著名自分史「斎藤実」

オリジナル

斎藤 実

さいとう まこと

斎藤 実

1858年~1936年

50

仁礼景範の娘婿として薩摩海軍閥に連なり、山本権兵衛の下で海軍次官・海相を長く勤め首相に上り詰めた後、二・二六事件で殺害された「山本権兵衛の副官」

寸評

基礎点 50点 斎藤実は仁礼景範の娘との結婚で薩摩海軍閥に連なり、「海軍の父」山本権兵衛の忠実な子分として海軍次官・大臣を長く務めた。海軍青年将校が五・一五事件を起すと事態収拾のため74歳の斎藤実が「挙国一致内閣」の首相に担がれたが、松岡洋右・内田康哉ら対外硬派外交官と陸軍の強勢を前に為す業無く満州国建国承認・国際連盟脱退へ引きずられ退陣、重臣会議に列したが二・二六事件で殺害された。「山本権兵衛の副官」としての功績は評価すべきだが、斎藤実個人には軍人としても政治家としても特筆すべき業績は無く非常に陰が薄い。ほとんど何もしていないのに二・二六事件で標的にされたのは逆に気の毒であった。

史実

1858年 仙台藩士斎藤耕平の子として斎藤実が水沢城下にて出生

1868年 奥羽越列藩同盟が成立

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1868年 板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868年 盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

1869年 土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869年 版籍奉還

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1869年 後藤新平・斎藤実が胆沢県大参事の安場保和に認められ書生となる

1870年 海軍操練所が海軍兵学寮に改称

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1871年 明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871年 廃藩置県

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交遊録

山本権兵衛 主人
仁礼景範 義父にして出世の糸口
西郷従道 主人のボス
黒田清隆 薩摩閥の重鎮
川村純義 薩摩閥の重鎮
樺山資紀 薩摩閥の重鎮
加藤友三郎 優秀な後輩
財部彪 プリンス
岡田啓介 海軍仲間
鈴木貫太郎 海軍仲間
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