
いなば せいうえもん
稲葉 清右衛門
1925年~-年
50
点
富士通から独立し工作機械用NC・多関節ロボットで世界市場を制した不況知らずの「ファナック」創業者、勲章と世襲に固執するも社長に据えた長男の謀反で電撃解任
同じ時代の人物

基礎点
50
点
稲葉清右衛門は、東大工学部から富士通に入社し東工大で工学博士号を取得、MITが開発したNC(数値制御装置)の商品化に成功し、1972年計算制御部を分社化し「富士通ファナック」を設立した。FA化の流れに乗ったファナックは忽ち業績を伸ばし、専務から2代目社長へ昇格した稲葉清右衛門はシーメンスやGEと提携して全世界へ販路を拡げ産業用ロボットにも進出、1976年株式上場を果した。工作機械制御の基幹であるサーボモーターとCNCを一体販売し、NCプログラミングでGコードのデファクトを押えたことが強みとなった。稲葉清右衛門は1972年から1997年まで富士通の非常勤役員を兼任しつつ「ファナック」へ社名を改め富士通の持株比率を徐々に減らし独裁権を確立、バブル期の財テクに手を出さず、逆に東京から富士山麓へ本拠を移し技術開発に専念した。工作機械用NCで世界シェア5割・多関節ロボットで2割を押えたファナックは海外売上高8割の国際企業となったが、技術流出と組織力分散を懸念する稲葉清右衛門は国内生産にこだわり、生産体制の集約とFA化で圧倒的な競争力と利益率を達成、主要輸出先の中韓取引では円建て決済を呑ませ為替リスクも排除した。円高不況で日本の製造業が低迷するなか、FA産業は不況知らずでファナックも右肩上りの成長を継続、さらに稲葉清右衛門の国内生産主義は日本の財政と雇用に多大な貢献を果した。稲葉清右衛門は合理的な辣腕経営者だが奇人の一面もあり、商品・建物・社有車から作業着・箸袋まで全ファナックを「会社カラー」の黄色で染め、また極度のIR嫌いで日本語版HPを半年間閉鎖する騒動も起している。功成った稲葉清右衛門は権勢欲と名誉欲の権化となりファナックを私物化、HPの社史を皇室や海外VIPの来訪と叙勲歴で埋尽し、社長経験者の野澤量一郎・小山成昭を追払い長男の稲葉善治を社長に擁立した。相談役名誉会長を名乗りつつ絶対君主を続ける稲葉清右衛門は、2013年長男以外の重役を降格させる「懲罰人事」を断行し35歳の稲葉清典(善治の長男)を取締役に就け世襲路線を顕示したが、重役陣の謀反が起りファナック全役職を電撃解任された。

1925
年
稲葉清右衛門が茨城県下館市(現筑西市)にて出生
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1926
年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1928
年
八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
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1929
年
東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立
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1934
年
正力松太郎の読売新聞社がMLB来日試合を機に大日本東京野球倶楽部創設(→読売ジャイアンツ)、吉本興業も出資し林正之助が球団役員に就任(戦後読売新聞社の完全支配下となり吉本興業は撤退)
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1935
年
富士電機製造(現富士電機)から富士通信機製造が分社化発足(富士通創業)
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1936
年
東京巨人軍・大阪タイガースなど7球団で日本職業野球連盟発足
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1937
年
近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設
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1937
年
日本軍が国民政府の首都南京を占領
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1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1941
年
アメリカが在米日本資産を凍結し英蘭らも追随
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1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1944
年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1944
年
学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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1945
年
全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
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1945
年
マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
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1945
年
国際連合発足
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1945
年
雑誌の創刊・復刊ブーム
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1945
年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945
年
衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
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1946
年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946
年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946
年
国際通貨基金(IMF)発足
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1946
年
稲葉清右衛門が東京帝国大学第二工学部精密工学科を卒業し富士通信機製造(→富士通)入社
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1946
年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946
年
親米派財界人により経済同友会発足
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1946
年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1946
年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946
年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946
年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947
年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947
年
GHQにより独占禁止法制定
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1947
年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1948
年
GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
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1949
年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949
年
東京証券取引所再開
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1949
年
富士通信機製造(富士通)が東京証券取引所に株式上場
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1949
年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949
年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949
年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949
年
ドッジ・ライン恐慌でラジオセットメーカーの大半が倒産し関西の生残りは松下電器産業と早川電機工業(シャープ)のみ、部品供給の村田製作所も経営難に陥る
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1950
年
GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・NHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
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1950
年
朝鮮特需によりラジオ市場も大盛況
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1950
年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1950
年
産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%
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1952
年
ラジオ番組『君の名は』が空前の大ヒット(~1954年)
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1952
年
血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
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1952
年
東京都内のジーンズショップが100店を超える
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1953
年
テレビ放送開始
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1953
年
林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退)
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1954
年
集団就職列車はじまる(~1975)
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1954
年
朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
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1955
年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
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1956
年
日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)
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1956
年
公団住宅の供給がはじまる
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1956
年
富士通信機製造(富士通)で稲葉清右衛門がMIT開発のNC(数値制御装置)の商品化に成功し計算制御部開設
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1957
年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1958
年
東京タワー開業
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1959
年
『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
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1959
年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1960
年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960
年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960
年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961
年
日本経済団体連合会(経団連)発足
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1961
年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962
年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1963
年
『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
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1964
年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964
年
家電製品の「価格破壊」をめぐり「ダイエー・松下戦争」勃発(~1994)
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1964
年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964
年
IMF・世界銀行東京総会
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1964
年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964
年
東京オリンピック
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1964
年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1965
年
日韓基本条約調印
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1965
年
富士通信機製造(富士通)従業員の稲葉清右衛門が東京工業大学で工学博士号を取得
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1965
年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965
