著名自分史「蒲生氏郷」

オリジナル

蒲生 氏郷

がもう うじさと

蒲生 氏郷

1556年~1595年

60

近江日野の名門豪族の嫡子に生れ、六角氏滅亡に伴い織田信長に仕えて娘婿となり本能寺事変後は豊臣秀吉に臣従、武功を重ねて会津92万石に抜擢され伊達政宗の妨害を排して奥州仕置を完遂、徳川家康の抑え役を期待され本人は天下も夢見たが惜しくも40歳で病没した文武両道の大器

寸評

基礎点 60点 蒲生氏郷は、近江日野城主の嫡子で、六角氏滅亡に伴い織田信長に仕えて娘婿となり本能寺事変後は豊臣秀吉に臣従、武功を重ねて会津92万石に抜擢され伊達政宗の妨害を排して奥州仕置を完遂、徳川家康の抑え役を期待され本人は天下も夢見たが惜しくも40歳で病没した文武両道の大器である。「銀鯰尾兜」を着けて常に兵卒の先頭に立ち、松阪・会津に商業都市を築いた経済通、家臣には軍規厳正ながら気前良く、利休七哲筆頭の一流文化人、父祖譲りの義理堅さも備えた万能の武将であり、存命ならポスト秀吉政局を左右したに違いない。1568年織田信長の上洛軍を扼した六角義賢が滅ぼされ(観音寺城の戦い)、六角家中で唯一抗戦した蒲生賢秀は13歳の嫡子氏郷を人質に出して降伏した。翌年の伊勢侵攻で初陣した氏郷が介添役無しで首級を挙げる活躍を示すと、信長は烏帽子親となって氏郷を元服させ娘の冬姫を妻に与えて日野城への帰還を許した。蒲生氏郷は、姉川、長島、長篠、有岡城、伊賀攻めと順調に戦歴を積んで織田一門のホープとなったが、1582年本能寺の変が勃発、安土城から日野城へ信長の妻妾を護送して明智光秀と対峙し、山崎合戦で仇討を果した豊臣秀吉に帰服した。賤ヶ岳合戦では羽柴秀長旗下で伊勢攻めの先鋒を務め、木造具正ら織田信雄方伊勢国人を掃討、小牧合戦では秀吉退却の殿を務め、1584年伊勢松ヶ崎12万石へ加転封され松阪城に移った。その後も蒲生氏郷は秀吉に従って各地を転戦、九州征伐の岩石城攻略で武名を轟かせ、1590年小田原征伐後の奥州仕置で会津42万石に躍進、天下への夢絶たれたと嘆きつつも、間もなく大崎・葛西一揆が起ると伊達政宗の妨害を排して木村吉清・清久父子を救出し、九戸政実の乱も忽ち討平して92万石に大加増された。朝鮮出兵が始まると秀吉の供をして肥前名護屋に入ったが病に倒れ、「限りあれば 吹かねど花は 散るものを こころ短き 春の山風」の見事な辞世を遺して陣没した。嫡子の蒲生秀行は、一旦会津領の相続を許されるも力量不足で上杉景勝と交代、関ヶ原合戦後に会津藩主に復帰したが、重臣の抗争が絶えず、次男の代で蒲生家は無嗣断絶となった。

史実

1556年 南近江国主六角義賢の被官で日野城主の蒲生賢秀の嫡子に蒲生氏郷が出生

1556年 [長良川の戦い]廃嫡の陰謀に気付いた斎藤義龍(実は土岐頼芸の落胤とされる)が弟の竜重・竜定を斬殺したうえ父斎藤道三を討って(享年63)美濃国主を承継(道三方の明智城主明智光安・光久兄弟は討死し逃亡した甥の明智光秀は諸国流浪の末に越前朝倉義景に仕官)、道三から美濃の国譲り状を得た娘婿織田信長は救援軍を出すが間に合わず

