101 fukudatakeo

ふくだ たけお

福田 赳夫

1905年~1995年

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岸信介の後継者として首相となりカーター米政権の「アジア離れ」を衝いて「全方位外交」を追求、ASEANとの連帯強化と日中平和友好条約締結を果たすも自民党総裁選に弱く僅か2年で退陣

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

60

福田赳夫は自主路線・岸信介の後継者である。群馬の旧庄屋に生れた福田赳夫は東大法学部から高等文官試験主席合格で大蔵省へ進み、軍部と闘う高橋是清蔵相に感銘を受け、ロンドン勤務や汪兆銘政権の財政顧問も経験した。戦後も出世コースを歩んだ福田赳夫は主計局長に上ったが「昭和電工疑獄」を機に退官し(のち無罪)、1952年衆議院議員へ転じた。福田赳夫は大蔵省傍流の池田勇人ではなく同じエリート官僚の岸信介に仕え、岸内閣で自民党三役となり農林相で初入閣、池田勇人内閣では政調会長に登用されたが「党風刷新連盟」で経済偏重主義を批判して解任され5年も冷飯を食った。しかし続く佐藤栄作内閣は派閥横断人事を行い(人事の佐藤)、福田赳夫は蔵相・幹事長・外相を歴任、戦後初の国債発行で「昭和四十年不況」を克服し「昭和元禄」を守り、沖縄返還では米軍駐留費負担の密約で交渉妥結に寄与、佐藤首相は退陣にあたり福田を後継指名した。1972年、田中角栄が佐藤派を割り「角福戦争」が勃発、大平正芳・三木武夫・中曽根康弘と包囲網を組み自民党総裁戦で福田赳夫を破った。田中角栄首相の「日本列島改造論」はオイルショックで挫折し、蔵相を託された福田赳夫は「総需要抑制策」へ転換し「狂乱物価」を終息させた。続く三木武夫内閣で福田赳夫は副総理兼経済企画庁長官に就任したが、「2年後の政権禅譲の密約(大福密約)」で宏池会の大平正芳と提携し「三木おろし」に成功、1976年71歳にして悲願の政権に就いた。「さあ働こう内閣」を掲げた福田赳夫首相は、カーター米政権の「アジア離れ」の隙を埋める形で「全方位外交」を推進、「福田ドクトリン」でASEAN諸国との連携を強化し懸案の日中平和友好条約を成立させた。しかし1978年、密約を反故にされた大平正芳が自民党総裁選に挑み田中角栄の支持を得て番狂わせの勝利、長期政権を期待された福田赳夫は僅か2年での退陣となった。その後も「昭和の黄門」福田赳夫は「清和会」に影響力を保持し1990年85歳で引退するまで衆議院議員を務めた。福田赳夫の没後、清和会を継いだ森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三が政権を担い、長男の福田康夫も首相となった。

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福田赳夫首相はカーター米政権の「アジア離れ」の隙を埋める形で「全方位外交」を追求し、従米脱却に挑んだ岸信介直系の名に恥じない働きを示した。ベトナム戦争敗北の翌1977年、大統領に就任したジミー・カーターは直ちに在韓米地上軍の削減を発表し「アジア離れ」の外交方針を鮮明にした。これを受けて福田赳夫首相は、カーター大統領を訪問し日米協調を確認したうえで、ASEAN5ヶ国の首脳を歴訪し「ASEAN工業プロジェクト」への10億ドル拠出およびODA支出額倍増を約束、最後の訪問地マニラで「日本の軍事大国化の否定・心と心が触れ合う相互信頼関係の確立・ASEAN各国の連帯性と強靭性強化に向けた自主的努力への協力」を骨子とする「福田ドクトリン」を表明した。福田ドクトリンとは即ち「米国のプレゼンス喪失で生じたアジアの力の空白を日本の経済力を求心力にASEAN諸国との政治経済両面での連帯強化によって埋めていく」外交方針の宣言であり、あわせて福田赳夫首相はベトナム問題や中ソ対立の波及など国際環境の分極化を未然に防ぐ日本の役割を国際社会に明示した。続いて福田赳夫首相は、改革解放を進める鄧小平復活後の中国と日本国内の親中・反ソ世論に促され、田中角栄内閣が達成した「日中国交正常化」の仕上げに乗出した。福田赳夫首相は、反ソ戦略の一環で対中接近を図るアメリカの了解を取付け、母体の岸派に根強い親台湾派を懐柔し、「反覇権条項」に抗議するソ連の牽制を黙殺して、1978年「日中平和友好条約」締結に漕ぎ着けた。福田赳夫首相は日中関係が「吊り橋から鉄橋になった」と自賛したが、中国への肩入れで「全方位外交」の建前は崩れ日ソ関係は悪化、さらに中国とベトナムの関係悪化を受け対越経済援助を堅持するも中越戦争勃発の抑止力にはなれず、日ソ関係改善に取組むなか自民党総裁選で大平正芳に敗れあっけなく退陣した。国内政治に弱い福田赳夫政権は短命に終わり岸信介以来の悲願である憲法改正・再軍備には踏込めなかったが、しっかりアメリカの了解を得ながらアジア経済共同体の構築を目指した外交戦術は秀逸で後世に範を示すものであった。

