日本史年表

年代 出来事
一四〇〇 1408 3代室町将軍足利義満死去(天皇位を狙ったため暗殺されたとの説・世阿弥実行犯説もあり)、嫡子足利義持が4代将軍就任
1409 足利一族の勢力争いのなか足利持氏が4代鎌倉公方就任
1411 山内上杉家の後を継いだ上杉憲定が関東管領に就任・鎌倉公方足利持氏を補佐
1416 [上杉禅秀の乱]関東管領を追われた上杉憲定が関東の豪族を率いて挙兵し鎌倉公方足利持氏を駿河に追放、持氏支持の将軍足利義持は追討軍を派遣、敗れた上杉憲定は自害
1419 [応永の外寇]倭寇に手を焼いた李氏朝鮮が根拠地の対馬を攻撃、宗氏武士団が撃退
1423 足利義持が隠居し嫡子の足利義量が5代室町将軍就任
1425 将軍足利義量死去、将軍空位のまま前将軍足利義持が幕府を掌握
1428 [正長の土一揆] 近江坂本・大津の馬借から起った徳政強訴が畿内一帯に波及し初の農民一揆発生
1428 前将軍足利義持死去、義持の弟4人から籤引きで選ばれた天台座主義円が還俗して足利義教を名乗り6代室町将軍就任、将軍位を狙う鎌倉公方足利持氏が反抗
1435 将軍足利義教が反抗する比叡山延暦寺を武力制圧、24人の門徒が抗議の焼身自殺
1436 足利義満の寵愛により時宗念仏踊り・猿楽から幽玄能を創始した『風姿花伝』の著者世阿弥(観世氏の家祖観阿弥の子)が佐渡流刑に処される
1438 [永享の乱]鎌倉公方足利持氏と対立した山内上杉憲実が関東管領を辞任し領国上野国に退去、持氏は征討軍を送るが、将軍足利義教が持氏追討軍を派遣、扇谷上杉持朝も山内上杉支持で参戦し、足利持氏・義久父子と稲村公方足利満貞を自害させ鎌倉公方は一旦滅亡
1439 上杉憲実が足利学校を復興
1440 [結城合戦]結城氏朝・持朝父子が前鎌倉公方足利持氏の遺児春王丸・安王丸を担いで挙兵するが山内・扇谷両上杉氏・幕府軍に鎮圧され滅亡、論功行賞で扇谷上杉持朝は相模守護を叙任
1441 [嘉吉の乱]将軍足利義教が赤松義雅の所領を没収し男色相手の赤松貞村に下賜、怒った赤松満祐・教康父子が将軍足利義教を饗応に招請し殺害、幕府討伐軍により赤松一族滅亡
1442 前将軍足利義教の嫡子足利義勝が7代室町将軍就任
1449 足利義勝死去に伴い同母弟の足利義政が8代室町将軍就任
1449 越後・信濃守護上杉房定が足利持氏の末子成氏を担いで鎌倉公方再興、山内上杉憲忠が関東管領に就任し扇谷上杉持朝(持氏殺害の首謀者)は嫡子顕房に家督を譲って和解の意を示すが両上杉氏と足利氏の緊張関係は続く
1450 山内上杉家家宰の長尾景仲と扇谷上杉家家宰の太田資清(道灌の父)が関東公方府を襲撃、足利成氏は一時江ノ島に非難 詳細を見る
1452 細川勝元が幕府管領に就任
1454 [享徳の乱]関東公方足利成氏が関東管領山内上杉憲忠を謀殺(家宰長尾景仲は憲忠の弟房顕を関東管領に擁立)、山内・扇谷上杉氏は反撃に出るが武蔵分倍河原で大敗し扇谷上杉顕房も戦死(遺児政真を祖父持朝と家宰の太田資清・道灌父子が後見)、勢い付く成氏は下総古河へ出征するが、将軍足利義政の成氏追討の号令に応じた駿河守護今川範忠が鎌倉を制圧、成氏は鎌倉に戻れず古河に留まり(古河公方)、諸豪は利根川を堺に両陣営に別れ30年に及ぶ関東大乱に発展 詳細を見る
1457 太田資清・道灌父子が武蔵国に防衛拠点を構築、資清は扇谷上杉持朝を守護して河越城に居城し道灌は江戸城を守る 詳細を見る
1457 蝦夷地南部でコシャマインの乱勃発、花沢館主蠣崎季繁の食客で若狭武田氏を詐称する武田信広(松前氏の家祖)が鎮圧
1457 関東管領山内上杉房顕の要請により将軍足利義政が弟政知(天龍寺清久)を還俗させて関東に派遣、同時に関東諸豪に古河公方足利成氏討伐を号令するが足並み揃わず扇谷上杉持朝も離反、鎌倉入りを阻まれ孤立した政知は堀越公方と称される
1457 [長禄の変]赤松氏遺臣らが奥吉野襲撃・自天王と忠義王を殺害して後南朝を滅ぼし神璽を奪回、赤松政則は管領細川勝元から赤松家再興を許され加賀守護に就任
1459 室町幕府が諸関を廃し京七口に関所を設ける
1462 寛正の大飢饉により京畿に土一揆が広がる
1463 狩野派初代の狩野正信が室町幕府御用絵師として活躍
1464 男児のない将軍足利義政が弟の浄土寺義尋を還俗させて足利義視とし養嗣子に擁立、伊勢新九郎長氏(北条早雲)が近侍となる
1465 将軍足利義政と正室日野富子の間に足利義尚が出生、足利義視派との継嗣争いが発生
1466 [太田庄の戦い]上杉氏が武蔵五十子に築城し(五十子陣)古河公方足利成氏と対峙、将軍足利義政の号令虚しく成氏討伐軍は来援せず、関東管領山内上杉房顕が陣没、男児が無かったため上杉房定の実子顕定が養嗣子に入り後継 詳細を見る
1467 [応仁の乱]将軍家と斯波・畠山両管領家の家督争いから京都で戦争が勃発、全国諸大名が細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)に分れ11年に及ぶ全国規模の内乱に発展
1470 [京極騒乱]応仁の乱の渦中に京極家当主持清が死去、嫡孫の孫童子丸が後を継ぐが翌年夭逝、政経と高清の間で30年に及ぶ熾烈な家督争いが勃発(京極政経は出雲へ隠遁、勝利した京極高清・六角高頼による南北近江分割統治で決着)
1471 本願寺蓮如が越前に吉崎道場を創建 詳細を見る
1473 山名宗全・細川勝元が相次いで死去、足利義政は隠居して小河新邸に移り足利義尚が9代室町将軍就任、義尚の生母日野富子が幕府実権を掌握
1473 [五十子の戦い]古河公方足利成氏が長躯遠征して相模の堀越公方足利政知を襲撃、太田道灌率いる上杉軍は撃退し武蔵五十子陣まで押し返すが、扇谷上杉政真が戦死し(後継は叔父定正)山内上杉家家宰長尾景信も陣没(山内上杉は景信の弟忠景を後継としたため嫡子景春の謀反を招く) 詳細を見る
1474 西軍大将の山名政豊(宗全の後嗣)が細川政元の東軍に投降、西軍の畠山義就・大内政弘らが継戦
1474 加賀国で一向一揆が勃発
1476 駿河守護今川義忠が遠江の土豪一揆平定戦で落命、扇谷上杉定正の家宰太田道灌が大軍を率いて乗込み小鹿範満(義忠の従兄弟で母は犬懸上杉政憲氏)の今川家相続を強迫するが、伊勢新九郎長氏(北条早雲)が室町幕府の権威を背景に調停、当主には龍王丸(今川氏親・義忠と早雲の妹北川殿の子)を立て成人まで範満が後見することで決着 詳細を見る
1476 [長尾景春の乱]太田道灌・扇谷上杉軍の駿河出張の隙を衝き、叔父長尾忠景に山内上杉家家宰をさらわれた景信の嫡子長尾景春が古河公方足利成氏に寝返り武蔵鉢形城で挙兵、関東管領山内上杉顕定を上野国に敗走させ反上杉勢の蜂起が広がるが、帰還した太田道灌が東奔西走の活躍で豊島氏・千葉氏ら抵抗勢力を討平(弟の太田資忠は房総臼井城攻めで戦死) 詳細を見る
1477 大内政弘ら西軍諸大名の撤収により応仁の乱終息、足利義視は美濃に退去するが、畠山義就・政長は戦闘を継続
1479 本願寺蓮如が山科に本願寺を創建 詳細を見る
1481 越前国守護朝倉孝景が分国法『朝倉孝景条々』を遺し死去、嫡子朝倉氏景が家督相続 詳細を見る
1482 前将軍足利義政が古河公方足利成氏と和解
1483 前将軍足利善政が東山慈照寺に銀閣を建設
1483 [都鄙合体・享徳の乱終息]太田道灌の活躍により古河公方足利成氏・長尾景春が降伏し30年に及んだ関東大乱が終息するが、道灌率いる扇谷上杉氏の権勢が関東管領山内上杉顕定を凌駕し両上杉家の対立抗争が勃発、主君の扇谷上杉定正にも警戒された道灌は『太田道灌状』で「山内家が武蔵・上野両国を支配できるのは、私の功である」と憤慨 詳細を見る
1485 細川政元の後援により山城の国人が結束し山城国一揆が勃発、畠山義就・政長の両派を国外に追放
1486 扇谷上杉定正が権臣太田道灌を相模糟屋館に招き騙し討ちで殺害(享年55)(北条早雲の謀略説あり)、柱石を失った関東諸豪は再び動揺し山内・扇谷の両陣営に分れ再び争乱に突入(長享の乱)(共倒れの途を辿った両上杉家は道灌末期の「当家滅亡」の叫びどおり60年後に北条氏康に滅ぼされる) 詳細を見る
1487 今川氏親が成人し正式に駿河守護を承継(家督を争った小鹿範満は暗殺された疑いが濃厚)、叔父の伊勢新九郎長氏(北条早雲)は富士郡下方庄十二郷の所領と伊豆国境の興国寺城を与えられ60歳にして一城の主となる 詳細を見る
1488 [加賀一向一揆]一向一揆が守護富樫政親を討って加賀一国を制圧、加賀は90余年に渡り「百姓の持ちたる国」となる
1489 将軍足利義尚が近江で陣没、翌年足利義視の子足利義材(義稙)が10代室町将軍に就任
1493 堀越公方足利政知が死去(虐待した嫡子茶々丸に妻子と共に殺害されたとの説あり)、扇谷・山内上杉家の上野合戦で守衛が手薄となった堀越御所を今川家被官北条早雲が急襲し政知の後継者足利茶々丸を追放、善政を敷き伊豆全域を平定(東国戦国時代・下克上の起り) 詳細を見る
1494 [明応の政変]管領細川政元が足利義材(義稙)を追放し足利義澄を11代室町将軍に擁立、義稙は越前朝倉軍に捕えられ幽閉されるが、脱出して越中に逃れ将軍在任を宣言し上洛軍を挙兵(越中公方)、義稙についた朝倉氏が一向一揆などの反抗勢力を掃討
1495 扇谷上杉家の重臣で小田原城主の大森氏頼が死去、北条早雲は後継の大森藤頼に取り入って安心させ、武蔵の合戦で扇谷上杉定正が落馬死した機を衝き、巻き狩りと偽って小田原城を急襲し奪取、扇谷上杉家に取り入って報復を防ぎつつ関東制覇を睨む 詳細を見る
1496 蓮如が大阪石山別院を創建(石山本願寺→大阪城) 詳細を見る
1499 浄土真宗本願寺教団の事実上の開祖蓮如が死去
1499 越前朝倉氏の参軍を得られぬまま足利義材(義稙)が挙兵上洛を強行、比叡山延暦寺・根来寺・高野山金剛峰寺と連携して近江へ進軍するが六角高頼に敗北、逃れた河内で管領細川政元に敗れ、大内義興を頼り周防山口へ落ち延びる
一五〇〇 1500 追放された前出雲守護代尼子清定の嫡子尼子経久が山中勝重(鹿介の先祖)・鉢屋(賤視された遊芸民)を従え元旦の千秋万歳と偽り潜入する奇計を用いて月山冨田城を攻略、塩冶掃部介を討取って出雲守護代職を奪還し出雲国を制圧、石見・伯耆・安芸・備後へ侵出し西の大内義興・東の山名氏と対峙 詳細を見る
1506 北条早雲を総大将とする1万余の今川氏親軍が三河に侵攻、安祥城主松平長親(徳川家康の先祖)が500の寡兵で撃退 詳細を見る
1506 [九頭竜川の戦い]本願寺が反朝倉の管領細川政元と結び加賀・越中の一向一揆が越前に侵入、朝倉宗滴は圧倒的寡勢で越前九頭竜川の決戦に勝利(1万対30万とも)、吉崎道場を破却し一揆勢を加賀へ撃退 詳細を見る
1507 [永正の錯乱]管領細川政元が家臣の香西元長・竹田孫七・薬師寺長忠に暗殺される
1507 越後守護上杉房能が守護代の長尾為景(上杉謙信の父)に殺される 詳細を見る
1508 山陽の盟主大内義興が挙兵上洛し足利義尹(義稙)が将軍に復帰、義興不在に乗じた尼子経久が石見・伯耆・安芸・備後へ勢力伸張
1510 越後に出征した関東管領山内上杉顕定が戦国大名長尾為景の反撃に遭い戦死 詳細を見る
1512 尼子経久が山名氏領に侵攻し備後を支配圏に収める 詳細を見る
1515 尼子経久が大内氏領に侵攻し石見西半を支配権に収め安芸にも勢力拡大 詳細を見る
1516 北条早雲が反旗を掲げた三浦義同征伐、扇谷上杉朝興の救援軍を撃退し、新井城の兵糧攻めで勝利、義同以下の相模三浦一族を滅ぼし相模全域を平定 詳細を見る
1516 [西の桶狭間・有田中井手の戦い]安芸吉田の国人(小領主)で郡山城主の毛利興元が急死し幼少の幸松丸が家督相続、安芸守護の武田元繁が「室町将軍の上意」を口実に毛利氏・吉川氏の領地に侵攻、興元の弟毛利元就が寡兵で撃退し武田元繁は討死 詳細を見る
1516 大内義興が室町幕府から日明貿易の恒久的管掌権限を獲得
1519 戦国大名の先駆け北条早雲が嫡子北条氏綱に家督を譲り伊豆韮山城にて死去(享年88)、早雲の遺訓は『早雲寺殿廿一箇条』に受継がれる 詳細を見る
1519 美濃守護土岐政房の死に伴い家督争いが激化、嫡子土岐政頼を擁する越前守護朝倉孝景は弟の朝倉景高を総大将に軍勢を派遣、土岐頼芸(政頼の弟)・長井長弘の敵対勢力を掃討し政頼に家督を継がせる 詳細を見る
1521 大内義興の上洛軍が山口に帰国、細川高国は足利義尹(義稙)を追放し足利義澄の子足利義晴を12代室町将軍に擁立
1521 尼子経久が浦上氏領に侵攻し備中と備前西半まで支配圏に収める 詳細を見る
1523 毛利家当主幸松丸が急死(謀殺説あり)、叔父の毛利元就が尼子経久の介入を退け弟の就勝(元綱説あり)一派を殺害して毛利家の家督と吉田郡山城を承継、嫡子毛利隆元誕生 詳細を見る
1523 [寧波の乱]明の貿易港寧波で細川高国と大内義興の使者が争う
1524 北条氏綱が扇谷上杉朝興軍を高輪原で破り江戸城を奪取、後北条氏が武蔵国に勢力を伸ばす 詳細を見る
1524 [大永の五月崩れ]尼子経久が南条宗勝ら反抗勢力と守護山名澄之を追放し尼子晴久を守護に就けて伯耆を支配権に収める 詳細を見る
1525 美濃内乱に介入した浅井亮政を牽制するため朝倉宗滴が近江小谷城に出征、金吾嶽を築いて在陣し六角定頼との関係修復に奔走、感謝した浅井氏は朝倉氏に忠誠を誓う、同時に朝倉景職軍を美濃稲葉山城へ派遣し土岐政頼を支援 詳細を見る
1526 駿河・遠江を征し三河・甲斐へも勢力を伸ばした今川氏親が死去(享年53)、幼い嫡子今川氏輝のために分国法『今川仮名目録』を遺す 詳細を見る
1526 薩摩・大隅守護の島津忠兼が家臣島津実久の専横を抑えるため伊作島津家の忠良(日新斎)の子島津貴久に15代島津宗家を継がせる
1527 将軍足利義晴・管領細川高国の要請により朝倉宗滴・前波吉連の越前軍が上洛、三好勢を掃討し京都を実効支配するが、高国との対立により翌年撤兵、忘恩の報いで高国は流浪の身に転落 詳細を見る
1527 西村勘九郎(斎藤道三)が革手城を急襲、美濃守護土岐政頼を再び越前朝倉家に敗走させ弟の土岐頼芸を擁立、勘九郎は家老職と本巣郡祐向山城を与えられ美濃国の実力者となる 詳細を見る
1527 [細沢山の戦い]大内と山名が反尼子で提携、尼子経久は備後に出陣するも陶興房(晴賢)率いる大内軍に敗北、国人衆は尼子から離脱し大内義興が安芸・備後を支配圏に収める 詳細を見る
1529 山陽・九州北部の盟主大内義興が死去、嫡子の大内義隆が家督相続
1530 西村勘九郎(斎藤道三)が仕官の恩人長井長弘夫婦を謀殺、美濃稲葉山城と家名を押領し長井新九郎利政(後に秀竜)へ改名、近江守護佐々木義秀の後援も得て土岐頼芸を担いで美濃一国の実権を掌握 詳細を見る
1532 町衆を中心とする日蓮宗門徒が京都の自治権を掌握し山科本願寺焼打ちなどで他宗派を排斥
1532 本願寺蓮如の子の勢力争いに起因して加賀一向一揆で内紛が発生(享禄の錯乱)、機に乗じた朝倉宗滴は能登畠山氏と提携して出征、手取川付近まで侵攻するが畠山勢壊滅により本願寺と停戦和睦 詳細を見る
1533 尼子経久が浦上氏領の美作に侵攻し支配圏に収める 詳細を見る
1534 尾張那古野城主の織田信秀の嫡子に織田信長が出生 詳細を見る
1534 銀山城主武田光和が重臣熊谷信直との対陣中に急死し安芸守護武田氏は空中分解で断絶、熊谷・宍戸・山内・天野氏等を従え安芸国人の盟主となった毛利元就が独立を期して尼子方から大内方へ鞍替え、備後攻略に着手 詳細を見る
1536 陸奥国の戦国大名伊達稙宗が分国法「塵芥集」を制定
1536 [花倉の乱]駿河・遠江守護今川氏輝(氏親嫡子)が後嗣無く死去、氏親次男彦五郎も同時に死亡し(謀殺説あり)、同母弟の今川義元が母寿桂尼と謀臣太原雪斎の後押しで家督相続、異母兄の玄広恵探を推す福島越前守ら国人衆が遠江各地で挙兵するが、北条氏綱の援軍で優勢となった義元方が花倉城を落とし恵探を自害させる 詳細を見る
1536 [天文法華の乱]延暦寺の僧兵約6万人が京都に押し寄せ日蓮宗寺院二十一本山を焼払い門徒を虐殺
1537 [甲駿同盟・駿相同盟破綻)駿河・遠江守護今川義元が抗争状態にあった甲斐守護武田信虎の娘定恵院を正室に迎え甲駿同盟成立、怒った北条氏綱は今川氏親・北条早雲以来の駿相同盟を解消して東駿河に攻込み河東地域を奪取 詳細を見る
1537 尼子経久と大内氏との石見銀山争奪戦開始、尼子経久は家督を孫の尼子晴久に譲り隠居
1537 豊臣秀吉が尾張国中村の下層民(焙烙売り・賤民とも)の家に出生(父は織田家の足軽から帰農した木下弥右衛門とも伝わるが不詳、母なかは徳川家康の人質に出した大政所、弟秀長は優秀な副将、姉日秀の子は豊臣秀次、妹あさひは徳川家康に入輿)、20歳前後で織田信長に仕えるまでの事跡は不明(家出して悲惨な放浪生活を送り、武家奉公の最初は今川家臣松下之綱だったとされる) 詳細を見る
1538 [第一次国府台合戦]鎌倉から武蔵江戸城まで制圧した北条氏綱に対し、小弓公方足利義明が里見義堯・真里谷信応を誘って下総国府台城で挙兵、家柄と武勇を過信し江戸川渡河中の攻撃策を捨てた義明が嫡子義純・弟基頼もろとも討死、戦線離脱し兵力を温存した安房里見氏が漁夫の利を得て久留里城・大多喜城を落とし房総半島の大半を掌握 詳細を見る
1538 尼子晴久が播磨に侵攻、守護赤松政祐を敗走させるが三木城主別所就治の抵抗に遭い、安芸戦線を毛利元就に脅かされたため出雲へ撤退 詳細を見る
1539 島津忠良・貴久父子が貴久実久を追い落とし薩摩・大隅守護の権威を回復
1541 [吉田郡山城の戦い]毛利元就に安芸・備後の領地を切取られた尼子晴久が武田光和の遺児武田信実を担ぎ反攻、大軍で吉田郡山城を攻囲するが毛利元就の計略(次男の猛将吉川元春初陣)と大内家陶隆房(晴賢)の援軍により撃退され尼子久幸(経久の弟)も戦死、武田信実は出雲に逃亡し安芸守護武田氏滅亡、元就は反抗勢力を皆殺にして安芸を制圧 詳細を見る
1541 武田晴信(信玄)が重臣の板垣信方・甘利虎泰・飯富虎昌及び姉婿今川義元と共謀して父武田信虎を駿河へ追放し家督と甲斐守護職を承継、領民は暴虐な信虎の追放を歓迎 詳細を見る
1541 美濃国を専断する斎藤秀竜(斎藤道三)に対し土岐頼満(頼芸の弟)・頼次(頼芸の嫡子)らが挙兵、秀竜支持の土岐頼芸は尾張の織田信秀・近江の六角定頼・越前の朝倉孝景に仲裁を依頼し内乱収束、秀竜は引責剃髪し斎藤道三と号す 詳細を見る
1541 父北条早雲が征した伊豆・相模を固め武蔵・駿河に勢力を伸ばした北条氏綱が死去、嫡子北条氏康が打倒上杉氏・関東制覇の遺志を継ぐ 詳細を見る
1541 流浪の身から最盛期には山陰・山陽11ヶ国に君臨した尼子経久が月山富田城にて病没(享年82) 詳細を見る
1542 斎藤道三が反抗勢力の首領土岐頼満(頼芸の弟)を毒殺、これにより対立した傀儡の美濃守護土岐頼芸の大桑城を急襲、土岐頼芸・頼次父子は織田信秀を頼って尾張に亡命し斎藤道三が名実共に美濃一国を平定、土岐頼芸の落胤と考えられていた嫡子斎藤義龍を後継指名して反抗を鎮める 詳細を見る
1542 武田信虎の諏訪氏懐柔路線を放棄した武田晴信(信玄)が諏訪氏の家督を狙う高遠頼継と提携し妹婿の諏訪頼重を討滅、領土分割案に不満で反旗を挙げた高遠頼継も一蹴、頼重の嫡子寅王丸を擁して諏訪領を掌握したうえ頼重の娘「かくれなき美人」諏訪御料人(武田勝頼生母)を側室とする 詳細を見る
1542 徳川家康(竹千代)が西三河の土豪松平広忠の嫡子として出生(家祖の松平親氏は三河松平郷の庄屋家に婿入りした遊芸僧の徳阿弥、家康の祖父松平清康の代に西三河を制圧したが、清康急死で零落し織田信秀に圧迫された広忠は今川義元に臣従) 詳細を見る
1543 一代で越後国を掌握した長尾為景が死去、弱腰の嫡子長尾晴景(守護上杉定実の猶子)を侮り上田長尾家・上杉定憲・揚北衆らの守護派が巻返すが、13歳で元服した弟長尾景虎(上杉謙信)が栃尾城の戦いで初陣を飾り連戦連勝で反乱軍を撃破 詳細を見る
1543 [月山富田城の戦い]大内義隆率いる大軍(毛利元就も従軍)が出雲に反攻し尼子晴久の月山富田城に攻込むが吉川興経らの寝返りと補給難により退陣、兵力十分ながら下手な退却戦指揮により被害甚大(備後竹原高山城主小早川正平も戦死)、尼子方が勢いを盛返し大内方から石見銀山も奪還 詳細を見る
1543 [鉄砲伝来]倭寇の頭目「王直」の明船がポルトガル人を乗せて種子島に来航、領主の種子島恵時・時尭父子に鉄砲を伝える
1544 土岐政頼と土岐頼芸が打倒斎藤道三で和解・連携し越前朝倉孝景・尾張織田信秀の加勢を得て南北から美濃国に侵攻、斎藤道三は防衛に成功し政頼を革手城に・頼芸を揖斐北方城に迎え入れる条件で停戦合意 詳細を見る
1544 尼子晴久勢が月山富田城の戦いで戦死した小早川正平の備後竹原高山城に侵攻するが毛利元就出陣により撤退、正平の嫡子又鶴丸が盲目のため毛利元就が三男又四郎を婿養子に送込む(元服後に又鶴丸一派を粛清して家督を継ぎ小早川隆景を名乗る) 詳細を見る
1545 [河東一乱]駿河・遠江守護今川義元が関東管領山内上杉憲政や扇谷上杉朝定(朝興後嗣)と連携し富士川を越えて東駿河へ侵攻、北条綱成の武蔵河越城も攻囲され北条氏康は挟撃の危地に陥るが、武田晴信(信玄)の斡旋で河東地域割譲を条件に今川と和睦し河越城救援に向かう 詳細を見る
1546 [河越夜戦(日本三大奇襲)]北条氏康と関東管領上杉憲政・上杉朝定・古河公方足利晴氏(妹婿)の連合軍が武蔵河越で決戦、圧倒的寡勢の北条軍は「地黄八幡」北条綱成の奇襲で完勝し、朝定敗死で扇谷上杉氏は滅亡・上野平井城に落延びた憲政の山内上杉家も没落・晴氏は幽閉され傀儡の次男義氏(氏康娘婿)を古河公方に擁立、祖父早雲以来の悲願である打倒上杉氏を果した北条氏康は関東制覇を睨み越後長尾(上杉謙信)・常陸佐竹・安房里見と対峙 詳細を見る
1546 舎利寺の戦いで管領細川晴元に敗れた足利義晴が隠居し嫡子の足利義輝が13代室町将軍に就任
1547 三河岡崎城主松平広忠が6歳の嫡子竹千代(徳川家康)を今川義元へ人質に送るが、駿府へ護送中に家臣戸田康光が裏切り織田信秀に売却、信秀は臣従を強要するが広忠は拒絶、竹千代は危うくも生かされ2年間を尾張で過ごす(織田信長と会った可能性が高い) 詳細を見る
1547 [加納口の戦い]斎藤道三が尾張織田信秀の侵攻軍を撃破し美濃一国を完全平定、土岐政頼自害・土岐頼芸の越前朝倉家亡命で美濃守護土岐氏は滅亡 詳細を見る
1547 寝返りの常習者吉川興経が毛利元就の仲介で大内義隆に帰順するが家臣団の反抗で強制隠居、毛利元就は次男を養嗣子に入れ新当主吉川元春を擁立(3年後に興経と一族を殺害)、毛利氏は養子戦略(毛利の両川体制)により安芸一国を制圧 詳細を見る
1548 [上田原の戦い・塩尻峠の戦い]信濃の覇権を賭けて武田晴信(信玄)が葛尾城の村上義清に決戦を挑むが宿老板垣信方・甘利虎泰の戦死を含む大損害を出し侵攻停止、村上義清に呼応した小笠原長時が諏訪に攻寄せるが再起不能の大敗を喫し深志(松本)林城に逃げ戻る 詳細を見る
1548 連戦連勝の長尾景虎(上杉謙信・長尾為景の子)が家臣・国人衆に推戴され家督と越後守護代を承継(兄長尾晴景は隠居)、2年後に傀儡守護の上杉定実が後嗣無く死去し室町将軍足利義輝から越後国主の承認を受け、翌年坂戸城の戦いで上田長尾家政景を降して22歳で越後国統一を達成 詳細を見る
1548 [第二次小豆坂の戦い]駿遠の今川義元と尾張の織田信秀が三河を巡り決戦、太原雪斎の軍略により勝利した今川氏が三河を支配圏に治め駿河・遠江・三河の太守となる 詳細を見る
1549 斎藤道三が織田信秀と和睦し娘の帰蝶を嫡子織田信長に嫁がせる 詳細を見る
1549 [キリスト教伝来]イエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸
1549 今川義元と織田信秀の合戦で松平家・岡崎衆は今川方先鋒として三河安祥城を攻略し城主の織田信広(信長の庶兄)を確保、太原雪斎の献策により竹千代(徳川家康)と織田信広の人質交換、竹千代は駿府に移され当主を人質にとられた松平家は今川の属国となり、家臣は虐待され合戦ごとに最前線の危地に送られる 詳細を見る
1549 三好長慶が家臣松永久秀の策謀により主君の管領細川晴元と将軍足利義輝を京都から追放し室町幕府の実権を掌握
1551 一代で尾張国の旗頭に成り上がった織田信秀が死去、うつけの悪評が高い嫡子織田信長が家督相続、主筋の清洲城主織田信友が反逆し柴田勝家・林秀貞ら宿老も織田信行(信長の同母弟)擁立を企て尾張は内戦状態となる 詳細を見る
1551 信濃中部まで制圧した武田晴信(信玄)が北信濃に再侵攻、大苦戦に陥るも真田幸隆が謀略で戸石城を攻略、村上義清は葛尾城を放棄して越後の長尾景虎(上杉謙信)に亡命、武田氏は甲斐・信濃二国を制圧 詳細を見る
1551 [大寧寺の変]中国・九州北部の支配者大内義隆が重臣陶隆房(晴賢)の謀反により自害、養子の大内義長(大友宗麟の弟で大内義隆の甥)が大内家を継ぐが実権は陶が掌握、毛利元就は陶に属して安芸・備後を転戦 詳細を見る
1552 北条氏康に追い詰められた関東管領上杉憲政が上野平井城を棄て長尾景虎(上杉謙信)を頼り越後に亡命、景虎は関東に派兵し平井城を奪還、北信濃・上野の両戦線で武田信玄と対峙 詳細を見る
1553 織田信長の傅役平手政秀が諌死、斎藤道三と娘婿の織田信長が尾張・美濃国境の富田正徳寺で会見・「うつけ者」の悪評が高い信長の異能を感じ取った道三は子孫の臣従を予言 詳細を見る
1553 [第一次川中島の戦い]長尾景虎(上杉謙信)が村上義清・小笠原長時・高梨政頼らの領地返還を求め北信濃に進軍、武田晴信(信玄)軍と対峙し戦闘5回・11年に渡る川中島の戦いが勃発 詳細を見る
1554 [甲相駿三国同盟(善徳寺の会盟)]武田晴信(信玄)・北条氏康・今川義元が相互に婚姻を結び同盟、三強連携体制で武田は信濃・北条は関東・今川は尾張の攻略に専念
1555 織田信長に内通した尾張守護斯波義統を清洲城主織田信友が殺害、嫡子斯波義銀を保護した信長は叔父の守山城主織田信光と協力して主筋の信友を討ち(織田大和守家滅亡)清洲城と守護所を奪取 詳細を見る
1555 第二次川中島の戦い(上杉謙信vs.武田信玄) 詳細を見る
1555 朝倉宗滴が越後の長尾景虎(上杉謙信)に呼応して加賀一向一揆討伐に出陣、1日で南郷・津葉・千足の3城を落とし大聖寺を攻囲するが、陣中で病に倒れ一乗谷で死去(享年79)、柱石を喪った朝倉氏は凡庸な義景の下で一族や家臣の内紛が頻発し弱体化、一向一揆の反攻に晒され、18年後宗滴が大器を見抜いた織田信長に滅ぼされる 詳細を見る
1555 [厳島の戦い(日本三大奇襲)]毛利元就が謀略により大内家の大軍を厳島に誘い込んで山上から急襲、大内軍潰走のなか逃げ遅れた陶晴賢は厳島青海苔浦で自害、毛利元就・吉川元春・小早川隆景の中国制覇が始まる 詳細を見る
1556 [長良川の戦い]廃嫡の陰謀に気付いた斎藤義龍(実は土岐頼芸の落胤とされる)が弟の竜重・竜定を斬殺したうえ父斎藤道三を討って(享年63)美濃国主を承継、道三から美濃の国譲り状を得た娘婿織田信長は救援軍を出すが間に合わず 詳細を見る
1557 [防長経略]毛利元就が大内義長(大友宗麟の弟で大内義隆の甥)を滅ぼし大内領の防長二州を獲得(毛利家は義長の助命を申し送ったが身内への猜疑心が強い大友宗麟はむしろ処刑を要求)、豊前国・筑前国の遺領を巡り大友義鎮(宗麟)と対峙、大友は毛利についた筑前古処山城主秋月文種を誅殺 詳細を見る
1557 第三次川中島の戦い(上杉謙信vs.武田信玄) 詳細を見る
1557 織田信長に帰順した柴田勝家が織田信行の再謀反を密告、信長は病と称して弟の信行を清洲城に誘い込み殺害 詳細を見る
1558 将軍足利義輝が三好長慶とその家臣松永久秀に降り京都に帰還、各地の戦国大名と連携し将軍親政を推進
1559 [浮野の戦い]織田信長が犬山城主織田信清と同盟し織田一門の宗家で岩倉城主の織田信賢を撃破、守護斯波義銀も追放し尾張一国を平定 詳細を見る
1559 織田信長、長尾景虎(上杉謙信)が相次いで上洛し将軍足利義輝に拝謁
1559 毛利元就と対峙する大友義鎮(宗麟)が室町将軍足利義輝への多額の献金により豊前・筑前守護と九州探題の官職を獲得
1559 北条氏康が永禄飢饉救済のため徳政令を施行、領主層を納得させるため建前上引責隠居し次男北条氏政(長男は夭逝)に家督を譲る 詳細を見る
1560 [桶狭間の戦い(日本三大奇襲)]松平元康(徳川家康)の三河を属国とし武田・今川との同盟で背後を固めた駿河・遠江守護今川義元(足利将軍の一族で百万石の太守)が4万の軍勢で尾張に侵攻、20万石・兵力3千人の織田信長は籠城策を捨てて奇襲を敢行し田楽狭間で休息中の今川義元を殺害(享年42)、織田信長は天下に志を抱き、無能な嫡子今川氏真が承継した駿河国は武田・徳川・北条の好餌となる 詳細を見る
1560 桶狭間敗戦を受け松平元康(徳川家康)が尾張の前線から岡崎に帰還、岡崎城と三河領を常駐管理していた今川家臣が逃げ帰り祖父松平清康以来悲願の完全独立を達成、織田方諸城を攻め潰して三河国を制圧し尾張へ侵攻、今川家に打倒織田信長を促すも煮え切らない新当主今川氏真(義元の嫡子)に愛想を尽かし、義元の元を捨てて家康に改名 詳細を見る
1560 土佐岡豊城主長宗我部国親が死去し嫡子長宗我部元親が家督相続
1561 [小田原城の戦い]今川義元討死で甲相駿三国同盟が弱った隙を衝き長尾政虎(上杉謙信)が北条氏康討伐を号令、関東の諸城を攻め潰し10万の大軍で小田原城を攻囲するが固い籠城と武田晴信(信玄)の後方撹乱により上野国に守将を残して撤退、鎌倉鶴岡八幡宮にて上杉憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を継ぎ上杉政虎を名乗る 詳細を見る
1561 斎藤道三を殺害して美濃国を奪った斎藤義龍が病死(ハンセン病ともいわれる)、嫡子斎藤龍興が家督相続 詳細を見る
1561 織田信長家臣の木下藤吉郎(豊臣秀吉)が家中の浅野長勝(姉の子浅野長政が家督相続)の養女で杉原定利(嫡子木下家定、その五男が小早川秀秋)の実娘ねね(北政所)と結婚(ねねの母方木下家への婿入り説が有力) 詳細を見る
1561 [第四次川中島の戦い]啄木鳥戦法を見破った上杉謙信が敵本陣に斬り込み武田信玄に一太刀浴びせるが武田軍が防戦に成功、武田軍の被害も甚大で信玄の弟武田信繁や軍師山本勘助も戦死 詳細を見る
1561 武田信玄と北条氏康の侵攻を防いだ上杉方・箕輪城主の長野業正が死去(後継は嫡子長野業盛)、武田・北条は上野国を猛攻するが、上杉輝虎(謙信)は自ら乗込んで撃退、佐野昌綱・成田長泰・結城晴朝らを破り武蔵・下総・常陸・下野に攻め返すも謙信帰国の度に反抗勢力が盛返す堂々巡り 詳細を見る