年
日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
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1965
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966
年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1966
年
日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
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1967
年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967
年
富士通信機製造が富士通へ社名変更
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1967
年
欧州共同体(EC)発足
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1967
年
公害対策基本法施行
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1967
年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1968
年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968
年
少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
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1968
年
インテル設立
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1968
年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969
年
井植歳男死去
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1969
年
『週刊少年チャンピオン』創刊
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1969
年
テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
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1969
年
ウォルマート設立
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1969
年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970
年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970
年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970
年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1970
年
産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
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1971
年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971
年
環境庁発足
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1971
年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971
年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972
年
札幌冬季オリンピック
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1972
年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972
年
富士通ファナック専務の稲葉清右衛門が富士通の非常勤取締役を兼任(~1997)
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1972
年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972
年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972
年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973
年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973
年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973
年
手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活
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1973
年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1973
年
『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
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1974
年
田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
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1974
年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974
年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974
年
巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得
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1974
年
フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
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1974
年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1974
年
稲葉清右衛門の富士通ファナックが産業用ロボット開発に乗出し自社工場で試用開始
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1975
年
富士通ファナックで高羅芳光から稲葉清右衛門へ社長交代
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1975
年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975
年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975
年
広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
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1975
年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975
年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1976
年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976
年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1976
年
稲葉清右衛門の富士通ファナックが東京証券取引所2部に株式上場
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1976
年
稲葉清右衛門の富士通ファナックがシーメンス社と共同出資で米国に合弁会社を設立し韓国・欧州・中国へも販路拡大
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1977
年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977
年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977
年
「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利
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1977
年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978
年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978
年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978
年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978
年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979
年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979
年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979
年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979
年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979
年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979
年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979
年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1980
年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980
年
巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代
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1980
年
稲葉清右衛門の富士通ファナックが富士工場開設
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1980
年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1980
年
産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%
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1981
年
第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
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1981
年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1982
年
東北新幹線・上越新幹線開業
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1982
年
稲葉清右衛門の富士通ファナックがファナックへ改称し以後徐々に富士通の持株比率を下げる
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1983
年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983
年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983
年
東京ディズニーランド開園
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1983
年
世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
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1983
年
AT&T創業
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1984
年
グリコ・森永事件
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1984
年
御手洗毅死去
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1985
年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985
年
女子差別撤廃条約批准のため男女雇用機会均等法成立
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1985
年
エアコンの世帯普及率が50%突破
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1986
年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986
年
エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
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1986
年
稲葉清右衛門のファナックが山梨県忍野村に巨大工場を建設し本社移転、GEとFA分野で提携し米国に合弁会社設立
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1986
年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987
年
中国で保守派が巻返し革新派の胡耀邦総書記(鄧小平の腹心)が失脚
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1987
年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987
年
ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)
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1987
年
スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
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1988
年
青函トンネル開業
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1988