Shijitsu

1905

群馬県群馬郡金古町の素封家(旧庄屋)福田善治の次男に福田赳夫が出生

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1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1918

第一次世界大戦終結

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1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)、吉田茂も随行

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1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1923

関東大震災

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1926

大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

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1927

片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生

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1927

高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職

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1928

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1928

張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

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1929

福田赳夫が東京帝国大学法学部を卒業し高等文官試験に主席合格、大蔵省へ進みエリート本流の文書課勤務

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1929

世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

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1929

農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

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1930

福田赳夫が大蔵省財務書記でロンドン勤務

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1931

関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

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1931

朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

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1931

軍事費の急増が始まる

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1931

新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延

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1932

五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉

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1933

福田赳夫がロンドンから帰国し陸軍担当主計官任官、軍部と闘う高橋是清蔵相に感銘を受ける

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1934

日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く

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1936

二・二六事件

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1937

第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場

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1937

岸信介が満州国産業部次長に就任し(のち総務省次長)「産業開発五ヵ年計画」で統制経済を推進

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1937

盧溝橋事件で日中戦争が始まる

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1937

近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大

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1937

鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転

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1937

日本軍が国民政府の首都南京を占領

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1938

日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避

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1938

近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶

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1938

近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)

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1938

国家総動員法公布~軍国主義化の決定打

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1938

近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発

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1939

ノモンハン事件勃発

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1939

天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告

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1939

ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発

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1939

岸信介が満州から帰国し商工次官に就任

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1939

企画院事件発生、岸信介ら革新官僚が赤化思想として糾弾される

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1940

米内光政内閣(海軍)発足

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1940

日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立

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1940

日本軍による重慶爆撃

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1940

第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)

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1940

近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる

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1940

日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動

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1940

近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任

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1941

松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印

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1941

大蔵省エリートの福田赳夫が汪兆銘の南京政府へ財政顧問として転出

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1941

独ソ戦開戦

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1941

第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐

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1941

関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強

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1941

南部仏領インドシナ進駐開始

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1941

アメリカが対日石油輸出全面禁止

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1941

御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意

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1941

東條英機内閣(陸軍)発足、岸信介が商工大臣就任

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1941

アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定

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1941

日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発

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1943

福田赳夫が南京から帰国し官房文書課長など大蔵省本流を歩む

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1943

東條英機首相・重光葵外相が東京で大東亜会議を開催

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1943

商工省が軍需省へ改組され東條英機首相が軍需相兼任、岸信介商工相は国務大臣兼軍需次官に降格

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1944

小磯國昭内閣(陸軍)発足、重光葵が外相就任

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1945

池田勇人が大蔵省主税局長に昇進

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1945

米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)

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1945

東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す

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1945

沖縄戦が始まる

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1945

吉田茂が近衛上奏文事件で憲兵隊に2ヶ月間拘置され反軍部の「勲章」獲得

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1945

鈴木貫太郎内閣(海軍)発足、東郷茂徳が外相就任

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1945

ハリー・S・トルーマン(共和党)が米大統領就任(~1953)