1562 [門司城の戦い]豊前門司城を守る毛利元就軍が小早川隆景の奮闘により大友義鎮(宗麟)の大軍を撃退、義鎮は引責剃髪して宗麟と号し室町将軍足利義輝の調停により和睦成立 詳細を見る
1562 [清洲同盟]三河岡崎城主の松平家康(徳川家康)が今川氏真を見限り織田信長の誘いに応じて攻守同盟締結、元康は三河の今川方諸城を攻め取り、東方の安全を確保した信長は清洲から小牧山に本城を移し美濃攻略に専念 詳細を見る
1562 大内氏を滅ぼして山陽道を征した毛利元就が尼子攻めに注力、富の源泉石見銀山を含む石見全域を制圧し出雲月山富田城を攻囲 詳細を見る
1564 [第二次国府台合戦]北条氏康が江戸川を越えて里見義堯・義弘率いる上杉派房総連合軍を攻撃、緒戦は家臣の勇み足で落としたが北条綱成の奇襲反撃により敵将正木信茂を討取る快勝、上総国を制圧し里見氏を安房に追い詰めるが上杉謙信対策に手間取り戦線膠着 詳細を見る
1564 [三河一向一揆]岡崎上宮寺での米穀徴発に端を発し一向一揆が発生、松平家康(徳川家康)の弾圧策が火に油を注ぎ旧三河守護の吉良氏ら土豪にくわえ松平家臣の多くが武装蜂起、窮地の家康は屈辱的条件で和睦するが、約を違えて一向宗寺院を悉く破却(首謀者の本多正信は松永久秀に一時身を寄せ加賀一向一揆に加わり、流浪の末に帰参を赦され家康の軍師となる)、反撃の好機を座視した今川氏真は逆に東三河の拠点吉田城を奪われ、松平家康が三河一国を制圧 詳細を見る
1564 謀臣松永久秀と共に室町幕府の実権を掌握した三好長慶が死去、三好政権は内部分裂により弱体化
1564 第五次川中島の戦い(上杉謙信vs.武田信玄) 詳細を見る
1564 竹中半兵衛重治が手勢14人で稲葉山城を占拠、織田信長からの開城要請を断り斎藤龍興に返還
1565 [永禄の変]三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)と三好家家宰の松永久秀が二条御所を襲撃、塚原卜伝から秘伝「一つの太刀」の印可を受けた剣豪の将軍足利義輝は刀を換えつつ奮戦するが力尽きる
1566 織田信長が美濃稲葉山城を攻撃(木下藤吉郎(豊臣秀吉)による墨俣一夜城伝説あり)、城主斎藤龍興は凡庸ながら猛反撃に遭って力攻めを断念、稲葉一鉄・安藤守就・氏家卜全の美濃三人衆や竹中半兵衛重治を懐柔して斎藤龍興を孤立させ攻略に成功(近江に逃亡した斎藤龍興は、三好三人衆、最後は越前朝倉義景の反信長軍で転戦するが1573年に戦死) 詳細を見る
1566 局地戦は無敵ながら安定基盤を築けない上杉輝虎(謙信)の権威が低下し関東諸豪に守将の北条高広まで離反、最後の拠点上野箕輪城を武田信玄に攻略され長野業盛は自刃、上野・武蔵・常陸・下野・下総を転戦し挽回を図るも輝虎の関東侵出は挫折、代わりに北条氏康が関東諸豪を切崩して勢力を回復 詳細を見る
1566 [第二次月山富田城の戦い]毛利元就が5年に及ぶ月山富田城攻囲戦を征し尼子義久が降伏開城(尼子義久・倫久・秀久兄弟は助命され子孫は毛利家家臣として存続、山中鹿介幸盛は上京し諸国を巡歴)、毛利氏は中国地方8ヶ国を制覇 詳細を見る
1566 松平家康が改姓し徳川家康を名乗る(松平氏は三河賀茂明神の氏子で賀茂姓を称したが、家祖徳阿弥の出生地が上野国新田郡世良田村徳川で新田源氏の末裔を僭称したことに因み、三河一国の太守に相応しい源姓・名字徳川に改めたと考えられる) 詳細を見る
1566 島津貴久が隠居し嫡子島津義久が16代島津宗家を承継、義久・義弘・歳久・家久の島津4兄弟による九州統一への挑戦が始まる
1567 織田信長が美濃国を制圧、中国周王朝の発祥地に因んで稲葉山城を岐阜城へと改名し本拠を移動、国境を接した武田信玄を贈物攻勢と婚姻政策で宥めつつ「天下布武」を掲げて京都を窺う 詳細を見る
1567 北近江小谷城主の浅井長政が越前朝倉氏に背かないことを条件に上洛を望む織田信長と同盟、信長の妹で「近国無双の美人」市は浅井長政に入輿し茶々(豊臣秀吉側室で嗣子秀頼の生母淀殿)・初(京極高次正室)・江(徳川秀忠正室)を出産する 詳細を見る
1567 [三船山合戦]北条氏政(氏康嫡子)が安房に攻め入り里見義堯・義弘に決戦を挑むが水陸両戦でまさかの大敗、房総情勢は里見氏優位に転換(その後一時降伏(房相一和)するも反北条を貫く) 詳細を見る
1567 駿河侵攻を企図する武田信玄が嫡子武田義信を今川氏の妻と離縁させ廃嫡のうえ幽閉(2年後自害に追込む)、傅役の飯富虎昌らも謀反の疑いで殺害 詳細を見る
1567 浦上宗景家臣の宇喜多直家が舅の中山信正・龍口城主?所元常・備中松山城主三村家親と政敵を次々に謀殺し備前の実権を掌握
1568 将軍足利義輝を殺害した三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)と松永久秀が義輝の従弟足利義栄を14代室町将軍に擁立するが、松永久秀の叛逆により対立抗争が発生し将軍足利義栄は入京できぬまま半年後に病死
1568 足利義輝の弟一乗院覚慶が松永久秀の探索を逃れ(弟の周暠は捕縛死)還俗して越前朝倉義景に亡命、家臣の明智光秀・細川藤孝の勧めで織田信長に鞍替えすると、織田信長は5万余の上洛軍を挙げ南近江の六角義賢と畿内の三好三人衆を一掃し(松永久秀は投降)入洛して15代室町将軍足利義昭に擁立、織田信長は関所撤廃と楽市楽座により寺社特権を奪い、松永久秀が下したキリスト教宣教師追放令も撤廃 詳細を見る
1568 織田信長軍団の高級将校木下藤吉郎(豊臣秀吉)が近江箕作城攻めで活躍(信頼できる資料に初登場)、翌年京都警備役(師団長格)に大抜擢され1万石の所領を得る 詳細を見る
1568 長宗我部元親が宿敵本山茂辰を撃破し土佐中部を平定
1568 [甲相同盟破綻と越相同盟]武田信玄が徳川家康と今川領の東西分割を約し駿河侵攻開始、難なく駿府城を落として今川氏真を遠江掛川城へ追い払うが、甲相同盟を解消した北条氏康の侵攻により甲府へ撤退、北条氏康は宿敵上杉輝虎(謙信)に上野国支配と関東管領職を認めて越相同盟を結び元盟友武田信玄を圧迫(今川と北条に塩の移出を止められ難渋する武田信玄に上杉謙信が越後の塩商人を派遣した「敵に塩を送る」逸話はこのときの出来事) 詳細を見る
1569 織田信長の岐阜城帰還を衝いて三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が京都の将軍足利義昭館を襲撃、これを一蹴した織田信長は豪壮な二条御所を造営して将軍の武威を示し、衰微した皇室の経営再建に尽力し、武装中立で抵抗を続けた貿易都市堺の自治権を剥奪して外国貿易と鉄砲・硝煙の供給ルートを掌握 詳細を見る
1569 織田信長の滝川一益軍団が伊勢に侵攻、三男信孝を神戸氏・弟信包を長野氏の当主に据え、伊勢国司(飛騨姉小路・土佐一条と並ぶ三国司)北畠具教の大河内城を攻囲・恭順させて次男信雄を養嗣子に据え名門北畠家と伊勢国を奪取(北畠具教は塚原卜伝から秘伝「一つの太刀」の印可を受けた剣豪であったが、1576年三瀬の変で一族と共に殺戮された) 詳細を見る
1569 武田信玄と今川領の東西分割を約した徳川家康が遠江へ侵攻、掛川城落城により駿河守護今川家滅亡(今川氏真は妻早川殿の実家後北条氏に亡命後、徳川家康の庇護下に入り家名存続)、遠江一国を制圧した徳川家康は三河岡崎城から遠江浜松城に居城を移し大井川を隔てて武田信玄と対峙 詳細を見る
1569 戦国大名屈指の名門で駿河・遠江・三河を領有した今川氏が滅亡、今川氏真は流転の末に徳川幕府に庇護され77歳の長寿を全うし子孫は高家旗本として存続 詳細を見る
1569 織田信長の木下藤吉郎(豊臣秀吉)軍団が但馬に侵攻、山名祐豊を降し生野銀山(秀吉の強力な経済基盤となる)などを制圧 詳細を見る
1569 [三増峠の戦い]武田信玄が上杉輝虎(謙信)と和睦し安房里見・常陸佐竹と同盟したうえで駿河侵攻を阻む北条氏康の小田原城を攻囲、北条軍を相模国境三増峠で撃破し駿河一国の制圧に成功、常陸の北条方小田氏治が佐竹氏に大敗降伏し北条氏康の関東制覇の野望が費える 詳細を見る
1569 秋月種実・高橋鑑種を味方に付け肥前の龍造寺隆信とも連携した毛利元就が豊前・筑前を再攻、吉川元春・小早川隆景の奮闘で拠点立花山城を征すが、山中鹿介幸盛の尼子再興軍(出雲)・大内輝弘の乱(周防)に後方を脅かされ北九州を放棄して撤退、大友宗麟は忠臣の戸次鑑連(立花道雪、立花宗茂の養父)・高橋鎮種(紹運、立花宗茂の実父)を守将に据え豊前・筑前支配を確立
1569 [尼子再興(第一回)]山中鹿介幸盛ら尼子残党が京都東福寺にいた尼子勝久(新宮党国久の孫)を還俗させて主君に担ぎ大友宗麟・山名祐豊の支援を得て挙兵、隠岐から本土に渡って兵を募り、北九州攻めで手薄な毛利勢の虚を衝いて出雲・石見・伯耆を席巻し月山富田城に迫るが、大友宗麟と和睦した毛利氏の大軍が来襲、戦争中に毛利元就は死去するが、児玉就英の毛利水軍に制海権を奪われ最後の拠点新山城も落城、鹿介は吉川元春に捕捉されるが臣従を偽って助命され伯耆尾高城から脱走 詳細を見る
1570 織田信長が朝倉義景討伐で越前に攻込むが浅井長政離反により撤退、殿軍の木下藤吉郎(豊臣秀吉)の決死の奮戦で挟撃の窮地を脱す(金ヶ崎の退き口) 詳細を見る
1570 六角義賢が柴田勝家・佐久間信盛が守る南近江の長光寺城を攻めるが敗退(瓶割り柴田)、近江源氏佐々木氏の名門六角家は没落
1570 [姉川の戦い]織田信長・徳川家康連合軍が近江姉川河原(長浜市)で浅井長政・朝倉義景連合軍と激突、浅井軍の猛攻で織田陣は13段のうち11段まで突破され信長の本陣も危うかったが朝倉軍を破った徳川勢の奮闘で辛勝、合戦後も戦力を残した浅井・朝倉は比叡山延暦寺・本願寺顕如・武田信玄等と提携し信長包囲網を形成、信長は比叡山焼き討ちや磯野員昌ら浅井・朝倉家臣の離間工作で応戦 詳細を見る
1570 [石山合戦・信長包囲網(第一次)]織田信長の石山本願寺明け渡し要求を拒んだ顕如が挙兵し11年に及ぶ石山合戦が勃発、呼応して起った伊勢一向一揆で信長の弟織田信興が戦死、浅井・朝倉・本願寺・延暦寺の攻囲に晒された織田信長は将軍足利義昭の仲介で正親町天皇の勅命を得て和睦に漕ぎ着け窮地を凌ぐ 詳細を見る
1570 島津義久が薩摩国の内戦を平定
1571 [越中大乱]上杉謙信が関東から越中に主戦場を移し椎名康胤を猛攻するが、本願寺顕如と結ぶ武田信玄に扇動された越中一向一揆の猛反撃に遭い富山城を巡り6年に及ぶ争乱に発展 詳細を見る
1571 武田信玄が遠江・三河の徳川家康領に侵攻、室町将軍足利義昭の使者が来訪し織田信長討伐を懇請
1571 中国地方の覇者毛利元就が吉田郡山城にて死去(享年72) 詳細を見る
1571 [比叡山焼き討ち]織田信長が信長包囲網への反撃開始、平安時代から続く宗教畏怖観を破って延暦寺焼き討ちを敢行し数千の僧兵と居るはずのない女子供の悉くを誅殺 詳細を見る
1571 関東の雄北条氏康が死去(享年57)、嫡子北条氏政は「上杉謙信との越相同盟を捨て、武田信玄と同盟し直せ」との遺言に従い甲相同盟を再締結し再び上杉謙信と敵対 詳細を見る
1572 [三方ヶ原の戦い]上杉氏・後北条氏との和睦で後方の安全を確保し将軍足利義昭・浅井長政・朝倉義景・本願寺顕如・松永久秀らと提携した武田信玄が織田信長討伐軍を率いて京都へ進発、道中の遠江浜松北方で戦を仕掛けてきた徳川軍を一蹴、武田軍は追撃せず浜松城に逃れた徳川家康は九死に一生を得る 詳細を見る
1572 [九州の桶狭間・木崎原の戦い]日向国主伊東義祐の軍勢が薩摩に侵攻、島津義久の弟で飯野城主の島津義弘が少数の手勢で撃退
1573 [室町幕府滅亡]武田信玄挙兵に奮起した将軍足利義昭が洛中で織田信長討伐軍を挙兵するが宇治槇島城を大軍に包囲され降伏、義昭を見限った明智光秀・細川藤孝・荒木村重ら家臣は信長に奔り、半年後に追放され室町幕府滅亡(羽柴秀吉の献言で助命されるが毛利領の備後鞆に亡命し反信長策動を続ける) 詳細を見る
1573 三河野田城を落とし織田信長との決戦を目前に病に倒れた武田信玄が山県昌景に「明日は瀬田に旗を立てよ」と言い残して信濃下伊奈で陣没(享年53)、武田軍は継戦不能で撤退し、側室諏訪御料人の子武田勝頼が甲斐・信濃・駿河3国と上野・遠江・三河に及ぶ領国と甲斐武田家を相続 詳細を見る
1573 武田信玄の急死により信長包囲網(第二次)が瓦解、織田信長は越前一乗谷城の朝倉義景・北近江小谷城の浅井長政を攻め滅ぼし近江・越前を征服、信長の妹市は夫浅井長政に殉じるが現地指揮官の羽柴秀吉(豊臣秀吉)が茶々(豊臣秀吉側室で嗣子秀頼の生母)・初(京極高次正室)・江(徳川秀忠正室)の三姉妹を救出 詳細を見る
1573 [尼子再興(第二回)]伯耆尾高城を脱走した山中鹿介幸盛が諸浪人を集めて尼子再興軍を再結成、海賊働きで因幡に割拠し、山名豊国に加勢して鳥取城の逆臣武田高信を討って東因幡を制圧するが、豊国が毛利方に寝返り(この後も寝返りを繰返した豊国は家臣に追放される)、但馬の山名祐豊も毛利と和睦(芸但和睦)、鹿介は若桜鬼ヶ城に籠って吉川元春・小早川隆景の猛攻を凌ぐが挽回ならず撤退、尼子再興軍は織田信長に臣従し明智光秀軍に加わる 詳細を見る
1573 織田信長の家臣木下藤吉郎(豊臣秀吉)が家中の長臣柴田勝家と丹羽長秀の字をもらい羽柴秀吉へ改姓、浅井長政討滅の大功により浅井家遺領全部20数万石を与えられ近江長浜城(今浜・小谷城から改名)に拠って織田家中屈指の将領となる(この先頃に軍師竹中半兵衛重治が秀吉の与力となる) 詳細を見る
1573 島津義久が大隅国の内戦を平定
1574 [長島一向一揆平定]織田信長の滝川一益軍団が長島一向一揆(盟主は本願寺顕如)を猛攻、信長の庶兄織田信広と弟の織田秀成も戦死する激戦となるが、九鬼嘉隆の織田水軍による海上封鎖・兵糧攻めで優位に立ち門徒2万人を全滅に追込む 詳細を見る
1574 織田信長が上杉謙信に贈物攻勢、狩野永徳の傑作『洛中洛外図』を贈呈
1575 [長篠の戦い]徳川領を狙う武田勝頼の軍勢が奥平貞昌の長篠城を攻囲、織田信長は武田軍を恐れつつも徳川家康の強迫により大軍を率いて出陣、野戦を挑んだ武田軍は馬防柵と鉄砲の三段撃ちで撃破され山県昌景・馬場信春・原昌胤・真田信綱など存命の武田二十四将13人のうち7名が戦死する大敗を喫す 詳細を見る
1575 [四万十川の戦い]長宗我部元親が土佐国司(飛騨姉小路・伊勢北畠と並ぶ三国司)の一条兼定軍を撃破し土佐一国を平定
1575 [越前一向一揆平定]富田長繁ら朝倉遺臣が土一揆と結託し織田信長が越前守護代に任じた前波吉継を殺害するが、本願寺顕如は加賀一向一揆から七里頼周・下間頼照らを指導者に送り富田長繁ら朝倉遺臣を攻め滅ぼして越前国を制圧、3万余の大軍を率いて出征した織田信長は瞬く間に一揆勢を平らげ、北ノ庄城主で主将の柴田勝家を前田利家・佐々成政・不破光治ら与力衆が補佐する織田家北陸軍団を編成し越後の上杉謙信と対峙 詳細を見る
1575 [天神山城の戦い]宇喜多直家が毛利氏の支持を得て主君浦上宗景を追放し備前一国を掌握、3年後に反抗勢力を一掃し支配権確立
1575 織田信長が家督と美濃・尾張を嫡子織田信忠に譲る 詳細を見る
1576 織田信長が安土城築城開始(3年後完成)、岐阜城を嫡子織田信忠に譲り本拠を安土城に移す 詳細を見る
1576 [第一次木津川口の戦い]毛利から石山本願寺への水上補給路遮断のため九鬼嘉隆の織田水軍が戦を仕掛けるが乃美宗勝率いる毛利・小早川・村上の水軍勢が撃退 詳細を見る
1576 島津義久が伊東義祐を破り日向国を平定、島津4兄弟は薩摩・大隅・日向の3国統一を達成
1577 [紀州征伐]織田信長が根来衆を寝返らせ大軍を率いて紀州を制圧、本願寺軍団指揮官で雑賀衆棟梁の鈴木重秀(雑賀孫一)も降伏 詳細を見る
1577 [越中大乱~七尾城の戦い~信長包囲網(第三次)]上杉謙信が逆臣椎名康胤と国人衆を討ち平らげて越中を制圧、そのまま温井景隆の要請で能登へ攻込み七尾城を奪った織田方の長続連・綱連父子を討滅(傀儡守護の管領畠山氏は滅亡)、越後・越中・能登の三国を征した謙信は本願寺顕如・一向一揆と和睦し毛利輝元・波多野秀治・紀州雑賀衆らと連携して織田信長と対峙 詳細を見る
1577 [手取川の戦い]武田家を滅ぼし自信を得た織田信長が上杉謙信との決戦を決意、柴田勝家に3万余の大軍を授け能登七尾城救援に派遣するが加賀南部手取川で上杉謙信に迎撃され惨敗、主将の柴田勝家と対立し無断帰国した羽柴秀吉(豊臣秀吉)は毎日酒宴を開いて遊び惚けることで信長の疑惑と怒りをかわす 詳細を見る
1577 織田信長配下の松永久秀謀反、大和信貴山城を攻囲され茶道具『平蜘蛛』と共に自爆死 詳細を見る
1577 小寺政職家臣で姫路城代の小寺孝高(黒田官兵衛)の要請を受けた織田信長が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に軍団を預け中国侵攻に着手、官兵衛は嫡子長政を人質に出し秀吉の軍師(与力)となる 詳細を見る
1578 [御館の乱]軍神上杉謙信が織田信長討伐の大動員令を発した直後に急死(享年49)、後継未確定のため家中は二人の養子に割れて熾烈な家督争いが勃発、甲越同盟で武田勝頼の支持を得た上杉景勝(長尾政景の子で謙信の甥)が上杉景虎(北条氏康の実子)を自害に追込み勝利するが、上杉家は弱体化し織田信長の侵攻に晒される 詳細を見る
1578 [尼子再興(第三回)~上月城の戦い]羽柴秀吉(豊臣秀吉)・小寺孝高(黒田官兵衛)の中国侵攻に従った山中鹿介幸盛の尼子再興軍は、攻略した播磨上月城の守将に任じられるが、三木城主別所長治を寝返らせた毛利方の吉川元春・小早川隆景・宇喜多直家の大軍が来襲、上月城は織田信長の命で見捨てられ尼子勝久一族悉く自刃し降伏開城、捕捉された鹿介は斬殺(享年32)、秀吉陣中にあって難を逃れた亀井茲矩は尼子再興軍を承継し徳川家康に転じて因幡鹿野藩初代藩主(次代に石見津和野藩へ加転封)となる 詳細を見る
1578 [第二次木津川口の戦い]大筒・大鉄砲を装備し焙烙火矢が効かない鉄甲船6隻を擁する九鬼嘉隆の織田水軍が村上武吉率いる毛利・小早川・水軍を撃破、石山本願寺への補給路を絶つ 詳細を見る
1578 織田信長配下の荒木村重謀反、摂津有岡城で1年間籠城するが毛利の援軍は来ず側近の中川清秀と高山右近が寝返り、荒木村重は単身脱走、信長は残された荒木一族と重臣36人・女房衆122人のほか匿った高野山僧数百人を惨殺、投降使の小寺孝高(黒田官兵衛)は1年間土牢に幽閉(信長は人質黒田長政の処刑を命じるが竹中半兵衛重治が匿い助ける) 詳細を見る
1578 [耳川の戦い]九州北半の支配者大友宗麟の軍勢が日向に侵攻、島津義久軍は「釣り野伏せ」戦法で壊滅的勝利、以後名門大友氏は衰亡の道を辿る
1579 織田信長の明智光秀軍団が波多野秀治の八上城、赤井直正の黒井城を攻略し丹波国を平定、福知山城を築城し統治拠点とする
1579 徳川家康の正室築山殿(今川一族で義元の養女)の武田勝頼への内通が露見(徳川信康の正室で姑の築山殿と不仲な徳姫が、唐人医師減敬との密通等と合わせて父信長に告発)、安土で信長に真偽を問われた酒井忠次は否定せず、信長の命により家康は築山殿を殺害し関与を疑われた嫡子信康を自害させる 詳細を見る
1580 [三木合戦]織田信長の羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍団・軍師小寺孝高(黒田官兵衛)が毛利方に寝返った別所長治の播磨三木城を兵糧攻めで攻略(三木の干殺し)、播磨攻防戦の大勢が決し織田方が優位に立つ 詳細を見る
1580 織田信長が顕如を降伏させ11年に及んだ石山合戦を征し信長包囲網を完全破壊、顕如は石山本願寺(直後に焼失)を明け渡して紀伊鷺森別院(鷺森本願寺)に退き、90年続いた加賀一向一揆も解体され加賀国を制圧した柴田勝家軍団は越中・能登の上杉景勝領に侵出 詳細を見る
1580 織田信長の躁鬱が激化、無断外出した女中数名を斬り殺し、最古参の佐久間信盛・林秀貞と安藤守就を過去の罪状をあげつらい突然追放(佐久間信盛は高野山にも受入れを拒否され唯一人落ち延びた奥吉野で餓死) 詳細を見る
1580 キリシタン大名大村純忠が長崎港周辺をイエズス会に教会領として寄進、領民に改宗を強制し反抗者や仏僧を迫害
1580 織田信長が天下布武に向けた多方面作戦遂行のため家臣を再編成し軍団(方面軍)制を確立~柴田勝家軍団=北越・上杉景勝、明智光秀軍団=近畿平定後遊軍、羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍団=中国・毛利輝元、滝川一益軍団=関東・北条氏政、織田信孝・丹羽長秀軍団=四国・長宗我部元親、織田信忠=美濃・尾張・飛騨の抑え、織田信雄=伊勢・伊賀方面の抑え、徳川家康(同盟国)=東海道の抑え 詳細を見る
1581 [天正伊賀の乱]織田信長の織田信雄・滝川一益・丹羽長秀軍団が伊賀の領国支配に抵抗する地侍・忍者の勢力を殲滅
1581 毛利方を離脱し最後は織田方に付いた備前の梟雄宇喜多直家が岡山城にて死去、家督を継いだ嫡子宇喜多秀家を羽柴秀吉(豊臣秀吉)に託す(秀吉は宇喜多秀家の生母円融院と昵懇となり秀家を一門衆・五大老に取り立てる)
1581 [鳥取の渇え殺し]播磨・但馬・備前を完全制圧した織田信長の羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍団が山陰に侵攻、吉川経家(毛利一族)の鳥取城を兵糧攻めで落とし毛利領の因幡を奪取、決死の覚悟で伯耆国境に迫った吉川元春軍との対決は回避 詳細を見る
1582 キリシタン大名の大村純忠・有馬晴信・大友宗麟が名代として天正少年使節派遣
1582 [甲州征伐・天目山の戦い]織田信長軍が武田領に反攻、穴山梅雪・小山田信茂ら重臣の離反で孤立化した武田勝頼・信勝父子が自害し甲斐守護・武田宗家滅亡、続いて織田軍は越中・信濃・上野を攻略し上杉領に侵攻 詳細を見る
1582 [高松城水攻め]織田信長の羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍団・軍師黒田官兵衛孝高が毛利方清水宗治が守る備中国高松城を水没させ兵糧攻め、吉川元春・小早川隆景の救援軍も手を出せず、秀吉は手柄献上のため信長に出陣を要請するが本能寺の変が勃発、清水宗治の切腹と備中・備後・伯耆三国の割譲を条件に(因幡・美作も求めていたが早期停戦のため妥協)毛利氏と和睦、明智光秀討伐へ向かう 詳細を見る
1582 [6月2日:本能寺の変]明智光秀謀反、毛利攻め途上に滞在した洛中本能寺にて織田信長自害(享年49)、嫡子織田信忠も二条新御所で自刃、堺見物中の徳川家康は伊賀者の手引きで辛くも帰還(道中別れた穴山梅雪は木津川河畔で土民の落ち武者狩りに遭い落命) 詳細を見る
1582 [6月3日:魚津城の戦い]織田信長の柴田勝家軍団が大軍で越中魚津城を攻囲、越中・信濃・上野の三方面から織田軍が本国越後に迫ったため上杉景勝は開城和睦に応じ救援軍を引くが、柴田勝家・佐々成政が和議を破って城を攻め上杉方の守将13人悉くが自害、本能寺の変勃発で織田軍は撤退するが激怒した上杉軍に足止めされ明智光秀討伐に間に合わず 詳細を見る
1582 [中国大返し]逸早く本能寺の変を知った羽柴秀吉(豊臣秀吉)が清水宗治の切腹と備中・備後・伯耆三国の割譲を条件に(因幡・美作も求めていたが早期停戦のため妥協)毛利氏と和睦、備中高松城から撤収し総員全速力で京畿の明智光秀討伐に向かう 詳細を見る
1582 [6月13日:天目山の戦い]羽柴秀吉(豊臣秀吉)軍が洛外天目山で明智光秀軍と激突、光秀は近親の細川藤孝・忠興父子(細川忠興の正妻ガラシャは光秀の娘)に加え筒井順慶(洞ヶ峠)・中川清秀・高山右近ら与力衆に見放され、織田信孝・丹羽長秀軍を糾合し兵数に勝る羽柴軍が圧勝、明智光秀は逃亡中に伏見小栗栖で土民の落ち武者狩りに遭い落命、近江坂本城も落城し明智氏滅亡 詳細を見る
1582 織田信長が築いた名城近江安土城が焼失(動転した次男織田信雄による放火説が有力)
1582 [神流川の戦い~天正壬午の乱]本能寺の変の混乱に乗じた北条氏政が上野国の織田領に侵攻、野戦に敗れた主将の滝川一益は厩橋城・箕輪城を放棄し逃走、北条軍は信濃まで侵出し旧武田領を巡って上杉景勝・徳川家康の軍勢と三つ巴戦、上杉が信濃北部4郡、北条が上野国、徳川が甲斐・信濃を切り取り次第との条件で和睦し、徳川家康は甲斐と信濃の大部分を制圧し三河・遠江・駿河・甲斐・信濃五ヶ国の太守となり羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対峙 詳細を見る
1582 [6月27日:清洲会議]織田信長遺臣の柴田勝家・丹羽長秀・羽柴秀吉(豊臣秀吉)・池田恒興が参集、織田家の家督争いで三男織田信孝を推す勝家を抑え秀吉が嫡孫三法師(織田秀信)擁立に成功、信孝は三法師の後見職と美濃国を、次男信雄は尾張国を相続、羽柴秀吉は明智光秀の旧領丹波・山城・河内国など28万石を獲得(柴田勝家が秀吉の旧領近江長浜12万石を獲得したほか、明智光秀征伐に参加した丹羽長秀・池田恒興・堀秀政と日和見の細川藤孝・筒井順慶にも加増) 詳細を見る
1583 羽柴秀吉(豊臣秀吉)と柴田勝家が激しい調略戦、勝家は滝川一益・織田信孝(信長の三男)と結んで秀吉弾劾状を諸大名にばら撒き四国の長宗我部元親や紀伊の雑賀衆を動かして後方霍乱に励むが、養子の羽柴秀勝(信長の四男)を喪主に織田信長の葬儀を主宰し有力者の丹羽長秀・池田恒興・堀秀政・蒲生氏郷に柴田与力の前田利家まで懐柔した秀吉が圧勝 詳細を見る
1583 [賤ヶ岳の戦い]羽柴秀吉(豊臣秀吉)が挙兵、近江長浜城等を調略して岐阜城の織田信孝と分断し、滝川一益の伊勢にも侵攻、柴田勝家は近江に出陣するが佐久間盛政の軍令違反や前田利家の戦線離脱により大敗(賤ヶ岳の七本槍の武勇談)、秀吉は越前北ノ庄城へ追撃して柴田勝家を滅ぼし(織田信長の妹市は夫勝家に殉じるが茶々・初・江の姉妹は助命確保)加賀・能登国まで討平(前田利家に与える)、織田信孝も自害(辞世:昔より主を内海の浦なれば むくいを待てよ羽柴筑前)させて織田家簒奪を完遂 詳細を見る
1583 羽柴秀吉(豊臣秀吉)が新たな本拠地として石山本願寺跡地に大坂城の築城を開始・総奉行に黒田官兵衛孝高を任命 詳細を見る
1584 [沖田畷の戦い]大友氏の衰退で肥前国主の龍造寺隆信が台頭、有馬晴信の援軍要請を受けた島津義久は末弟の家久を派遣、島津家久は寡兵をもって龍造寺隆信を討ち取り壊滅的勝利、竜造寺氏は島津氏の軍門に降る
1584 [小牧・長久手の戦い]羽柴秀吉(豊臣秀吉)に宣戦した織田信雄に徳川家康が加担、旧柴田勝家方の長宗我部元親(四国)・雑賀衆(紀州)・佐々成政(越中)及び北条氏政(関東)とも連携し秀吉包囲網を形成、寡勢の徳川軍が池田恒興・森長可の奇襲軍を殲滅し強さを示すが、秀吉に調略された信雄が無断で単独講和、名目を失った家康も次男秀康(羽柴→結城)を秀吉の養子に差し出し停戦 詳細を見る
1584 伊達政宗が隠居し嫡子伊達政宗が伊達家(自称奥羽探題)の家督を相続
1585 羽柴秀吉(豊臣秀吉)が藤原氏五摂家筆頭の近衛前久の猶子となり関白に就任 詳細を見る
1585 [四国攻め・紀州征伐]織田家を掌握した羽柴秀吉(豊臣秀吉)が天下統一戦を開始、弟の羽柴秀長を総大将・黒田官兵衛孝高を軍監に10万の四国征伐軍を送り長宗我部元親を降伏させ(土佐一国は安堵)、藤堂高虎に命じて雑賀衆の首領鈴木重意を謀殺し紀州国を平定 詳細を見る
1585 [第一次上田合戦]沼田領引渡しを拒む真田昌幸が徳川家康から離反し次男真田信繁(真田幸村)を人質に上杉景勝に鞍替え沼田城に来襲した徳川・北条連合軍を寡兵で痛撃、信繁を羽柴秀吉(豊臣秀吉)の人質に転じ秀吉の調停で停戦 詳細を見る
1585 [阿蘇合戦]島津義久の次弟島津義弘の軍勢が阿蘇惟光を破り肥後国を領国化
1585 徳川家康重臣の石川数正が羽柴秀吉(豊臣秀吉)方に電撃移籍、徳川家は旧武田軍に倣って軍法を刷新し本城を駿府城に移転 詳細を見る
1585 [惣無事令(九州)]島津氏に圧迫され滅亡目前の大友宗麟の陳情を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が九州諸大名に私戦禁止を発令、島津氏は無視して領土拡張戦争を継続 詳細を見る
1585 [人取橋の戦い]領土拡張を図る伊達政宗が畠山義継の二本松城に侵攻、義継は降伏した振りをして斡旋役の伊達輝宗を拉致して逃走、政宗は父もろとも義継らを射殺し再び二本松城を攻めるが、佐竹義重・義宣率いる南奥羽諸侯の救援軍が殺到、伊達軍は潰走し政宗は鬼庭左月斎の捨て身の防戦で窮地を脱する
1585 豊臣秀吉が城下町活性化のために顕如を大坂に呼び戻し天満本願寺を創建 詳細を見る
1586 [岩屋城の戦い]島津義久の大軍が筑前・筑後に侵攻、岩屋城の高橋紹運は徹底抗戦の末に開城玉砕、被害甚大の島津軍は紹運の実子立花宗茂が死守する立花山城攻略を諦め大友氏の根拠地豊後攻めへ方針転換
1586 妹あさひ(朝日姫)の輿入れに続いて母なか(大政所)を人質として差し出した羽柴秀吉(豊臣秀吉)に対し徳川家康が臣従 詳細を見る
1586 [戸次川の戦い]肥後から島津義弘軍、日向から島津家久軍が豊後大友領に殺到、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は大友氏救援のため長宗我部元親率いる先発隊を送るが、功を焦った軍監仙石秀久の失策と島津の釣り野伏せ戦法により大敗し十河存保と元親の嫡子信親までが戦死、島津家久は府内城を落とし大友宗麟の臼杵城を包囲、嫡子大友義統は敵前逃亡(仙石秀久は逃亡し改易されるが、小田原征伐の「仙石原合戦」で返り咲く)
1586 賤ヶ岳の戦いは不参加で本領安堵されるも小牧・長久手の戦いに加担した越中の佐々成政(柴田勝家与力)が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に降伏(厳冬の「さらさら越え」で浜松に赴き徳川家康らに再挙を促すが断られ孤立)、旧知の秀吉は新川一郡を除く所領を没収するが助命し御伽衆に採用、戦功により没収領を得た前田利家は加賀・能登・越中三国の太守となる
1586 羽柴秀吉が太政大臣に就任、朝廷から豊臣姓を賜り以後豊臣秀吉を名乗る
1587 [九州征伐]惣無事令を無視して大友宗麟を圧迫する島津氏を討つため豊臣秀吉が九州に侵攻、豊臣秀長(秀吉の弟)軍10万が豊後・秀吉の本隊10万が肥後から薩摩に進軍、諸将離反のなか当主島津義久は剃髪出家して降伏、秀吉は寛大にも島津義久・義弘兄弟にそれぞれ薩摩・大隅国を安堵し、石田三成と親密で豊臣姓を与えた島津義弘が17代島津宗家当主となる 詳細を見る
