

基礎点
80
点
湯川秀樹は敗戦国日本に勇気を与えた初のノーベル賞受賞者、先に受賞したインドのラマンはアーリア人種であり非白人初の受賞といえる(文学賞は除く)。湯川秀樹は父と兄弟4人が京大・東大教授という学術一家の出身、父の蔵書から物理学に嵌り「物質はどこまで小さいか」答えを求め高校生にしてドイツ人著『量子論』などを読み耽った。面倒なことは「言わん」で片付ける無口な湯川秀樹は父に劣等視されたが、京都一中・三高・京大理学部物理学科と順調に進学した。湯川秀樹は玉城嘉十郎教授の研究室へ進んだが欧米との差に焦るばかりで芽が出ず、八木秀次教授に拾われ阪大講師の職を得たが三高・京大の同期で活躍著しい朝永振一郎(1965年ノーベル賞受賞)と比較・叱責された。しかし湯川秀樹の「天才の時間」も一見無聊な不遇期に訪れた。プランクが創始した量子力学は、1920年代ハイゼンベルクやシュレーディンガーの業績で躍進し、アインシュタインの相対性理論と並ぶ現代物理学の基礎理論へ発展しつつあった。湯川秀樹は、原子核内部で電気的に纏まれないはずの陽子と中性子を結ぶ「強い力」の「中間子」の存在を予測し1934年日本数学物理学会で仮説発表、翌年論文『素粒子の相互作用について』で未観測素粒子を理論的に予言した。28歳の湯川秀樹の大胆学説に日本学界の反応は鈍かったが、英訳論文が欧米で脚光を浴び1937年ソルベー会議参加の栄誉に浴しアインシュタインやオッペンハイマーと交流した。世界に認められた湯川秀樹は京大・東大で教授を務め、1947年パウエルらの「π中間子」発見で湯川理論が証明されコロンビア大学教授に栄進、1949年ノーベル物理学賞を受賞した。1953年湯川秀樹は帰国し京大基礎物理学研究所の初代所長に就任、「因果律の破れ」くらいしか業績は無かったが、日本物理学会会長として後進の指導に努め、1970年京大退官後も名誉教授に留まり1981年74歳で永眠した。帰国後の湯川秀樹はアインシュタインの反核運動に傾注し日本学界を指導、原子力委員会の委員に就いたが「俗物」正力松太郎委員長に抗議の辞表を叩き付け学者の矜持を示している。

1907
年
農商務省地質調査所に勤務する地理学者小川琢治の三男小川秀樹(湯川秀樹)が東京麻布区にて出生
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1907
年
ロイヤル・ダッチ・シェル設立
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1908
年
小川琢治(湯川秀樹の父)の京都帝国大学教授就任(のち理学部部長)に伴い一家で京都へ移住
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1909
年
BP創業
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1911
年
IBM創業
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1913
年
ニールス・ボーアが原始モデル(の原子模型)を考案し物質波概念を支持
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1914
年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1917
年
イギリスの強要により日本海軍の艦隊が地中海へ出動
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1918
年
「量子論の父」マックス・プランクがノーベル物理学賞受賞
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1919
年
湯川秀樹が京都府立京都第一中学校(現洛北高等学校)を卒業し第三高等学校進学
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1920
年
松田重次郎がマツダ創業
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1921
年
「現代物理学の父」アルベルト・アインシュタインがノーベル物理学賞受賞
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1921
年
小松製作所創業
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1921
年
原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ
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1923
年
ウォルト・ディズニー・カンパニー創業
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1924
年
ルイ・ド・ブロイが物質波概念を提唱
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1925
年
日ソ基本条約調印、国交樹立
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1925
年
野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)
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1925
年
ヴェルナー・ハイゼンベルクが行列力学に基づく粒子性と波動性をもつ量子の運動方程式(ハイゼンベルクの運動方程式)を発表
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1926
年
湯川秀樹が第三高等学校を卒業し京都帝国大学理学部物理学科進学
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1926
年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1926
年
エルヴィン・シュレーディンガーが波動力学に基づく量子の運動方程式を発表(シュレーディンガー方程式)
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1927
年
デイヴィソンやトムソンやクリントン・デイヴィソンが物質波を実証、ヴェルナー・ハイゼンベルクが不確定性原理を発表
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1928
年
八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
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1929
年
東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立
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1929
年
湯川秀樹が京都帝国大学理学部物理学科卒業、京大に留まり玉城嘉十郎研究室の副手となる(当初無給)
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1931
年
北里柴三郎死去
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1932
年
湯川秀樹が湯川玄洋(大阪胃腸病院院長)の次女湯川スミの婿養子となる(小川から湯川へ改姓)
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1932
年
ジョン・フォン・ノイマンが量子力学の数学的基礎を考案
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1933
年
湯川秀樹が八木秀次教授(八木アンテナ開発者)の招きで京都帝国大学から大阪帝国大学へ移り講師となる
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1934
年
湯川秀樹(大坂帝大講師)が東京帝大で開催された日本数学物理学会で中間子理論仮説を発表するが常識破りのため当初相手にされず
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1935
年
湯川秀樹が『素粒子の相互作用について』を発表し陽子と中性子を繋ぎ留める中間子の存在を理論的に予言
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1936
年
湯川秀樹が大阪帝国大学理学部助教授に昇進
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1937
年
近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設
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1937
年
日本軍が国民政府の首都南京を占領
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1937
年
湯川秀樹がソルベー会議で中間子理論を発表し高評価を得てアルベルト・アインシュタインやロバート・オッペンハイマー(のち米国でマンハッタン計画を指揮)と交流
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1938
年
湯川秀樹(大阪帝国大学理学部助教授)が論文『素粒子の相互作用に就て』で理学博士号取得
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1939
年
アステラス製薬創業
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1939
年
湯川秀樹が大阪帝国大学から母校の京都帝国大学へ移り教授就任
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1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1942
年
湯川秀樹が京都帝国大学から東京帝国大学へ移り理学部教授就任
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1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1944
年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1944
年
学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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1945
年
全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
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1945
年
『日米会話手帳』が発売3ヶ月で400万部の大ベストセラーに
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1945
年
国際連合発足
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1945
年
雑誌の創刊・復刊ブーム
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1945
年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945
年
GHQ命令により各新聞で「太平洋戦争史」連載、自虐史観が浸透
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1945
年
GHQが日本史・地理・修身の教育全廃を命令
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1946
年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946
年
アメリカ合衆国中央情報局(CIA)発足
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1946
年
GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪
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1946
年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946
年
チャーチル元英首相が「鉄のカーテン」演説(ソ連の閉鎖性を批判し、共産主義勢力への共闘を呼掛け)
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1946
年
国際通貨基金(IMF)発足
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1946
年
伊豆諸島が本土復帰
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1946
年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946
年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946
年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946
年
吉田茂内閣が当用漢字1850字・旧かなづかい禁止の内閣告示
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1946
年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947