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1945

ドイツが連合国に降伏

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1945

連合国がポツダム宣言発表

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1945

トルーマンが広島に原子爆弾投下

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1945

ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻

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1945

トルーマンが長崎に原子爆弾投下

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1945

日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告

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1945

玉音放送

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1945

東久邇宮稔彦王内閣(公家)発足、重光葵が外相就任(吉田茂に途中交代)

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1945

日本政府が進駐軍兵士専用の「特殊慰安施設(売春施設)」設置

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1945

東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる

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1945

マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始

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1945

福田赳夫が大蔵省官房長任官

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1945

日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧

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1945

GHQが陸海軍解体指令

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1945

GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始

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1945

東條英機逮捕でGHQの戦犯狩り開始、岸信介もA級戦犯容疑で収監される

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1945

GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代

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1945

米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定

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1945

昭和天皇・マッカーサー会談(以後11回)

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1945

連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)

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1945

近衛文麿国務相がマッカーサーと会談、生存を賭けて憲法改定起草に乗出す

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1945

幣原喜重郎内閣(外務官僚・従米路線)発足、吉田茂が外相就任

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1945

GHQが五大改革指令

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1945

マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言

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1945

国際連合発足

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1945

GHQが財閥解体指令

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1945

日本社会党(片山哲書記長)・日本自由党(鳩山一郎総裁)・日本進歩党(町田忠治総裁)の結党が相次ぐ

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1945

陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理

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1945

松本蒸治国務相(松本委員会)が憲法改正四原則を発表

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1945

衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」

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1946

天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)

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1946

GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)

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1946

GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪

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1946

GHQが幣原喜重郎内閣の第一次農地改革法案を拒否し徹底的改革を命令

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1946

GHQが松本委員会の憲法草案を拒否し「押付け憲法」を幣原喜重郎内閣が受諾

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1946

インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行

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1946

GHQ指令に基づき労働組合法公布

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1946

新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)

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1946

重光葵が巣鴨拘置所に投獄されA級戦犯容疑で起訴される

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1946

GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化

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1946

極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)

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1946

GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任

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1946

第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任

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1946

福田赳夫が公職追放を免れ大蔵省銀行局長就任

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1946

吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定

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1946

吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布

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1946

吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める

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1947

トルーマン米大統領が「トルーマン・ドクトリン」発表(ギリシア・トルコへの支援表明により共産主義勢力と戦う決意を示唆)

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1947

総選挙、片山哲の社会党が第一党に躍進

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1947

GHQ作成日本国憲法施行

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1947

GHQ・吉田茂首相が米軍駐留経費増額に反抗する石橋湛山蔵相を公職追放

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1947

片山哲内閣(社会党・キリスト教徒)発足、芦田均が外相兼副総理就任

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1947

マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)

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1947

毛沢東の共産党軍が大反攻を開始し蒋介石の国民政府軍を圧倒、アメリカは防共のためアジア戦略変更を迫られる

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1947

福田赳夫が大蔵省枢要の主計局長に栄転

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1947

芦田均外相がアメリカ政府に米軍の「有事駐留」を提案し怒りを買う

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1947

昭和天皇がGHQに「沖縄の恒久的軍事占領が望ましい」と伝達

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1947

過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行

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1947

民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)

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1948

ロイヤル米陸軍長官演説(占領経費削減と「反共の防波堤」構築のため、日本経済の破壊から自給自足促進への戦略転換を提言)

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1948

李承晩と金日成の対立で米ソ合同委員会による南北朝鮮統一工作が破綻

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1948

ジョージ・ケナンが来日し米国政府の日本解体緩和方針をマッカーサーに伝達

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1948

民主党を離脱した幣原喜重郎グループ(田中角栄も)が自由党に合流し民主自由党成立(吉田茂総裁)

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1948

日独占領政策を担うドレイパー米陸軍次官が日本視察し経済破壊政策の緩和を米政府に勧告(ジョンストン=ドレイパー報告)