1587 [バテレン追放令]大村純忠がイエズス会に長崎港を寄進した事実に驚愕し、宣教師ガスパール・コエリョがスペイン艦隊の武威を笠に傲慢な態度を示したことに立腹した豊臣秀吉が宣教師追放を発令(この時点では実利優先で南蛮貿易は容認され布教活動も事実上黙認) 詳細を見る
1587 [北野大茶会]九州征伐から京都に凱旋した豊臣秀吉が庶民自由参加の大茶会を開催・黄金の茶室も披露
1587 豊臣秀吉が京都に政庁兼邸宅の聚楽第を建設、後陽成天皇の行幸を迎え、諸大名列席の祝賀式では秀吉に懇願された徳川家康が臣下の礼をとり権威付けに協力
1587 [惣無事令(関東・奥羽)]西日本を九州まで平定した豊臣秀吉が関東・奥羽諸大名に私戦禁止を発令、伊達政宗は無視して領土拡張戦争を継続 詳細を見る
1587 [肥後国人一揆]小牧・長久手の戦いで改易された佐々成政が九州征伐の武功で肥後一国の太守に返り咲くが、豊臣秀吉の指示に反して太閤検地を断行し反発する国人が一斉蜂起、佐々は自力で鎮圧できず切腹、秀吉は肥後国の北半分を加藤清正・南半分を小西行長に与える
1588 [刀狩令・海賊停止令]豊臣秀吉政権による領民統治政策 詳細を見る
1589 [寺内成敗]聚楽第落書犯の逃走を幇助し斯波義銀ら政治犯を匿ったとして豊臣秀吉(執行役は石田三成)が天満本願寺寺内町を徹底捜索、顕如は叱責され、町人63名と共に孫の願得寺顕悟が処刑される 詳細を見る
1589 [摺上原の戦い]伊達政宗が会津磐梯山麓で蘆名義広を破り会津黒川城を奪取・蘆名氏滅亡、反伊達連合を壊滅させ福島県中部から山形県・宮城県に及ぶ広大な領域を制圧
1589 豊臣秀吉の側室淀殿が後継者の鶴松を出産 詳細を見る
1589 豊臣秀吉政権が全国各地の検地を開始(太閤検地) 詳細を見る
1590 小田原征伐の大軍を前に伊達政宗が豊臣秀吉に投降、会津は没収されるが巧みな根回しと白(死)装束など秀吉好みの派手な演出で伊達家の旧領安堵に成功 詳細を見る
1590 [小田原征伐・天下統一]後北条氏家臣猪俣邦憲による真田昌幸領侵犯・惣無事令違反を名分に豊臣秀吉が20万の大軍を率いて侵攻、支城を落とし小田原城を重包囲、徳川家康(氏直は娘婿)が早期降伏を促すが断念、北条氏政・氏直父子は3ヶ月の「小田原評定」の末に結局降伏し後北条氏滅亡、天下統一成る(秀吉は強敵家康から駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の5カ国150万石を召上げ武蔵・伊豆・相模・上野・上総・下総の6カ国と下野・常陸の一部250万石へ移封、家康は江戸城を本拠とし大規模都市開発に着手) 詳細を見る
1590 [奥州仕置]豊臣秀吉が東北諸大名の領土再編
1591 豊臣秀吉の弟にして名参謀の豊臣秀長が死去 詳細を見る
1591 豊臣秀吉が茶頭兼名器製造機として貢献した千利休を切腹させる
1591 豊臣秀吉唯一の男児鶴松が2歳で夭折
1591 [身分統制令]豊臣秀吉政権による領民統治政策(明侵攻のための兵力と年貢米確保のための施策であり、世襲身分の固定化は企図せず)
1591 [九戸政実の乱・戦国最後の内戦]北奥羽南部家で家督争いから一族の九戸政実が反乱挙兵、豊臣秀吉の奥州仕置に反発する土豪一揆が呼応したが、豊臣秀次・徳川家康率いる奥州再仕置軍が鎮圧
1591 豊臣秀吉が明侵攻(唐入り)を宣言、前線拠点の肥前に名護屋城を築城 詳細を見る
1591 豊臣秀吉が姉日秀の子豊臣秀次に関白位を譲り太閤(前関白)となる 詳細を見る
1591 豊臣秀吉から寺内成敗の罪を赦された顕如が本願寺教団を再興、大阪天満から京都堀川六条の現在地に本願寺を移築(西本願寺) 詳細を見る
1592 [文禄の役・朝鮮出兵開始]豊臣秀吉が明の属国李氏朝鮮に宣戦し当時世界最高の鉄砲装備を誇る日本軍を派遣(総大将は豊臣一門扱いの宇喜多秀家)、小西行長の先鋒隊が戦わずに北へ逃れる宣祖王と朝鮮軍を追って首都漢城を落とし平壌まで制圧、釜山浦の戦いで李舜臣の朝鮮水軍を撃破、加藤清正隊はヌルハチの女真族領まで侵攻 詳細を見る
1592 豊臣秀吉の母なか(大政所)死去
1592 織田信長を最も苦しめた本願寺顕如が死去(享年50)、嫡子教如が本願寺法主を継承するが、武闘派のため豊臣秀吉に廃され穏健派の三男准如が法主となる 詳細を見る
1593 [碧蹄館の戦い]李如松率いる明の大軍が参戦、休戦講和と偽られ攻込まれた小西行長隊は平壌を放棄して漢城へ撤退、後詰の大友義統隊は逃走(宗麟の嫡子・これにより改易)、立花宗茂・小早川隆景らの奮闘で迎撃戦に圧勝するが、漢城の食料貯蔵庫を焼かれた日本軍は明と講和し釜山まで撤退
1593 豊臣秀吉の側室淀殿が男児を出産(豊臣秀頼) 詳細を見る
1595 [秀次事件]豊臣秀吉が嫡子秀頼の後顧の憂いを絶つため甥の関白豊臣秀次を自害させ眷属悉くを三条河原で処刑、毛利輝元・浅野長政・藤堂高虎・細川忠興・山内一豊ら秀次に近い諸大名にも追及が及び秀吉人気が失墜 詳細を見る
1596 [慶長の役・朝鮮出兵再開]日明双方に敵方降伏と偽った小西行長の腹芸が明使沈惟敬謁見で露呈し激怒した豊臣秀吉が再出兵を決定、日本軍は計画どおり全羅道・忠清道を制圧し朝鮮南部を恒久領土化するため城郭群建築を開始 詳細を見る
1596 [慶長伏見地震]伏見城が倒壊するが豊臣秀吉は無事、石田三成・小西行長の讒言により謹慎中の加藤清正が救護に駆けつけ朝鮮出兵を許される(地震加藤)、前年完成したばかりの方広寺大仏が倒壊
1596 [蔚山城の戦い]築城中の朝鮮南岸蔚山城を明軍が襲撃、守将加藤清正は兵糧難の籠城戦に耐え毛利秀元等の援軍到着により明軍を撃退し朝鮮南部を確保
1597 [サン=フェリペ号事件・26聖人殉教]遭難したスペイン商船が土佐に漂着、豊臣秀吉政権は宣教師同乗を理由に積荷を没収、キリシタン大名による領民迫害やポルトガル商人による日本人奴隷売買が目に余る状況のなか船員が無敵艦隊による日本征服をちらつかせたため再び禁教令を公布、抵抗した京都のキリシタン26人(スペイン等外国人宣教師6人と日本人20人)を捕えキリシタンの多い長崎に送り処刑 詳細を見る
1598 [醍醐の花見]豊臣秀吉が再建した醍醐寺の庭園に700本の桜を植樹し身内で花見を楽しむ
1598 豊臣秀吉が五大老(徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元)・五奉行(浅野長政・石田三成・増田長盛・長束正家・前田玄以)に嗣子豊臣秀頼の後見を念押しして死去(享年62、豊国大明神の神号で豊国神社に祀られる)、五大老・五奉行が朝鮮出兵中止を決定し撤兵開始 詳細を見る
1598 [泗川の戦い・日本軍圧勝のまま朝鮮出兵終結]豊臣秀吉没後直ちに日本軍が撤収を開始、明軍は蔚山・泗川・順天の三路から追撃に出るが、島津義弘が7千の手勢で10万余の敵軍を壊滅させるなど各方面で日本軍が完勝、水軍戦でも敵将李舜臣らを敗死させ殿軍島津義弘まで無事帰国
1599 五大老の重鎮前田利家死去、翌日加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興・浅野幸長・池田輝政・加藤嘉明の7将が石田三成の大坂屋敷を襲撃、徳川家康の仲裁により和解するが、石田三成の五奉行辞任により徳川家康の専横が強まる 詳細を見る
一六〇〇 1600 蘭船リーフデ号が豊後佐志生に漂着、乗組員のヤン・ヨーステン(八重洲の由来)とウィリアム・アダムス(三浦按針)を徳川家康が家臣にする
1600 [会津征伐]石田三成と直江兼続の密謀により上杉景勝が反逆、豊臣秀頼の命により徳川家康率いる上杉征伐軍が出陣 詳細を見る
1600 石田三成が毛利輝元を総大将に担ぎ徳川家康征伐を宣言、在京阪の諸大名の妻子を人質とするが細川忠興の正室ガラシャの自害などで撤回、伏見城を攻略し守将鳥居元忠自害、西軍主力は東軍迎撃の拠点美濃大垣城に入り織田秀信(信長の嫡孫三法師)の岐阜城も調略
1600 [小山評定]会津征伐軍で徳川家康が石田三成打倒を宣言、黒田長政の策動で加藤清正・福島正則ら豊臣恩顧大名が挙って賛同、真っ先に掛川城提供を申出た山内一豊は戦後に土佐一国に3倍加増、信濃上田城主の真田昌幸は西軍に就く 詳細を見る
1600 [第二次上田合戦]徳川家康率いる諸侯隊が東海道を西上、中山道をとった徳川秀忠の東軍本隊は真田昌幸の信濃上田城攻略に手を焼き関ヶ原決戦に間に合わず 詳細を見る
1600 [関ヶ原の戦い]石田三成の西軍が野戦に誘い出され関ヶ原で徳川家康率いる東軍を迎撃、西軍は兵数と布陣で有利な状況ながら毛利秀元軍の不戦と小早川秀秋の寝返りで大敗、大谷吉継は戦死、石田三成・小西行長・安国事恵瓊は京都六条河原にて斬首、西軍主力の宇喜多秀家は改易のうえ八丈島に流罪、西軍総大将毛利輝元は偽りの領国安堵に釣られ鉄壁の大阪城を明け渡すが120万石から防長36万石へ大減封、上杉景勝は陸奥会津120万石から出羽米沢30万石へ減転封、佐竹義宣は常陸54万石から出羽久保田20万石へ減転封、島津義弘は遠方薩摩藩のため免責、逆に最大加増者は毛利・小早川調略を担った黒田長政で豊前中津12万石から福岡52万へ加転封 詳細を見る
1600 豊前中津で隠居する黒田官兵衛孝高が雑兵1万を掻き集めて挙兵、九州北半を制圧し立花宗茂・鍋島直茂・加藤清正を従えて島津征伐に乗込むが、徳川家康と島津義久との和議成立による停戦命令を水俣で受け断念
1601 徳川家康が五街道に伝馬制度を制定、一里塚敷設
1602 豊臣家の強大な財力削減を目論む徳川家康の勧めに乗せられた淀殿・豊臣秀頼が秀吉の追善供養のため畿内の寺社修築に散財、再建途中の方広寺大仏・大仏殿が失火により焼失 詳細を見る
1602 徳川家康が本願寺の勢力復活を阻むため京都烏丸六条に顕如の嫡子教如を法主とする新本願寺を創建(東本願寺)、三弟准如の西本願寺との間に現在まで続く泥仕合が始まる 詳細を見る
1603 [徳川幕府発足]徳川家康が征夷大将軍就任、新築した二条城に入る 詳細を見る
1603 徳川秀忠の娘千姫(7歳)が豊臣秀頼(10歳)に輿入れ 詳細を見る
1603 徳川家康の肝煎りで京都・堺・長崎の商人が糸割符仲間を結成
1603 敵対する盗賊向崎甚内(武田信玄の寵臣高坂昌信の子孫とも)の密告により徳川幕府が風魔小太郎(後北条忍者の頭目)を捕殺 詳細を見る
1603 出雲阿国がかぶき踊(歌舞伎の源流)を創始(蒲生氏郷の元家臣で天下三美男に数えられた名古屋山三郎が何代目かの阿国の情夫となり歌舞伎の興隆をリードしたともいわれる)
1605 徳川家康が隠居し徳川秀忠を2代将軍に擁立、徳川氏による世襲将軍制(政権を豊臣家に返上しないこと)を明示 詳細を見る
1607 徳川家康が駿府城に移るが幕府の実権は留保(大御所政治)、大久保・本多ら譜代重臣の主導権争いが激化
1607 戦争捕虜の回収を目的に朝鮮通信使が来航、以後徳川将軍の代替わりや世継ぎの誕生の都度祝賀使節が派遣される
1609 [琉球征伐]島津氏が琉球王国に侵攻、尚寧王を降し属領化
1611 福島正則の奔走により淀殿・豊臣秀頼が徳川家康との京都二条城会見に応じる
1611 加藤清正死去
1612 徳川幕府直轄領にキリスト教禁止令、キリシタンでないことを仏教寺院に証明させる寺請制度を創設(宗門人別帳に発展)
1612 徳川幕府が寺院諸法度による仏教教団の保護・統制政策を開始
1612 [岡本大八事件・徳川幕閣の内紛]本多正純の家臣岡本大八が有馬晴信にお家最高を持ちかけ賄賂を詐取した罪で火あぶり刑(有馬も死罪)、大久保忠隣・大久保長安の武断派が本多正信・正純父子の文治派に勝利
1613 [大久保長安事件・徳川幕閣の内紛]徳川家の金銀山経営を統括した武断派の権臣大久保長安(金春流猿楽師の下層民の出自で武田信玄に仕え徳川家へ移籍)が死去、膨大な遺産を本多正信・本多正純父子の文治派が不正蓄財と断罪し一族郎党を誅殺
1613 仙台藩主伊達政宗が正使ルイス・ソテロ-副使支倉常長の慶長遣欧使節を派遣、イスパニア(スペイン)王とローマ教皇パウルス5世に徳川幕府のキリスト禁教政策への介入を訴えるが不首尾に終わる
1613 敵対する盗賊鳶沢甚内(後北条の遺臣)の密告により徳川幕府が向崎甚内(武田信玄の寵臣高坂昌信の子孫とも)を捕殺、瘧(マラリア)のために捕縛されたことから浅草甚内神社は瘧治癒で崇敬され、鳶沢甚内は目明し兼古着商支配役を世襲し住地富沢町の名の由来となる 詳細を見る
1614 武断派の総帥大久保忠隣改易、本多正信・本多正純父子の文治派が完全勝利
1614 [大坂冬の陣]方広寺鐘銘事件に乗せられた淀殿・豊臣秀頼が徳川幕府と開戦、真田信繁(真田幸村)・長宗我部盛親・後藤基次又兵衛・毛利勝永・明石全登の五人衆ら歴戦の関ヶ原浪人が鉄壁の大阪城に参集するが愚将大野治長の差配で勝機を逸し、本丸被弾・侍女8名圧死に怯えた淀殿が不利な講和を即断、徳川方に欺かれて内堀まで埋められ大阪城は裸城となる 詳細を見る
1615 [大坂夏の陣・豊臣家滅亡]大阪城からの浪人退去か豊臣家移封を迫られた淀殿・豊臣秀頼が幕府軍と再戦、真田信繁(真田幸村)勢が徳川家康の本陣に迫る見せ場もあったが、防御力を削がれた大阪城は落城、助命嘆願も虚しく豊臣秀頼は淀殿・大野治長と共に城中にて自害、豊臣秀吉=豊国大明神の神号も剥奪して戦国時代以来の内戦は徳川の一人勝ちで完全終結(元和偃武) 詳細を見る
1615 徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を制定
1616 戦国の最終勝利者徳川家康が駿府城にて大往生(享年75)、東照大権現を推す南光坊天海が明神を推す金地院崇伝との神号争いに勝利、亡骸は久能山に葬られ(久能山東照宮)1年後に日光東照宮に改葬 詳細を見る
1616 信濃川中島・越後高田藩主で徳川家康六男の松平忠輝が行状不良により将軍徳川秀忠に改易される
1616 徳川家康の謀臣本多正信が死去
1616 鍋島直茂が朝鮮出兵で連行した李参平が肥前有田に白磁鉱を発見し有田焼を創始、島津家など諸藩で朝鮮人陶工や築城技術者が活躍
1617 徳川幕府が悪所集約管理のため吉原遊廓を開設(元吉原・日本橋人形町→後に浅草千束へ移転)、盗賊「三甚内」の一人庄司甚内が吉原惣名主を世襲
1619 将軍徳川秀忠が広島城の無断改築を口実に福島正則を改易、子の福島正利を召抱え大身の旗本として福島家を存続させる
1619 徳川将軍家の血のスペアとして尾張(家康九男徳川義直)・紀州(家康十男徳川頼宣)・水戸(家康十一男徳川頼房)の御三家体制が確立
1620 朝幕融和のため将軍徳川秀忠の娘和子が後水尾天皇の中宮に輿入れ(東福門院)
1622 [宇都宮城釣天井事件]将軍徳川秀忠が幕閣筆頭本多正純を宇都宮城で秀忠暗殺を企てたという口実で改易
1623 徳川秀忠の嫡子徳川家光が三代将軍就任
1624 イギリスの日本撤退に続き、キリスト教を先鋒に植民地化を推進するイスパニア(スペイン)と断交
1624 徳川幕府がスペイン人の来航禁止、慶長遣欧使節正使を終えて密入国したルイス・ソテロとキリスト教宣教師4名を長崎大村にて火刑
1624 豊臣秀吉の正室ねね(北政所・高台院)死去、実家の木下家は足守・日出の両藩主として、養家の浅野家は広島藩主として幕末まで存続 詳細を見る
1625 天海が上野寛永寺を創建
1629 [紫衣事件]徳川幕府の朝廷統制に憤る後水尾天皇が幕府に諮らず十数人の僧侶に紫衣着用を勅許、幕府は禁中並公家諸法度違反を理由に勅許無効を宣し沢庵宗彭ら反抗者を流罪、不満の後水尾は幕府に無断で明正天皇に譲位
1630 日本人町頭領・傭兵隊首領でシャム(タイ)王室の重臣になった山田長政が毒殺される
1631 徳川幕府が貿易統制のため奉書船以外の渡航を禁止・徳川家康発行の朱印状の回収が困難なため老中連署による奉書を義務付け
1632 前将軍徳川秀忠が死去
1632 加藤清正の後嗣忠広の愚行により将軍徳川家光が熊本藩加藤家を改易、代わって豊前小倉藩主細川忠利が熊本藩に転封
1635 徳川幕府が日本人の海外渡航を禁止
1635 幕府が参勤交代制を導入
1636 徳川秀忠の隠し子保科正之を兄の将軍徳川家光が認知し寵遇、信濃高遠藩3万石から出羽山形藩20万石、最終的に陸奥会津藩23万石へ加転封し松平姓を認可、保科正之は優秀な将軍参謀として徳川幕府の屋台骨を築く
1636 独眼竜伊達政宗が死去
1637 [島原の乱]島原藩主松松倉重政・勝家の苛政とキリシタン弾圧により天草四郎率いる農民一揆が勃発、ローマ教皇・ポルトガルの援軍を期待して島原原城に籠城し力攻めした幕府軍を破り統率者板倉重昌を戦死させるが、老中松平信綱(知恵伊豆)率いる12万余の増援軍による兵糧攻めで落城し一揆勢全滅(生存者1名)、松倉勝家は切腹でなく斬首(江戸時代の大名では唯一)
1639 [鎖国]徳川幕府がポルトガル船の日本来航を禁止、清・オランダとの外国貿易を幕府が独占
1640 徳川幕府がキリシタン廃絶のため宗門改役を設置、諸藩にも宗門改制度導入を命令(宗門人別帳に発展)
1641 徳川幕府が平戸のオランダ商館を長崎出島に移す
1643 徳川幕府が農民の没落を防ぎ年貢を確保するため田畑永代売買禁令を発令
1649 徳川幕府が農民に質素勤勉を促す「慶安の御触書」布告
1651 徳川家光死去により嫡子徳川家綱が4代将軍就任
1651 [慶安事件・由井正雪の乱]戦国時代の終焉と大名整理により巷に失業武士(浪人)が溢れるなか、軍学者由井正雪の浪人団による将軍徳川家光の死に乗じた幕府転覆計画が発覚、首謀者の由井正雪は駿府で自害し丸橋忠弥(長宗我部盛親の遺児)は江戸で磔刑、黒幕の疑い濃厚な紀州藩主徳川頼宣は不問、事件の反省から幕府は武断政治から文治政治に転換し浪人救済政策や末期養子の禁緩和などを実施
1652 [承応事件」戸次庄左衛門の浪人団が老中襲撃を企て処刑される
1654 玉川上水竣工、利根川付替完成
1655 徳川幕府が糸割符制を廃止し長崎貿易を相対貿易とする 
1657 [明暦の大火・振袖火事]江戸最悪の大火事、焼亡した江戸城天守は後まで再建されず
1657 水戸藩世子の徳川光圀が駒込邸に史局を設置し歴史書『大日本史』編纂に着手、幕末維新のイデオロギー尊皇攘夷・水戸学が興る
一七〇〇 1763 藩主島津重豪(~1833)により薩摩藩の近代化が始まる
1767 田沼時代(~1786)~老中田沼意次による重商主義開明政策
1767 上杉鷹山(治憲)が米沢藩主となり藩政改革開始
1769 ジェームズ・ワットが画期的蒸気機関を発明、イギリスで産業革命が本格化
1774 杉田玄白、前野良沢らが『解体新書』を刊行
1776 アメリカ独立宣言
1781 工藤平助がロシア研究書『赤蝦夷風説考』を刊行
1781 武田薬品工業創業
1782 天命の大飢饉(~1788)
1787 フランス革命始まる(~1799)
1787 フランスのラ・ペルーズが欧米に宗谷海峡を紹介
1787 寛政の改革(~1793)~老中松平定信による重農主義復古政策
1790 京都御所を王朝風に再建
1790 寛政異学の禁~朱子学復興と実学・蘭学の統制
1792 林子平の『開国兵談』が発禁となる
1792 ロシアのラスクマンが大黒屋光太夫と来日
1793 フランスがオランダを占領
1797 ロシア人が択捉島に出没
1798 近藤重蔵が択捉島に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる
1799 ナポレオン帝政樹立(フランス革命収束)
一八〇〇 1802 デュポン創業
1803 ナポレオン戦争(~1815)
1804 ロシアのレザノフが長崎で通商を要求
1807 アメリカのロバート・フルトンが蒸気船の実用化に成功
1807 松前氏を陸奥に移配し蝦夷全域を幕府領とする
1808 フェートン号事件~オランダ船を追ってイギリス船が長崎に侵入
1810 フランスがオランダを併合
1811 最後の朝鮮通信使が対馬に来航
1811 ロスチャイルドが金融業創業
1812 ナポレオンがロシア遠征に敗北
1815 ウィーン会議で復古主義的欧州国際秩序が定まる(ウィーン体制)
1816 伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』完成
1817 イギリス船が浦賀に来航
1819 イギリスがシンガポールを領有
1823 シーボルト来日
1824 イギリス捕鯨船員の常陸上陸事件、徳川斉昭の水戸藩を中心に攘夷熱が高まる 詳細を見る
1825 異国船打払令
1828 シーボルト事件
1829 徳川斉脩の急死に伴い弟の徳川斉昭が9代水戸藩主に就任、水戸学に基づき尊皇攘夷運動を牽引
1830 鍋島斉直の隠居に伴い鍋島直正が10代佐賀藩主に就任、佐賀藩の藩政改革と近代化が始まる 詳細を見る
1832 島津重豪が調所広郷を家老格に抜擢し破綻に瀕した薩摩藩の藩政改革を託す 詳細を見る
1833 天保の大飢饉
1837 大塩平八郎の乱
1837 モリソン号事件~アメリカ商船を異国船打払令に基づき砲撃
1837 徳川家慶が12代将軍就任
1837 12代長州藩主毛利斉広の急死に伴い毛利敬親(11代藩主毛利斉元の嫡子)が13代藩主を承継
1837 プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)創業
1838 村田清風が長州藩庁の実権を握り藩政改革を断行 詳細を見る
1838 緒方洪庵が大阪瓦町で医師開業、適々斎塾(適塾)を開く 詳細を見る
1839 蛮社の獄~渡辺崋山や高野長英らの鎖国政策批判への弾圧
1840 アヘン戦争(~1842) 詳細を見る
1841 天保の改革(~1845)~老中水野忠邦による重農主義復古政策
1842 異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
1842 南京条約 詳細を見る
1843 上海開港 詳細を見る
1844 オランダ国王特使の開国勧告を幕府が無視
1845 水野忠邦が罷免され、開明派の阿部正弘が老中首座となる
1846 統仁親王(孝明天皇)即位、幕府に海防の充実を要望する
1846 アメリカのピットル艦隊が浦賀に来航し開国を打診
1846 フランスが琉球の開国を要求
1848 1848年革命~欧州全域に民主主義的ナショナリズムが台頭
1849 ファイザー創業
1850 薩摩藩で島津斉彬の襲封を支持する西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展) 詳細を見る
1850 佐賀藩が日本初の反射炉の実証炉を建設し洋式砲の鋳造を開始
1850 井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
1850 太平天国の乱(~1864)
1851 島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手
1852 ジョン万次郎が琉球に上陸、島津斉彬の謁見を経て、土佐藩に仕官
1852 彦根藩主井伊直弼が長野主膳を知行150石で藩士に召抱え藩校弘道館の国学教授に任じる 詳細を見る
1853 [ペリー来航]マシュー・ペリー艦隊が浦賀に来航、フィルモア米大統領の親書交付 詳細を見る
1853 徳川斉昭が江戸防備のため大砲74門を幕府に献上、老中安倍正弘の要請により幕府海防参与に就任
1853 幕府がペリー艦隊への対処法について大規模な世論調査を実施
1853 海防参与徳川斉昭の献策により幕府が大船建造を解禁
1853 徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
1853 老中阿部正弘に抜擢された江川坦庵が佐賀藩主鍋島直正の技術支援を得て伊豆韮山に反射炉を設置
1854 ペリー艦隊が再来航し日米和親条約締結(蘭露英仏と続く安政五ヶ国条約)、吉田松陰がアメリカ船での海外密航を企てるが失敗し自主して伊豆下田の牢に投獄される 詳細を見る
1855 安政の大地震、徳川斉昭のブレーン藤田東湖が圧死 詳細を見る
1855 日蘭和親条約締結
1855 日露和親条約締結~国境線を画定
1855 徳川斉昭の要求により南紀派の老中松平乗全・忠固を更迭、堀田正睦が老中首座就任 詳細を見る
1855 幕府がオランダから蒸気船観光丸の寄贈を受け長崎に海軍伝習所を開設、旗本の勝海舟ら1期生が入学 詳細を見る
1856 クリミア戦争終結・欧州ウィーン体制崩壊
1856 アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが着任
1856 アロー号事件(~1860)~英仏連合軍が仕掛けた第二次アヘン戦争 詳細を見る
1856 長州藩主毛利敬親の尊攘方針により周布政之助らが要路に就く 詳細を見る
1856 水戸藩の石川島造船所(IHIの前身)が洋式帆船「旭日丸」を建造し幕府に献上 詳細を見る
1857 吉田松陰の門人が増えたため杉家邸内に塾舎を設置し(松陰神社内に現存)叔父の玉木文之進から「松下村塾」の塾名を承継 詳細を見る
1857 ハリスが将軍徳川家定に拝謁、日米修好通商条約を要求
1857 阿部正弘死去 詳細を見る
1858 老中首座堀田正睦が条約勅許取得に失敗(岩倉具視・大原重徳らの廷臣八十八卿列参事件) 詳細を見る
1858 井伊直弼が大老に就任、一橋派の粛清が始まる(安政の大獄) 詳細を見る
1858 幕府が日米修好通商条約に無勅許調印、英仏蘭露とも同様(安政五カ国条約) 詳細を見る
1858 徳川家茂が14代将軍就任、一橋派が将軍継嗣問題に敗北 詳細を見る
1858 薩摩藩主の島津斉彬が急死し率兵上洛計画が頓挫(享年50。毒殺説あり)、養嗣子(島津久光の子)の島津忠義が12代藩主に就任し10代藩主の島津斉興(斉彬・久光の父)が実権を奪回 詳細を見る
1858 梅田雲浜らの工作により朝廷が条約撤廃・一橋派諸侯の復権を促す「戊午の密勅」を水戸藩・幕府・長州藩へ下す 詳細を見る
1858 吉田松陰が野山獄に再投獄され松下村塾は廃止 詳細を見る
1858 福澤諭吉が築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で蘭学塾を開講(慶應義塾の起源)
1859 神奈川・長崎・函館開港
1859 安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行
1859 安政の大獄により吉田松陰・橋本佐内・梅田雲浜らが処刑される 詳細を見る
1859 イギリス総領事ラザフォード・オールコックが着任
1859 島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
1860 清が英仏露と北京条約締結、半植民地化が決定的に 詳細を見る
1860 ロシアがウラジオストック建設
1860 幕府が通商条約批准のための遣米使節を派遣、勝海舟艦長の咸臨丸が同行(随員に福澤諭吉ら) 詳細を見る
1860 桜田門外の変~徳川斉昭の意を受けた水戸浪士らが江戸城桜田門外で大老井伊直弼を暗殺(享年48) 詳細を見る
1860 長州藩と水戸藩が幕政改革の盟約(成破の盟約) 詳細を見る
1860 徳川斉昭が蟄居中に急死(享年61)、幕府は融和路線に転じ徳川慶喜・松平春嶽らを赦免
1860 ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
1860 幕府と攘夷派の間で兵庫開港問題が過熱
1860 宇和島藩士で幕府講武所教授の大村益次郎が木戸孝允の招聘で故郷の長州藩へ転籍、最先端の西洋知識で洋式軍制改革を推進
1861 アメリカ南北戦争(~1865)
1861 武市半平太が土佐藩郷士を糾合し土佐勤皇党を結成、坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎・岡田以蔵ら192人が加盟 詳細を見る
1861 和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束 詳細を見る
1861 長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対 詳細を見る
1861 薩摩藩の実権を掌握し率兵上洛を期す島津久光が人事改革を断行し反抗勢力を一掃して小松帯刀・大久保利通らを抜擢 詳細を見る
1862 幕府が第一回遣欧使節を派遣(文久遣欧使節)しロンドン覚書に調印(随員に福澤諭吉・福地源一郎・寺島宗則・箕作秋坪ら) 詳細を見る
1862 坂下門外の変~水戸浪士が老中安藤信正を襲撃 詳細を見る
1862 和宮降嫁~孝明天皇妹宮の和宮親子内親王と将軍徳川家茂の婚礼 詳細を見る
1862 武市半平太の土佐勤皇党が佐幕派の執政吉田東洋を暗殺し藩政を掌握、土佐藩主山内容堂は怒りを堪え黙認 詳細を見る
1862 平野国臣が『尊攘英断録』を薩摩藩に献じ武力討幕を提案、大久保利通は追払うが有馬新七ら精忠組急進派が賛同し上洛した平野は「島津久光の討幕挙兵近し!」と吹聴し尊攘派は狂奔 詳細を見る
1862 長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる 詳細を見る
1862 高杉晋作が幕府使節の随員として上海へ渡航 詳細を見る
1862 島津久光が率兵上洛するが寺田屋騒動で有馬新七ら過激藩士を粛清 詳細を見る
1862 薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む 詳細を見る
1862 長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換 詳細を見る
1862 久坂玄瑞・武市半平太らの工作により長州藩世子毛利定広が勅旨を奉じて江戸へ下り幕府に将軍上洛と攘夷決行を督責 詳細を見る
1862 生麦事件~薩摩藩主島津忠義・久光の行列がイギリス人を殺傷 詳細を見る
1862 京都で攘夷派志士による天誅事件が頻発 詳細を見る
1862 武市半平太・久坂玄瑞の工作により朝廷が攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使(正使三条実美)を江戸へ派遣、土佐藩主山内豊範が供奉 詳細を見る
1862 高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止 詳細を見る
1862 高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち 詳細を見る
