
おざわ いちろう
小沢 一郎
1942年~-年
60
点
「田中角栄の秘蔵子」ながら金丸信に従い経世会の内紛で自民党離脱、「二大政党制」を掲げて2度の政権交代を実現し民主党政権で従米脱却を図るが「国策捜査」で失脚
同じ時代の人物

基礎点
20
点
小沢一郎は、三木武吉に仕え戦後大臣を歴任した小沢佐重喜の長男で、父の急死で地盤を継ぎ1969年27歳で衆議院議員初当選、「田中角栄の秘蔵子」といわれたが「経世会」の造反劇では師匠の金丸信に従った。小沢一郎は若輩ながら「金竹小」体制で「経世会支配」を牽引し1989年47歳で自民党幹事長に就任、総裁選出馬は見送ったが候補者の「小沢詣で」で豪腕を見付け1991年宮澤喜一内閣を成立させた。海部俊樹・宮澤喜一内閣で、小沢一郎は首相の頭越しに「ミスター外圧」アマコスト駐日大使と提携し、湾岸戦争が起ると「出し渋ったら日米関係は大変なことになる。いくらでも引受けてこい。責任は私が持つ」と橋本龍太郎蔵相を促しアメリカの要求どおり130億ドルもの協力金を献上、自衛隊派遣の名分を得るため「国連平和協力法案」を提出した。さらに小沢一郎は「日米構造協議」で公共投資10年間430兆円を容認し、ベストセラーとなった自著「日本改造計画」で旗振り役を演じた。アメリカは剛腕の従米派に期待を寄せたが、経世会では金丸信を後ろ盾に後継会長を狙う小沢一郎と竹下登・小渕恵三・橋本龍太郎ら主流派の内紛が発生、「東京佐川急便事件」で金丸が失脚すると小渕が経世会会長に就任した。翌1993年、小沢一郎は自民党を割り「新党ブーム」を追風に「新生党」を結成(党首は羽田孜)、内閣不信任決議で宮澤喜一内閣を倒し、自民党との連立へ傾く日本新党の細川護煕を首相に担ぎ非自民連立政権を成立させた。が、お定りの主導権争いで寄集めは崩れ、細川護煕は政権を投出し代わった羽田孜内閣は僅か64日で瓦解、「55年体制」の「中断」は1年も続かず「自社さ連立」の村山富市内閣が発足した。野党に転落した新生党・日本新党は「新進党」に合同し政権奪還を目指したが、党首小沢一郎の独断専行に離反者が相次ぎ羽田孜や細川護煕も離反、1997年新進党は雲散霧消し小沢の「自由党」など6党に分裂した。政権復帰を目指す小沢一郎は1999年自民党と復縁し小渕恵三内閣で「自自公連立」を組むが、根強い「小沢アレルギー」に阻まれ連立解消、2003年鳩山由紀夫・菅直人らの民主党に合流した。
40
点
2003年選挙に滅法強い小沢一郎を得た民主党は同年の「マニフェスト選挙」で躍進、2005年の「郵政選挙」では「小泉旋風」に屈したが、2007年参院選で過半数議席を獲得し「衆参ねじれ国会」が現出、2009年の総選挙で憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得し政権交代を達成した。数だけの政権交代に懲りた小沢一郎は自民党との政策対比戦略を採用、小泉純一郎政権の地方切捨てに地方経済重視で対抗し、従米外交を捨て「国連中心主義」「東アジア共同体構想」を提唱、2009年「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第七艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う。米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事項についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と発言した(第七艦隊発言)。が、その10日後に「西松建設献金問題」が発生、公設秘書逮捕で小沢一郎は民主党代表を引責辞任し直後に鳩山由紀夫内閣が発足した。祖父鳩山一郎の遺志を継ぐ鳩山由紀夫首相は小沢一郎幹事長と共に従米脱却に邁進、内政干渉ツール「年次改革要望書」を廃止して在日米軍基地削減と「有事駐留」転換を図り、自主憲法制定を唱え中国に急接近したが、「普天間基地移設問題」で袋叩きに遭い鳩山首相は「最低でも県外」発言の撤回と共に辞任に追込まれた。組閣早々「尖閣問題」に躓いた菅直人内閣は従米回帰へ傾き東日本大震災・福島原発事故で政権担当能力の無さを露呈、小沢一郎は民主党代表選で対抗したが突然の「陸山会事件」で党員資格を剥奪された。「菅おろし」は成功したが、野田芳彦・前原誠司ら松下政経塾・従米派の天下となり野田政権へ移行、2012年小沢一郎グループ50人は民主党を脱党した。直後の総選挙で民主党は大敗し政権ごっこは終焉、小沢一郎は無罪が確定し「国策捜査」が明白となったが衰退著しく2013年の総選挙で「生活の党」は小沢以外全員落選の惨敗を喫し政党要件さえ失って脱原発の山本太郎一派と合流した。

1942
年
東京府会議員(のち衆議院議員)小沢佐重喜の嫡子小沢一郎が東京御徒町にて出生、中学進学で上京するまで地元の岩手県水沢で育つ
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1946
年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946
年
小沢佐重喜(小沢一郎の父)が三木武夫の薦めで岩手2区から出馬し衆議院議員初当選(~1968)
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1946
年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1947
年
田中角栄が新潟3区から民主党公認で出馬し衆議院議員初当選(~1990)
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1949
年
第三次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相就任(岡崎勝男に途中交代)、父小沢佐重喜が郵政相就任
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1951
年
自由党に鳩山一郎の派閥が起り吉田茂の主流派と勢力伯仲
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1952
年
自由党で吉田茂派と鳩山一郎派の溝が深まり吉田首相は抜打解散で対抗
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1952
年
衆議院総選挙、自由党が圧勝し鳩山一郎ら公職追放解除者が衆議院議席の42%を占める、岸信介の日本再建連盟は大敗
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1953
年
吉田茂首相が衆議院を「バカヤロー解散」、鳩山一郎・広川弘禅が分派し分党派自由党結成
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1953
年
第五次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任、父小沢佐重喜が建設相就任
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1953
年
朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る
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1953
年
鳩山一郎が分自党を解消し吉田茂の自由党に復党、三木武吉・河野一郎・石橋湛山らが離脱し日本自由党結成
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1953
年
奄美群島が本土復帰
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1954
年
吉田茂側近(吉田十三人衆)の田中角栄が佐藤栄作幹事長の派閥に属し自由党副幹事長に就任
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1954
年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1954
年
反抗勢力が日本民主党に合同し(鳩山一郎総裁・重光葵副総裁・岸信介幹事長)内閣不信任決議で吉田茂内閣を打倒
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1955
年
総選挙、鳩山一郎首相の民主党政権は絶対多数を獲得できず憲法改正を断念し対ソ外交に注力
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1955
年
左右社会党統一(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長、衆院156議席・参院69議席)
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1955
年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
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1955
年
吉田茂・佐藤栄作らが自由民主党に参加せず無所属となる(田中角栄は佐藤派だが自民党加入)
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1956
年
鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言
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1956
年
三木武吉死去
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1957
年
鳩山一郎が自民党を離党し吉田茂派の佐藤栄作らが自民党復帰
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1958
年
総選挙、岸信介首相の与党自民党は大勝できず憲法改正を断念し安保改定に注力
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1958
年
竹下登が島根県全県区から出馬し衆議院議員初当選(~2000)、自民党で佐藤栄作・田中角栄の派閥に所属し同期の金丸信と盟友となる
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1959
年
鳩山一郎死去
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1960
年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1962
年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1964
年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964
年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964
年
東京オリンピック
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1964
年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1965
年
内閣改造で田中角栄に代わり福田赳夫が大蔵大臣就任、田中は自民党幹事長・政調会長等を歴任し佐藤栄作首相を補佐
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1967
年
小沢一郎が慶應義塾大学経済学部を卒業し司法試験に挑むが失敗