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1948

芦田均内閣(民主党・外務官僚・自主路線)発足、芦田均が外相兼任

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1948

アメリカ軍政のもと大韓民国樹立宣言

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1948

ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化

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1948

ソ連共産党の指導下に金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立

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1948

GHQ参謀第2部=東京地検特捜部が民政局打倒のため昭和電工疑獄を創出し芦田均内閣が総辞職

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1948

大蔵省主計局長の福田赳夫が昭和電工疑獄で逮捕される(のち無罪)

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1948

GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任

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1948

米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定

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1948

GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表

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1948

東條英機らA級戦犯7名の死刑執行、岸信介ら不起訴の戦犯容疑者は釈放

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1949

衆議院総選挙、吉田茂の与党民主自由党が単独過半数獲得

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1949

第三次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相就任(岡崎勝男に途中交代)

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1949

米軍が日本の再軍備方針を決定

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1949

ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す

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1949

北大西洋条約機構(NATO)発足

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1949

ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化

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1949

毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる

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1950

中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる

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1950

吉田茂首相が池田勇人蔵相・宮澤喜一秘書官を派米し米軍駐留継続と単独講和を申入れ

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1950

トルーマン米大統領がダレス米講和特使を派日(1951年までに4回来日)

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1950

朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換

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1950

GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)

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1950

GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設

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1950

福田赳夫が大蔵省を退官し政界へ転身

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1951

国家警察予備隊(自衛隊)の組織化完了、軍隊批判に対し吉田茂首相が「自衛のための戦力は合憲」と発言

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1951

トルーマン米大統領が対立するマッカーサー連合軍最高司令官を罷免しリッジウェイ大将に交代(ウィロビー参謀第2部長も退官)

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1951

自由党に鳩山一郎の派閥が起り吉田茂の主流派と勢力伯仲

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1951

公職追放解除、岸信介も政界復帰

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1951

サンフランシスコ講和条約および日米安保条約調印、衆参両院が批准承認

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1952

吉田茂政権が自由な米軍駐留と治外法権を認める日米行政協定(安保条約の施行細則)調印

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1952

サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成

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1952

吉田茂首相腹心の岡崎勝男が隠蔽工作により宮澤喜一の行政協定批判を回避、外相に抜擢される

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1952

岸信介が日本再建連盟結成

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1952

ロバート・D・マーフィー米大使就任(~1953)

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1952

自由党で吉田茂派と鳩山一郎派の溝が深まり吉田首相は抜打解散で対抗

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1952

衆議院総選挙、自由党が圧勝し鳩山一郎ら公職追放解除者が衆議院議席の42%を占める、岸信介の日本再建連盟は大敗

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1952

福田赳夫が群馬3区から無所属(岸信介派)で出馬し衆議院議員初当選(~1990)

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1952

鳩山一郎への首相禅譲密約により第四次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任

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1953

ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党)が米大統領就任(~1961)

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1953

ジョン・フォスター・ダレスが米国務長官就任(~1959)、引き続き対日政策を主導

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1953

吉田茂首相が衆議院を「バカヤロー解散」、鳩山一郎・広川弘禅が分派し分党派自由党結成

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1953

右派社会党に入党を断られた岸信介が福田赳夫ら配下と共に佐藤栄作のツテで与党自由党に入党

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1953

岸信介(自由党)が山口2区から出馬し衆議院議員に当選(~1979)

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1953

ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立

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1953

第五次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任

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1953

ジョン・M・アリソン米大使就任(~1957)

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1953

朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る

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1953

鳩山一郎が分自党を解消し吉田茂の自由党に復党、三木武吉・河野一郎・石橋湛山らが離脱し日本自由党結成

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1953

奄美群島が本土復帰

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1954

アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)

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1954

吉田茂首相の自由党が従米路線に反抗する岸信介を除名

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1954

反抗勢力が日本民主党に合同し(鳩山一郎総裁・重光葵副総裁・岸信介幹事長)内閣不信任決議で吉田茂内閣を打倒

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1954

第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任

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1954

高度経済成長はじまる(~1973)