1862 会津藩主松平容保が京都守護職として入洛 詳細を見る
1863 長州藩で久坂玄瑞・木戸孝允・高杉晋作ら尊攘派が実権を掌握し公武合体派の長井雅楽が自害 詳細を見る
1863 京都守護職松平容保の配下に壬生浪士組(新撰組)結成 詳細を見る
1863 長州藩・土佐藩の圧力により将軍徳川家茂が初の上洛、朝廷に5月10日の攘夷決行を約束 詳細を見る
1863 松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
1863 長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍 詳細を見る
1863 青蓮院宮から令旨の一件を聞いた山内容堂が土佐へ戻り吉田東洋暗殺犯の捜索と土佐勤皇党の粛清を開始 詳細を見る
1863 長州藩の伊藤博文・井上馨・山尾庸三・野村弥吉・遠藤謹助がイギリス留学(長州ファイブ) 詳細を見る
1863 長州藩の高杉晋作が奇兵隊を創設、一流蘭学者の大村益次郎が長州藩諸隊の洋式軍制改革・軍備増強を推進 詳細を見る
1863 尊攘派公卿の姉小路公知が暗殺される 詳細を見る
1863 攘夷親征計画(大和行幸) 詳細を見る
1863 福井藩の松平春嶽・横井小楠が挙藩上洛計画を企てるが中根雪江ら守旧派の反対で決行直前に中止 詳細を見る
1863 中山忠光・吉村寅太郎らによる大和天誅組の変 詳細を見る
1863 薩英戦争~イギリス艦隊による生麦事件の報復、賠償金は幕府が負担
1863 八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解 詳細を見る
1863 島津久光の建議により参預会議発足~公武合体論の実現 詳細を見る
1863 山内容堂が武市半平太ら土佐勤皇党幹部を投獄 詳細を見る
1863 三条実美ら七卿が在所する周防三田尻の招賢閣に尊攘派浪士が参集、真木和泉・宮部鼎蔵・中岡慎太郎の指揮で活発に尊攘運動を展開 詳細を見る
1863 河上弥市・平野国臣らによる生野の変 詳細を見る
1863 オールコックがイギリスで『大君の都』を刊行
1863 長州藩で世子毛利定広の上洛決定、真木和泉の扇動により出兵論が過熱 詳細を見る
1863 将軍徳川家茂が二度目の上洛
1864 参預会議が瓦解し公武合体運動が挫折 詳細を見る
1864 フランス公使レオン・ロッシュ着任
1864 徳川慶喜が将軍後見職を辞して江戸幕府を離れ禁裏御守衛総督となり京都政局を牛耳る 詳細を見る
1864 天狗党の乱~武田耕雲斎ら水戸尊攘派の暴発と瓦解 詳細を見る
1864 幕府が神戸海軍操練所を開設し勝海舟は軍艦奉行・2千石に昇進 詳細を見る
1864 池田屋事件 詳細を見る
1864 洋式兵学者の佐久間象山が河上彦斎ら攘夷狂に暗殺される(妹を嫁がせた勝海舟は「蓋世の英雄」と惜しむ)
1864 禁門の変、禁裏御守衛総督徳川慶喜・京都守護職松平容保の指揮のもと薩会連合軍が長州軍を撃退し一会桑政権樹立 詳細を見る
1864 徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行 詳細を見る
1864 馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる 詳細を見る
1864 西郷隆盛が勝海舟に会い長州藩への融和路線に転換 詳細を見る
1864 長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42) 詳細を見る
1864 長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導 詳細を見る
1864 高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見) 詳細を見る
1865 高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回 詳細を見る
1865 禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握 詳細を見る
1865 徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令 詳細を見る
1865 西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立 詳細を見る
1865 山内容堂が不敬罪で武市半平太を切腹させ(享年37)土佐勤皇党が壊滅 詳細を見る
1865 イギリス公使ハリー・パークス着任
1865 薩摩藩が五代友厚・寺島宗則・森有礼らを西欧視察に派遣 詳細を見る
1865 幕府がフランスからの借款で横須賀製鉄所起工 詳細を見る
1865 徳川慶喜が長崎・横浜・函館開港の勅許を獲得 詳細を見る
1865 長州藩が亀山社中を介して大量の洋式武器とユニオン号を購入 詳細を見る
1866 薩長同盟 詳細を見る
1866 日本人の海外渡航が正式に認められる
1866 島津久光が薩英戦争に敗れた薩摩藩の小松帯刀がイギリスに急接近、島津久光がイギリス公使パークスを鹿児島に招待し友好関係を確認 詳細を見る
1866 徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶 詳細を見る
1866 高杉晋作が大島口奇襲で勝利 詳細を見る
1866 大村益次郎が浜田城制圧 詳細を見る
1866 高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没) 詳細を見る
1866 将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
1866 徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉 詳細を見る
1866 徳川慶喜が15代将軍就任
1866 孝明天皇崩御
1866 安田善次郎が日本橋小舟町に店舗を購入、安田商店に改称し両替専業となり、幕府の古金銀回収取扱方を務める 詳細を見る
1866 ネスレ設立
1867 大倉喜八郎が大倉銃砲店開業、官軍御用達となり巨利を得る 詳細を見る
1867 睦仁親王(明治天皇)即位
1867 孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
1867 坂本龍馬が長崎で後藤象二郎と会談、後藤は上海へ視察旅行
1867 徳川慶喜が各国公使に兵庫開港を宣言、幕府は勢いを盛返すが警戒を強める薩長首脳は討幕へ傾く 詳細を見る
1867 坂本龍馬の亀山社中が薩摩藩から土佐藩へ転籍し土佐海援隊に改編 詳細を見る
1867 高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
1867 海援隊のいろは丸が紀州藩船と衝突し沈没 詳細を見る
1867 島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
1867 京都で島津久光・松平春嶽・山内容堂・伊達宗城の四候会議開催 詳細を見る
1867 将軍徳川慶喜と四候の二条城会談が決裂、薩摩藩が武力討幕の方針を固める 詳細を見る
1867 坂本龍馬が後藤象二郎に「夕顔丸」船上で船中八策を提案 詳細を見る
1867 薩土密約 詳細を見る
1867 薩土同盟 詳細を見る
1867 中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成 詳細を見る
1867 ええじゃないか騒動が始まる
1867 土佐藩の後藤象二郎と福岡孝悌が老中板倉勝静に大政奉還の建白書を提出 詳細を見る
1867 西郷隆盛が不逞浪士を江戸へ遣わし幕府を挑発、謀略に掛った江戸市中取締の庄内藩は江戸薩摩藩邸を焼打ち 詳細を見る
1867 徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
1867 大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す 詳細を見る
1867 朝廷が幕府の大政奉還を勅許
1867 西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
1867 薩摩藩主島津忠義が周防国三田尻で長州藩世子毛利広封と会見し討幕出兵を協約 詳細を見る
1867 薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
1867 長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
1867 坂本龍馬(33)と中岡慎太郎(30)が京都近江屋で見廻組に襲われ死去 詳細を見る
1867 王政復古の大号令 詳細を見る
1867 三職の設置 詳細を見る
1867 長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
1867 小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決 詳細を見る
1867 大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
1867 中岡慎太郎が京都の土佐藩邸に浪士を集め陸援隊を結成 詳細を見る
1868 鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
1868 徳川慶喜が松平容保・松平定敬を伴って大阪城を脱出し軍艦で江戸へ逃げ帰る 詳細を見る
1868 土佐藩の板垣退助が迅衝隊を率い独断で戊辰戦争に参戦、東山道先鋒総督府参謀として官軍を指揮 詳細を見る
1868 陸奥宗光の献策により維新政府が外交団と協議、各国は局外中立を表明 詳細を見る
1868 大久保利通が大阪遷都建白書を提出
1868 明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
1868 西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
1868 徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎し主戦派の松平容保・松平定敬・小栗忠順らを江戸から追放し恭順派の勝海舟に全権委任、徳川家達に徳川宗家の家督を譲る 詳細を見る
1868 木戸孝允の主導により明治天皇が五箇条の御誓文を公布 詳細を見る
1868 神仏分離令、廃仏毀釈が始まる
1868 東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
1868 甲州勝沼の戦いで板垣退助の東山道軍が近藤勇・土方歳三の甲陽鎮撫隊を撃破、近藤は板橋刑場で斬首され京都三条河原に首を晒される 詳細を見る
1868 奥羽越列藩同盟が成立 詳細を見る
1868 西郷隆盛・大村益次郎の官軍が上野彰義隊を殲滅 詳細を見る
1868 官軍が高崎市に隠遁した小栗忠順を襲い斬首
1868 木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾 詳細を見る
1868 明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都 詳細を見る
1868 太政官設置 詳細を見る
1868 江戸を東京と改称する
1868 河井継之助の長岡藩が降伏
1868 明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
1868 旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没 詳細を見る
1868 明治天皇即位礼、明治に改元
1868 板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居 詳細を見る
1868 盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
1869 土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結 詳細を見る
1869 王政復古の賞典禄下賜 詳細を見る
1869 版籍奉還 詳細を見る
1869 四民平等~華族・士族・平民の三身分制の実施 詳細を見る
1869 奇兵隊などの長州藩諸隊の廃止に伴い脱退騒動が起るが木戸孝允は武力鎮圧を断行し130余人を処刑 詳細を見る
1869 兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける) 詳細を見る
1869 新政府が北海道に開拓使を設置、旧佐賀藩主で議定の鍋島直正が蝦夷開拓総督・初代開拓使長官に就任するがすぐに転任し黒田清隆が後継 詳細を見る
1869 ゴールドマン・サックス創業
1870 ジョン・ロックフェラーがスタンダード・オイル設立
1870 国内初の日刊紙・横浜毎日新聞創刊 詳細を見る
1870 イタリア統一
1871 ドイツ帝国成立
1871 明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設 詳細を見る
1871 郵便制度開始 詳細を見る
1871 新貨条例布告、円が通貨単位となる 詳細を見る
1871 陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出 詳細を見る
1871 廃藩置県 詳細を見る
1871 日清修好条規調印
1871 岩倉使節団派遣 詳細を見る
1872 明治政府が初の戸籍を作成 詳細を見る
1872 井上馨・渋沢栄一の主導で銀座煉瓦街の建設が始まる 詳細を見る
1872 司法省に警保寮を設置(警察組織の発足) 詳細を見る
1872 木戸孝允文部卿の主導により学制制定 詳細を見る
1872 明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置
1872 明治天皇の西国巡幸
1872 新橋-横浜間に鉄道が開通 詳細を見る
1872 渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始 詳細を見る
1872 渋沢栄一の主導で三井小野組合銀行(後の第一国立銀行)が設立され国立銀行条例制定 詳細を見る
1872 山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走 詳細を見る
1872 日本独自の海運網整備のため明治政府が政商連合に日本国郵便蒸気船会社を設立させる 詳細を見る
1872 太陽暦が採用される
1873 徴兵令布告 詳細を見る
1873 岩崎弥太郎が三菱商会を設立 詳細を見る
1873 キリスト教解禁
1873 地租改正法・地租改正条例布告 詳細を見る
1873 岩倉使節団が帰国
1873 明治六年政変 詳細を見る
1873 内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府) 詳細を見る
1873 最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる 詳細を見る
1873 江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
1874 愛国公党が政府に『民撰議院設立建白書』を提出 詳細を見る
1874 佐賀の乱 詳細を見る
1874 西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野 詳細を見る
1875 黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結 詳細を見る
1875 江華島事件 詳細を見る
1875 讒謗律・新聞紙条例公布 詳細を見る
1875 大久保利通政府が岩崎弥太郎の三菱商会を保護育成会社に指定、日本国郵便蒸気船会社を吸収した郵便汽船三菱会社が海運業を独占 詳細を見る
1876 大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結 詳細を見る
1876 事実上、金銀複本位制が確立 詳細を見る
1876 廃刀令布告
1876 秩禄処分 詳細を見る
1876 神風連の乱 詳細を見る
1876 秋月の乱 詳細を見る
1876 萩の乱 詳細を見る
1876 国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる 詳細を見る
1876 三井銀行および三井物産設立
1876 安田善次郎が第三国立銀行を設立し「銀行王」への道を踏出す 詳細を見る
1877 西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51) 詳細を見る
1877 木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
1877 第一回内国勧業博覧会開催 詳細を見る
1877 イギリス領インド帝国成立
1877 東京開成学校と東京医学校が統合され東京大学創立
1878 大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
1878 福地源一郎・渋沢栄一ら有力財界人の出願により東京株式取引所設立 詳細を見る
1878 会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足
1878 参謀本部設置 詳細を見る
1878 トーマス・エジソンがエジソン電気照明会社設立(GEの前身)
1879 琉球処分
1879 玄洋社設立 詳細を見る
1879 伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任
1880 板垣退助ら土佐派が国会期成同盟結成
1881 開拓使官有物払下げ事件 詳細を見る
1881 大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協 詳細を見る
1881 自由党結成 詳細を見る
1881 松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる 詳細を見る
1881 日本鉄道会社設立 詳細を見る
1882 軍人勅諭公布
1882 板垣退助遭難事件 詳細を見る
1882 福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ 詳細を見る
1882 朝鮮で壬午事変 詳細を見る
1882 西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立 詳細を見る
1882 松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める
1882 大隈重信が東京専門学校創立(早稲田大学)
1882 集会条例改定、自由民権運動が激化 詳細を見る
1882 伊藤博文が立憲制視察のため渡欧 詳細を見る
1882 渋沢栄一主導で大阪紡績(現東洋紡)株式会社設立、紡績業の発展を牽引 詳細を見る
1883 鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉
1884 大山巌団長の軍事調査団が渡欧、桂太郎・川上操六も随行 詳細を見る
1884 華族令公布 詳細を見る
1884 松方デフレによる不況深刻化
1884 秩父事件 詳細を見る
1884 朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援 詳細を見る
1885 福澤諭吉が「脱亜論」を発表 詳細を見る
1885 大阪事件 詳細を見る
1885 銀本位制に移行
1885 西郷従道農商務卿の和解勧告を岩崎弥之助が受入れ共同運輸会社が郵便汽船三菱会社を併合し日本郵船会社が発足 詳細を見る
1885 第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始) 詳細を見る
1886 岩崎弥之助が三菱社設立 詳細を見る
1886 学校令公布 詳細を見る
1886 ノルマントン号事件 詳細を見る
1886 民権諸派の大同団結運動が始まる(発起人の後藤象二郎は黒田清隆内閣に懐柔される) 詳細を見る
1886 藤岡市助・大倉喜八郎らが東京電燈(現東京電力)設立、全国各地で電力普及が進む 詳細を見る
1886 コカ・コーラ創業
1886 企業勃興~起業ブームが始まる 詳細を見る
1887 徳富蘇峰が民友社結成、『国民之友』創刊
1887 保安条例 詳細を見る
1887 鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代 詳細を見る
1887 ジョンソン・エンド・ジョンソン設立
1887 安田善次郎が安田家の資産管理会社「安田保善社」設立 詳細を見る
1888 市制・町村制公布
1888 伊藤博文が枢密院を設立し初代議長に就任 詳細を見る
1888 黒田清隆内閣発足 詳細を見る
1888 鎮台制を師団制に改編 詳細を見る
1889 大日本帝国憲法発布 詳細を見る
1889 民法典論争が起る 詳細を見る
1889 川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進 詳細を見る
1889 東海道本線が全通(新橋-神戸間)
1889 大隈重信外相が玄洋社来島恒喜に襲撃される 詳細を見る
1890 第一次山縣有朋内閣発足 詳細を見る
1890 岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用 詳細を見る
1890 府県制・郡制公布
1890 第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得 詳細を見る
1890 教育勅語発令 詳細を見る
1890 第一回帝国議会開催
1890 北里柴三郎が破傷風の血清療法を発明、ベーリングと共同でジフテリアに応用 詳細を見る
1890 東京・横浜で電話サービス開始
1891 吉田松蔭・高杉晋作・久坂玄瑞・周布政之助・武市半平太・中岡慎太郎・坂本龍馬・吉村寅太郎・平野国臣・有馬新七・宮部鼎蔵ら明治維新の功労者に追贈正四位(有馬のみ従四位)
1891 足尾銅山鉱毒事件 詳細を見る
1891 山本権兵衛が西郷従道海相のもと海軍省大臣官房主事に就き海軍の分離独立改革を断行 詳細を見る
1891 第一次松方正義内閣発足 詳細を見る
1891 内村鑑三不敬事件 詳細を見る
1891 大津事件 詳細を見る
1891 帝政ロシアがシベリア鉄道起工 詳細を見る
1892 北里柴三郎がドイツ留学から帰国、福澤諭吉・森村市左衛門の援助により伝染病研究所(北里研究所の前身)設立 詳細を見る
1892 第二回衆議院総選挙、松方正義政府が大選挙干渉するも民党勝利
1892 第二次伊藤博文内閣発足 詳細を見る
1893 海軍軍令部設置 詳細を見る
1893 政府が官営富岡製糸場を三井へ払下げ
1893 アメリカがハワイを併合
1894 不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃) 詳細を見る
1894 朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発 詳細を見る
1894 日清戦争勃発 詳細を見る
1895 下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立 詳細を見る
1895 三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求 詳細を見る
1895 台湾総督府設置 詳細を見る
1895 朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件 詳細を見る
1896 露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得 詳細を見る
1896 豊田佐吉が動力織機「豊田式木鉄混製力織機」を発明し繊維業界を席巻(2年後特許取得) 詳細を見る
1896 アテネで近代オリンピック第1回大会開催
1896 アジア諸国からの留学生受入れ開始(周恩来、蒋介石、魯迅、朴正煕等)
1896 第二次松方正義内閣発足 詳細を見る
1896 エフ・ホフマン・ラ・ロシュ設立
1897 松方正義首相・岩崎弥之助日銀総裁が貨幣法を制定し金本位制移行を断行 詳細を見る
1897 朝鮮が大韓帝国と改称
1898 列強による清の植民地争奪競争が激化 詳細を見る
1898 第三次伊藤博文内閣発足 詳細を見る
1898 憲政党結成~2大民党の合同 詳細を見る
1898 第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣 詳細を見る
1898 明治民法施行
1898 第二次山縣有朋内閣発足 詳細を見る
1898 アメリカが米西戦争に勝利、フィリピンを領有 詳細を見る
1898 清で康有為の戊戌の変法が挫折 詳細を見る
1898 キュリー夫妻がラジウム(放射能)を発見
1899 地租増徴 詳細を見る
1899 文官任用令改定 詳細を見る
1899 台湾銀行設立
一九〇〇 1900 治安警察法公布 詳細を見る
1900 軍部大臣現役武官制制定 詳細を見る
1900 北清事変 詳細を見る
1900 立憲政友会結成 詳細を見る
1900 第四次伊藤博文内閣(政友会)発足 詳細を見る
1900 台湾製糖会社設立
1901 官営八幡製鉄所操業 詳細を見る
1901 社会民主党結成
1901 第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足~桂園時代始まる 詳細を見る
1901 北京議定書調印 詳細を見る
1901 ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立 詳細を見る
1901 田中正造が足尾鉱毒問題を天皇に直訴
1901 北里柴三郎が第1回ノーベル医学生理学賞の候補となるが共同研究者のベーリングが単独受賞
1902 第一次日英同盟協約締結 詳細を見る
1903 岩崎弥之助の援助により大隈重信の東京専門学校が早稲田大学に昇格
1903 幸徳秋水らが平民社を結成、『平民新聞』創刊 詳細を見る
1903 ライト兄弟が初の動力飛行に成功
1903 ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂 詳細を見る
1904 仁川沖海戦 詳細を見る
1904 日露戦争開戦 詳細を見る
1904 伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣 詳細を見る
1904 井上馨の依頼を受け高橋是清が日露戦費調達のため渡欧米 詳細を見る
1904 第一次日韓協約締結 詳細を見る
1904 遼陽会戦 詳細を見る
1905 旅順攻略 詳細を見る
1905 血の日曜日事件~ロシア革命が始まる 詳細を見る
1905 奉天会戦 詳細を見る
1905 孫文が東京で中国同盟会を結成 詳細を見る
1905 日本海海戦 詳細を見る
1905 帝政ロシアで戦艦ポチョムキンの反乱
1905 第二次日英同盟協約締結
1905 ポーツマス条約調印 詳細を見る
1905 桂太郎政府がアメリカと桂・タフト協定 詳細を見る
1905 日比谷焼打事件 詳細を見る
1905 三井の越後屋が三越呉服店へ改称しデパートメントストア宣言 詳細を見る
1906 第一次西園寺公望内閣(政友会)発足 詳細を見る
1906 第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任 詳細を見る
1906 井上勝・桂太郎ら長州閥主導で鉄道国有法が成立し幹線鉄道国有化 詳細を見る
1906 南満州に関東都督府設置 詳細を見る
1906 南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる 詳細を見る
1907 北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘 詳細を見る
1907 韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結 詳細を見る
1907 第一次日露協約締結 詳細を見る
1907 ロイヤル・ダッチ・シェル設立
1908 第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足 詳細を見る
1908 東洋拓殖会社設立 詳細を見る
1909 アメリカが満鉄の中立化を提唱 詳細を見る
1909 三井合名会社設立 詳細を見る
1909 伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68) 詳細を見る
1909 BP創業
1909 日本の製糸業輸出が世界一となる 詳細を見る
1910 大逆事件 詳細を見る
1910 伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化 詳細を見る
1910 鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立 詳細を見る
1910 小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業 詳細を見る
1911 不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復) 詳細を見る
1911 工場法制定~初の労働者保護法 詳細を見る