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1967
年
中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
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1967
年
欧州共同体(EC)発足
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1967
年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1967
年
吉田茂死去
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1968
年
小沢佐重喜が死去、長男の小沢一郎は司法試験を諦めて地盤を継ぎ田中角栄の援助で政界進出
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1968
年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968
年
小笠原諸島が本土復帰
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1968
年
米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印
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1968
年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969
年
東大安田講堂事件
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1969
年
リチャード・ニクソン(共和党)が米大統領就任(~1974)
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1969
年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970
年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970
年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1971
年
沖縄返還協定調印
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1971
年
環境庁発足
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1971
年
田中角栄が通商産業大臣就任
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1971
年
竹下登が内閣官房長官で初入閣
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1971
年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971
年
田中角栄通産相が国内繊維業者に損失補填2300億円を断行し対米繊維交渉を決着
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1972
年
札幌冬季オリンピック
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1972
年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972
年
政権を狙う田中角栄が福田赳夫を支持する佐藤栄作の派閥を割り田中派結成、竹下登らも田中角栄に追随
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1972
年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972
年
岸信介の後継者で佐藤栄作首相が推す福田赳夫を田中角栄が破り自民党総裁選に勝利(角福戦争)
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1972
年
田中角栄首相が訪米し日米首脳会談でニクソン大統領に日中国交正常化を打診
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1972
年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1973
年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973
年
田中角栄内閣が小選挙区制導入に失敗
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1973
年
金大中事件、日韓関係が国交断絶寸前まで悪化
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1973
年
日米首脳会談、ニクソン大統領が田中角栄首相に北方領土問題支持を匂わせ日ソ緊密化を牽制
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1973
年
田中角栄内閣が北ベトナムと国交樹立
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1973
年
田中角栄首相が欧州歴訪し「資源外交」を展開
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1973
年
田中角栄首相がモスクワ訪問、鳩山一郎以来の日ソ首脳会談が実現するが北方領土交渉は頓挫
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1973
年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973
年
田中角栄首相がアメリカの恫喝を無視し中東政策を産油国寄りに転換、原油確保で日本経済は危機を凌ぐ
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1973
年
愛知揆一の急死を受け福田赳夫が蔵相就任、総需要抑制政策への転換で田中角栄内閣の「日本列島改造論」が挫折
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1973
年
周恩来の工作により鄧小平が中国中央政界に復活
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1974
年
田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
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1974
年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974
年
参議院選挙で自民党が議席を減らし田中角栄内閣が失速
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1974
年
大平正芳が外務大臣から大蔵大臣へ転任(~1976)
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1974
年
ウォーターゲート事件でニクソンが米国史上初めて大統領辞任
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1974
年
ジェラルド・R・フォード(共和党)が米大統領就任(~1977)
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1974
年
田中角栄首相がメキシコ・ブラジル・カナダ・オーストラリア歴訪し「資源外交」を展開
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1974
年
竹下登が内閣官房長官就任
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1974
年
フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
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1974
年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975
年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975
年
佐藤栄作死去、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」(葬儀委員長は田中角栄)
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1975
年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1976
年
周恩来死去、第一次天安門事件、鄧小平失脚
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1976
年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1977
年
ジミー・カーター(民主党)が米大統領就任(~1981)
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1977
年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977
年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1978
年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978
年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978
年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978
年
自民党総裁選で現職首相の福田赳夫が田中角栄の支持を得た大平正芳(宏池会)にまさかの敗北
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1979
年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979
年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979
年
解散総選挙で与党自民党が大敗、福田赳夫が首相指名選に挑むが田中角栄の支持で大平正芳首相が防衛(四十日抗争)
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1979
年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1980
年
内閣不信任決議を受け大平正芳内閣が「ハプニング解散」総選挙
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1980
年
大平正芳首相が総選挙の最中に心不全で急死(享年70)、田中角栄の支持で大平派の鈴木善幸が自民党総裁を後継