年
瀬戸大橋開通
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1988
年
イラン・イラク戦争終結
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1988
年
ソニーがベータ方式から撤退し日本ビクター・松下電器産業のVHS方式の勝利で「ビデオ戦争」完結
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1989
年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989
年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989
年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989
年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989
年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989
年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989
年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989
年
ファナックの稲葉清右衛門が出身地の茨城県筑西市に筑波工場開設
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1989
年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990
年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990
年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990
年
ドイツ再統一
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1990
年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1990
年
産業別労働人口:第一次産業7.1%・第二次33.3%・第三次59.0%
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1990
年
15年ぶりに赤字国債発行停止
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1991
年
バブル潰しの金融証券不祥事摘発はじまる
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1991
年
ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
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1991
年
本田宗一郎死去
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1991
年
宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
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1991
年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991
年
稲葉清右衛門のファナックが鹿児島県霧島市に隼人工場開設
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1991
年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991
年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992
年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992
年
アメリカの「エコニミック・アニマル」批判を受け完全週休二日制が普及
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1992
年
国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱
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1993
年
小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
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1993
年
欧州連合(EU)発足
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1993
年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1994
年
ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売
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1994
年
Amazon.com設立
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1994
年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994
年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995
年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995
年
阪神・淡路大震災
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1995
年
地下鉄サリン事件
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1995
年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995
年
野茂英雄が鈴木啓示監督と衝突し近鉄退団、「任意引退」で日本球界を追われマイナー契約でLAドジャースに入団すると開幕直後にMLBデビューし13勝・防御率2.54で最多奪三振・新人王獲得
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1995
年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1995
年
ファナックで稲葉清右衛門が野澤量一郎へ社長を譲るが代表取締役会長に君臨
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1995
年
Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)
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1995
年
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
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1996
年
ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット
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1996
年
台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任
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1996
年
住専処理法成立
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1996
年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1997
年
三木谷浩史が楽天創業
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1997
年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997
年
消費増税(5%)
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1997
年
アメリカの圧力により独占禁止法改定・持株会社解禁
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1997
年
ファナックの稲葉清右衛門が富士通の非常勤取締役を退任
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1997
年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997
年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997
年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1997
年
京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず
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1997
年
井深大死去
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1997
年
携帯電話普及率が50%突破
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1997
年
乗用車の世帯普及率が80%突破
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1998
年
長野冬季オリンピック
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1998
年
アメリカの圧力により大規模小売店舗法廃止(大店立地法に移行後2000年完全廃止)
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1998
年
小渕恵三内閣(自自公連立)発足
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1998
年
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立
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1998
年
長銀経営破綻、リップルウッドが僅か10億円で買収に成功
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1998
年
金融再生関連法が相次いで成立
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1998
年
エアコンの世帯普及率が80%突破
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1998
年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999
年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999
年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999
年
ファナックで稲葉清右衛門会長のもと野澤量一郎から小山成昭へ社長交代
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1999
年
東海村JCO臨界事故
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1999
年
アメリカの圧力で労働者派遣法が改定され人材派遣原則自由化
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1999
年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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1999
年
ODA154億ドル・最高額更新
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2000
年
ファナックで代表取締役会長の稲葉清右衛門が相談役名誉会長へ退くが経営本部長・研究本部長・子会社取締役として実権保持
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2000
年
第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2000
年
ベライゾン・コミュニケーションズ設立
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2000
年
ソフトバンク・オリックス・東京海上が連合し経営破綻した日本債券信用銀行を安値で買収(→あおぞら銀行)、孫正義のソフトバンクは株価急騰で株式時価総額が国内2位となり2003年持分転売で巨利を獲得
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2000
年
中国移動通信(チャイナモバイル)設立
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2000
年
産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%
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2000
年
国債発行額が200兆円突破
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2001
年
ITバブル崩壊
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2001
年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001
年
イチローが任天堂・山内溥オーナーのシアトル・マリナーズでMLBデビュー、最多得票でオールスターゲームに選出され242安打・打率350・盗塁56で首位打者・盗塁王・新人王・シリーズMVP・ゴールドグラブ賞を獲得
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2001
年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001
年
ゴールドマン・サックスが「BRICs」の潜在能力を示唆
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2001
年
パソコンの世帯普及率が50%突破
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2001
年
国債発行額が300兆円突破
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2001
年
完全失業率が初めて5%突破
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2002
年
EU統一通貨ユーロ流通開始
