05 mitaraitakeshi

みたらい たけし

御手洗 毅

1901年~1984年

80

医師出身ながら徹底した工程管理と「新家族主義」の労務政策で世界一のカメラメーカーを創建、複写機・プリンター・デジカメと多角化を成功させデフレ不況下でも成長を続ける国際優良企業「キヤノン」の創業者

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

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御手洗毅は大分から北大医学部へ進み東京で産科医院を開業したが、内田三郎と夫人の出産で知合い「ちょっとしたはずみ」でカメラ製作の「精機光学工業」に参画、軍用レントゲンカメラを大量受注し、1942年外征した内田から社長を引継ぎ軍需品製造で事業を拡げた。終戦後、疎開先の山梨から帰京した御手洗毅は医業を捨てて「世界一のカメラづくり」を宣言し、食糧難のなか海軍等の技術者を招聘し進駐軍将校相手に売上を確保、レンズも自社生産へ切替え1949年「キヤノンカメラ」は東証上場を果した。当時のカメラ市場はドイツ勢の独壇場だったが、「素人の強み」で御手洗毅はドッジ・ライン恐慌下も「キヤノンはあくまで、高品質で世界一を目指す」と技術を磨き、徹底的な工程標準化と製品均質化で職人依存のライカに対抗し低価格・高機能を実現、1963年世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」で「ライカM3」を凌駕した。「技術はライカより数段優れているが、占領下日本製では通用しない」と取扱を渋った米国企業も御手洗毅に頭を下げた。カメラで世界一を果した御手洗毅は「キヤノン」へ改称し「右手にカメラ、左手に事務機」を標語に多角化へシフト、1969年独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機で牙城を切崩し、ファクス・プリンターと手を拡げ事務機器を中核事業へ発展させた。御手洗毅は販売面でも辣腕を発揮、戦後すぐに自力営業を標榜し「輸出、輸出と叫んで」自ら欧米を行脚したが、商社に依存しない海外販路は技術力と並ぶキヤノン躍進の礎となった。さらに「新家族主義」を掲げる御手洗毅は、利潤を資本・経営・労働で3分割する「三分説制度」や能率給で実力主義を徹底しつつ、労使協調・日本初の週休2日制・財形や持家奨励・「キャノン音頭」・各種社内親睦会等々「10年先を行く」労務施策を展開した。「私は従業員が、『キヤノンで一生を過ごして本当によかった。悔いはない』と思ってくれるような会社を作りたいと考えているのです。これが経営者としての一生の夢なのです」と語り「円満な常識」を追求した御手洗毅の経営哲学は没後もキヤノンに受継がれ、デフレ不況下でも業績を伸ばす超優良企業に結実した。

10

キヤノン創業者の御手洗毅は終戦間もない1945年10月1日の事業再開に際し「諸君、旧海軍の零式戦闘機は、世界一の性能を持っていたという。日本は戦争には負けたが、われわれには彼らに負けない立派な頭脳のあることが、これでも立証された。われわれは、この頭脳と多年続けてきた技術研究の成果を生かして、世界一のカメラをつくろうではないか。日本は、これから大いに外貨を稼がなければならぬ。諸君、わが社が真っ先に立上がろう」と社員一同に奮起を促した。御手洗毅の宣言どおり、キヤノンは「ライカ」など先発のドイツ勢を技術力で圧倒して世界一のカメラメーカーへ飛躍し、安住することなく複写機・プリンター・デジタルカメラと多角化を推進、「立派な頭脳」を再び証明し日本に膨大な外貨をもたらした。御手洗毅は1984年に没したが、技術革新と情報化の流れに沿って融通無碍に新分野に進出し高い国際競争力を発揮し続けるキヤノンは2015年現在も「メイド・イン・ジャパン」の優等生である。ただし、御手洗冨士夫(御手洗毅の甥)が経団連会長となり「偽装請負」や「大光」裏金疑惑にかまけている間、2008年の「リーマンショック」以後キヤノンの業績と株価は低迷を続けており、創業者の素晴しい遺産を食潰さないことを祈りたい。

