著名自分史「鈴木一朗(イチロー)」

オリジナル

鈴木 一朗(イチロー)

すずき いちろう(いちろう)

鈴木 一朗(イチロー)

1973年~-年

90

オリックスで7年連続首位打者に輝き米国MLBへ渡り10年連続200本安打とゴールドグラブ賞を達成、日米通算4千本安打を突破しMLB殿堂入りも確実視される日本スポーツ界の至宝

寸評

基礎点 90点 イチロー(鈴木一朗)は愛知県出身、野球好きな父「チチロー」に小学3年生から英才教育を施され名門の愛工大名電高校野球部へ進み1年生でレギュラー獲得、2度の甲子園出場は初戦敗退に終ったが高校通算打率501を記録し、華奢な体格ながら1992年ドラフト4位でオリックスに滑込んだ。土井正三監督に「振り子打法」を否定されたがイチローは腐らず研鑽を積み仰木彬監督へ代わった3年目にブレイク、一番センターに定着するといきなり210安打・打率385でプロ野球記録を更新し打点王・盗塁王・シーズンMVPも獲得した。翌年の阪神・淡路大震災に奮起したオリックスはパリーグ2連覇を果し、3年連続で首位打者・シリーズMVPに輝いたイチローは「がんばろうKOBE」の象徴となった。7年連続首位打者を達成したイチローは任天堂傘下のマリナーズへ円満移籍、2001年MLBデビューを果すといきなり首位打者・盗塁王・新人王・シリーズMVPを獲得し、以後10年連続で200安打・20盗塁・ゴールドグラブ賞・オールスターゲーム出場(最初の3年間は最多得票)の偉業を果し、2004年には262安打で84年ぶりにジョージ・シスラーのMLB記録を更新、WBC日本代表の看板選手として2度の世界一に輝いた。イチローの広い守備範囲は背番号に因んで「エリア51」と恐れられ代名詞の「レーザービーム」はファンを魅了、起床から就寝まで同じ「ルーチン」で野球に打込む姿勢はサムライと讃えられた。さすがのイチローも歳には勝てず2012年トレードでヤンキースへ出されたが期待通りの成績を残し、2015年出場機会を求め42歳でマーリンズ移籍を選択した。米国でも超一流となったイチローは日本人のMLB移籍に大きく道を拓き、『ベースボール・アメリカ』の「2000年以降最高のMLB選手」でプホルス・バーランダー・Aロッドらを押えて断トツ1位に輝き「殿堂入りが確実な5人」にも選ばれている。2015年を終えイチローの通算成績はNLB1278安打・打率353・盗塁199およびMLB2935安打・打率314・盗塁498、日米通算安打は4213となりピート・ローズの世界記録4256は目前である。

史実

1973年 愛知県西春日井郡豊山町で機械部品工場を営む鈴木宣之(チチロー)の次男に鈴木一朗(イチロー)が出生

1973年 巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、長嶋茂雄は打率269・本塁打20・打点76・盗塁3でシーズン終了、川上哲治監督の引退勧告を拒否し現役続行

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1973年 手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活

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1973年 カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破

1974年 田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害

1974年 鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業

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1974年 鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令

1974年 滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)

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1974年 立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる

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1974年 テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始

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交遊録

野茂英雄 MLB活躍の先達
仰木彬 イチローを世に出したオリックス監督
新井宏昌 イチローを理解したオリックス・コーチ
土井正三 イチロー使わず没落したオリックス監督
小川亨 不明のオリックス・コーチ
山内一弘 不明のオリックス・コーチ
河村健一郎 良きオリックス・コーチ
田口壮 オリックス→MLB
本西厚博 オリックス仲間
谷佳知 オリックス仲間
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