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1955

総選挙、鳩山一郎首相の民主党政権は絶対多数を獲得できず憲法改正を断念し対ソ外交に注力

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1955

第二次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任

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1955

アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催

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1955

ワルシャワ条約機構(WTO)発足

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1955

日本の保守合同に対しダレス米国務長官が財政支援を示唆しCIAは岸信介を通じ巨額資金供与

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1955

重光葵外相・岸信介がワシントンでダレス米国務長官と会談、在日米軍撤退・防衛分担金廃止提案を一蹴される

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1955

日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟

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1955

左右社会党統一(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長、衆院156議席・参院69議席)

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1955

保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始

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1955

第三次鳩山一郎内閣(自民党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任

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1956

フルシチョフの「スターリン批判」演説が西側に伝わり「雪どけ」機運高まる

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1956

鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言

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1956

自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成

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1956

日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される

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1956

石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任

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1956

謎の急病に倒れた石橋湛山首相に代わり岸信介外相が首相臨時代理を務める

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1957

アメリカに抵抗し自主外交を牽引した重光葵が謎の突然死(享年69)

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1957

自主外交を掲げた石橋湛山首相が謎の発病により首相辞任

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1957

鳩山一郎が自民党を離党し吉田茂派の佐藤栄作らが自民党復帰

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1957

ダグラス・マッカーサー2世が米大使就任(~1961)、日本政府をリード

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1957

第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)

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1957

欧州経済共同体(EEC)発足

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1957

岸信介首相が台湾の蒋介石を訪問し日華協力委員会を発足させ副会長就任

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1957

岸信介首相が「憲法は自衛のための核兵器保有を禁ずるものではない」と発言、自衛隊の軍備拡張計画(第一次防衛力整備計画)を承認

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1957

原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議

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1957

岸信介が首相として初めてビルマ・インド・インドネシア・パキスタン・セイロン・タイ・台湾を歴訪

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1957

岸信介首相が訪米しアイゼンハワー大統領・ダレス国務長官に自衛隊増強と引換えに日米安保条約改定を打診

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1957

岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言

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1957

岸信介首相がインドネシアのスカルノ大統領を訪問し賠償交渉打開

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1958

日本が初めて国連安全保障理事会の非常任理事国となる

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1958

日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円)

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1958

岸信介首相が個人特使の矢次一夫を韓国に派遣し李承晩大統領に国交回復を打診

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1958

総選挙、岸信介首相の与党自民党は大勝できず憲法改正を断念し安保改定に注力

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1958

岸信介直系の福田赳夫が自民党政調会長就任

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1958

第二次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、藤山愛一郎が外務大臣就任、佐藤栄作が大蔵大臣就任

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1958

岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる

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1958

岸信介内閣が警職法改正案(警察権限の拡大)を提出するが反対運動により廃案

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1958

昭和電工疑獄で東京高裁が福田赳夫に無罪判決

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1958

全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱

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1958

毛沢東の「大躍進」政策で中国経済が壊滅し数千万人が餓死(~1960)

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1958

毛沢東が台湾侵攻を図るが米軍の抵抗で断念(台湾海峡クライシス)

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1959

岸信介直系の福田赳夫が自民党幹事長就任

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1959

鳩山一郎死去

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1959

ジョン・フォスター・ダレス米国務長官が病気により辞任

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1959

福田赳夫が第二次岸信介内閣に農林大臣で初入閣

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1959

「大躍進」の大失敗で毛沢東が一時失脚し劉少奇・鄧小平が経済再建を始動

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1960

日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円)

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1960

安保闘争のなか岸信介首相が日米新安保条約・地位協定調印を強行

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1960

毛沢東の「修正主義批判」により中ソ対立が表面化(~1989)

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1960

韓国で「四月革命」が起り反日専門の李承晩大統領がハワイに亡命

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1960

日米新安保条約・地位協定発効

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1960

安保闘争によりアイゼンハワー米大統領の訪日中止

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1960

岸信介首相が大野伴睦配下の右翼暴漢に刺され翌日内閣総辞職

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1960

岸信介直系の福田赳夫が自民党政調会長就任

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1960

第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1960

岸信介派が分裂し福田赳夫が「党風刷新連盟」で池田勇人内閣の経済偏重主義を批判し不遇を託つ

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1960

第二次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1960

池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定

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1960

ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否

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1961

アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告

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1961

ジョン・F・ケネディ(民主党)が米大統領就任(~1963)