Shijitsu

1901

大分県蒲江の豪農で町長も務めた御手洗退蔵の嫡子に御手洗毅が出生

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1904

日露戦争開戦

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1905

ポーツマス条約調印

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1905

三井の越後屋が三越呉服店へ改称しデパートメントストア宣言

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1906

井上勝・桂太郎ら長州閥主導で鉄道国有法が成立し幹線鉄道国有化

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1907

北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘

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1909

三井合名会社設立

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1909

日本の製糸業輸出が世界一となる

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1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

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1910

鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立

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1910

小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業

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1911

不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)

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1911

工場法制定~初の労働者保護法

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1911

出光佐三が北九州市に出光商会を設立し日本石油特約店として機械油小売業を開始(出光興産創業)

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1911

IBM創業

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1912

孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡

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1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

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1913

小林一三の箕面有馬電気軌道(阪急)が宝塚新温泉内に「宝塚唱歌隊」結成(「宝塚歌劇団」へ改称)

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

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1915

大隈重信内閣が袁世凱政府に「対華21カ条要求」を突きつける

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1917

レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)

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1918

豊田佐吉の豊田自働織布工場が豊田紡織株式会社へ改組(現トヨタ紡織)

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1918

松下幸之助が大阪市福島区大開で義弟の井植歳男らと松下電気器具製作所(パナソニック)を創業し改良ソケットで成長

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1918

インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣

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1918

渋沢栄一の後援を得て五島慶太が田園都市株式会社(現東京急行電鉄)設立

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1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

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1920

松田重次郎がマツダ創業

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1920

安田善次郎の保有株一斉売却で株式相場が暴落、安田は安値買戻しと満鉄株引受で巨利を得る

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1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1920

鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成

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1920

日本が初めて債権国となる

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1921

安田善次郎が大磯の別荘で右翼生年に刺殺される

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1921

神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議)

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1921

小松製作所創業

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1921

アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる

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1921

加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行

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1922

ソビエト社会主義共和国連邦樹立、スターリンが最高指導者となる

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1923

石橋正二郎の日本足袋がゴム底「アサヒ地下足袋」を発売し作業現場の定番品となる

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1923

関東大震災

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1924

早川徳次が大阪阿倍野に早川金属工業研究所を設立(シャープ創業)、国産初の安価な鉱石ラジオで急成長

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1925

豊田佐吉・豊田喜一郎の父子が「無停止杼換式自動織機(G型自動織機)」を発明し特許取得

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1925

東京放送局がラジオ放送開始

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1925

野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)

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1926

大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

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1927

片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生

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1927

高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職

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1928

蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了

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1928

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1928

張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

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1928

御手洗毅が北海道大学医学部を卒業し翌年東京日本赤十字病院に就職

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1928

八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む

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1929

東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立

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1929

トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆

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1929

軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆

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1929

世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

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1929

農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

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1930

金解禁(金本位制復帰)

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1930

幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行

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1931

石橋正二郎が久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社(現ブリヂストン)設立

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1931

関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

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1931

朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

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1931

軍事費の急増が始まる

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1931

新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延

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1932

関東軍が満州全域を制圧

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1932

満州国建国

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1932

五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉

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1932

第一次武装移民団が満州入植し満蒙開拓移民が始まる

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1932

満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復

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1932

日本の紡績業輸出が世界一のイギリスに並ぶ

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1933

松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否

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1933

鮎川義介が自動車製造株式会社を設立しダットサンの製造開始(翌年日産自動車へ改称)

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1933

豊田喜一郎が豊田自動織機製作所内に自動車製作部門創設(トヨタ自動車創業)

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1933

吉田五郎・内田三郎らが東京六本木に精機光学研究所を設立し(産婦人科医の御手洗毅も参画)カメラ製造開始(キヤノン創業)

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1934

満鉄あじあ号が運行開始

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1934

正力松太郎の読売新聞社がMLB来日試合を機に大日本東京野球倶楽部創設(→読売ジャイアンツ)、吉本興業も出資し林正之助が球団役員に就任(戦後読売新聞社の完全支配下となり吉本興業は撤退)