1911 警視庁に特別高等課設置 詳細を見る
1911 出光佐三が北九州市に出光商会を設立し日本石油特約店として機械油小売業を開始(出光興産創業) 詳細を見る
1911 IBM創業
1911 第二次西園寺公望内閣(政友会)発足 詳細を見る
1911 平塚雷鳥が青鞜社を結成し『青鞜』創刊 詳細を見る
1911 中国で辛亥革命勃発 詳細を見る
1912 孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡 詳細を見る
1912 日本がオリンピックに初参加(ストックホルム大会)
1912 明治天皇が崩御し大正天皇が即位
1912 二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す 詳細を見る
1912 第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足 詳細を見る
1913 桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任 詳細を見る
1913 第一次護憲運動、大正政変 詳細を見る
1913 第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足 詳細を見る
1913 軍部大臣現役武官制緩和 詳細を見る
1913 小林一三の箕面有馬電気軌道(阪急)が宝塚新温泉内に「宝塚唱歌隊」結成(「宝塚歌劇団」へ改称) 詳細を見る
1913 米カリフォルニア州で日本人による農地売買が禁止される、他州も追随
1914 シーメンス事件、第一次山本権兵衛内閣が退陣し山本および斎藤実海相が予備役編入 詳細を見る
1914 第二次大隈重信内閣(同志会)発足 詳細を見る
1914 孫文が東京で中国革命党(後の国民党)を結成 詳細を見る
1914 第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫 詳細を見る
1914 大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
1914 パナマ運河開通 詳細を見る
1915 大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告 詳細を見る
1915 井上馨死去
1915 日本が漢冶萍公司の支配権を掌握 詳細を見る
1915 大戦景気により東京株式市場暴騰
1915 全国高校野球大会が始まる
1916 吉野作造が民本主義を提唱~大正デモクラシーの萌芽 詳細を見る
1916 寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足 詳細を見る
1916 非政友会政党が合同し憲政会発足・同志会の加藤高明が総裁に就任 詳細を見る
1917 イギリスの強要により日本海軍の艦隊が地中海へ出動
1917 レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命) 詳細を見る
1917 石井・ランシング協定 詳細を見る
1918 豊田佐吉の豊田自働織布工場が豊田紡織株式会社へ改組(現トヨタ紡織) 詳細を見る
1918 松下幸之助が大阪市福島区大開で義弟の井植歳男らと松下電気器具製作所(パナソニック)を創業し改良ソケットで成長 詳細を見る
1918 ウィルソン米大統領が十四カ条の平和綱領発表
1918 ソビエト政権がドイツと休戦協定(ブレスト・リトフスク条約調印)
1918 インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣 詳細を見る
1918 渋沢栄一の後援を得て五島慶太が田園都市株式会社(現東京急行電鉄)設立
1918 シベリア出兵 詳細を見る
1918 原敬内閣(政友会)発足 詳細を見る
1918 「量子論の父」マックス・プランクがノーベル物理学賞受賞
1918 第一次世界大戦終結 詳細を見る
1918 ドイツ革命、皇帝ヴィルヘルム二世亡命
1919 朝鮮で三・一独立運動が起る
1919 中国で五・四運動始まる
1919 パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕) 詳細を見る
1920 松田重次郎がマツダ創業
1920 安田善次郎の保有株一斉売却で株式相場が暴落、安田は安値買戻しと満鉄株引受で巨利を得る 詳細を見る
1920 国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す 詳細を見る
1920 第一回国勢調査 詳細を見る
1920 鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成 詳細を見る
1920 日本が初めて債権国となる 詳細を見る
1921 安田善次郎が大磯の別荘で右翼生年に刺殺される 詳細を見る
1921 「現代物理学の父」アルベルト・アインシュタインがノーベル物理学賞受賞
1921 神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議)
1921 小松製作所創業
1921 中国共産党結成 詳細を見る
1921 バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる 詳細を見る
1921 原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ
1921 高橋是清内閣(政友会)発足 詳細を見る
1921 アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる 詳細を見る
1921 加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行 詳細を見る
1922 陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去
1922 加藤友三郎内閣(海軍)発足 詳細を見る
1922 加藤友三郎首相が日本軍のシベリア撤兵を断行 詳細を見る
1922 ソビエト社会主義共和国連邦樹立、スターリンが最高指導者となる 詳細を見る
1923 石橋正二郎の日本足袋がゴム底「アサヒ地下足袋」を発売し作業現場の定番品となる 詳細を見る
1923 関東大震災 詳細を見る
1923 第二次山本権兵衛内閣(海軍)発足 詳細を見る
1923 ウォルト・ディズニー・カンパニー創業
1923 虎ノ門事件 詳細を見る
1924 清浦奎吾内閣(貴族院)発足 詳細を見る
1924 レーニン死去、スターリンがソ連の独裁権確立
1924 第一次国共合作 詳細を見る
1924 護憲三派による第二次護憲運動 詳細を見る
1924 加藤高明内閣(憲政会)発足 詳細を見る
1924 早川徳次が大阪阿倍野に早川金属工業研究所を設立(シャープ創業)、国産初の安価な鉱石ラジオで急成長 詳細を見る
1924 イタリアでファシスト党のムッソリーニが独裁政権樹立
1924 アメリカ政府が排日移民法施行
1925 豊田佐吉・豊田喜一郎の父子が「無停止杼換式自動織機(G型自動織機)」を発明し特許取得 詳細を見る
1925 日ソ基本条約調印、国交樹立
1925 東京放送局がラジオ放送開始 詳細を見る
1925 治安維持法制定
1925 陸軍の永田鉄山の主導により軍事教練が始まる 詳細を見る
1925 高橋是清に代わって田中義一が政友会総裁就任 詳細を見る
1925 普通選挙法制定 詳細を見る
1925 野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)
1926 第一次若槻禮次郞内閣(憲政会)発足 詳細を見る
1926 孫文の死に伴い蒋介石が広東の国民政府を掌握し北伐開始 詳細を見る
1926 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
1927 片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生 詳細を見る
1927 蒋介石が南京国民政府を樹立、第一次国共合作崩壊 詳細を見る
1927 田中義一内閣(長州・陸軍・政友会)発足 詳細を見る
1927 永田鉄山らが陸軍内に「二葉会」を結成 詳細を見る
1927 憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が発足 詳細を見る
1927 高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職 詳細を見る
1927 第一次山東出兵開始~蒋介石の北伐再開
1927 鈴木貞一・石原莞爾らが陸軍内に「木曜会」を結成 詳細を見る
1928 陸軍中央で「満蒙領有」方針が現れる 詳細を見る
1928 蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了 詳細を見る
1928 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる 詳細を見る
1928 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化 詳細を見る
1928 石原莞爾が関東軍作戦参謀に就任 詳細を見る
1928 八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
1929 東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立
1929 永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足 詳細を見る
1929 トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆 詳細を見る
1929 濱口雄幸内閣(民政党)発足 詳細を見る
1929 軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆 詳細を見る
1929 世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復 詳細を見る
1929 農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける 詳細を見る
1930 金解禁(金本位制復帰) 詳細を見る
1930 幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行 詳細を見る
1930 鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる 詳細を見る
1930 濱口雄幸首相銃撃事件 詳細を見る
1930 山本五十六が海軍航空本部技術部長就任、航空兵力拡充を推進 詳細を見る
1931 第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足 詳細を見る
1931 永田鉄山軍事課長ら「五課長会」が「満蒙問題解決方策の大綱」を決定し関東軍へ「1年間の隠忍自重方針」を通達 詳細を見る
1931 石橋正二郎が久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社(現ブリヂストン)設立 詳細を見る
1931 中村震太郎大尉殺害事件、万宝山事件、陸軍首脳が武力解決を決意 詳細を見る
1931 関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発 詳細を見る
1931 朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認 詳細を見る
1931 軍事費の急増が始まる 詳細を見る
1931 新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延 詳細を見る
1931 石原莞爾ら満州事変首謀者が「満蒙問題解決案」を策定 詳細を見る
1931 十月事件 詳細を見る
1931 若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定 詳細を見る
1931 外相退任の幣原喜重郎が隠退し対英米協調・対中不干渉の「幣原外交」が終焉 詳細を見る
1931 犬養毅内閣(政友会)発足、一夕会系の荒木貞夫が陸相就任 詳細を見る
1932 関東軍が満州全域を制圧 詳細を見る
1932 第一次上海事変 詳細を見る
1932 軍拡反米英派(艦隊派)首領の伏見宮博恭王が海軍軍令部長(総長へ改称)就任(~1941) 詳細を見る
1932 血盟団事件 詳細を見る
1932 満州国建国 詳細を見る
1932 国際連盟が満州国にリットン調査団を派遣 詳細を見る
1932 上海天長節爆弾事件 詳細を見る
1932 五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉 詳細を見る
1932 斎藤実内閣(海軍)発足 詳細を見る
1932 斎藤実内閣が満州国を承認
1932 第一次武装移民団が満州入植し満蒙開拓移民が始まる 詳細を見る
1932 満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復 詳細を見る
1932 日本の紡績業輸出が世界一のイギリスに並ぶ 詳細を見る
1933 ナチスのヒトラーがドイツ首相就任
1933 フランクリン・ルーズベルト(共和党)が米大統領就任(~1945)、ニューディール政策開始
1933 松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否 詳細を見る
1933 重光葵が外務次官就任 詳細を見る
1933 鮎川義介が自動車製造株式会社を設立しダットサンの製造開始(翌年日産自動車へ改称) 詳細を見る
1933 豊田喜一郎が豊田自動織機製作所内に自動車製作部門創設(トヨタ自動車創業) 詳細を見る
1933 三陸地震で大津波被害 詳細を見る
1933 永田鉄山・統制派と小畑敏四郎・皇道派の対立が始まる 詳細を見る
1933 塘沽停戦協定締結
1933 「海軍の父」山本権兵衛が死去(享年81)
1934 東郷平八郎死去
1934 林銑十郎が陸相に就任し永田鉄山ら統制派が陸軍中央を掌握 詳細を見る
1934 岡田啓介内閣(海軍)発足 詳細を見る
1934 中国共産党の紅軍が長征を開始、毛沢東が実権を掌握 詳細を見る
1934 統制派が『陸軍パンフレット』刊行 詳細を見る
1934 満鉄あじあ号が運行開始 詳細を見る
1934 正力松太郎の読売新聞社がMLB来日試合を機に大日本東京野球倶楽部創設(→読売ジャイアンツ)、吉本興業も出資し林正之助が球団役員に就任(戦後読売新聞社の完全支配下となり吉本興業は撤退)
1934 日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く 詳細を見る
1934 徴兵逃れが蔓延し徴兵猶予者は過去最高の9万人
1935 天皇機関説問題、国体明徴運動 詳細を見る
1935 陸軍統制派の首領永田鉄山が殺害される(相沢事件) 詳細を見る
1935 石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く
1935 ナチス・ドイツが再軍備を宣言
1936 自動車製造事業法施行、日産自動車と豊田自動織機自動車部が許可会社指定を受ける 詳細を見る
1936 東京巨人軍・大阪タイガースなど7球団で日本職業野球連盟発足
1936 二・二六事件 詳細を見る
1936 広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速 詳細を見る
1936 軍部大臣現役武官制が復活 詳細を見る
1936 「満州開拓移民推進計画」決定 詳細を見る
1936 日本の呼称を「大日本帝国」に統一
1936 スペイン内戦勃発
1936 日独防共協定調印 詳細を見る
1936 広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定 詳細を見る
1936 西安事件 詳細を見る
1936 ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄 詳細を見る
1937 林銑十郎内閣(陸軍)発足 詳細を見る
1937 第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場 詳細を見る
1937 岸信介が満州国産業部次長に就任し(のち総務省次長)「産業開発五ヵ年計画」で統制経済を推進 詳細を見る
1937 盧溝橋事件で日中戦争が始まる 詳細を見る
1937 日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握 詳細を見る
1937 近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大 詳細を見る
1937 日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)
1937 石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否 詳細を見る
1937 第二次国共合作成立 詳細を見る
1937 イタリアが日独防共協定に参加
1937 鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転 詳細を見る
1937 近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設
1937 大本営設置
1937 日本軍が国民政府の首都南京を占領
1937 機械系輸出で自転車・自動車関連が躍進 詳細を見る
1937 ソ連、スターリンによる大粛清の最盛期 詳細を見る
1938 日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避 詳細を見る
1938 近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶 詳細を見る
1938 近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明) 詳細を見る
1938 ドイツがオーストリアを併合
1938 国家総動員法公布~軍国主義化の決定打 詳細を見る
1938 近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発 詳細を見る
1939 平沼騏一郎内閣(右翼・司法官僚)発足 詳細を見る
1939 ナチス・ドイツから日独伊三国同盟の提案を受ける 詳細を見る
1939 アステラス製薬創業
1939 大相撲の横綱双葉山が69連勝達成
1939 日本軍がゼロ戦を開発 詳細を見る
1939 国民精神総動員委員会が発足 詳細を見る
1939 米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる 詳細を見る
1939 ノモンハン事件勃発 詳細を見る
1939 天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告 詳細を見る
1939 独ソ不可侵条約調印 詳細を見る
1939 阿部信行内閣(陸軍)発足 詳細を見る
1939 ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
1939 武藤章が陸軍省軍務局長兼調査部長就任 詳細を見る
1940 米内光政内閣(海軍)発足 詳細を見る
1940 日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立 詳細を見る
1940 日本軍による重慶爆撃 詳細を見る
1940 イタリアが英仏に宣戦布告
1940 ナチス・ドイツ軍がパリを占領しフランス降伏 詳細を見る
1940 第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相) 詳細を見る
1940 松岡洋右外相が外務省の粛清人事を強行(重光葵駐英大使は免れる) 詳細を見る
1940 ドイツがバルト三国を併合、ベネルクス三国を占領
1940 アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化 詳細を見る
1940 「バトル・オブ・ブリテン」でイギリスがナチス・ドイツの本土上陸作戦を阻止 詳細を見る
1940 近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる 詳細を見る
1940 日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動 詳細を見る
1940 陸軍統制派で最強硬の田中新一が参謀本部第1部長に就任、対米妥協論の武藤章軍務局長と対立 詳細を見る
1940 近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任 詳細を見る
1940 アメリカが日本の外交暗号解読に着手 詳細を見る
1940 紀元二千六百年記念式典
1940 海軍の出師準備発令 詳細を見る
1940 最後の元老西園寺公望死去 詳細を見る
1940 岡敬純・石川信吾ら対米強硬派が海軍を完全掌握し海軍国防政策委員会を設置 詳細を見る
1940 晩婚化が進み初婚平均年齢は男性28歳・女性24歳に上昇
1941 アメリカがレンドリース法を成立させ連合国へ大規模軍事支援開始
1941 松岡洋右外相がナチス・ドイツのヒトラーを表敬訪問、シンガポール攻撃を吹込まれる 詳細を見る
1941 松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印 詳細を見る
1941 野村吉三郎駐米大使の日米和解交渉が松岡洋右外相の妨害により停止 詳細を見る
1941 独ソ戦開戦 詳細を見る
1941 第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐 詳細を見る
1941 関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強 詳細を見る
1941 南部仏領インドシナ進駐開始 詳細を見る
1941 極東アメリカ軍創設、ダグラス・マッカーサーが総司令官に就任
1941 アメリカが在米日本資産を凍結し英蘭らも追随
1941 アメリカが対日石油輸出全面禁止 詳細を見る
1941 ゾルゲ事件 詳細を見る
1941 御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意 詳細を見る
1941 東條英機内閣(陸軍)発足 詳細を見る
1941 アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定 詳細を見る
1941 ナチス・ドイツ軍がモスクワ攻略に失敗し後退が始まる 詳細を見る
1941 日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発 詳細を見る
1941 フランクリン・ルーズベルト米国政府が膨大な予算を投じ原子爆弾開発を本格始動(当初より日本への原爆投下を予定) 詳細を見る
1941 戦艦大和が就役 詳細を見る
1941 米軍が航空機の大増産を開始 詳細を見る
1942 日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
1942 日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる) 詳細を見る
1942 アメリカ・キューバ・メキシコで日系移民の強制収容所送りが始まる(合計12万人)
1942 東條英機首相が武藤章軍務局長を近衛師団長に左遷しフィリピン方面軍に送る 詳細を見る
1942 米軍が日本本土爆撃を試行 詳細を見る
1942 ミッドウェー海戦で日本海軍大敗 詳細を見る
1942 東條英機首相が田中新一参謀本部第1部長をビルマ方面軍に左遷 詳細を見る
1942 フランクリン・ルーズベルト米国政府がグローヴス准将の総指揮のもとオッペンハイマーら物理学博士を招聘し原子爆弾開発「マンハッタン計画」始動 詳細を見る
1943 スターリングラード攻防戦でソ連軍がドイツ軍を撃退 詳細を見る
1943 日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退 詳細を見る
1943 東條英機内閣が明治神宮外苑で出陣学徒壮行会を挙行
1943 山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜死 詳細を見る
1943 ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
1943 東條英機首相・重光葵外相が東京で大東亜会議を開催 詳細を見る
1943 米英中が「カイロ宣言」発表 詳細を見る
1944 東條英機の意を受けた牟田口廉也が無用無謀のインパール作戦を強行 詳細を見る
1944 連合軍がノルマンディー上陸
1944 マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる 詳細を見る
1944 伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化 詳細を見る
1944 小磯國昭内閣(陸軍)発足 詳細を見る
1944 ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
1944 連合軍によるパリ解放 詳細を見る
1944 村田昭が村田製作所を創業し「三菱電機伊丹製作所協力工場」として軍需品チタンコンデンサの製造開始 詳細を見る
1944 小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」 詳細を見る
1944 レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動) 詳細を見る
1944 学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
1945 米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意) 詳細を見る
1945 陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定 詳細を見る
1945 東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す 詳細を見る
1945 硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失 詳細を見る
1945 沖縄戦が始まる 詳細を見る
1945 ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告 詳細を見る
1945 吉田茂が近衛上奏文事件で憲兵隊に2ヶ月間拘置され反軍部の「勲章」獲得 詳細を見る
1945 鈴木貫太郎内閣(海軍)発足 詳細を見る
1945 ハリー・S・トルーマン(共和党)が米大統領就任(~1953)
1945 ドイツが連合国に降伏
1945 鈴木貫太郎政府がソ連を仲介とする日米和解工作に動く 詳細を見る
1945 アメリカが原子爆弾実験に成功しトルーマン大統領が日本への投下命令 詳細を見る
1945 連合国がポツダム宣言発表 詳細を見る
1945 トルーマン米大統領が広島に原子爆弾投下 詳細を見る
1945 スターリンがソ連軍に対日参戦発令、原子爆弾開発を厳命 詳細を見る
1945 ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻 詳細を見る
1945 トルーマン米大統領が長崎に原子爆弾投下 詳細を見る
1945 日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告 詳細を見る
1945 玉音放送
1945 全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
1945 東久邇宮稔彦王内閣(公家)発足、重光葵が外相就任(吉田茂に途中交代)
1945 日本政府が進駐軍兵士専用の「特殊慰安施設(売春施設)」設置 詳細を見る
1945 東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる 詳細を見る
1945 『日米英会話手帳』が発売3ヶ月で400万部の大ベストセラーに
1945 マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始 詳細を見る
1945 日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧 詳細を見る
1945 GHQが陸海軍解体指令
1945 GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始 詳細を見る
1945 GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動 詳細を見る
1945 GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代 詳細を見る
1945 米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定 詳細を見る