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1980
年
ワインバーガー米国防長官の防衛費増額要請を鈴木善幸首相が拒否
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1980
年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980
年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1981
年
第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
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1982
年
ブレジネフが死去しアンドロポフがソ連最高指導者を承継
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1983
年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983
年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983
年
総選挙で自民党大敗、中曽根康弘総裁が「田中角栄氏の政治的影響を一切排除する」と声明
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1984
年
アンドロポフが死去しチェルネンコがソ連最高指導者を承継(老人支配政治が終焉)
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1985
年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985
年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985
年
レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長がジュネーヴで会談し核軍縮協議を開始
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1985
年
小沢一郎が自治大臣(兼国家公安委員長)で初入閣
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1986
年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986
年
次期政権を狙う竹下登が自民党幹事長就任
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1986
年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987
年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987
年
岸信介死去
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1987
年
「ほめ殺し」の皇民党事件、極道の仲介で竹下登が田中角栄邸を訪ね謝罪するが門前払い
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1987
年
竹下登に代わり金丸信が経世会会長就任
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1987
年
大韓航空機爆破事件
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1987
年
「竹下派七奉行」の小沢一郎が内閣官房副長官就任
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1987
年
米ソが中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)締結
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1988
年
竹下登首相が国連軍縮総会で「平和のための協力」演説
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1988
年
イラン・イラク戦争終結
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1989
年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989
年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989
年
リクルート事件捜査で「竹下登の金庫番」青木伊平が自殺
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1989
年
ゴルバチョフが訪中し中ソ対立終結
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1989
年
宇野宗佑内閣(自民党・中曽根系)発足
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1989
年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989
年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989
年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989
年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989
年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989
年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990
年
第二次海部俊樹内閣(自民党・三木系従米路線)発足
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1990
年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990
年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990
年
ドイツ再統一
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1990
年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1991
年
磯村尚徳が東京都知事選に敗れ小沢一郎が自民党幹事長辞任、経世会会長の金丸信は総裁選出馬を促すが小沢は謝辞
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1991
年
宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
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1991
年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991
年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991
年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992
年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992
年
小沢一郎が『日本改造計画』刊行しベストセラーとなる
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1992
年
細川護煕が日本新党を結成し新党ブーム始まる
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1993
年
武村正義・鳩山由紀夫・菅直人らが新党さきがけ結成
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1993
年
小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
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1993
年
欧州連合(EU)発足
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1993
年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1994
年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994
年
羽田孜内閣(非自民連立)発足
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1994
年
村山富市内閣(自社さ連立)発足
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1994
年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995
年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995
年
阪神・淡路大震災
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1995
年
地下鉄サリン事件
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1995
年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995
年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1996
年
鳩山由紀夫・菅直人らが自社さ連立政権から離脱し民主党結成
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1996
年
総選挙、政権交代を掲げた新進党も民主党も勝てず橋本龍太郎首相は自民党単独組閣へ
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1996
年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1997
年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997
年
消費増税(5%)
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1997
年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997
年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997
年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1998
年
小沢一郎が自由党を結成し党首就任(~2003)
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1998