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1934

精機光学研究所で吉田五郎が不正支出嫌疑で退社

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1934

日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く

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1935

精機光学研究所が吉田五郎の観音菩薩信仰に因み商標「Canon(キヤノン)」を採用

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1935

御手洗毅が国際聖母病院産婦人科部長を経て東京で産婦人科医院開業

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1936

自動車製造事業法施行、日産自動車と豊田自動織機自動車部が許可会社指定を受ける

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1936

東京巨人軍・大阪タイガースなど7球団で日本職業野球連盟発足

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1936

二・二六事件

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1936

日独防共協定調印

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1936

広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定

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1936

ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄

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1937

第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場

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1937

岸信介が満州国産業部次長に就任し(のち総務省次長)「産業開発五ヵ年計画」で統制経済を推進

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1937

盧溝橋事件で日中戦争が始まる

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1937

日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握

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1937

近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大

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1937

石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否

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1937

第二次国共合作成立

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1937

鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転

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1937

近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設

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1937

日本軍が国民政府の首都南京を占領

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1937

内田三郎社長の精機光学研究所が精機光学工業株式会社へ改組(産婦人科開業医の御手洗毅は監査役就任)

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1937

機械系輸出で自転車・自動車関連が躍進

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1938

日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避

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1938

近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶

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1938

近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)

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1938

国家総動員法公布~軍国主義化の決定打

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1938

近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発

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1939

ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発

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1939

アステラス製薬創業

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1939

国民精神総動員委員会が発足

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1939

米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる

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1939

ノモンハン事件勃発

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1939

天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告

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1939

精機光学工業で軍用レントゲンカメラを大量受注した御手洗毅が取締役就任

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1939

独ソ不可侵条約調印

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1940

日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立

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1940

第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)

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1940

アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化

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1940

近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる

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1940

日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動

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1940

近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任

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1941

松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印

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1941

第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐

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1941

関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強

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1941

南部仏領インドシナ進駐開始

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1941

アメリカが在米日本資産を凍結し英蘭らも追随

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1941

アメリカが対日石油輸出全面禁止

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1941

御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意

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1941

東條英機内閣(陸軍)発足

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1941

アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定

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1941

日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発

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1942

精機光学工業(キヤノン)で内田三郎がシンガポール民生担当顧問となり御手洗毅へ社長交代(産科医院は継続)、軍需品製造で事業拡大

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1942

日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略

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1942

日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)

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1942

ミッドウェー海戦で日本海軍大敗

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1943

日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退

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1943

ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏

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1943

米英中が「カイロ宣言」発表

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1943

御手洗毅の精機光学工業が大和光学製作所を吸収合併し従業員数550人に拡大

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1944

マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる

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1944

伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化

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1944

小磯國昭内閣(陸軍)発足

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1944

ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入

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1944

村田昭が村田製作所を創業し「三菱電機伊丹製作所協力工場」として軍需品チタンコンデンサの製造開始

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1944

小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」

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1944

レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)

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1944

学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開

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1944

御手洗毅の精機光学工業が山梨県谷村に工場疎開

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1945

米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)

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1945

陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定

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1945

東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す

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1945

硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失

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1945

沖縄戦が始まる

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1945

吉田茂が近衛上奏文事件で憲兵隊に2ヶ月間拘置され反軍部の「勲章」獲得

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1945

鈴木貫太郎内閣(海軍)発足

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1945

ドイツが連合国に降伏

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1945

連合国がポツダム宣言発表

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1945

トルーマンが広島に原子爆弾投下

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1945

ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻

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1945

トルーマンが長崎に原子爆弾投下

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1945

日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告

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1945

玉音放送

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1945

全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)

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1945

東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる

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1945

マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始

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1945

日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧

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1945

GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始

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1945

GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動

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1945

GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代

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1945

米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定

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1945

御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す

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1945

連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)

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1945

GHQが五大改革指令

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1945

マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言

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1945

国際連合発足

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1945

雑誌の創刊・復刊ブーム

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1945

GHQが財閥解体指令

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1945

陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理

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1945

衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」

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1946

天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)

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1946

GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)

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1946

インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行

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1946

GHQ指令に基づき労働組合法公布

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1946

国際通貨基金(IMF)発足

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1946

新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)

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1946

GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化

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1946

親米派財界人により経済同友会発足

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1946

極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)

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1946

井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業)

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1946

GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任

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1946

第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任

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1946

経済安定本部(安本)・物価庁設置

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1946

復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立

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1946

吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定

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1946

本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業)

