著名自分史「鳥山明」

オリジナル

鳥山 明

とりやま あきら

鳥山 明

1955年~-年

70

ふらっと漫画を描き始め画力と「キャラ立ち」で『Dr.スランプ』が大当たり、『ドラゴンボール』の世界的ヒットで大富豪となったオタクの英雄

寸評

基礎点 70点 名古屋市の貧しい家庭に育った鳥山明は絵を描くことが唯一の楽しみで、手塚治虫の『鉄腕アトム』やディズニーの『101匹わんちゃん大行進』の模写で腕を磨き(絵画教室に通ったとも)一宮市の起工業高等学校デザイン科へ進学、マン研に所属したがイラストレーター志望で漫画は描かなかったという。高校を卒業した鳥山明は広告系デザイン会社に就職したが2年半で挫折、ニート生活のなか小遣いに不自由し1977年『週刊少年マガジン』の新人賞賞金50万円を目当てに未経験のストーリー漫画を描き始め、鳥嶋和彦(「Dr.マシリト」のモデル)の引きで集英社専属となり読切作品『ワンダー・アイランド』でデビューした。僅か3年で漫画を会得した鳥山明は1980年『週刊少年ジャンプ』に『Dr.スランプ』で連載デビュー、圧倒的画力と「キャラ立ち」で忽ち読者を魅了し翌年テレビアニメ化され「アラレちゃんブーム」を巻起したが、1984年「ネタ切れ」を理由に突如連載を打切った。しかしジャンプは看板作家の休眠を許さず僅か3ヵ月後に鳥山明は『ドラゴンボール』連載開始、当初は二番煎じと思われたが1986年のテレビアニメ化でブレイクし、1997年の放送終了まで平均視聴率20%の大記録を樹立した。締切に追われるなか鳥山明は「ドラクエ」のキャラクターデザインを手掛けゲームブームに一役買っている。1995年『ドラゴンボール』は連載満了を迎え40歳の鳥山明は悠々自適の趣味生活に入ったが、単行本は全世界で売れ続け累計3億5千万部を突破(世界記録更新中)、アニメ市場は3千億円に膨らんだ。不評だが実写版ハリウッド映画『DRAGONBALL EVOLUTION』も上映され、鳥山明の個人資産は3百億円に迫り日本の漫画・アニメ史上断トツの大富豪となった。鳥山明の軽いノリは尊敬する手塚治虫の「漫画道」とは対照的で創作期間も遥かに短いが、イラスト並の画質と同一作品内に続々と秀逸キャラを産出す手法は漫画・アニメ・ゲームの価値観を一変させ欧米人にも認められた。『ONE PIECE』の尾田栄一郎や『NARUTO -ナルト-』の岸本斉史は鳥山明を尊敬し追随することで大成功を収めている。

史実

1955年 鳥山明が名古屋市にて出生

1955年 井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット

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1955年 日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟

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1955年 保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始

1955年 アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立

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1956年 原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら)

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1956年 鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言

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1956年 日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)

1956年 自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成

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1956年 日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される

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交遊録

手塚治虫 マンガの神様
ウォルト・ディズニー アニメの神様
鳥嶋和彦 ジャンプ初代編集者から編集長に出世した「Dr.マシリト」
近藤裕 ジャンプ2代目編集者
武田冬門 ジャンプ3代目編集者
西村繁男 黄金期のジャンプ編集長
松山孝司 唯一のアシスタント
大川知英 親友のお笑い芸人
桂正和 親友のジャンプ仲間
寺田克也 親友のデザイン仲間
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