年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947
年
GHQにより独占禁止法制定
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1947
年
マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)
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1947
年
山口良忠東京地裁判事が闇物資拒絶により餓死
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1947
年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1947
年
GHQが匿退蔵物資事件捜査部(東京地検特捜部)を設置
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1947
年
セシル・パウエルらがπ中間子を発見し湯川秀樹の理論的予言が証明される
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1948
年
アメリカで独立シンクタンク「ランド研究所」発足、米国学術界を牽引しノーベル賞受賞者も輩出
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1948
年
ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化
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1948
年
湯川秀樹が東京大学からプリンストン高等研究所に招かれ客員教授就任
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1949
年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949
年
北大西洋条約機構(NATO)発足
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1949
年
湯川秀樹がコロンビア大学客員教授就任
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1949
年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949
年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949
年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949
年
毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
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1949
年
東西ドイツ分離独立
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1949
年
蒋介石の国民政府が台湾台北に移転
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1950
年
中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
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1950
年
学者グループが「厳正中立・全面講和」声明発表、西側との「単独講和」を進める吉田茂首相は「曲学阿世」発言で対抗
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1950
年
GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・NHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
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1950
年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1950
年
π中間子発見者のセシル・パウエルがノーベル物理学賞受賞
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1950
年
湯川秀樹がコロンビア大学教授就任
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1952
年
イギリスが核実験に成功(米ソに次ぐ3番目の保有国)
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1952
年
アメリカが世界初の水爆実験実施
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1953
年
テレビ放送開始
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1953
年
ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立
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1953
年
湯川秀樹がコロンビア大学を辞し京都大学基礎物理学研究所初代所長および国際理論物理学会(東京および京都)議長に就任
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1953
年
奄美群島が本土復帰
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1953
年
ソ連が水爆実験を開始
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1954
年
日本漁船がビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に遭難(第五福竜丸事件)
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1954
年
集団就職列車はじまる(~1975)
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1954
年
朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
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1954
年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1955
年
ワルシャワ条約機構(WTO)発足
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1955
年
湯川秀樹が社団法人日本物理学会会長就任、各国政府に核兵器不使用を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名
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1956
年
『昭和史』(岩波新書)の自虐的左翼史観を亀井勝一郎が批評し「昭和史論争」が起る
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1957
年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1957
年
ソ連で大規模原発事故発生(ウラル核惨事)
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1957
年
ソ連が初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、大陸間弾道ミサイル(ICBM)実用化により北米大陸を射程に置く
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1957
年
世界の著名科学者が反核の道を探るパグウォッシュ会議が発足しカナダの創立大会に湯川秀樹・朝永振一郎らが参加
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1958
年
NASA(アメリカ航空宇宙局)設立
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1958
年
岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる
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1958
年
東京タワー開業
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1958
年
湯川秀樹が原子力委員会に参与で復帰
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1959
年
アメリカがソ連に次いで大陸間弾道ミサイル (ICBM) の実戦配備開始
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1959
年
ソ連が世界初の月ロケット打ち上げに成功
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1959
年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1960
年
フランスが核実験に成功(米ソ英に次ぐ4番目の保有国)
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1960
年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960
年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960
年
アメリカが世界初の原子力空母エンタープライズ完成
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1960
年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961
年
ソ連軍のユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功し「地球は青かった」と発言
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1961
年
東ドイツが「ベルリンの壁」建設
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1961
年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962
年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1962
年
有名私立大学で軒並み女子学生が過半数を占め「女子学生亡国論」が話題に
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1963
年
米ソ英が部分的核実験停止条約調印
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1964
年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964
年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964
年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964
年
東京オリンピック
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1964
年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1964
年
第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
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1965
年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965
年
朝永振一郎が「量子電気力学分野での基礎的研究」でノーベル物理学賞受賞
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1965
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966
年
政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)
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1966
年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1967
年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967
年
中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
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1967
年
欧州共同体(EC)発足
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1967
年
公害対策基本法施行
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1967
年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1968
