963
年
利根川進が京都大学理学部化学科から大学院のウイルス研究所へ進むが、2ヵ月後に渡邊格教授の推薦でカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)へ留学しジェイムズ・ボナーの分子生物学研究室に入る
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1963
年
米ソ英が部分的核実験停止条約調印
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1964
年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964
年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964
年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964
年
東京オリンピック
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1964
年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1964
年
第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
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1964
年
利根川進がカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)で林多紀の研究室へ移籍
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1965
年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965
年
朝永振一郎が「量子電気力学分野での基礎的研究」でノーベル物理学賞受賞
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1965
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966
年
政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)
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1966
年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1966
年
利根川進が最初の論文を発表
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1967
年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967
年
中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
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1967
年
欧州共同体(EC)発足
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1967
年
公害対策基本法施行
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1967
年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1968
年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968
年
小笠原諸島が本土復帰
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1968
年
米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印
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1968
年
インテル設立
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1968
年
利根川進がカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の林多紀研究室で博士号取得
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1968
年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969
年
東大安田講堂事件
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1969
年
利根川進がUCSDに隣接するソーク研究所へ移りレナート・ダルベッコの研究室でポストドクターとして「遺伝子が働く調節の仕組み」の研究を開始
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1969
年
アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功
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1969
年
サルバドール・エドワード・ルリア(利根川進の師レナート・ダルベッコの師匠)がノーベル生理学・医学賞を受賞
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1969
年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970
年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970
年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970
年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1971
年
利根川進がフルブライト留学ビザの期限切れでスイスのバーゼル免疫学研究所へ移籍(2年契約)、免疫学100年の謎「抗体の多様性」に挑む
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1971
年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971
年
ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)
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1971
年
環境庁発足
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1971
年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972
年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972
年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972
年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973
年
利根川進がバーゼル免疫学研究所より1年間の契約延長を獲得
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1973
年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973
年
江崎玲於奈が「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」でノーベル物理学賞受賞
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1973
年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1974
年
利根川進の「抗体の多様性」の研究成果が現れ始め、当初拒否したバーゼル免疫学研究所が2年間の契約延長を承認(最終的に永年契約となる)
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1974
年
高校進学率が90%を突破し大学進学率は30%を超え更に上昇
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1974
年
インドが核実験に成功(米ソ英仏中に次ぐ6番目の保有国)
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1974
年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974
年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974
年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975
年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975
年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975
年
レナート・ダルベッコ(利根川進の師匠)がノーベル生理学・医学賞を受賞(ハワード・マーティン・テミンおよびデビッド・ボルティモアと共同受賞)
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1975
年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975
年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1976
年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976
年
『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
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1976
年
利根川進がコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで「抗体の多様性」研究論文を発表、以降『ネイチャー』『サイエンス』『セル』等の一流科学誌に年間数本の論文を投稿しバーゼル免疫学研究所の花形研究者となる
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1976
年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1977
年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977
年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978
年
『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』が日本で上映されSFブーム到来
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1978
年
タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる
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1978
年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978
年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978
年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978
年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979
年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979
年
米国スリーマイル島原発事故
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1979
年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979
年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979
年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979
年
イスラエルが核実験に成功(7番目の保有国)
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1979
年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979
年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1980
年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980
年
ロジャー・コーンバーグ(利根川進と同じレナート・ダルベッコ門下生)がノーベル化学賞を受賞
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1980
年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1981
年
利根川進が10年在籍したバーゼル免疫学研究所からサルバドール・エドワード・ルリア(レナート・ダルベッコの師匠)のMITがん研究所へ移籍し教授就任
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1981
年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1981
年
湯川秀樹死去
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1982
年
東北新幹線・上越新幹線開業
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1983
年
世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
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1983
年
レーガン米政権が戦略防衛構想(SDI)発動
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1983
年
AT&T創業
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1985