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1961

エドウィン・O・ライシャワー米大使就任(~1966)、日米蜜月関係を演出し沖縄返還に奔走

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1961

朴正煕(岸信介の友人・朴槿恵の父)が軍事クーデターで韓国大統領に就き無闇な反日原理主義から反共へ路線転換

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1961

東ドイツが「ベルリンの壁」建設

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1961

朴正煕韓国大統領が来日し友人の岸信介が池田勇人首相との国交回復交渉をサポート

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1962

キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避

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1962

池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意

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1963

米ソ英が部分的核実験停止条約調印

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1963

安倍晋太郎が山口1区で落選し岳父の岸信介を慌てさせる

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1963

リンドン・ジョンソン(民主党)が米大統領就任(~1969)

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1963

第三次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1963

日本がGATT11条国へ移行(為替・貿易原則自由化)

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1964

日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)

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1964

マッカーサー死去

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1964

日本が経済協力開発機構(OECD)加盟

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1964

米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化

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1964

ソ連でフルシチョフが失脚しブレジネフ政権へ移行

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1964

中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)

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1964

第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足

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1965

内閣改造で田中角栄に代わり福田赳夫が大蔵大臣就任、田中は自民党幹事長・政調会長等を歴任し佐藤栄作首相を補佐

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1965

佐藤栄作首相が訪米しジョンソン大統領と会談、ベトナム戦争への軍事協力を断りつつ沖縄・小笠原の施政権問題解決方針を確認

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1965

日韓基本条約調印

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1965

池田勇人死去

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1965

日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円)

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1965

日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)

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1965

戦後初の国債発行

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1966

政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)

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1966

内閣改造で福田赳夫に代わって三木武夫が大蔵大臣就任

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1967

福田赳夫が自民党幹事長就任、「黒い霧解散」後の総選挙で自民党勝利

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1967

公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)

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1967

安倍晋太郎(岸信介の娘婿)が衆議院議員復活当選

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1967

第二次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足

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1967

中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)

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1967

東南アジア諸国連合(ASEAN)発足

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1967

吉田茂死去

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1968

全共闘運動が全国の大学に広がる

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1968

小笠原諸島が本土復帰

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1968

佐藤栄作内閣が国連に核保有国の行動規制を提言

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1968

米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印

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1968

内閣改造で水田三喜男に代わって福田赳夫が大蔵大臣就任

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1968

日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる

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1969

リチャード・ニクソン(共和党)が米大統領就任(~1974)

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1969

朴正煕と親しい岸信介が日韓協力委員会を設立し会長就任

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1969

岸信介が佐藤栄作首相の要請で渡米しニクソン大統領と沖縄返還の下交渉

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1969

佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約

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1969

冷戦のデタント時代(~1979)

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1970

第三次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足、福田赳夫が大蔵大臣就任

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1970

佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択

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1971

ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外

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1971

ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃

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1971

アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)

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1972

沖縄返還

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1972

政権を狙う田中角栄が福田赳夫を支持する佐藤栄作の派閥を割り田中派結成

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1972

岸信介の後継者で佐藤栄作首相が推す福田赳夫を田中角栄が破り自民党総裁選に勝利(角福戦争)

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1972

第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足

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1972

田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒

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1972

第二次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足、福田赳夫が行政管理庁長官就任

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1973

第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦

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1973

第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換

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1973

愛知揆一の急死を受け福田赳夫が蔵相就任、総需要抑制政策への転換で田中角栄内閣の「日本列島改造論」が挫折

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1974

ジェラルド・R・フォード(共和党)が米大統領就任(~1977)

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1974

立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる

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1974

三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足、福田赳夫が副総理兼経済企画庁長官就任

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1975

佐藤栄作死去、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」(葬儀委員長は田中角栄)

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1975

第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加

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1975

戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)

