銀山城主武田光和が重臣熊谷信直との対陣中に急死し安芸守護武田氏は空中分解で断絶、熊谷・宍戸・山内・天野氏等を従え安芸国人の盟主となった毛利元就が独立を期して尼子方から大内方へ鞍替え、備後攻略に着手

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天下を獲った織田信長軍団以外で、一代で最大版図を築いた毛利元就の下克上ストーリーはスケール壮大で最も面白い。殊に神業ともいうべき権謀術数は痛快で逸話も多いが、温厚で律儀な一面のせいか卑劣さは感じられない。毛利元就の人生は、疑えば疑えることだらけだ。先ず、父毛利弘元に続き兄で当主の興元も「酒毒」で若死にしている。興元存命なら元就の出世はなかっただろう。続く幸松丸は9歳で亡くなったが、先立って外祖父高橋興光を滅ぼしていることや、既に実権を握る元就の襲封に反発する家臣が多かったことを考えると、謀殺の可能性大とすべきだろう。このとき弟の就勝(元綱とする説もあり)と与党を殺害したともいう。安芸に勢力を伸ばし国人の盟主となった毛利元就にとって、安芸守護の名目を保つ武田氏は最も目障りだった。直接手は下していないが、自派の熊谷信直が武田光和に叛逆し退陣中に光和が急死、毛利派優位の武田家臣団は混乱し後嗣を立てられずに雲散霧消した。吉田郡山城の戦いでは反攻勢力を皆殺しにし、権臣井上元兼一族30人の誅殺も断行している。小早川家と吉川家との養子縁組は各家臣と組んだ露骨な謀略で事後に反対派を粛清しているが、吉川家簒奪は妻妙玖の死の直後という点が心憎い。毛利元就最大の転機は陶晴賢謀反・大内義隆滅亡だが、予て陶叛逆の噂は高く、事変後は即座に陶に属し働いている。尼子と陶の提携・挟撃を恐れる元就は、両家の要である尼子新宮党と江良房栄を除くことを企て、尼子晴久に新宮党を、陶に江良を討たせる計略を成功させている。勝負を賭けた陶晴賢との決戦では、圧倒的な兵数の劣勢を挽回するため狭い厳島におびき寄せる策を立て見事に成就させた。敵方スパイの逆利用や、偽の密書を懐に忍ばせた使者を敵陣で殺して発覚させるといった計略を用いたともいう。「三本の矢」は後世の作為だが、筆まめで律儀な毛利元就は一族郎党に手厚い訓戒を残している。そのなかで「毛利氏が大になったから家臣は面従しているに過ぎない、毛利一族は固く団結して決して心を許すな」という遺訓は謀略王ならではであろう。