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1946

吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布

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1946

吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める

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1946

吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定

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1947

手塚治虫(大坂医専学生)の長編漫画単行本『新寳島』が累計40万部の大ヒットで「赤本」ブームを巻起す(戦後ストーリー漫画の原点)

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1947

マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化

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1947

井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)

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1947

GHQにより独占禁止法制定

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1947

GHQ作成日本国憲法施行

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1947

石油配給公団発足に伴い出光興産が販売店指定を獲得し石油業界に復帰(出光商会を吸収合併)

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1947

過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行

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1947

民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)

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1947

御手洗毅の精機光学工業がキヤノンカメラへ改称

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1947

村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功

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1948

GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任

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1948

米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定

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1948

GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表

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1948

東條英機(享年63)らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放

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1948

御手洗毅のキヤノンカメラが日本光学工業(ニコン)のレンズから自社生産へ切替え販路開拓も自力主義へ転換

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1949

米軍が日本の再軍備方針を決定

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1949

ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す

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1949

GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定

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1949

東京証券取引所再開

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1949

御手洗毅のキヤノンカメラが東京証券取引所に株式上場

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1949

ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件

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1949

シャウプ勧告(税制改革指令)

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1949

ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化

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1949

湯川秀樹が「中間子の存在の予想」で日本人初のノーベル物理学賞受賞

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1949

御手洗毅のキヤノンカメラがライカのf値(レンズの明度)を上回るレンズを開発しサンフランシスコ全米カメラ展示場で1位獲得

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1949

ドッジ・ライン恐慌でラジオセットメーカーの大半が倒産し関西の生残りは松下電器産業と早川電機工業(シャープ)のみ、部品供給の村田製作所も経営難に陥る

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1950

ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言

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1950

トヨタ自動車工業が経営危機に陥り大規模労働争議も発生、豊田喜一郎が社長を引責辞任し石田退三へ交代

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1950

朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換

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1950

GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)

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1950

GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設

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1950

池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」発言

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1950

ドッジ・ライン恐慌で過剰在庫を抱えたキヤノンカメラが朝鮮特需により蘇生、御手洗毅が販路開拓のため渡米

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1950

御手洗毅のキヤノンカメラが大田区下丸子の富士航空計器を買収し同地に本社・工場を移転集約

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1950

産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%

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1951

公職追放解除

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1952

サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成

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1952

血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)

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1952

財閥解体の緩和が進み三井生命保険・住友銀行など財閥商号も復活

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1952

東京都内のジーンズショップが100店を超える

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1952

池田勇人通産相が「中小企業の倒産・自殺やむなし」の失言で引責辞任

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1952

本田宗一郎の本田技研工業が小型バイク「カブ」を発売し大ヒット

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1953

早川徳次の早川電機工業(シャープ)が国産初の白黒テレビ発売

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1953

テレビ放送開始

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1953

出光佐三の出光興産「日章丸二世」が英国海軍の監視をかわしイランから原油搬入、BPが積荷の所有権を主張するが東京地裁で出光興産の勝訴決定(日章丸事件)

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1953

朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る

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1953

林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退)

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1954

松下幸之助の松下電器産業が経営破綻した日本ビクターを資本提携で救済しレコード事業参入

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1954

集団就職列車はじまる(~1975)

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1954

朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道

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1954

第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任

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1954

画期的な「ライカM3」登場を受け御手洗毅のキヤノンカメラは工程標準化と製品均質化を進め職人依存のライカに対抗

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1954

高度経済成長はじまる(~1973)

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1955

井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット

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1955

日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟

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1955

保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始

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1955

アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立

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1956

原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら)

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1956

鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言

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1956

日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)

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1956

自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成

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1956

日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される

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1956

石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任

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1956

公団住宅の供給がはじまる

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1957

第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)

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1957

欧州経済共同体(EEC)発足

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1957

原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議

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1957

岸信介が首相として初めてビルマ・インド・インドネシア・パキスタン・セイロン・タイ・台湾を歴訪

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1957

岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言

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1957

中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)

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1957

電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立

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1958

日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円)

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1958

安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業)

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1958

東京タワー開業

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1958

全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱

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1959

『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊

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1959

稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業)