年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968
年
小笠原諸島が本土復帰
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1968
年
米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印
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1968
年
インテル設立
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1968
年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969
年
東大安田講堂事件
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1969
年
アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功
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1969
年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970
年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970
年
湯川秀樹が京都大学を退官し名誉教授となる
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1970
年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970
年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1971
年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971
年
ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)
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1971
年
環境庁発足
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1971
年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972
年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972
年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972
年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973
年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973
年
江崎玲於奈が「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」でノーベル物理学賞受賞
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1973
年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1974
年
高校進学率が90%を突破し大学進学率は30%を超え更に上昇
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1974
年
インドが核実験に成功(米ソ英仏中に次ぐ6番目の保有国)
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1974
年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974
年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974
年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975
年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975
年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975
年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975
年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1976
年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976
年
『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
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1976
年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1977
年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977
年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978
年
『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』が日本で上映されSFブーム到来
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1978
年
タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる
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1978
年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978
年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978
年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978
年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979
年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979
年
米国スリーマイル島原発事故
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1979
年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979
年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979
年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979
年
イスラエルが核実験に成功(7番目の保有国)
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1979
年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979
年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1980
年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980
年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1981
年
湯川秀樹が第4回科学者京都会議開催に尽力
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1981
年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1981
年
日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹が死去(享年74)
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八木秀次
阪大の師匠
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玉城嘉十郎
京大教授
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岡潔
多変数複素関数論の建設者
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朝永振一郎
京大同期からノーベル物理学賞受賞のライバル
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仁科芳雄
理解者の友人
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坂田昌一
2中間子論・坂田モデル提唱者
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谷川安孝
2中間子論提唱者
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武谷三男
方法論の権威
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内山龍雄
ゲージ理論の先駆者
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宮沢弘成
超対称性提唱者
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江崎玲於奈
ノーベル物理学賞受賞者
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菊池正士
電子線の干渉現象観察
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寺本英
数理生物学の開拓者
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林忠四郎
宇宙物理学者
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荒勝文策
京大の原爆開発仲間
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福井謙一
京大出のノーベル化学賞受賞者
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南部陽一郎
ノーベル物理学賞の後輩
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マックス・プランク
量子論の父
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アインシュタイン
現代物理学の父
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オッペンハイマー
原爆の父
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ニールス・ボーア
原始モデルの考案者
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ヴェルナー・ハイゼンベルク
行列力学と不確定性原理の提唱者
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エルヴィン・シュレーディンガー
波動力学の提唱者
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ルイ・ド・ブロイ
物質波概念の提唱者
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クリントン・デイヴィソン
物質波の実証者
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ジョージ・パジェット・トムソン
物質波の実証者
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フォン・ノイマン
量子力学の数学的基礎考案者
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セシル・パウエル
π中間子を発見した湯川理論の証明者
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マレー・ゲルマン
クォーク理論のライバル
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マックス・ボルン
反核学者仲間
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リチャード・P・ファインマン
量子電磁力学の構築者
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ジュリアン・S・シュウィンガー
量子電磁力学の構築者
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正力松太郎
基礎研究を軽視した原発推進者
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松下幸之助
和歌山の碑文に揮毫を寄せた松下電器創業者
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北里柴三郎
偉大な先達
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