1945 昭和天皇・マッカーサー会談(以後11回)
1945 御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す 詳細を見る
1945 連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952) 詳細を見る
1945 近衛文麿国務相がマッカーサーと会談、生存を賭けて憲法改定起草に乗出す 詳細を見る
1945 幣原喜重郎内閣(外務官僚・従米路線)発足、吉田茂が外相就任 詳細を見る
1945 GHQが五大改革指令 詳細を見る
1945 マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
1945 国際連合発足
1945 戦後第一回の宝くじ発売
1945 GHQの委任により中華民国軍が台湾を実効支配
1945 雑誌の創刊・復刊ブーム
1945 GHQが財閥解体指令 詳細を見る
1945 日本社会党(片山哲書記長)・日本自由党(鳩山一郎総裁)・日本進歩党(町田忠治総裁)の結党が相次ぐ
1945 陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
1945 日本共産党大会、徳田球一を書記長に選出
1945 男女共学解禁
1945 松本蒸治国務相(松本委員会)が憲法改正四原則を発表 詳細を見る
1945 GHQ命令により各新聞で「太平洋戦争史」連載、自虐史観が浸透
1945 衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
1945 GHQが日本史・地理・修身の教育全廃を命令
1946 天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
1946 GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除) 詳細を見る
1946 アメリカ合衆国中央情報局(CIA)発足
1946 GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪
1946 並木路子の『リンゴの唄』発売(戦後最初のヒット曲)
1946 GHQが幣原喜重郎内閣の第一次農地改革法案を拒否し徹底的改革を命令
1946 GHQが松本委員会の憲法草案を拒否し「押付け憲法」を幣原喜重郎内閣が受諾 詳細を見る
1946 インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
1946 昭和天皇の地方巡幸はじまる
1946 チャーチル元英首相が「鉄のカーテン」演説(ソ連の閉鎖性を批判し、共産主義勢力への共闘を呼掛け)
1946 GHQ指令に基づき労働組合法公布 詳細を見る
1946 国際通貨基金(IMF)発足
1946 伊豆諸島が本土復帰
1946 新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
1946 GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化 詳細を見る
1946 親米派財界人により経済同友会発足
1946 極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948) 詳細を見る
1946 井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業) 詳細を見る
1946 GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
1946 第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任 詳細を見る
1946 フィリピンがアメリカから独立
1946 経済安定本部(安本)・物価庁設置
1946 ドイツの戦犯を裁くニュルンベルク裁判判決(死刑12人・終身刑3人・有期刑4人・無罪2人)
1946 復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
1946 吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定 詳細を見る
1946 本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業) 詳細を見る
1946 田岡一雄が三代目山口組を襲名し港湾荷役と芸能興行で勢力伸張
1946 吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布 詳細を見る
1946 吉田茂内閣が当用漢字1850字・旧かなづかい禁止の内閣告示
1946 吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める 詳細を見る
1946 吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
1947 新宿帝都座で日本初のヌードショー、ストリップがブームに
1947 手塚治虫(大坂医専学生)の長編漫画単行本『新寳島』が累計40万部の大ヒットで「赤本」ブームを巻起す(戦後ストーリー漫画の原点) 詳細を見る
1947 マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化 詳細を見る
1947 井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
1947 日本進歩党が民主党に改組(芦田均総裁)
1947 トルーマン米大統領が「トルーマン・ドクトリン」発表(ギリシア・トルコへの支援表明により共産主義勢力と戦う決意を示唆)
1947 GHQにより独占禁止法制定
1947 総選挙、片山哲の社会党が第一党に躍進
1947 GHQ作成日本国憲法施行 詳細を見る
1947 GHQ・吉田茂首相が米軍駐留経費増額に反抗する石橋湛山蔵相を公職追放 詳細を見る
1947 片山哲内閣(社会党・キリスト教徒)発足、芦田均が外相兼副総理就任 詳細を見る
1947 マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)
1947 毛沢東の共産党軍が大反攻を開始し蒋介石の国民政府軍を圧倒、アメリカは防共のためアジア戦略変更を迫られる 詳細を見る
1947 石油配給公団発足に伴い出光興産が販売店指定を獲得し石油業界に復帰(出光商会を吸収合併) 詳細を見る
1947 インド・パキスタンがイギリスから独立、イギリスの謀略で国境紛争常態化
1947 芦田均外相がアメリカ政府に米軍の「有事駐留」を提案し怒りを買う
1947 昭和天皇がGHQに「沖縄の恒久的軍事占領が望ましい」と伝達
1947 山口良忠東京地裁判事が闇物資拒絶により餓死
1947 過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行 詳細を見る
1947 民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
1947 GHQが匿退蔵物資事件捜査部(東京地検特捜部)を設置
1947 村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功 詳細を見る
1948 ミャンマーがイギリスから独立
1948 ロイヤル米陸軍長官演説(占領経費削減と「反共の防波堤」構築のため、日本経済の破壊から自給自足促進への戦略転換を提言) 詳細を見る
1948 帝銀事件
1948 李承晩と金日成の対立で米ソ合同委員会による南北朝鮮統一工作が破綻 詳細を見る
1948 ジョージ・ケナンが来日し米国政府の日本解体緩和方針をマッカーサーに伝達 詳細を見る
1948 民主党を離脱した幣原喜重郎グループ(田中角栄も)が自由党に合流し民主自由党成立(吉田茂総裁)
1948 日独占領政策を担うドレイパー米陸軍次官が日本視察し経済破壊政策の緩和を米政府に勧告(ジョンストン=ドレイパー報告) 詳細を見る
1948 芦田均内閣(民主党・外務官僚・自主路線)発足、芦田均が外相兼任 詳細を見る
1948 美空ひばり歌手デビュー
1948 アメリカ軍政のもと大韓民国樹立宣言
1948 アメリカで独立シンクタンク「ランド研究所」発足、米国学術界を牽引しノーベル賞受賞者も輩出
1948 イスラエル独立宣言、第一次中東戦争でイスラエル軍勝利
1948 ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化
1948 風営法制定
1948 GHQ参謀第2部=東京地検特捜部が民政局打倒のため昭和電工疑獄を創出し芦田均内閣が総辞職 詳細を見る
1948 ソ連共産党の指導下に金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立
1948 GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任 詳細を見る
1948 米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定 詳細を見る
1948 GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
1948 東條英機(享年63)らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放 詳細を見る
1948 内閣不信任案が可決され吉田茂首相は衆議院解散で対抗
1949 マーシャル・プランに対抗するソ連と東欧6カ国が東欧経済相互援助会(コメコン)設立
1949 衆議院総選挙、吉田茂の与党民主自由党が単独過半数獲得
1949 第三次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相就任(岡崎勝男に途中交代)
1949 米軍が日本の再軍備方針を決定 詳細を見る
1949 ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す 詳細を見る
1949 GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
1949 北大西洋条約機構(NATO)発足
1949 東京証券取引所再開
1949 GHQ民政局次長ケーディスが辞職 詳細を見る
1949 吉田茂首相が日本独立後も米軍駐留を望む旨を示唆
1949 ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
1949 ラオスがフランスから独立
1949 甲子園で全国高校野球大会はじまる
1949 シャウプ勧告(税制改革指令)
1949 ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
1949 毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
1949 東西ドイツ分離独立
1949 インドシナ戦争・南北ベトナムの内戦勃発
1949 吉田茂首相が西側陣営との単独講和にも応じる旨を声明
1949 湯川秀樹が「中間子の存在の予想」で日本人初のノーベル物理学賞受賞 詳細を見る
1949 闇金融で摘発された東大生の山崎晃嗣が自殺(光クラブ事件・藤田田も関与)
1949 蒋介石の国民政府が台湾台北に移転
1949 インドネシア独立戦争終結・オランダから独立達成
1949 ドッジ・ライン恐慌でラジオセットメーカーの大半が倒産し関西の生残りは松下電器産業と早川電機工業(シャープ)のみ、部品供給の村田製作所も経営難に陥る
1950 ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言 詳細を見る
1950 トヨタ自動車工業が経営危機に陥り大規模労働争議も発生、豊田喜一郎が社長を引責辞任し石田退三へ交代 詳細を見る
1950 民主自由党が自由党に改称
1950 中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
1950 学者グループが「厳正中立・全面講和」声明発表、西側との「単独講和」を進める吉田茂首相は「曲学阿世」発言で対抗
1950 吉田茂首相が池田勇人蔵相・宮澤喜一秘書官を派米し米軍駐留継続と単独講和を申入れ
1950 トルーマン米大統領がジョン・フォスター・ダレスを極東問題担当国務省顧問に任命 詳細を見る
1950 GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・MHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
1950 GHQが徳田球一・野坂参三ら幹部24人の公職追放を命令(共産党弾圧方針を明確化)
1950 トルーマン米大統領がダレス米講和特使を派日(1951年までに4回来日) 詳細を見る
1950 朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換 詳細を見る
1950 GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
1950 GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設 詳細を見る
1950 池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」発言 詳細を見る
1950 産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%
1951 国家警察予備隊(自衛隊)の組織化完了、軍隊批判に対し吉田茂首相が「自衛のための戦力は合憲」と発言 詳細を見る
1951 トルーマン米大統領が対立するマッカーサー連合軍最高司令官を罷免しリッジウェイ大将に交代(ウィロビー参謀第2部長も退官) 詳細を見る
1951 各新聞がマッカーサー礼賛報道するが、マッカーサーの「日本人十二歳説」により終息
1951 自由党に鳩山一郎の派閥が起り吉田茂の主流派と勢力伯仲
1951 公職追放解除 詳細を見る
1951 サンフランシスコ講和条約および日米安保条約調印、衆参両院が批准承認 詳細を見る
1951 サンフランシスコ講和条約を巡り社会党が左右派に分裂
1952 吉田茂政権が自由な米軍駐留と治外法権を認める日米行政協定(安保条約の施行細則)調印 詳細を見る
1952 GHQ指令を受け吉田茂政府が海上警備隊(海上自衛隊)創設
1952 ラジオ番組『君の名は』が空前の大ヒット(~1954年)
1952 サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成 詳細を見る
1952 吉田茂首相腹心の岡崎勝男が隠蔽工作により宮澤喜一の行政協定批判を回避、外相に抜擢される 詳細を見る
1952 血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
1952 ロバート・D・マーフィー米大使就任(~1953)
1952 財閥解体の緩和が進み三井生命保険・住友銀行など財閥商号も復活 詳細を見る
1952 ヘルシンキ・オリンピック開催、日独が戦後初参加
1952 破壊活動防止法成立
1952 自由党で吉田茂派と鳩山一郎派の溝が深まり吉田首相は抜打解散で対抗
1952 東京都内のジーンズショップが100店を超える
1952 衆議院総選挙、自由党が圧勝し鳩山一郎ら公職追放解除者が衆議院議席の42%を占める
1952 イギリスが核実験に成功(米ソに次ぐ3番目の保有国)
1952 鳩山一郎への首相禅譲密約により第四次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任
1952 アメリカが世界初の水爆実験実施
1952 池田勇人通産相が「中小企業の倒産・自殺やむなし」の失言で引責辞任 詳細を見る
1952 本田宗一郎の本田技研工業が小型バイク「カブ」を発売し大ヒット 詳細を見る
1952 内灘闘争(~1957)、基地反対闘争はじまる
1952 GHQ接収施設返還(一般施設1428件・個人住宅1967件)
1953 ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党)が米大統領就任(~1961)
1953 ジョン・フォスター・ダレスが米国務長官就任(~1959)、引き続き対日政策を主導
1953 早川徳次の早川電機工業(シャープ)が国産初の白黒テレビ発売 詳細を見る
1953 テレビ放送開始
1953 吉田茂首相が衆議院を「バカヤロー解散」、鳩山一郎・広川弘禅が分派し分党派自由党結成
1953 ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立
1953 出光佐三の出光興産「日章丸二世」が英国海軍の監視をかわしイランから原油搬入、BPが積荷の所有権を主張するが東京地裁で出光興産の勝訴決定(日章丸事件) 詳細を見る
1953 第五次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任
1953 ジョン・M・アリソン米大使就任(~1957)
1953 朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る 詳細を見る
1953 『東京物語』(小津安二郎監督)公開
1953 鳩山一郎が分自党を解消し吉田茂の自由党に復党、三木武吉・河野一郎・石橋湛山らが離脱し日本自由党結成
1953 奄美群島が本土復帰
1953 アイゼンハワー米大統領が演説で「原子力の平和利用」を提唱 詳細を見る
1953 林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退) 詳細を見る
1953 ソ連が水爆実験を開始
1953 フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがDNAの二重らせん構造を発見~分子生物学の萌芽
1954 日本漁船がビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に遭難(第五福竜丸事件)
1954 アメリカの意を受けた中曽根康弘らが初の原子力予算案を衆議院に提出 詳細を見る
1954 集団就職列車はじまる(~1975)
1954 『ローマの休日』(オードリー・ヘプバーン主演)日本上映
1954 造船疑獄、佐藤栄作逮捕を拒否した犬養健(犬養毅の次男)法相が辞任
1954 朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
1954 アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
1954 『ゴジラ』第一作上映
1954 反抗勢力が日本民主党に合同し(鳩山一郎総裁・重光葵副総裁・岸信介幹事長)内閣不信任決議で吉田茂内閣を打倒
1954 第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任 詳細を見る
1954 高度経済成長はじまる(~1973) 詳細を見る
1955 米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力の平和利用」を喧伝 詳細を見る
1955 総選挙、鳩山一郎首相の民主党政権は絶対多数を獲得できず憲法改正を断念し対ソ外交に注力
1955 第二次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任 詳細を見る
1955 アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催
1955 砂川闘争(~1960)
1955 ワルシャワ条約機構(WTO)発足
1955 日本の保守合同に対しダレス米国務長官が財政支援を示唆しCIAは岸信介を通じ巨額資金供与 詳細を見る
1955 井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット 詳細を見る
1955 重光葵外相・岸信介がワシントンでダレス米国務長官と会談、在日米軍撤退・防衛分担金廃止提案を一蹴される 詳細を見る
1955 日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟 詳細を見る
1955 左右社会党統一(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長、衆院156議席・参院69議席)
1955 米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力平和利用博覧会」開催、来場者数37万人 詳細を見る
1955 保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
1955 第三次鳩山一郎内閣(自民党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任 詳細を見る
1955 アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立 詳細を見る
1956 原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら) 詳細を見る
1956 『昭和史』(岩波新書)の自虐的左翼史観を亀井勝一郎が批評し「昭和史論争」が起る
1956 フルシチョフの「スターリン批判」演説が西側に伝わり「雪どけ」機運高まる
1956 日ソ国交回復を期す鳩山一郎内閣の河野一郎農相・重光葵外相らが相次いでモスクワ訪問
1956 日本原子力研究所(茨城県那珂郡東海村)設立 詳細を見る
1956 スエズ動乱(第二次中東戦争)でイスラエル軍が勝利するが米ソの支持を得たエジプトがスエズ運河を国有化
1956 鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言 詳細を見る
1956 日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)
1956 自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成 詳細を見る
1956 ハンガリー動乱、ソ連軍が武力鎮圧
1956 シベリア抑留者の最後の引揚船が舞鶴帰港(「岸壁の母」がミリオンセラーに)
1956 日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される 詳細を見る
1956 石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任 詳細を見る
1956 公団住宅の供給がはじまる
1957 アメリカに抵抗し自主外交を牽引した重光葵が謎の突然死(享年69) 詳細を見る
1957 自主外交を掲げた石橋湛山首相が謎の発病により首相辞任 詳細を見る
1957 ダグラス・マッカーサー2世が米大使就任(~1961)、日本政府をリード
1957 第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代) 詳細を見る
1957 欧州経済共同体(EEC)発足
1957 岸信介首相が「憲法は自衛のための核兵器保有を禁ずるものではない」と発言、自衛隊の軍備拡張計画(第一次防衛力整備計画)を承認
1957 原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議 詳細を見る
1957 岸信介が首相として初めてビルマ・インド・インドネシア・パキスタン・セイロン・タイ・台湾を歴訪 詳細を見る
1957 岸信介首相が訪米、アイゼンハワー大統領・ダレス国務長官に自衛隊増強と引換えの安保改定を申入れ 詳細を見る
1957 マラヤ連邦(マレーシア)がイギリスから独立 詳細を見る
1957 岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言 詳細を見る
1957 中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業) 詳細を見る
1957 ソ連で大規模原発事故発生(ウラル核惨事)
1957 ソ連が初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、大陸間弾道ミサイル(ICBM)実用化により北米大陸を射程に置く
1957 電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立 詳細を見る
1958 日本が初めて国連安全保障理事会の非常任理事国となる
1958 日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円) 詳細を見る
1958 総選挙、岸信介首相の与党自民党は大勝できず憲法改正を断念し安保改定に注力
1958 第二次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、藤山愛一郎が外務大臣就任、佐藤栄作が大蔵大臣就任 詳細を見る
1958 NASA(アメリカ航空宇宙局)設立
1958 安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業) 詳細を見る
1958 岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる
1958 岸信介内閣が警職法改正案(警察権限の拡大)を提出するが反対運動により廃案
1958 ミッチー・ブーム
1958 東京タワー開業
1958 全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱 詳細を見る
1958 毛沢東の「大躍進」政策で中国経済が壊滅し数千万人が餓死(~1960)
1958 毛沢東が台湾侵攻を図るが米軍の抵抗で断念(台湾海峡クライシス)
1959 フィデル・カストロによるキューバ革命
1959 アメリカがソ連に次いで大陸間弾道ミサイル (ICBM) の実戦配備開始
1959 鳩山一郎死去
1959 『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
1959 稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業) 詳細を見る
1959 ジョン・フォスター・ダレス米国務長官が病気により辞任
1959 ソ連が世界初の月ロケット打ち上げに成功
1959 「大躍進」の大失敗で毛沢東が一時失脚し劉少奇・鄧小平が経済再建を始動
1959 三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
1960 日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円) 詳細を見る
1960 フランスが核実験に成功(米ソ英に次ぐ4番目の保有国)
1960 安保闘争のなか岸信介首相が日米新安保条約・地位協定調印を強行 詳細を見る
1960 毛沢東の「修正主義批判」により中ソ対立が表面化(~1989)
1960 日米新安保条約・地位協定発効 詳細を見る
1960 東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
1960 安保闘争によりアイゼンハワー米大統領の訪日中止
1960 第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足 詳細を見る
1960 石油輸出国機構 (OPEC) 設立
1960 アメリカが世界初の原子力空母エンタープライズ完成
1960 浅沼稲次郎社会党委員長が演説中に刺殺される
1960 第二次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足 詳細を見る
1960 池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定 詳細を見る
1960 ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
1960 産業別労働人口:第一次産業32.7%・第二次29.1%・第三次38.2%
1961 アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告 詳細を見る
1961 ジョン・F・ケネディ(民主党)が米大統領就任(~1963)
1961 高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業) 詳細を見る
1961 ソ連軍のユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功し「地球は青かった」と発言
1961 エドウィン・O・ライシャワー米大使就任(~1966)、日米蜜月関係を演出し沖縄返還に奔走
1961 日本経済団体連合会(経団連)発足
1961 東ドイツが「ベルリンの壁」建設
1961 電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
1961 東京・大阪・名古屋証券取引所に第2部市場発足
1962 キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
1962 池田勇人首相が欧州7ヶ国を歴訪しGATT35条撤回およびOECD加盟の交渉が前進 詳細を見る