年
小渕恵三内閣(自自公連立)発足
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1998
年
金融再生関連法が相次いで成立
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1998
年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999
年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999
年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999
年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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1999
年
自由党が与党自民党と連立し小沢一郎は5年ぶりに与党復帰
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2000
年
小沢一郎の自由党が離脱し自自公連立が自公連立となる
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2000
年
第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2000
年
小渕恵三が死去し橋本龍太郎が経世会会長を後継
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2000
年
竹下登死去
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2000
年
第二次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2001
年
ITバブル崩壊
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2001
年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001
年
第一次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足
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2001
年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001
年
テロ対策特別措置法成立
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2001
年
国債発行額が300兆円突破
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2002
年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ健康保険本人3割負担導入
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2002
年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2003
年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003
年
個人情報保護法成立
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2003
年
有事関連三法成立
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2003
年
「マニフェスト選挙」で民主党躍進
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2003
年
第二次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足
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2003
年
国債発行額が400兆円突破
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2004
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
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2004
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ司法試験制度を変更し法科大学院(ロースクール)設置
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2004
年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005
年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005
年
「郵政解散」総選挙で小泉純一郎首相が「抵抗勢力」を駆逐し民主党も大敗
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2005
年
第三次小泉純一郎内閣(自公連立)発足
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2005
年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005
年
合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
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2005
年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005
年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2006
年
オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる
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2006
年
橋本龍太郎死去
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2006
年
第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2006
年
北朝鮮の核実験成功宣言で(真偽不明)東アジア情勢が緊迫化
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2006
年
米軍がイラクでサダム・フセインを拘束し殺害
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2007
年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007
年
アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
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2007
年
参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
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2007
年
テロ対策特別措置法問題で小沢一郎が海上自衛隊派遣に反対
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2007
年
小沢一郎が参議院で首相指名を得るが衆議院優先で福田康夫内閣成立、小沢民主党は自民党との連立を拒否
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2008
年
第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
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2008
年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008
年
麻生太郎内閣(自公連立)発足
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2009
年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009
年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009
年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2009
年
民主党政権が行政刷新会議で目玉政策「事業仕分け」をはじめるが官僚の抵抗でパフォーマンスに終始(のちノーベル賞を受賞する山中伸弥京大教授も大幅予算カット)
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2010
年
JALが経営破綻、鳩山由紀夫首相の要請で稲盛和夫が会長となり公的資金注入でV字回復
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2010
年
鳩山由紀夫首相が稲盛和夫を非常勤内閣特別顧問に任命
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2010
年
西松建設献金問題で東京地検特捜部が小沢一郎配下の大久保隆規・石川知裕らを逮捕起訴
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2010
年
普天間基地移設に係る「最低でも県外」発言撤回で内閣支持率が低下し鳩山由紀夫首相が辞任
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2010
年
尖閣諸島で中国漁船衝突事件が起り菅直人内閣が混乱
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2010
年
与党民主党で内部対立が深まり小沢一郎幹事長が代表選に出馬するが菅直人の続投決定
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2010
年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011
年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011
年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011
年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011
年
小沢一郎・鳩山由紀夫らの「管おろし」が活発化
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2011
年
米軍特殊部隊がパキスタンでウサマ・ビン・ラーディン殺害
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2011