詳細を見る

1556年 [稲生の戦い]斎藤道三の敗死を好機とみた織田信行(信長の同母弟)と柴田勝家・林秀貞らが挙兵、織田信長は佐久間信盛・森可成らを味方につけて勝利するが信行を偏愛する生母土田御前の仲介により赦免、斎藤義龍と結んだ織田信広(信長の庶兄)も謀反し清洲城奪取を企てるが未遂に終わり降伏・赦免

1556年 67歳の塚原卜伝が養子の幹重に家督を譲って剃髪出家し13代将軍足利義輝を援けるため三たび上洛、近江で亡命生活を送る義輝に小太刀を指南し2年後の京都帰還に際して新当流の印可と秘剣「一つの太刀」を授与、卜伝は退いて大徳寺に参禅したあと京都を去って諸国を旅し伊勢国司北畠具教に「一つの太刀」を授け甲斐の山本勘助や近江の蒲生定秀を歴訪、義輝が三好三人衆に襲われ斬死すると京都相国寺の牌所を詣で10年の旅を終えて常陸鹿島へ帰国

詳細を見る

1557年 [防長経略]毛利元就が陶晴賢の勢力を駆逐して大内家を乗取り周防・長州を奪取、陶の傀儡大内義長(義隆の甥)は実兄の大友義鎮(宗麟)に見捨てられ自害(毛利氏は義長の助命を申送ったが身内への猜疑心が強い義鎮はむしろ処刑を要求したとも)、元就は北九州へ食指を伸ばすが義鎮は筑前古処山城主の秋月文種を自害させるなど毛利方勢力を掃討して豊前・筑前を制圧(実行役は立花道雪)

詳細を見る

1557年 第3次川中島の戦い(上杉謙信vs.武田信玄)

詳細を見る

1557年 織田信長に帰順した柴田勝家が織田信行の再謀反を密告、信長は病と称して弟の信行を清洲城に誘い込み殺害、信行の遺児(津田信澄)は助命され勝家に託される

詳細を見る

1557年 武田晴信(信玄)が川中島の戦いで対峙する長尾景虎(上杉謙信)の後方撹乱を図り西上野侵攻を開始、長野業正は配下の「箕輪衆」と上野国人を糾合し抗戦・上野勢は足並みの乱れで緒戦を落とすが殿軍の業正は鮮やかな退却戦を演じて箕輪城に籠城し夜討ち朝駆けの奇襲戦法で武田軍を痛撃し景虎の来援を得て防衛に成功、信玄は「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と嘆く

詳細を見る

1558年 [北白川の戦い]将軍足利義輝・細川晴元が挙兵し京都奪回を図るが、三好康長・三好実休・安宅冬康・十河一存ら阿波勢の来援を得た三好長慶が勝利、晴元派の庇護者六角義賢も和睦に動き義輝・晴元は降伏し5年ぶりに京都へ帰還、室町幕府を牛耳った三好政権は摂津・阿波の両拠点を軸に山城・丹波・和泉・播磨・讃岐・淡路を掌握し最後は河内・大和まで10カ国を勢力圏に収めて全盛期を迎える

詳細を見る

1559年 [浮野の戦い]織田信長が犬山城主織田信清と同盟し織田一門の宗家で岩倉城主の織田信賢を撃破、守護斯波義銀も追放し尾張一国を平定~武功を挙げた前田利家は「槍の又左」(利家の字は又左衞門)の異名をとり母衣衆(信長親衛隊)に抜擢されて妻まつ(芳春院)を迎えるが、笄を盗んだ同朋衆(給仕役)拾阿弥(信長の異母弟説あり)を斬殺し信長の勘気を蒙って織田家を追放される

詳細を見る
もっと見る

交遊録

蒲生定秀 六角義賢を救い家老となった祖父
蒲生賢秀
蒲生秀行 嫡子・正室は家康娘
とら(三条殿) 秀吉側室に献上した妹
冬姫 信長娘の妻
蒲生郷安 蒲生姓を与えた筆頭重臣・蒲生騒動の元凶
蒲生郷可 蒲生姓を与えた重臣
蒲生頼郷 蒲生姓を与えた重臣
蒲生郷成 蒲生姓を与えた重臣
蒲生郷舎 郷成後嗣
もっと見る