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1976

田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される

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1976

毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結

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1976

福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足

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1977

ジミー・カーター(民主党)が米大統領就任(~1981)

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1977

カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる

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1977

福田赳夫首相が訪米しカーター大統領と会談、アジア政策での日米協調を根回し

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1977

第3回先進国首脳会議(ロンドンサミット)、福田赳夫首相が自由貿易体制堅持の必要性を説く

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1977

福田赳夫内閣が北方領土問題と切離すことで日ソ漁業協定を妥結

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1977

福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明

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1977

日本赤軍が日航機をハイジャック、福田赳夫首相が身代金および赤軍メンバー釈放の要求に応じる

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1977

第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握

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1978

A級戦犯の死刑者7人および獄中病死者5人が「国家のための殉難者」として靖国神社に合祀される

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1978

三里塚闘争が掃討され成田国際空港開業

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1978

日中平和友好条約締結

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1978

鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察

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1978

第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定

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1978

「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始

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1978

自民党総裁選で現職首相の福田赳夫が田中角栄の支持を得た大平正芳(宏池会)にまさかの敗北

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1978

第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1979

岸信介・福田赳夫ラインが清和会結成

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1979

鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる

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1979

ベトナムがカンボジアに侵攻し中越戦争勃発(ソ連と中国の代理戦争)

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1979

ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生

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1979

大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調

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1979

解散総選挙で与党自民党が大敗、福田赳夫が首相指名選に挑むが田中角栄の支持で大平正芳首相が防衛(四十日抗争)

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1979

岸信介が地盤を吹田愰に譲り政界引退(衆院選不出馬)

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1979

第二次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足

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1979

アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化

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1980

内閣不信任決議を受け大平正芳内閣が「ハプニング解散」総選挙

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1980

大平正芳首相が総選挙の最中に心不全で急死(享年70)、田中角栄の支持で大平派の鈴木善幸が自民党総裁を後継

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1980

鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足

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1980

ワインバーガー米国防長官の防衛費増額要請を鈴木善幸首相が拒否

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1980

イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)

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1981

ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換

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1982

第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足

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1983

中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定

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1983

中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず

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1983

ロッキード事件裁判で田中角栄元首相に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決

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1983

第二次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足

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1983

福田赳夫が岸信介の女婿安倍晋太郎に清和会会長を禅譲

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1985

ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行

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1985

アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始

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1985

プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる

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1985

レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長がジュネーヴで会談し核軍縮協議を開始

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1986

ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故

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1986

第三次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足

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1986

「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる

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1986

ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増

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1987

中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足

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1987

竹下登・金丸信が小沢一郎・小渕恵三・橋本龍太郎ら「竹下派七奉行」を従え田中角栄の派閥を乗取り「経世会」発足

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1987

岸信介死去

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1987

「ほめ殺し」の皇民党事件、極道の仲介で竹下登が田中角栄邸を訪ね謝罪するが門前払い

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1987

竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足

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1987

米ソが中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)締結

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1988

アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化

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1988

竹下登首相が米軍への軍事協力否定を表明しアメリカに睨まれる

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1988

朝日新聞報道によりリクルート事件発生

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1988

FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換

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1988

イラン・イラク戦争終結

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1989

昭和天皇が崩御し平成に改元

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1989

ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要

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1989

竹下登政権が初の消費税導入(3%)

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1989

宇野宗佑内閣(自民党・中曽根系)発足

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1989

革新派の胡耀邦追悼集会が第二次天安門事件に発展、保守派優勢となり趙紫陽総書記失脚

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1989

日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始

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1989

第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足

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1989

最大派閥経世会の小沢一郎が自民党幹事長就任(~1891)

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1989

三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車

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1989

アジア太平洋経済協力(APEC)発足

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1989

「ベルリンの壁」崩壊

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1989

H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言

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1989

バブル潰しの土地基本法成立

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1989

日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)