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1959

三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北

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1960

日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円)

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1960

日米新安保条約・地位協定発効

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1960

東芝が国産第1号のカラーテレビ発売

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1960

第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1960

石油輸出国機構 (OPEC) 設立

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1960

池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定

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1960

ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否

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1960

産業別労働人口:第一次産業32.7%・第二次29.1%・第三次38.2%

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1961

アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告

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1961

高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業)

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1961

日本経済団体連合会(経団連)発足

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1961

御手洗毅のキヤノンカメラが低価格・高機能の「キャノネット」発売

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1961

電気洗濯機の世帯普及率が50%突破

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1962

キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避

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1962

池田勇人首相が欧州7ヶ国を歴訪しGATT35条撤回およびOECD加盟の交渉が前進

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1962

池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意

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1963

日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始

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1963

日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化)

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1963

『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる

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1963

本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入

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1963

日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」)

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1963

御手洗毅のキヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」を発売し世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕

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1964

日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)

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1964

日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による)

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1964

ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向

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1964

日本が経済協力開発機構(OECD)加盟

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1964

家電製品の「価格破壊」をめぐり「ダイエー・松下戦争」勃発(~1994)

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1964

米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化

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1964

IMF・世界銀行東京総会

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1964

東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通

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1964

東京オリンピック

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1964

中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)

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1964

第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足

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1965

日韓基本条約調印

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1965

李光耀のシンガポールがマレーシアから独立

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1965

インドネシアでクーデター未遂事件(9月30日事件)、スカルノ大統領が失脚しスハルトが政権奪取

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1965

日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面

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1965

日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円)

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1965

日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)

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1965

電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破

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1966

御手洗毅のキヤノンカメラが大企業初の週休二日制導入

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1966

『ウルトラマン』のテレビ放送開始

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1966

日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併

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1967

御手洗毅のキヤノンカメラが「右手にカメラ、左手に事務機」を標語に事業多角化に乗出し複写機製造開始

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1967

公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)

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1967

欧州共同体(EC)発足

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1967

公害対策基本法施行

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1967

東南アジア諸国連合(ASEAN)発足

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1968

全共闘運動が全国の大学に広がる

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1968

少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊

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1968

インテル設立

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1968

日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる

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1969

御手洗毅のキヤノンカメラがキヤノンへ改称

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1969

『週刊少年チャンピオン』創刊

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1969

テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始

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1969

ウォルマート設立

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1969

佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約

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1969

御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸

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1969

冷戦のデタント時代(~1979)

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1970

日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録

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1970

岡田卓也の岡田屋がフタギ・オカダヤチェーン・カワムラ・ジャスコを吸収合併し「ジャスコ株式会社」設立(→イオン)、三重県四日市から大阪市福島区へ本社移転

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1970

佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択

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1970

電気洗濯機の世帯普及率が90%突破

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1970

対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大

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1970

産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%

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1971

『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始

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1971

環境庁発足

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1971

ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外

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1971

ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃

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1971

安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる

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1971

アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)

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1971

ドル切下げにより1ドル360円から308円となる

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1971

電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破

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1972

札幌冬季オリンピック

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1972

連合赤軍あさま山荘事件

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1972

ニクソン訪中、繊維問題の報復で米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正

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1972

沖縄返還

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1972

富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業)

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1972

田中角栄が「日本列島改造論」発表

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1972

第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足

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1972

「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる

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1972

中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成

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1972

田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒

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1972

カラーテレビの世帯普及率が50%突破

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1973

本田技研工業が経営危機に陥り本田宗一郎が藤沢武夫副社長を道連れに社長辞任(後任社長は技術者の河島喜好)

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1973

巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、王貞治は打率355(生涯最高)・本塁打51・打点114で悲願の三冠王となりシーズンMVP獲得

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1973

手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活

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1973

カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破

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1973

『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映

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1973

日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰

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1973

鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006)

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1973

藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始

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1973

永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始

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1973

第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦

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1973

第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換

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1973

松下電器産業の年商1兆円突破に伴い会長の松下幸之助が相談役に退く

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1973

第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦

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1973

第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換

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1974

田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害

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1974

鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業

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1974

鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令

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1974

滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)

