著名自分史「有馬新七」

オリジナル

有馬 新七

ありま しんしち

有馬 新七

1825年~1862年

40

島津久光・大久保利通の挙藩一致方針に逆らい続け平野国臣の扇動に乗って討幕運動を激発し寺田屋騒動で誅殺された薩摩藩急進派の首領

寸評

基礎点 60点 有馬新七は、島津久光・大久保利通の挙藩一致方針に逆らい続け平野国臣の扇動に乗って討幕運動を激発し寺田屋騒動で誅殺された薩摩藩急進派の首領である。結果は最悪だったが、自ら捨石となって大事を成遂げようとした心意気は見事で、薩摩藩が本腰を入れて中央政局に乗出す契機になったとの見方もできよう。統制好きで浪人嫌いな島津久光の犠牲者ともいえる。
-20点 有馬新七は、純粋激烈な攘夷志士であったが、一派のリーダーとしては大局眼も政治力も不足していた。大久保利通への対抗心で目が曇ったか、浪人運動から挙藩運動へ移る時勢を見誤り、平野国臣の扇動に乗せられ、幕末一のトラブルメーカー真木和泉の無謀な討幕計画に飛付いて暴発、直接的には何も成遂げられず十余人の同志を道連れに犬死した。

史実

1825年 薩摩藩郷士坂木四郎兵衛の子として坂木正義(有馬新七)が伊集院郷にて出生、のち四郎兵衛が城下士有馬家に入嗣し一家は鹿児島城下の加治屋町へ移住

1838年 有馬新七が元服

1840年 アヘン戦争(~1842)

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1842年 異国船打払令を緩和し薪水給付令施行

1843年 有馬新七が江戸へ遊学し崎門学(山崎闇斎派朱子学)で高名な山口菅山に入門

1845年 有馬新七が京都にて梅田雲浜ら尊攘派志士と交流

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1846年 フランスが琉球の開国を要求

1850年 薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが若手藩士グループを結成(精忠組に発展)

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1850年 12代将軍徳川家慶・老中阿部正弘が薩摩藩主島津斉興に引退勧告

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1850年 井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す

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交遊録

島津斉彬 偉大な主君
島津久光 上意討ちを命じた主君
島津忠義 薩摩藩主を継いだ久光長子
西郷隆盛 精忠組首領
大久保利通 精忠組の政敵
小松帯刀 大久保派
吉井友実 精忠組同志
伊地知正治 精忠組同志
有村俊斎 精忠組同志
大山正円 精忠組同志
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