年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2012
年
石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
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2012
年
陸山会事件の東京高裁判で小沢一郎らの無罪確定
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2012
年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012
年
小沢一郎の「国民の生活が第一」が嘉田由紀子の「日本未来の党」へ合流
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2012
年
民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
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2012
年
第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2013
年
総選挙で惨敗した「日本未来の党」が「生活の党」へ名称変更し嘉田由紀子が離党し小沢一郎が代表就任
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2013
年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013
年
総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消、小沢一郎を議席を保つが「生活の党」は公認候補全員落選
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2014
年
ロシア・ウクライナ紛争
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2014
年
消費増税(8%)
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小沢佐重喜
父
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渡辺喜三郎
父の義兄で鹿島の大番頭
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鹿島守之助
鹿島総帥
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鹿島卯女
鹿島の女傑
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三木武吉
父の師匠
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椎名悦三郎
父のライバル・後藤新平の甥で岸信介の側近
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田中角栄
オヤジ
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金丸信
師匠
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竹下登
経世会初代・金丸の盟友だが最後は対立
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羽田孜
金丸系盟友→対立
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渡部恒三
金丸系同志→民主党で管派に鞍替え
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奥田敬和
金丸系同志→対立
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小渕恵三
竹下直系の政敵
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橋本龍太郎
小渕派の政敵
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梶山静六
小渕派の政敵
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宇野宗佑
経世会の傀儡首相
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海部俊樹
経世会の傀儡首相
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細川護煕
連立仲間→対立
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武村正義
細川政権内の宿敵
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渡辺美智雄
仲良し
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亀井静香
保保連合構想仲間
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中曽根康弘
保保連合構想仲間
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岩國哲人
奥田のツレ
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鹿野道彦
新進党内の政敵
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野中広務
自自連立仲間
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野田毅
自由党から離脱
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二階俊博
自由党の盟友→離反
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横路孝弘
民主党内の足掛り
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鳩山由紀夫
民主党の盟友
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管直人
民主党内主導権争い
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前原誠司
民主党内主導権争い
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岡田克也
民主党の盟友→離反
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野田佳彦
民主党内主導権争い
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海江田万里
民主党後継支持
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石井一
盟友→民主党で管派に鞍替え
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西岡武夫
盟友→民主党で管派に鞍替え
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平野達男
地元の離反者
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小池百合子
離反者
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河村たかし
党外の同志
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達増拓也
子分
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嘉田由紀子
力量不足の提携相手
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森裕子
看板娘
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福田赳夫
清和会
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森喜朗
清和会
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小泉純一郎
清和会の従米首相
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竹中平蔵
小泉構造改革の両輪
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宮内義彦
小泉構造改革の両輪・オリックスの改革利権王
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安倍晋三
清和会
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福田康夫
清和会
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大平正芳
宏池会
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宮澤喜一
宏池会
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鈴木善幸
宏池会
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麻生太郎
宏池会
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市川雄一
ワン・ワン・ライス
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米沢隆
ワン・ワン・ライス
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村山富市
連立相手
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斎藤次郎
国民福祉税同志
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稲盛和夫
京セラ創業者の支持者
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アーミテージ
ペテン師扱い
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アマコスト
ミスター外圧・駐日大使
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ルース
真っ向対立した駐日大使
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ゲース
同国防長官
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盧泰愚
これ以上何を謝ればいいんだ
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