著名自分史「中村修二」

オリジナル

中村 修二

なかむら しゅうじ

中村 修二

1954年~-年

70

日亜化学工業で「ツーフローMOCVD」「窒化ガリウム製膜法」を発明し青色LED・青色半導体レーザーの工業製品化でノーベル物理学賞を獲得、古巣に特許紛争を仕掛け米国に帰化した「研究の鬼」

寸評

基礎点 70点 中村修二は、青色LED・青色半導体レーザーの工業製品化でノーベル物理学賞を獲得した叩上げ研究者の星である。青色LEDの発明は共同受賞者の赤崎勇・天野浩(名古屋大学の師弟)の手柄だが、中村修二は製品化に必要な高品質の窒素ガリウム結晶を作る「ツーフロー法」と制御条件を物にして逸早く量産技術を確立、手柄を競った赤崎とは犬猿の仲となった。中村修二は、愛媛県大洲市から徳島大学へ進み修士課程を修了して1979年徳島県阿南市の「日亜化学工業」に入社、1987年創業社長の小川信雄を説伏せ青色LEDの研究を開始した。1年間のフロリダ大学留学から戻った中村修二は博士号未取得で「あほ扱い」された屈辱から「研究の鬼」と化し、青色LED用MOCVD装置開発と英語論文作成に邁進し『怒りのブレイクスルー』(自著名)を炸裂させた。中村修二は1991年「ツーフローMOCVD装置」・1993年「窒化ガリウム製膜法」の発明により世界で初めて青色LED量産技術を樹立、徳島大学で念願の博士号を取得し「エジソンの電球に匹敵する発明」で世界の脚光を浴びた。しかし日亜化学工業は2万円の報奨金しか出さず特許権を独占、「スレイブ・ナカムラ」の嘲笑に燃えた中村修二は辞表を叩き付け1999年カリフォルニア大学サンタバーバラ校 (UCSB) 教授へ転身(のち米国に帰化)、非常勤研究員に就いたクリー・ライティング社と共に日亜化学工業に「青色LED訴訟」を仕掛け、「404特許」の帰属確認および譲渡対価約200億円を求め東京地裁に提訴した。中村修二は一審に勝訴したが日本工業界の虎の尾を踏み、2005年「日本の司法は腐っている」と罵りつつ東京高裁の和解勧告に涙を呑んだ(対価は8億4千万円へ激減)。しかし中村修二の研究意欲と権威は衰えず、UCSB教授に励む傍ら信州・愛媛・東京農工大学の客員教授を務め、世界初の「無極性青紫半導体レーザー」や「緑色半導体レーザー」でディスプレイ工業界を牽引、2014年ノーベル物理学賞に輝いた。なお青色LEDでは、2004年東北大学の川崎雅司チームが酸化亜鉛法に成功しており、高価な窒化ガリウムは駆逐される可能性がある。

史実

1954年 四国電力のエンジニア中村友吉の次男中村修二が愛媛県西宇和郡四ツ浜村にて出生、小学2年生のとき大洲市へ転居

1954年 朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道

1954年 アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)

1954年 第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任

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1954年 高度経済成長はじまる(~1973)

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1955年 米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力の平和利用」を喧伝

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1955年 ワルシャワ条約機構(WTO)発足

1955年 井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット

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1955年 日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟

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1955年 米CIAに近い正力松太郎の読売新聞が「原子力平和利用博覧会」開催、来場者数37万人

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交遊録

小川信雄 日亜化学工業創業者・良き理解者
小川英治 日亜化学工業創業者の娘婿で2代目社長・犬猿の仲
小山稔 日亜化学工業常務
福井満寿夫 徳島大学の恩師
多田修 徳島大学の恩師
スティーブ・デンバース UCSB教授
ジャン・スケティーナ ノースカロライナ州立大学教授
大川和宏 東京理科大の共同研究者
赤崎勇 犬猿の仲のノーベル賞共同受賞者
天野浩 理解あるノーベル賞共同受賞者
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