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1990

衆議院解散に伴い福田赳夫が政界引退、群馬3区の地盤を継いだ長男の福田康夫が衆議院議員初当選

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1990

衆議院解散に伴い田中角栄が政界を引退し越山会も解散

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1990

第二次海部俊樹内閣(自民党・三木系従米路線)発足

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1990

「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう

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1990

ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握

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1990

ドイツ再統一

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1990

世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り

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1991

「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に

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1991

湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる

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1991

バブル崩壊(「失われた10年」)

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1991

ゴルバチョフが訪日し海部俊樹首相と会談

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1991

宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)

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1991

エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結

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1991

米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭

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1991

ODAが100億ドル突破・以後高止まり

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1992

鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける

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1992

アマコスト駐日大使の工作によりPKO協力法成立、自衛隊がカンボジアへ出動

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1992

田中角栄が中国訪問し鄧小平を筆頭に「日中友好の井戸を掘った友人」と大歓待

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1992

東京佐川急便事件で金丸信が議員辞職、経世会の後任会長に竹下登が推す小渕恵三が就任し金丸直系の小沢一郎・羽田孜らが離脱

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1992

CIAの役割が経済諜報へシフトし日本が主標的となる

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1993

ビル・クリントン(民主党)が米大統領就任(~2001)~日本から中国への重点シフト・円高政策と「年次要望改革書」による対日経済攻勢

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1993

小沢一郎・羽田孜らが自民党を離脱し新生党結成

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1993

田中眞紀子が田中角栄の地盤新潟3区から出馬し衆議院議員初当選

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1993

小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉

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1993

欧州連合(EU)発足

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1993

APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱

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1993

田中角栄が刑事被告人のまま死去

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1994

アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始

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1994

羽田孜内閣(非自民連立)発足

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1994

村山富市内閣(自社さ連立)発足

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1994

新生党の小沢一郎が日本新党など非自民政党を糾合し新進党発足(初代党首は海部俊樹)

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1994

赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増

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1995

GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足

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1995

阪神・淡路大震災

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1995

地下鉄サリン事件

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1995

円高が急進しドル円が80円割れ

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1995

オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕

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1995

福田赳夫が死去(享年90)

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Kouyuuroku

岸信介

ボス

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安倍晋太郎

岸の女婿・清和会後継者

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安倍晋三

岸の孫

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藤山愛一郎

岸の盟友

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坊秀男

同志

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田中龍夫

同志

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一万田尚登

同志

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倉石忠雄

同志

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川島正次郎

岸派分裂のライバル

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水田三喜男

蔵相仲間

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園田直

他派閥ながら同志・外相に登用

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保利茂

他派閥ながら同志

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西山健彦

腹心外交官

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森喜朗

清和会後継者

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小泉純一郎

清和会後継者

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町村信孝

清和会後継者

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福田康夫

息子

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高橋是清

尊敬する外相

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重光葵

偉大な先輩

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鳩山一郎

反吉田の領袖

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鳩山威一郎

外相に登用

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石橋湛山

気の毒な同志

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河野一郎

鳩山派の大番頭

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大野伴睦

鳩山派の大番頭

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三木武吉

鳩山派の大番頭

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吉田茂

GHQの代理人

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池田勇人

冷飯くわされた

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佐藤栄作

岸の実弟・引上げサンキュー

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田中角栄

勝てなかったライバル

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大平正芳

怨念の対決

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宮澤喜一

池田の後継者

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三木武夫

三木おろしで政権奪取

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中曽根康弘

群馬の宿敵

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鈴木善幸

宏池会

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竹下登

経世会

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金丸信

経世会

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小沢一郎

経世会

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鈴木貞一

葬儀委員長

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大谷貴義

黒い人脈

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アントニオ猪木

仲良し

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堤義明

仲良し

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芦田均

昭和電工疑獄仲間

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西尾末広

昭和電工疑獄仲間

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ウィロビー

昭和電工疑獄の謀主

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ケーディス

巻き添え勘弁

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ホイットニー

巻き添え勘弁

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ニクソン

米大統領

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キッシンジャー

田中を敵視

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フォード

米大統領

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カーター

アジア離れの米大統領

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ブレジンスキー

米大統領補佐官

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ブレジネフ

ソ連指導者

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鄧小平

中国指導者

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