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2002
年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002
年
FIFAワールドカップ日韓大会
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2002
年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2002
年
フリーターが200万人突破
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2002
年
携帯電話普及率が90%突破
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2003
年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003
年
個人情報保護法成立
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2003
年
ファナックで稲葉清右衛門が野澤量一郎会長・小山成昭社長を引退させ長男の稲葉善治を社長に擁立
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2003
年
国債発行額が400兆円突破
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2004
年
マーク・ザッカーバーグがFacebook設立
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2004
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
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2004
年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2004
年
デジカメの世帯普及率が50%突破
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2005
年
「青色LED訴訟」東京高裁和解勧告を中村修二が「日本の司法は腐っている」と罵りつつ受諾(一審判決約200億円に対し和解金額は延滞損害金込で約8億4千万円に激減)、事件後東京高裁は知的財産高等裁判所を設置
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005
年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005
年
合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
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2005
年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005
年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2006
年
オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる
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2006
年
第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2006
年
村田昭死去
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2007
年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007
年
アップルが「iPhone」発売
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2007
年
アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
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2007
年
参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
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2008
年
第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
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2008
年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008
年
麻生太郎内閣(自公連立)発足
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2009
年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009
年
大学進学率が50%突破
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2009
年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009
年
稲葉清右衛門のファナックが富士通保有の自社株式5%全部を買取り完全独立達成
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2009
年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2009
年
稲葉清右衛門のファナックがGEとの合弁を解消しCNC販売体制再編
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2010
年
富士電機ホールディングスがファナック株式を大量売却
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2010
年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011
年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011
年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011
年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011
年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2012
年
東京スカイツリーが開業
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2012
年
石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
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2012
年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012
年
民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
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2012
年
第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2012
年
スマートフォン普及率が50%突破
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2013
年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013
年
ファナックで稲葉清右衛門が「懲罰人事」を断行し長男の稲葉善治社長を除く重役を平取締役に降格し善治長男の稲葉清典を最年少取締役に擁立
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2013
年
総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消
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2013
年
65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)
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2013
年
山内溥死去
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2014
年
ロシア・ウクライナ紛争
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2014
年
消費増税(8%)
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稲葉善治
長男・ファナック2代目
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稲葉清典
嫡孫・ファナック後継者
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池辺洋
東工大の師匠
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吉村万治郎
古河財閥副総帥→富士通創業者
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高羅芳光
分離独立時の富士通社長
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池田敏雄
富士通PC事業の開祖
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山本卓眞
同年生の富士通社長
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滝崎武光
キーエンス創業者
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安川第五郎
ライバル安川電機2代目
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安川敬二
ライバル安川電機社長
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津田純嗣
ライバル安川電機社長
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牧田茂三郎
マキタ創業者
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後藤昌彦
マキタ社長
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堀司郎
マキタ社長
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天田勇
アマダ創業者
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江守龍治
アマダ大番頭
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岡本満夫
アマダ社長
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牧野常造
牧野フライス創業者
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牧野二郎
牧野フライス2代目
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松下幸之助
松下電器創業者
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井植歳男
三洋電機創業者
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早川徳次
シャープ創業者
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井深大
ソニー創業者
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盛田昭夫
ソニー創業者
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御手洗毅
キヤノン創業者
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村田昭
村田製作所創業者
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稲盛和夫
京セラ創業者
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石田退三
トヨタ中興の祖
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石橋正二郎
ブリジストン創業者
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本田宗一郎
ホンダ創業者
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鈴木修
スズキのやり手
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山内溥
任天堂創業者
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永守重信
日本電産創業者
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井上礼之
ダイキン工業の凄腕
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中村修二
青色LED工業化のノーベル物理学賞学者
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出光佐三
出光興産創業者
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安藤百福
日清食品創業者
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高原慶一朗
ユニ・チャーム創業者
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高原豪久
ユニ・チャーム2代目
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中内功
ダイエー創業者
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岡田卓也
イオン創業者
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鈴木敏文
セブン-イレブン創業者
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柳井正
ファーストリテイリング創業者
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孫正義
ソフトバンク創業者
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宮内義彦
オリックスの改革利権王
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