年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985
年
エアコンの世帯普及率が50%突破
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1986
年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986
年
エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
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1986
年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987
年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987
年
スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
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1987
年
米ソが中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)締結
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1988
年
青函トンネル開業
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1988
年
瀬戸大橋開通
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1988
年
イラン・イラク戦争終結
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1988
年
利根川進が米国のエリート研究者支援システム「ハワード・ヒューズ医学研究所」のインベスティゲーターに選ばれる
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1989
年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989
年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989
年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989
年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989
年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989
年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990
年
ドイツ再統一
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1990
年
米国議会が「脳の10年」を決議し全米の大学で脳研究推進の機運が高まる
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1990
年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1991
年
ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
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1991
年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991
年
利根川進MIT教授が遺伝子・免疫研究から脳研究へ転進
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1991
年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991
年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992
年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992
年
国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱
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1993
年
欧州連合(EU)発足
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1993
年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1994
年
ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売
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1994
年
Amazon.com設立
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1994
年
利根川進がMITピカウア学習・記憶研究センター長に就任
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1994
年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994
年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995
年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995
年
阪神・淡路大震災
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1995
年
地下鉄サリン事件
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1995
年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995
年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1995
年
Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)
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1996
年
ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット
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1996
年
台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任
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1996
年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1997
年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997
年
消費増税(5%)
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1997
年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997
年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997
年
理化学研究所が脳科学総合研究センターを開設し日本の脳研究の拠点となる
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1997
年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1997
年
京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず
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1997
年
携帯電話普及率が50%突破
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1997
年
乗用車の世帯普及率が80%突破
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1998
年
パキスタンが核実験に成功(8番目の保有国)
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1998
年
北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン」を日本に向け発射
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1998
年
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立
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1998
年
エアコンの世帯普及率が80%突破
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1998
年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999
年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999
年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999
年
東海村JCO臨界事故
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1999
年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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1999
年
中国石油天然気(ペトロチャイナ)設立
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2000
年
ベライゾン・コミュニケーションズ設立
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2000
年
白川英樹が「導電性高分子の発見と発展」でノーベル化学賞受賞
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2000
年
中国移動通信(チャイナモバイル)設立
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2000
年
産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%
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2001
年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001
年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001
年
野依良治が「キラル触媒による不斉反応の研究」でノーベル化学賞受賞
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2001
年
リーランド・ハートウェル(利根川進と同じレナート・ダルベッコ門下生)がノーベル生理学・医学賞を受賞
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2001
年
パソコンの世帯普及率が50%突破
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2001
年
国債発行額が300兆円突破
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2001
年
完全失業率が初めて5%突破
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2002
年
携帯電話普及率が90%突破
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2002
年
EU統一通貨ユーロ流通開始
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2002
年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ健康保険本人3割負担導入
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2002
年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2002
年
小柴昌俊が「カミオカンデ」を使った「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」でノーベル物理学賞受賞
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2002
年
田中耕一(島津製作所従業員)が「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」でノーベル化学賞受賞
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2002
年
フリーターが200万人突破
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2003
年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003
年
国債発行額が400兆円突破
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2004
年
マーク・ザッカーバーグがFacebook設立
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2004
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ司法試験制度を変更し法科大学院(ロースクール)設置
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2004
年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2004
年
デジカメの世帯普及率が50%突破
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2005
年
