
きど たかよし
木戸 孝允
1833年~1877年
100
点
吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作の遺志を継ぎ薩長同盟して討幕を仕上げた長州藩首領にして「維新の三傑」、明治維新後3年で最難関の廃藩置県を成遂げ憲法制定を志したが大久保利通と対立し西南戦争の渦中に病没
同じ時代の人物

基礎点
110
点
木戸孝允は、吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作の遺志を継ぎ長州藩の指導者として討幕を果した「維新の三傑」である。明治維新後は新政府首脳として保守貴族の岩倉具視や妥協論へ傾きがちな大久保利通と対立しつつリベラル路線を貫き、最大の難関であった版籍奉還・廃藩置県を早期に実現する原動力となり、四民平等・学制制定で国民皆学の平等社会を実現、晩年は三権分立の立憲政体樹立を目指した。先を見通す識見に現実感覚と行動力を兼備えた優秀な政治家であり、同時代人の多くが木戸孝允の卓見を賞賛している。
-10
点
「逃げの小五郎」と渾名された木戸孝允は、逃げるとときは逃げる潔さで池田屋事件・禁門の変を生延びたが、粘り強さに欠け衝突すると放り出す傾向があり(高杉晋作はもっとひどいが)、維新期には窮地に陥った長州藩へ戻らず高杉晋作の孤軍奮闘を座視し、明治政府では大久保利通の粘り腰に敗れヘソを曲げて下野した。また、木戸孝允は若い頃から僻みっぽい偏屈な性格で、高杉晋作は「艱難は共にできるが富貴は共にできない」という意味深な言葉を置いて奪回した政権を木戸へ譲り渡した。禁門の変の恨みを忘れ難い木戸孝允は、西郷隆盛が下関交渉を反故にした件に固執して薩長同盟のための上洛を逡巡し、晩年は更に嫌味が増して長州人からも敬遠された。王政復古の賞典禄は長州の木戸孝允と薩摩の大久保利通が決めたとされるが、高杉晋作のクーデターを支えた功労者の伊藤博文や井上馨を選ばず、木戸に近いだけの広沢真臣(舎弟)や桂太郎(同族)を選ぶという不可解な論功行賞を行った。木戸孝允は武士身分ではない伊藤博文を世に出すため自分の家臣としたが、伊藤は「いつまでも家臣扱いか」と憤り大久保利通へ鞍替え、リーダーとしての人望に難のある木戸は政治的後継者を残すことができなかった。

1833
年
長州藩の藩医和田昌景の嫡子和田小五郎(→桂小五郎→木戸孝允)が萩城下にて出生
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1836
年
毛利斉熙と11代長州藩主毛利斉元が相次いで死去、毛利斉広(斉熙の庶子)が12代藩主を承継
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1837
年
12代長州藩主毛利斉広の急死に伴い毛利敬親(11代藩主毛利斉元の嫡子)が13代藩主を承継
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1838
年
村田清風が長州藩庁の実権を握り藩政改革を断行
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1840
年
木戸孝允が中級藩士桂九郎兵衛孝古に入嗣し家督を継ぐ
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1846
年
木戸孝允が内藤作兵衛に入門し柳生新陰流を修行
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1849
年
木戸孝允が藩校明倫館に就学、兵学教授の吉田松陰に師事
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1851
年
吉田松陰が東北旅行へ出奔、手続き不備のため脱藩の罪を得る
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1852
年
江戸桜田藩邸に戻った吉田松陰が萩へ召還され脱藩罪により士籍・家禄剥奪のうえ杉百合之助の「育み」とされる
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1853
年
木戸孝允が免許皆伝を受け練兵館塾頭となる
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1853
年
長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が10年間の諸国遊学を許され江戸へ出立
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1855
年
長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が病気保養の名目で野山獄を出され実家の杉家で閉門蟄居
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1855
年
木戸孝允が一時帰国し長州藩庁に海外渡航を願出るが却下される
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1858
年
木戸孝允が長州藩に出仕し大検使となり江戸番手を命じられる
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1858
年
大村益次郎が長州藩江戸藩邸に招かれ兵学書を講義、木戸孝允は大村を長州藩へスカウト
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1858
年
吉田松陰が長州藩庁に度々上書し藩政改革を提言、若手藩士の遊学や軍制改革の諸献策が容れられ松下村塾が活気付く(松陰の後押しで多くの塾生が遊学を許される)
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1858
年
吉田松陰盟友の梅田雲浜が幕府に逮捕され翌年獄死(拷問死とも)
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1858
年
木戸孝允が一時帰国、野山獄の吉田松蔭を訪ねる
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
木戸孝允が江戸へ戻る
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1859
年
伊藤博文が来原良蔵の斡旋で木戸孝允の雇人となり江戸へ出向
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1859
年
吉田松陰が幕命で江戸に召喚され評定所の尋問を受ける
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
木戸孝允が藩命により江戸から京都へ移り真木和泉・久坂玄瑞らと破約攘夷運動を展開
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1863
年
高杉晋作の奇兵隊が下関の前田砲台を再建し対岸の小倉藩領田の浦を占拠し砲台を建設
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1863
年
長州藩で俗論党が盛返すが高杉晋作が奇兵隊を小郡へ転陣し山口政庁を威嚇、高杉と久坂玄瑞が政務座役に就く(高杉は奇兵隊総管を退き河上弥市・滝弥太郎に託す)
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1863
年
長州藩尊攘派が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑
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1864
年
高杉晋作が暴発寸前の遊撃軍の制止に赴くが来島又兵衛に妨害され二度目の脱藩事件を起し上方へ出奔
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1864
年
高杉晋作が来島又兵衛・久坂玄瑞らの激発を抑えるべく京都で長州藩復権運動、島津久光要撃を企てる
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1864
年
長州藩が高杉晋作を召還し脱藩罪により野山獄へ投獄
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1864
年
長州藩世子毛利定広の上洛・出兵に最後まで反対した周布政之助が逼塞に処される
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1864
年
来島又兵衛の遊撃軍300人が上方へ発進し久坂玄瑞・真木和泉が率いる諸隊が続く
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1864
年
長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任
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1865
年
中岡慎太郎が京都で西郷隆盛に薩長和解工作、田中顕助・那須盛馬・大橋慎三(元長州藩忠勇隊士)らと会盟
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
木戸孝允が長州藩の軍政総掛・国政方に任じられる
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
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1868
年
西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869
年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1869
年
大村益次郎が京都三条木屋町の旅館で会食中に急進的な兵制改革に反発する元長州藩士8人に襲われ大阪にて死去(享年46)、郷里の山口市鋳銭司に葬られる
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1871
年
西郷隆盛が明治政府に出仕し木戸孝允と共に参議(最高実力者)となる
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1873
年
岩倉使節団が帰国
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1873
年
木戸孝允が憲法制定の意見書を提出
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1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1874
年