1962 池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意 詳細を見る
1962 有名私立大学で軒並み女子学生が過半数を占め「女子学生亡国論」が話題に
1963 日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始 詳細を見る
1963 ベンチャー企業向け証券取引市場(店頭登録制度)開設
1963 日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化) 詳細を見る
1963 『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
1963 米ソ英が部分的核実験停止条約調印
1963 本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入 詳細を見る
1963 日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」) 詳細を見る
1963 キヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」発売、世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕 詳細を見る
1963 ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺
1963 リンドン・ジョンソン(民主党)が米大統領就任(~1969)
1963 第三次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足 詳細を見る
1964 警視庁が暴力団全国一斉取締り(「第一次頂上作戦」)を開始
1964 日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃) 詳細を見る
1964 日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による) 詳細を見る
1964 マッカーサー死去
1964 ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向 詳細を見る
1964 日本が経済協力開発機構(OECD)加盟 詳細を見る
1964 米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
1964 IMF・世界銀行東京総会
1964 東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
1964 東京オリンピック
1964 ソ連でフルシチョフが失脚しブレジネフ政権へ移行
1964 中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
1964 第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足 詳細を見る
1965 佐藤栄作首相が訪米しジョンソン大統領と会談、ベトナム戦争への軍事協力を断りつつ沖縄・小笠原の施政権問題解決方針を確認 詳細を見る
1965 日韓基本条約調印
1965 李光耀のシンガポールがマレーシアから独立 詳細を見る
1965 池田勇人死去
1965 佐藤栄作首相が「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、わが国にとっての戦後が終わっていない」と声明 詳細を見る
1965 インドネシアでクーデター未遂事件(9月30日事件)、スカルノ大統領が失脚しスハルトが政権奪取 詳細を見る
1965 日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面 詳細を見る
1965 朝永振一郎が「量子電気力学分野での基礎的研究」でノーベル物理学賞受賞
1965 日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円) 詳細を見る
1965 日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
1965 ウォーレン・バフェットがバークシャー・ハサウェイの経営権取得
1965 戦後初の国債発行
1965 電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
1966 政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)
1966 『ウルトラマン』のテレビ放送開始
1966 日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
1967 公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
1967 第二次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足 詳細を見る
1967 佐藤栄作首相が「武器輸出三原則」発表
1967 第三次中東戦争、勝利したイスラエルの領土が約4倍に拡大
1967 中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
1967 欧州共同体(EC)発足
1967 公害対策基本法施行
1967 東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
1967 吉田茂死去
1967 佐藤栄作首相が訪米しジョンソン大統領と「数年以内の沖縄返還」合意 詳細を見る
1968 佐藤栄作首相が「非核三原則」表明、沖縄返還で「核抜き・本土並み」を条件とする方針を示唆 詳細を見る
1968 全共闘運動が全国の大学に広がる
1968 小笠原諸島が本土復帰
1968 佐藤栄作内閣が国連に核保有国の行動規制を提言 詳細を見る
1968 米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印
1968 少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
1968 インテル設立
1968 チェコスロヴァキア「プラハの春」、ソ連が軍事介入により鎮圧
1968 文化大革命で毛沢東の政敵鄧小平が失脚、寒村で強制労働
1968 日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
1969 東大安田講堂事件
1969 リチャード・ニクソン(共和党)が米大統領就任(~1974)
1969 珍宝島事件・中ソ国境紛争
1969 佐藤栄作首相が愛知揆一外相を派米しニクソン大統領に「1972年中の沖縄返還、核抜き・本土並み」の日本側方針を通知 詳細を見る
1969 林正之助の吉本興業がテレビ番組『ヤングおー!おー!』放送開始、笑福亭仁鶴、桂三枝、横山やすし・西川きよし、オール阪神・巨人、明石家さんま、桂文珍、月亭八方、島田紳助ら吉本芸人が全国区となり松竹芸能を駆逐 詳細を見る
1969 『週刊少年チャンピオン』創刊
1969 アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功
1969 テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
1969 ウォルマート設立
1969 文化大革命で毛沢東の政敵劉少奇が殺害される
1969 佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約 詳細を見る
1969 小沢一郎が自民党公認・岩手2区から出馬し衆議院議員初当選、田中角栄の秘蔵子として累進 詳細を見る
1969 御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸 詳細を見る
1969 冷戦のデタント時代(~1979)
1970 第三次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足 詳細を見る
1970 日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
1970 よど号ハイジャック事件
1970 岡田卓也の岡田屋がフタギ・オカダヤチェーン・カワムラ・ジャスコを吸収合併し「ジャスコ株式会社」設立(→イオン)、三重県四日市から大阪市福島区へ本社移転 詳細を見る
1970 佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択 詳細を見る
1970 三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺
1970 電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
1970 対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
1970 産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
1971 『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
1971 ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)
1971 環境庁発足
1971 ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外 詳細を見る
1971 ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃 詳細を見る
1971 安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる 詳細を見る
1971 大相撲の横綱大鵬が現役引退
1971 アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
1971 ドル切下げにより1ドル360円から308円となる 詳細を見る
1971 電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
1972 札幌冬季オリンピック
1972 連合赤軍あさま山荘事件
1972 ニクソン訪中、繊維問題の報復で米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正 詳細を見る
1972 沖縄返還 詳細を見る
1972 富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業) 詳細を見る
1972 田中角栄が「日本列島改造論」発表
1972 第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足 詳細を見る
1972 「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
1972 中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成 詳細を見る
1972 田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒 詳細を見る
1972 第二次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足 詳細を見る
1972 カラーテレビの世帯普及率が50%突破
1973 『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
1973 日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
1973 鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006) 詳細を見る
1973 藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始 詳細を見る
1973 永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始 詳細を見る
1973 第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
1973 第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換 詳細を見る
1973 巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、王貞治は打率355(生涯最高)・本塁打51・打点114で悲願の三冠王となりシーズンMVP獲得 詳細を見る
1973 手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活 詳細を見る
1973 周恩来の工作により鄧小平が中国中央政界に復活
1973 江崎玲於奈が「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」でノーベル物理学賞受賞
1973 カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
1974 田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
1974 高校進学率が90%を突破し大学進学率は30%を超え更に上昇
1974 鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業 詳細を見る
1974 インドが核実験に成功(米ソ英仏中に次ぐ6番目の保有国)
1974 滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業) 詳細を見る
1974 鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
1974 ウォーターゲート事件でニクソンが米国史上初めて大統領辞任
1974 ジェラルド・R・フォード(共和党)が米大統領就任(~1977)
1974 立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる 詳細を見る
1974 テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
1974 巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得 詳細を見る
1974 フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
1974 三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足 詳細を見る
1974 電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
1975 サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
1975 中内功のダイエーが「ダイエーローソン株式会社」でCVSに参入し豊中市にローソン1号店開業 詳細を見る
1975 佐藤栄作死去、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」(葬儀委員長は田中角栄)
1975 ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
1975 合計特殊出生率が急落し2.0割れ(2005年の1.26まで漸減)
1975 広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
1975 第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
1975 カラーテレビの世帯普及率が90%突破
1975 戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989) 詳細を見る
1976 周恩来死去、第一次天安門事件、鄧小平失脚
1976 米上院チャーチ委員会でロッキード事件発覚 詳細を見る
1976 中国が支援するクメール・ルージュのポル・ポトがカンボジアを制圧、国民の3割を虐殺
1976 スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
1976 『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
1976 田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される 詳細を見る
1976 毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
1976 福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足 詳細を見る
1976 戦後生れが総人口の過半を占める
1977 ジミー・カーター(民主党)が米大統領就任(~1981)
1977 カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
1977 福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明 詳細を見る
1977 日本赤軍が日航機をハイジャック、福田赳夫首相が身代金および赤軍メンバー釈放の要求に応じる
1977 第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
1977 「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利
1977 日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
1978 A級戦犯の死刑者7人および獄中病死者5人が「国家のための殉難者」として靖国神社に合祀される 詳細を見る
1978 『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』が日本で上映されSFブーム到来
1978 三里塚闘争が掃討され成田国際空港開業
1978 タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる
1978 日中平和友好条約締結 詳細を見る
1978 鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
1978 第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
1978 「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
1978 第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足 詳細を見る
1978 乗用車の世帯普及率が50%突破
1979 鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
1979 ベトナムがカンボジアに侵攻し中越戦争勃発(ソ連と中国の代理戦争)
1979 ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
1979 米国スリーマイル島原発事故
1979 テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
1979 『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
1979 大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調 詳細を見る
1979 松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
1979 第5回先進国首脳会議(東京サミット)
1979 井深大のソニーがウォークマン(WALKMAN)を発売し世界中で革命的大ヒット 詳細を見る
1979 アメリカを後ろ盾にサダム・フセインがイラク大統領就任(イランへの対抗馬)
1979 イスラエルが核実験に成功(7番目の保有国)
1979 テレビドラマ『3年B組金八先生』で近藤真彦・田原俊彦・野村義男(たのきんトリオ)がデビューしジャニー喜多川・ジャニーズ事務所の黄金期が始まる 詳細を見る
1979 第二次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足 詳細を見る
1979 アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
1979 電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
1980 林正之助の吉本興業がテレビ番組『花王名人劇場』『THE MANZAI』『お笑いスター誕生!!』で漫才ブームを巻起し東京吉本を再開しテレビ業界への影響力を高める 詳細を見る
1980 山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し大ヒット 詳細を見る
1980 岡田卓也のジャスコ(現イオン)がコンビニ「ミニストップ」を設立し横浜市大倉山に1号店開業 詳細を見る
1980 ナムコが『パックマン』を発売し世界的大ヒット
1980 鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足 詳細を見る
1980 ワインバーガー米国防長官の防衛費増額要請を鈴木善幸首相が拒否
1980 イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
1980 巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代 詳細を見る
1980 日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
1980 産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%
1981 ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換 詳細を見る
1981 日本が対米乗用車輸出の自主規制開始(年間168万台からスタート) 詳細を見る
1981 第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
1981 孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出 詳細を見る
1981 福井謙一とロアルド・ホフマンが「化学反応過程の理論的研究」(フロンティア軌道理論)でノーベル化学賞を共同受賞 詳細を見る
1982 フォークランド紛争
1982 東北新幹線・上越新幹線開業
1982 『朝日新聞』の捏造記事により朝鮮人従軍慰安婦問題が始まる 詳細を見る
1982 ブレジネフが死去しアンドロポフがソ連最高指導者を承継
1982 第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足 詳細を見る
1983 中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
1983 中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
1983 東京ディズニーランド開園
1983 世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
1983 レーガン米政権が戦略防衛構想(SDI)発動
1983 山内溥の任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売し家庭用ゲーム機産業の嚆矢となる 詳細を見る
1983 ソ連空軍機が領空侵犯した大韓航空機を撃墜
1983 AT&T創業
1983 ロッキード事件裁判で田中角栄元首相に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決 詳細を見る
1983 鈴木修の鈴木自動車工業(スズキ)がインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」で小型車生産開始、インド市場でシェア5割へ躍進 詳細を見る
1983 第二次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足 詳細を見る
1984 アンドロポフが死去しチェルネンコがソ連最高指導者を承継(老人支配政治が終焉)
1984 グリコ・森永事件
1984 宮崎駿監督の劇場アニメ映画『風の谷のナウシカ』上映、宮崎駿の個人事務所「二馬力」設立 詳細を見る
1984 稲盛和夫の京セラが中心となり第二電電(DDI→KDDI)創業 詳細を見る
1984 柳井正が伯父柳井政雄・父柳井等から小郡商事(山口県宇部市)を承継し社長就任、広島市袋町に「ユニクロ」1号店を開業し中国地方へ多店舗展開(ファーストリテイリング創業) 詳細を見る
1985 竹下登・金丸信らが田中派内に創政会設立、田中角栄は脳梗塞で入院し影響力喪失 詳細を見る
1985 ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
1985 中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
1985 中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
1985 アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始 詳細を見る
1985 女子差別撤廃条約批准のため男女雇用機会均等法成立
1985 日航機墜落事故
1985 山内溥の任天堂がゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』発売(2015年現在も任天堂の代表キャラに君臨) 詳細を見る
1985 プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる 詳細を見る
1985 65歳以上人口が10%突破(総人口1億2105万人)
1985 レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長がジュネーヴで会談し核軍縮協議を開始
1985 エアコンの世帯普及率が50%突破
1986 鳥山明原作『ドラゴンボール』のテレビアニメ放送開始 詳細を見る
1986 ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
1986 第12回先進国首脳会議(東京サミット)
1986 エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
1986 第三次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足 詳細を見る
1986 日米半導体協定で中曽根康弘首相が日本市場の20%分の米国製半導体輸入を容認 詳細を見る
1986 中曽根康弘内閣が「防衛費1%枠」撤廃
1986 「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる 詳細を見る
1986 ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
1987 中国で保守派が巻返し革新派の胡耀邦総書記(鄧小平の腹心)が失脚
1987 中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
1987 竹下登・金丸信が小沢一郎・小渕恵三・橋本龍太郎ら「竹下派七奉行」を従え田中角栄の派閥を乗取り「経世会」発足 詳細を見る
1987 岸信介死去
1987 ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)
1987 利根川進(MIT教授)が「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」(免疫学100年の謎「抗体の多様性」の解明)で日本人初のノーベル生理学・医学賞受賞 詳細を見る
1987 竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足 詳細を見る
1987 大韓航空機爆破事件
1987 スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
1987 米ソが中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)締結
1988 アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化 詳細を見る
1988 青函トンネル開業