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1974

立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる

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1974

テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始

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1974

巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得

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1974

フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談

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1974

三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足

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1974

電源三法成立で原発建設への交付金制度確立

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1975

サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結

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1975

中内功のダイエーが「ダイエーローソン株式会社」でCVSに参入し豊中市にローソン1号店開業

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1975

ビル・ゲイツがマイクロソフト創業

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1975

キヤノンで御手洗毅が前田武男に社長を譲り会長に退く

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1975

広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)

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1975

第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加

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1975

カラーテレビの世帯普及率が90%突破

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1975

戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)

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1976

スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立

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1976

田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される

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1976

毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結

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1976

福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足

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1977

カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる

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1977

キヤノンで前田武男社長が急死し賀来龍三郎が後継、創業者の御手洗毅は会長から名誉会長へ

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1977

福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明

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1977

第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握

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1977

「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利

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1977

日本人の平均寿命が男女共に世界一となる

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1978

日中平和友好条約締結

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1978

鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察

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1978

第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定

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1978

「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始

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1978

第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1978

乗用車の世帯普及率が50%突破

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1979

鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる

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1979

ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生

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1979

テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始

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1979

『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行

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1979

大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調

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1979

松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立

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1979

井深大のソニーがウォークマン(WALKMAN)を発売し世界中で革命的大ヒット

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1979

アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化

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1979

電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功

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1980

山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し大ヒット

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1980

岡田卓也のジャスコ(現イオン)がコンビニ「ミニストップ」を設立し横浜市大倉山に1号店開業

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1980

鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足

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1980

イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)

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1980

巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代

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1980

日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一

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1980

産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%

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1981

ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換

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1981

日本が対米乗用車輸出の自主規制開始(年間168万台からスタート)

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1981

第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立

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1981

孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出

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1982

東北新幹線・上越新幹線開業

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1982

第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足

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1983

中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定

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1983

中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず

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1983

東京ディズニーランド開園

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1983

世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる

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1983

山内溥の任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売し家庭用ゲーム機産業の嚆矢となる

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1983

AT&T創業

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1983

鈴木修の鈴木自動車工業(スズキ)がインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」で小型車生産開始、インド市場でシェア5割へ躍進

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1984

グリコ・森永事件

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1984

宮崎駿監督の劇場アニメ映画『風の谷のナウシカ』上映、宮崎駿の個人事務所「二馬力」設立

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1984

キヤノン創業者の御手洗毅が死去(享年83)

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Kouyuuroku

内田三郎

創業仲間

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吉田五郎

創業仲間

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前田武男

創業仲間

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山口一太郎

創業仲間

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金子富太郎

創業仲間

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砂山角野

創業仲間

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鮎川義介

創業支援者

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鈴川ヒロシ

海軍技術将校上りの側近

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前田武男

キヤノン2代目

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賀来龍三郎

キヤノン3代目

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山路敬三

キヤノン4代目

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御手洗肇

若死にした息子・キヤノン5代目

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御手洗冨士夫

甥・キヤノン6代目

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大賀規久

親友の息子・寄生虫

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石井四郎

医学部同門の731部隊長

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松下幸之助

松下電器創業者

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井植歳男

三洋電機創業者

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早川徳次

シャープ創業者

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井深大

ソニー創業者

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盛田昭夫

ソニー創業者

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御手洗毅

キヤノン創業者

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村田昭

村田製作所創業者

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稲盛和夫

京セラ創業者

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山内溥

任天堂の実質創業者

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豊田佐吉

発明王

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豊田喜一郎

トヨタ自動車創業者

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石田退三

トヨタ中興の祖

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小林一三

阪急創業者

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石橋正二郎

ブリジストン創業者

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鮎川義介

日産創業者

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小平浪平

日立創業者

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出光佐三

出光興産創業者

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本田宗一郎

ホンダ創業者

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鈴木修

スズキのやり手

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八木秀次

お見逸れしました

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稲葉清右衛門

ファナック創業者

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滝崎武光

キーエンス創業者

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永守重信

日本電産創業者

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安藤百福

日清食品創業者

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高原慶一朗

ユニ・チャーム創業者

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中内功

ダイエー創業者

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岡田卓也

イオン創業者

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鈴木敏文

セブン-イレブン創業者

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