参議の木戸孝允が兼文部卿・宮内省統括職を歴任
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1875
年
木戸孝允の持病の頭痛が悪化し左足が麻痺し半身不随となる
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1876
年
廃刀令布告
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1876
年
岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1884
年
木戸孝允の功により養嗣子の木戸正二郎が侯爵を受爵
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1886
年
木戸孝允が山口市糸米の木戸神社に祀られる
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1901
年
木戸孝允に追贈従一位
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木戸幸一
不肖の子孫
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毛利敬親
主君にして良き理解者
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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内藤作兵衛
剣術の師
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斎藤弥九郎
剣術の師
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江川坦庵
西洋兵学の先生
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中島三郎助
西洋兵学の先生
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吉田松陰
大師匠
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高杉晋作
松下村塾の双璧
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久坂玄瑞
松下村塾の双璧
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吉田稔麿
松下村塾の四天王
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入江九一
松下村塾の四天王
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伊藤博文
松下村塾生で家臣・高杉舎弟から大久保舎弟に
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山縣有朋
松下村塾生
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前原一誠
松下村塾生・萩の乱首謀者
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品川弥二郎
松下村塾生
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山田顕義
松下村塾生
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赤根武人
松下村塾生の裏切り者
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寺島忠三郎
松下村塾生
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来原良蔵
同志・長男と次男を養子に
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井上馨
高杉舎弟
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山尾庸三
同志・幸一の外祖父
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桂太郎
庇護した同族
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児玉源太郎
幸一舅
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周布政之助
正義派首領
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大村益次郎
木戸舎弟
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広沢真臣
木戸舎弟
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来島又兵衛
困った過激派
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長井雅楽
正義派だが政敵
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浦靱負
正義派家老
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益田弾正
正義派家老
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椋梨藤太
俗論党首領
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大楽源太郎
諸隊反乱の首謀者
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宮部鼎蔵
松蔭の親友
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佐久間象山
松陰の師匠
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梅田雲浜
貧乏同志
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横井小楠
春嶽のブレーン
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
薩摩系公卿の政敵
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真木和泉
困った扇動家
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平野国臣
困った扇動家
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山内容堂
武市を殺した土佐国主
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武市半平太
土佐勤皇党首領・久坂の盟友
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吉村寅太郎
土佐浪士・久坂の盟友
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坂本龍馬
薩摩系土佐浪士
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中岡慎太郎
長州系土佐浪士
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島津久光
薩摩藩国父
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西郷隆盛
薩長同盟のパートナー
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大久保利通
薩長同盟のパートナー
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小松帯刀
薩長同盟のパートナー
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有馬新七
薩摩の過激派
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黒田清隆
西郷の使者
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井伊直弼
松蔭の仇
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徳川家茂
上洛させた将軍
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徳川慶喜
禁門の変の戦争相手
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松平容保
禁門の変の戦争相手
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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松平春嶽
慶喜の傅役
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勝海舟
西郷を懐柔した幕府首脳
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大久保一翁
勝の同志
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大隈重信
大久保舎弟
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大木喬任
大久保舎弟
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後藤象二郎
征韓派
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江藤新平
征韓派
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板垣退助
征韓派
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副島種臣
征韓派
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西郷従道
西郷弟
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大山巌
西郷従弟
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