
くさか げんずい
久坂 玄瑞
1840年~1864年
80
点
吉田松蔭の妹文を娶った松下村塾の筆頭門人で長州藩尊攘派のエース、松蔭の「草莽崛起論」を受継ぎ「破約攘夷」で中央政局をリードしたが八月十八日政変で突如瓦解し禁門の変で戦死、長州藩は朝敵にされ窮地に陥る
同じ時代の人物

基礎点
90
点
久坂玄瑞は、吉田松蔭の「草莽崛起論」を忠実に受継いで土佐藩の武市半平太や真木和泉の浪士グループと提携し、長州藩尊攘派志士のリーダーとして藩論を「破約攘夷」へ転換し一時は中央政局を主導した。八月十八日政変・禁門の変で木っ端微塵に砕け散ったが長州藩を維新運動の最前線へ引きずり出し、久坂玄瑞の遺志を継いだ高杉晋作や木戸孝允が藩政を奪回して幕府に再挑戦し第二次長州征討を撃退、薩摩藩を引込んで討幕を果した。
-10
点
久坂玄瑞は、吉田松蔭譲りの観念論者で自作自演の朝廷の権威を過大評価し、過激な攘夷運動を嫌う孝明天皇の真意を見誤り八月十八日政変に至っても朝議回復に固執し禁門の変の暴発を引起した。久坂玄瑞は、才気煥発で信念を貫いた一流の志士であったが環境適応力や柔軟性に難があり、吉田松蔭が「志壮気鋭、これをめぐらすに才をもってす」と懸念したように策士策に溺れる結果となった。結局、討幕を成遂げたのは早々に朝廷の権威や志士運動に見切りを付け幕府に対抗するには長州藩が実力を養うしかない(防長割拠論)と喝破した高杉晋作と、融通無碍で逃亡を恥とせず禁門の変を生延びた木戸孝允らであり、久坂玄瑞は維新の導火線役は果したが硬骨過ぎて自ら非業の死を選んだ。

1840
年
長州藩の藩医久坂良迪の三男に久坂玄瑞が出生
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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1848
年
久坂玄機(玄瑞の長兄)が緒方洪庵の適塾の塾頭となるが翌年長州藩に召還され医学所好生館の都講に就任、適塾塾頭は大村益次郎が後継
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1851
年
吉田松陰が東北旅行へ出奔、手続き不備のため脱藩の罪を得る
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1852
年
江戸桜田藩邸に戻った吉田松陰が萩へ召還され脱藩罪により士籍・家禄剥奪のうえ杉百合之助の「育み」とされる
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1853
年
長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が10年間の諸国遊学を許され江戸へ出立
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1853
年
久坂玄瑞が藩校明倫館・医学所好生館に入学
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1853
年
久坂玄瑞の両親が病死
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1854
年
久坂玄機が病死し弟の久坂玄瑞が家督を継ぎ医者坊主となる
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1854
年
吉田松陰が江戸伝馬町の獄舎で取調べを受け幕府より自藩幽閉を命じられる
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1855
年
長州藩主毛利敬親の温情により吉田松陰が病気保養の名目で野山獄を出され実家の杉家で閉門蟄居
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1858
年
久坂玄瑞が京都・江戸へ遊学
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1858
年
木戸孝允が長州藩に出仕し大検使となり江戸番手を命じられる
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1858
年
大村益次郎が長州藩江戸藩邸に招かれ兵学書を講義、木戸孝允は大村を長州藩へスカウト
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1858
年
吉田松陰が長州藩庁に度々上書し藩政改革を提言、若手藩士の遊学や軍制改革の諸献策が容れられ松下村塾が活気付く(松陰の後押しで多くの塾生が遊学を許される)
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1858
年
大老井伊直弼の意を受けた老中間部詮勝が入洛し安政の大獄を断行
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1858
年
吉田松陰盟友の梅田雲浜が幕府に逮捕され翌年獄死(拷問死とも)
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
吉田松陰が幕命で江戸に召喚され評定所の尋問を受ける
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1860
年
宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進
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1862
年
久坂玄瑞が長井雅楽の襲撃を企てるが中止し自主して京都長州藩邸で謹慎を命じられる
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1862
年
生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷
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1862
年
久坂玄瑞が江戸入り、長土連携のため世子毛利定広と山内容堂の酒宴をアレンジ
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
高杉晋作の奇兵隊が下関の前田砲台を再建し対岸の小倉藩領田の浦を占拠し砲台を建設
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1863
年
長州藩尊攘派が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑
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1864
年
長州藩が高杉晋作を召還し脱藩罪により野山獄へ投獄
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1864
年
長州藩世子毛利定広の上洛・出兵に最後まで反対した周布政之助が逼塞に処される
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1864
年
来島又兵衛の遊撃軍300人が上方へ発進し久坂玄瑞・真木和泉が率いる諸隊が続く
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1891
年
吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)
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毛利敬親
主君にして良き理解者
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毛利定広
敬親養嗣子の長州藩世子
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吉松淳蔵
寺子屋の先生
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吉田松陰
大師匠
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高杉晋作
松下村塾の双璧
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吉田稔麿
松下村塾の四天王・光明寺党同志
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入江九一
松下村塾の四天王・光明寺党同志
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伊藤博文
松下村塾生・高杉舎弟
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山縣有朋
松下村塾生・光明寺党同志
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前原一誠
松下村塾生
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品川弥二郎
松下村塾生
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山田顕義
松下村塾生
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赤根武人
松下村塾生・光明寺党同志
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寺島忠三郎
松下村塾生
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野村和作
入江弟
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富永有隣
松陰舎弟
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木戸孝允
松蔭門下の兄貴分
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大村益次郎
木戸舎弟
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井上馨
高杉舎弟
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周布政之助
正義派首領
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長井雅楽
正義派だが政敵
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滝弥太郎
光明寺党同志
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河上弥市
光明寺党同志・生野の変で戦死
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来島又兵衛
困った過激派
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浦靱負
正義派家老
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益田弾正
正義派家老
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椋梨藤太
俗論党首領
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宮部鼎蔵
松陰の親友
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梅田雲浜
貧乏同志
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加藤有隣
水戸の先輩
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佐久間象山
松陰の師匠
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横井小楠
福井の先輩
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三条実美
長州系公卿
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姉小路公知
長州系公卿
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岩倉具視
「四奸二嬪」の政敵
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真木和泉
困った扇動家
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平野国臣
困った扇動家
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山内容堂
武市を殺した土佐国主
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武市半平太
土佐勤皇党首領・尊攘運動のパートナー
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吉村寅太郎
土佐の同志
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坂本龍馬
薩摩系土佐浪士
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中岡慎太郎
長州系土佐浪士
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島津久光
薩摩藩国父・政敵
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西郷隆盛
薩摩の謀臣
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大久保利通
薩摩の謀臣
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小松帯刀
薩摩の謀臣
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有馬新七
薩摩の過激派
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井伊直弼
松蔭の仇
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徳川家茂
上洛させた将軍
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徳川慶喜
禁門の変の戦争相手
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松平容保
禁門の変の戦争相手
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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近藤勇
新撰組局長
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土方歳三
新撰組鬼の副長
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松平春嶽
慶喜の傅役
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