「青色LED訴訟」東京高裁和解勧告を中村修二が「日本の司法は腐っている」と罵りつつ受諾(一審判決約200億円に対し和解金額は延滞損害金込で約8億4千万円に激減)、事件後東京高裁は知的財産高等裁判所を設置
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2005
年
JR福知山線脱線事故
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005
年
「郵政解散」総選挙で小泉純一郎首相が「抵抗勢力」を駆逐し民主党も大敗
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2005
年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005
年
合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
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2005
年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005
年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2006
年
北朝鮮の核実験成功宣言で(真偽不明)東アジア情勢が緊迫化
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2006
年
利根川進が内部告発の責を負いMITピカウア学習・記憶研究センター長を辞任(MIT教授は継続)
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2007
年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007
年
アップルが「iPhone」発売
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2008
年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008
年
小林誠・益川敏英が「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見」でノーベル物理学賞共同受賞
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2008
年
南部陽一郎(米国籍)が「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見」でノーベル物理賞受賞
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2008
年
下村脩が「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」でノーベル化学賞受賞
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2009
年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009
年
大学進学率が50%突破
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2009
年
利根川進MIT教授が理研脳科学総合研究センター長を併任
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2009
年
裁判員制度はじまる
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2009
年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009
年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2009
年
民主党政権が行政刷新会議で目玉政策「事業仕分け」をはじめるが官僚の抵抗でパフォーマンスに終始(のちノーベル賞を受賞する山中伸弥京大教授も大幅予算カット)
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2010
年
鈴木章・根岸英一が「クロスカップリングの開発」でノーベル化学賞共同受賞
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2010
年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011
年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011
年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011
年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011
年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2012
年
レナート・ダルベッコ(利根川進の師匠でノーベル生理学・医学賞の先達)が死去
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2012
年
沖縄科学技術大学院大学が開校し利根川進が理事就任
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2012
年
東京スカイツリーが開業
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2012
年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012
年
スマートフォン普及率が50%突破
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2013
年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013
年
スノーデン元CIA職員の告発によりアメリカの全世界的通信傍受が発覚
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2013
年
65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)
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2014
年
小保方晴子の「STAP論文」の不正が発覚し理研は論文を撤回、理研発生・再生科学総合研究センター長の笹井芳樹が自殺
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2014
年
消費増税(8%)
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2015
年
梶田隆章(小柴昌俊の門下生)が「スーパーカミオカンデ」を使った「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞受賞
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2015
年
大村智が「微生物による感染症治療法の発見」でノーベル物理学賞受賞
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レナート・ダルベッコ
ソーク研究所の大師匠・ノーベル賞受賞者
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サルバドール・ルリア
ダルベッコの師匠でMIT招聘の恩人・ノーベル賞受賞者
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デビッド・ボルティモア
ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者
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ハワード・テミン
ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者
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ポール・バーグ
ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者
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リーランド・ハートウェル
ダルベッコ同門のノーベル賞受賞者
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ジェームズ・ワトソン
DNA二十らせん構造の発見者、コールド・スプリング・ハーバー研究所所長
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デイビット・ボナー
UCSD教授
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林多紀
UCSD教授
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ニールス・ヤーネ
バーゼル免疫学研究所所長
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チャールズ・スタインバーグ
バーゼル免疫学研究所の親友
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クリスチーヌ・ブラック
研究協力者
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ウォルター・ギルバート・ハーバード
研究協力者
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バーバラ・マクリントック
研究協力者
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山田広美
分子生物学に導いてくれた京大先輩
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岡田節人
京大教授
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田中正三
京大の指導教官
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渡邊格
京大ウイルス研究所の恩師で米国留学の恩人
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由良隆
京大ウイルス研究所の恩師で米国留学の恩人
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穂積信道
研究協力者
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黒沢良和
研究協力者
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フランソワ・ジャコブ
衝撃を受けたオペロン説論者
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ジャック・モノー
衝撃を受けたオペロン説論者
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アラン・ウィリアムソン
「多様性の発現」研究のライバル
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フィリップ・リーダー
「多様性の発現」研究のライバル
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フランシス・クリック
DNA二十らせん構造の発見者
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野依良治
ノーベル化学賞受賞の理研理事長
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伊藤正男
理研脳センター長の前任者
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山中伸弥
ノーベル生理学・医学賞の後進
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北里柴三郎
偉大な先達
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福井謙一
ノーベル化学賞受賞者
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白川英樹
ノーベル化学賞受賞者
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田中耕一
ノーベル化学賞受賞者
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下村脩
ノーベル化学賞受賞者
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鈴木章
ノーベル化学賞受賞者
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根岸英一
ノーベル化学賞受賞者
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湯川秀樹
ノーベル物理学賞受賞者
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朝永振一郎
ノーベル物理学賞受賞者
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江崎玲於奈
ノーベル物理学賞受賞者
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小柴昌俊
ノーベル物理学賞受賞者
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小林誠
ノーベル物理学賞受賞者
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益川敏英
ノーベル物理学賞受賞者
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天野浩
ノーベル物理学賞受賞者
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赤崎勇
ノーベル物理学賞受賞者
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南部陽一郎
ノーベル物理学賞受賞者
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中村修二
ノーベル物理学賞受賞者
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尾身幸次
沖縄科学技術大学院大学の旗振り役
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