1988 瀬戸大橋開通
1988 竹下登首相が米軍への軍事協力否定を表明しアメリカに睨まれる 詳細を見る
1988 朝日新聞報道によりリクルート事件発生 詳細を見る
1988 FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換 詳細を見る
1988 イラン・イラク戦争終結
1989 昭和天皇が崩御し平成に改元
1989 ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要 詳細を見る
1989 「マンガの神様」手塚治虫死去 詳細を見る
1989 竹下登政権が初の消費税導入(3%)
1989 山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲームボーイ」発売 詳細を見る
1989 高度経済成長を象徴する松下幸之助が死去(享年94) 詳細を見る
1989 ゴルバチョフ訪中、中ソ対立終結
1989 宇野宗佑内閣(自民党・中曽根系)発足
1989 革新派の胡耀邦追悼集会が第二次天安門事件に発展、保守派優勢となり趙紫陽総書記失脚
1989 東欧革命、ポーランド・ハンガリー・チェコスロヴァキアで非共産党政権発足
1989 日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始 詳細を見る
1989 第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
1989 最大派閥経世会の小沢一郎が自民党幹事長就任(~1891) 詳細を見る
1989 三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車 詳細を見る
1989 アジア太平洋経済協力(APEC)発足
1989 「ベルリンの壁」崩壊
1989 H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
1989 バブル潰しの土地基本法成立
1989 ルーマニア革命・チャウシェスク共産党指導者が射殺される
1989 日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
1990 バルト3国がソ連から独立
1990 第二次海部俊樹内閣(自民党・三木系従米路線)発足
1990 「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
1990 ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
1990 フセインのイラク軍がクウェートに侵攻 詳細を見る
1990 ドイツ再統一
1990 山内溥の任天堂が「スーパーファミコン」を発売し世界的ゲーム産業を創出 詳細を見る
1990 世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
1990 産業別労働人口:第一次産業7.1%・第二次33.3%・第三次59.0%
1990 15年ぶりに赤字国債発行停止
1991 「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に 詳細を見る
1991 湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる 詳細を見る
1991 バブル崩壊(「失われた10年」) 詳細を見る
1991 バブル潰しの金融証券不祥事摘発はじまる
1991 ゴルバチョフが訪日し海部俊樹首相と会談
1991 ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
1991 暴力団対策法成立、暴力団に対する取締り強化
1991 ユーゴスラビア紛争(民族独立運動による内戦)(~2000)
1991 ゴルバチョフが共産党側近に軟禁される(ソ連8月クーデター)
1991 「SMAP」(デビュー曲『Can't Stop!! -LOVING-』)がバラエティ路線で国民的アイドルへ台頭、「V6」「TOKIO」「嵐」「KinKi Kids」「KAT-TUN」と続きジャニー喜多川のジャニーズ事務所は「アイドル氷河期」から完全復活 詳細を見る
1991 宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
1991 エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
1991 米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
1991 ODAが100億ドル突破・以後高止まり
1992 鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
1992 細川護煕が日本新党を結成し新党ブーム始まる
1992 アメリカの「エコニミック・アニマル」批判を受け完全週休二日制が普及
1992 アマコスト駐日大使の工作によりPKO協力法成立、自衛隊がカンボジアへ出動 詳細を見る
1992 国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱
1992 東京佐川急便事件で金丸信が議員辞職、経世会の後任会長に竹下登が推す小渕恵三が就任し金丸直系の小沢一郎・羽田孜らが離脱 詳細を見る
1992 CIAの役割が経済諜報へシフトし日本が主標的となる 詳細を見る
1992 中内功のダイエーが経営破綻したリクルートを買収(創業者の江副浩正らから持分を買取り) 詳細を見る
1993 日韓首脳会談で宮澤喜一首相が『朝日新聞』の誤報に基づく「朝鮮人従軍慰安婦問題」を含む諸問題を謝罪
1993 ビル・クリントン(民主党)が米大統領就任(~2001)~日本から中国への重点シフト・円高政策と「年次要望改革書」による対日経済攻勢 詳細を見る
1993 武村正義・鳩山由紀夫・菅直人らが新党さきがけ結成
1993 小沢一郎・羽田孜らが自民党を離脱し新生党結成 詳細を見る
1993 宮澤喜一内閣の河野洋平官房長官が「河野談話」を公表・『朝日新聞』の誤報に基づく「朝鮮人従軍慰安婦問題」を認め公式謝罪 詳細を見る
1993 小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
1993 欧州連合(EU)発足
1993 APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
1993 田中角栄が刑事被告人のまま死去 詳細を見る
1993 日亜化学工業の中村修二が世界で初めて青色LEDを実用製品化し量産技術を樹立(会社からは2万円の報賞金しかなく米国研究者は「スレイブ・ナカムラ」と揶揄) 詳細を見る
1994 ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売
1994 政治改革四法成立(小選挙区比例代表並立制と政党交付金の導入)
1994 羽田孜内閣(非自民連立)発足
1994 村山富市内閣(自社さ連立)発足
1994 Amazon.com設立
1994 ダイキン工業で17年ぶりの赤字転落に伴い山田稔(創業者山田晁の長男)が会長に退き井上礼之が社長就任、不採算部門を閉鎖しエアコン事業と海外展開に集中 詳細を見る
1994 アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
1994 新生党の小沢一郎が日本新党など非自民政党を糾合し新進党発足(初代党首は海部俊樹) 詳細を見る
1994 チェチェン紛争勃発(パイプラインを巡るソ連の武力干渉)
1994 赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
1995 GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
1995 阪神・淡路大震災
1995 ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロがYahoo!設立、孫正義のソフトバンクが出資し一時筆頭株主となる 詳細を見る
1995 地下鉄サリン事件
1995 円高が急進しドル円が80円割れ
1995 野茂英雄が鈴木啓示監督と衝突し近鉄退団、「任意引退」で日本球界を追われマイナー契約でLAドジャースに入団すると開幕直後にMLBデビューし13勝・防御率2.54で最多奪三振・新人王獲得 詳細を見る
1995 オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
1995 村山富市首相が大東亜戦争を日本の侵略と認めアジア諸国に公式謝罪(村山談話) 詳細を見る
1995 Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)
1995 テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
1995 小沢一郎が新進党党首就任、羽田孜グループとの対立が深まる 詳細を見る
1995 ODA147億ドル
1996 第一次橋本龍太郎内閣(自社さ連立)発足 詳細を見る
1996 ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット
1996 台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任
1996 住専処理法成立
1996 鳩山由紀夫・菅直人らが自社さ連立政権から離脱し民主党結成
1996 総選挙、政権交代を掲げた新進党も民主党も勝てず橋本龍太郎首相は自民党単独組閣へ
1996 第二次橋本龍太郎内閣(自民単独)発足 詳細を見る
1996 「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進 詳細を見る
1997 三木谷浩史が楽天創業
1997 鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
1997 東京三菱銀行が不良債権をバルクセールで外資系ファンドに売却、サーベラス・ローンスター・ムーア等の「ハゲタカ」が日本買いに殺到
1997 消費増税(5%)
1997 アメリカの圧力により独占禁止法改定・持株会社解禁
1997 鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
1997 ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
1997 ソフトバンク傘下のヤフー(Yahoo! JAPAN)が店頭市場に株式上場、資本力を高めた孫正義はM&Aを加速 詳細を見る
1997 政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
1997 京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず
1997 小沢一郎執行部の求心力低下により新進党が分裂解散 詳細を見る
1997 携帯電話普及率が50%突破
1997 乗用車の世帯普及率が80%突破
1998 長野冬季オリンピック
1998 パキスタンが核実験に成功(8番目の保有国)
1998 アメリカの圧力により大規模小売店舗法廃止(大店立地法に移行後2000年完全廃止)
1998 小渕恵三内閣(自自公連立)発足
1998 北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン」を日本に向け発射
1998 ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立
1998 長銀経営破綻、リップルウッドが僅か10億円で買収に成功
1998 金融再生関連法が相次いで成立
1998 柳井正のファーストリテイリングが「ユニクロ」で「フリース」発売、3年間で2600万枚の驚異的セールスを樹立しアパレル業界に価格破壊旋風を起す 詳細を見る
1998 エアコンの世帯普及率が80%突破
1998 「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
1999 日銀のゼロ金利政策はじまる
1999 NATO軍がユーゴ空爆
1999 新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
1999 東海村JCO臨界事故
1999 アメリカの圧力で労働者派遣法が改定され人材派遣原則自由化
1999 ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
1999 中国石油天然気(ペトロチャイナ)設立
1999 ODA154億ドル・最高額更新
二〇〇〇 2000 第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
2000 ベライゾン・コミュニケーションズ設立
2000 竹下登死去
2000 「抵抗勢力の総本山」大蔵省解体・財務省と金融庁に分割
2000 第二次森喜朗内閣(自公連立)発足
2000 第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)
2000 ソフトバンク・オリックス・東京海上が連合し経営破綻した日本債券信用銀行を安値で買収(→あおぞら銀行)、孫正義のソフトバンクは株価急騰で株式時価総額が国内2位となり2003年持分転売で巨利を獲得 詳細を見る
2000 白川英樹が「導電性高分子の発見と発展」でノーベル化学賞受賞
2000 中国移動通信(チャイナモバイル)設立
2000 産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%
2000 国債発行額が200兆円突破
2001 ITバブル崩壊
2001 ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
2001 イチローが任天堂・山内溥オーナーのシアトル・マリナーズでMLBデビュー、最多得票でオールスターゲームに選出され242安打・打率350・盗塁56で首位打者・盗塁王・新人王・シリーズMVP・ゴールドグラブ賞を獲得 詳細を見る
2001 第一次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足 詳細を見る
2001 ユニ・チャームで高原慶一朗が会長に退き長男の高原豪久が社長就任、バブルの塔「ゴールドタワー」を閉鎖し(味匠に貸与後2007年売却)リストラと海外展開を推進 詳細を見る
2001 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入304億円で『もののけ姫』の記録更新、ベルリン国際映画祭金熊賞・アカデミー賞長編アニメ賞を受賞 詳細を見る
2001 9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
2001 アフガニスタン戦争、タリバン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く 詳細を見る
2001 テロ対策特別措置法成立
2001 野依良治が「キラル触媒による不斉反応の研究」でノーベル化学賞受賞
2001 岡田卓也のイオンが経営破綻した更正会社マイカルを買収し業容急拡大(2011年吸収合併) 詳細を見る
2001 ゴールドマン・サックスが「BRICs」の潜在能力を示唆
2001 パソコンの世帯普及率が50%突破
2001 国債発行額が300兆円突破
2001 完全失業率が初めて5%突破
2002 EU統一通貨ユーロ流通開始
2002 ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
2002 小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ健康保険本人3割負担導入
2002 鈴木修のスズキがインド政府より「マルチ・ウドヨグ社」株式を買取り過半数を得て子会社化 詳細を見る
2002 FIFAワールドカップ日韓大会
2002 竹中平蔵の金融庁が産業再生機構等で不良債権処理を促す「金融再生プログラム」策定、「ハゲタカ」外資に道を開く
2002 小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
2002 小柴昌俊が「カミオカンデ」を使った「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」でノーベル物理学賞受賞
2002 田中耕一(島津製作所従業員)が「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」でノーベル化学賞受賞
2002 フリーターが200万人突破
2002 携帯電話普及率が90%突破
2003 イラク戦争(~2011)、フセイン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く 詳細を見る
2003 小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
2003 個人情報保護法成立
2003 有事関連三法成立
2003 小沢一郎の自由党が民主党に合流 詳細を見る
2003 「マニフェスト選挙」で民主党躍進
2003 第二次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足 詳細を見る
2003 小泉純一郎内閣がイラク戦争に自衛隊を派遣(~2009) 詳細を見る
2003 国債発行額が400兆円突破
2004 マーク・ザッカーバーグがFacebook設立
2004 小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
2004 小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ司法試験制度を変更し法科大学院(ロースクール)設置
2004 孫正義のソフトバンクが日本テレコムを買収し完全子会社化(→ソフトバンクテレコム) 詳細を見る
2004 江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
2004 中内功追放も遅きに失しダイエーの自力再建案を銀行団が拒否、小泉純一郎首相の裁定で金融庁が経産省を抑え産業再生機構送り決定 詳細を見る
2004 デジカメの世帯普及率が50%突破
2005 「青色LED訴訟」東京高裁和解勧告を中村修二が「日本の司法は腐っている」と罵りつつ受諾(一審判決約200億円に対し和解金額は延滞損害金込で約8億4千万円に激減)、事件後東京高裁は知的財産高等裁判所を設置 詳細を見る
2005 ソフトバンク子会社で孫泰蔵(孫正義の弟)社長の「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」が大証ヘラクレスに株式上場し株式時価総額は一時1兆円を突破 詳細を見る
2005 孫正義のソフトバンクが東新橋へ本社を移しボーダフォン買収で携帯電話事業に参入(→ソフトバンクモバイル)、ダイエー球団を買収し「福岡ソフトバンクホークス」へ改称 詳細を見る
2005 JR福知山線脱線事故
2005 小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
2005 小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
2005 「郵政解散」総選挙で小泉純一郎首相が「抵抗勢力」を駆逐し民主党も大敗
2005 鈴木敏文が持株会社「セブン&アイ・ホールディングス」を設立し株式上場(セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズジャパンは上場廃止) 詳細を見る
2005 バブル崩壊の象徴となったダイエー創業者の中内功が死去(享年83) 詳細を見る
2005 第三次小泉純一郎内閣(自公連立)発足 詳細を見る
2005 人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
2005 合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
2005 小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
2005 小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
2005 鈴木敏文のセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリング(そごう・西武)を電撃買収 詳細を見る
2005 地価が1991年ピーク時の50%を割る
2006 ニッポン放送株式買占めに絡むライブドア事件発生、永田寿康議員の「堀江メール問題」で民主党執行部が総退陣し小沢一郎が代表就任(~2009) 詳細を見る
2006 公共サービス改革法(市場化テスト法)成立で「小泉構造改革」総仕上げ、宮内義彦議長の総合規制改革会議が法定の議事録を残していない不祥事が発覚 詳細を見る
2006 オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる 詳細を見る
2006 第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
2006 北朝鮮の核実験成功宣言で(真偽不明)東アジア情勢が緊迫化
2006 あおぞら銀行(旧日債銀)が東京証券取引所1部に再上場、宮内義彦のオリックスはサーベラス・東京海上火災と共に暴利を貪る 詳細を見る
2006 米軍がイラクでサダム・フセインを拘束し殺害
2007 サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
2007 アップルが「iPhone」発売
2007 岡田卓也のイオンがダイエーを買収(持分法適用会社から2013年完全子会社化)、売上高5兆円に到達するがダイエー再建に苦戦し成長鈍化 詳細を見る
2007 アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
2007 参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
2007 福田康夫内閣(自公連立)発足 詳細を見る
2008 第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
2008 ブッシュ政権からの米金融機関救済要請を福田康夫首相が拒否 詳細を見る
2008 リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
2008 麻生太郎内閣(自公連立)発足
2008 小林誠・益川敏英が「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見」でノーベル物理学賞共同受賞
2008 南部陽一郎(米国籍)が「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見」でノーベル物理賞受賞
2008 下村脩が「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」でノーベル化学賞受賞
2009 バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
2009 鳩山邦夫総務相が「かんぽの宿」70施設のオリックス不動産への不正入札疑惑(2400億円→109億円)を暴露し西川善文日本郵政社長が契約撤回 詳細を見る
2009 小沢一郎が在日米軍基地削減と「有事駐留」を提唱(第七艦隊発言)、10日後に西松建設献金問題が起り組閣目前で民主党代表を鳩山由紀夫に譲る 詳細を見る
2009 大学進学率が50%突破
2009 裁判員制度はじまる
2009 総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
2009 鳩山由紀夫内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足 詳細を見る
2009 鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
2009 民主党政権が行政刷新会議で目玉政策「事業仕分け」をはじめるが官僚の抵抗でパフォーマンスに終始(のちノーベル賞を受賞する山中伸弥京大教授も大幅予算カット)
2010 日経新聞報道でゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し小泉純一郎政権の郵政民営化の真意に疑問符 詳細を見る
2010 菅直人内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足 詳細を見る
2010 尖閣諸島で中国漁船衝突事件が起り菅直人内閣が混乱
2010 鈴木章・根岸英一が「クロスカップリングの開発」でノーベル化学賞共同受賞
2010 中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
2011 菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
2011 小沢一郎が陸山会事件で強制起訴され(翌年無罪確定)民主党は党員資格剥奪 詳細を見る
2011 菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
2011 井上礼之のダイキン工業が米国キャリア社を抜きエアコン売上高世界一を達成 詳細を見る
2011 東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
2011 米軍特殊部隊がパキスタンでウサマ・ビン・ラーディン殺害
2011 野田佳彦内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足 詳細を見る
2011 民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
2011 米軍の完全撤収によりオバマ米大統領がイラク戦争終結を宣言 詳細を見る
2012 東京スカイツリーが開業
2012 小沢一郎グループ50人が民主党を割り「国民の生活が第一」結党 詳細を見る
2012 石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
2012 JALが公的資金注入で復活し再上場、稲盛和夫(JAL会長)の京セラのJAL株式購入が発覚しインサイダー疑惑浮上 詳細を見る
2012 胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
2012 山中伸弥が「様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製」で初期化研究の先駆者ジョン・ガードンと共にノーベル生理学・医学賞受賞 詳細を見る
2012 民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
2012 第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
2012 スマートフォン普及率が50%突破
2013 アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
2013 スノーデン元CIA職員の告発によりアメリカの全世界的通信傍受が発覚
2013 孫正義のソフトバンクが米国3位のスプリント・ネクステルを買収し世界3位の携帯キャリアへ躍進、「イー・アクセス」を連結子会社化(→ワイモバイル) 詳細を見る
2013 総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消
2013 65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)
2013 ファナックで稲葉善治社長が父の稲葉清右衛門を追放し重役陣を復職させる 詳細を見る
2013 柳井正のファーストリテイリングが国内流通企業最大の株式時価総額4兆円に到達(2015年6兆円に迫る) 詳細を見る
2013 尾田栄一郎作『ONE PIECE』の国内コミック累計発行部数が3億冊突破、世界累計では鳥山明作『ドラゴンボール』が3億5千万冊超で世界記録更新中 詳細を見る
2014 小保方晴子の「STAP論文」の不正が発覚し理研は論文を撤回、理研発生・再生科学総合研究センター長の笹井芳樹が自殺
2014 ロシア・ウクライナ紛争
2014 消費増税(8%)
2014 『朝日新聞』が朝鮮人従軍慰安婦の虚偽報道を認め関連記事を撤回するが朴槿惠韓国政権は無視 詳細を見る
2014 孫正義のソフトバンクが筆頭株主(出資比率36.7%)の中国アリババ・グループが二ユーヨーク証券取引所に株式上場し時価総額は25兆円に膨張 詳細を見る
2014 赤崎勇・天野浩・中村修二が「青色発光ダイオード(LED)開発」でノーベル物理学賞共同受賞(中村修二UCSB教授は米国籍) 詳細を見る
2015 梶田隆章(小柴昌俊の門下生)が「スーパーカミオカンデ」を使った「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞受賞
2015 大村智が「微生物による感染症治療法の発見」でノーベル物理学賞受賞