著名自分史「福井謙一」

オリジナル

福井 謙一

ふくい けんいち

福井 謙一

1918年~1998年

70

量子力学を化学に応用した独創的な「フロンティア軌道理論」で「有機電子論」の矛盾を克服し日本人初のノーベル化学賞に輝いた「量子化学」の先駆者

寸評

基礎点 70点 福井謙一は、量子力学を化学に応用した独創的な「フロンティア軌道理論」で「有機電子論」の矛盾を克服し日本人初のノーベル化学賞に輝いた「量子化学」の先駆者である。福井謙一が編出した「分子軌道法」概念は現在も有機化学の必修項目である。大阪市西成区の工場経営者の嫡子に生れた福井謙一は、『ファーブル昆虫記』と数学を愛する秀才に育ち、父の叔父で京大教授の喜多源逸から「数学が好きなら化学をやれ」と勧められ京大工学部工業化学科へ進学、化学より数学や物理に打込み最先端の量子力学も習得した。優秀な福井謙一は大学院在学中に陸軍技術大尉に徴され炭化水素の骨格改良により異常燃焼を起しにくい航空燃料を開発、戦後32歳の若さで喜多が創設した燃料化学科教授に栄達した。当時、化学反応を電子の電荷で説明するルイス・ロビンソン・インゴルドらの「有機電子論」が支配的であったが、電荷に正負分布が無い炭化水素の化学反応を説明できない矛盾を抱えていた。福井謙一は量子力学の「電子軌道法則」を援用する斬新な着想を得て、電荷の他に電子軌道の密度や位相によるエネルギー分布が分子の反応性を支配するという「フロンティア軌道理論」を考案し1952年発表した。枕頭にも紙筆を欠かさない「メモ魔」の福井謙一は、就寝中に閃いて構想を速記し側に寝る夫人に「どうだ、きれいだろう」と何度も同意を求めたという。日本学界の反応は鈍かったが、1964年の論文が翌年「ウッドワード・ホフマン則」に引用されたことで一躍脚光を浴び、ライナス・ポーリングに続く量子化学の権威となった福井謙一は1981年「化学反応過程の理論的研究」でノーベル化学賞を受賞した(ロアルド・ホフマンと共同受賞)。翌年福井謙一は京大教授を後進に譲り(名誉教授で残籍)京都工芸繊維大学学長や諸学術団体の名誉職を歴任した。福井謙一は1998年79歳で永眠したが最期まで有機化学研究に取組み、死の10日前まで病床で弟子達の論文に目を通したという。専門分野外の基礎研究へ視野を広げノーベル賞獲得へ繋げた福井謙一の研究スタイルは、学閥と「専門バカ」が根強い日本学術界に範を示した。

史実

1918年 町工場と貿易業を営む福井亮吉の嫡子福井謙一が奈良県生駒郡(母の実家)にて出生、大阪西成区岸里で育つ

1918年 「量子論の父」マックス・プランクがノーベル物理学賞受賞

1918年 第一次世界大戦終結

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1919年 パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)

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1920年 松田重次郎がマツダ創業

1920年 安田善次郎の保有株一斉売却で株式相場が暴落、安田は安値買戻しと満鉄株引受で巨利を得る

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1920年 国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1920年 鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成

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1920年 日本が初めて債権国となる

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1921年 安田善次郎が大磯の別荘で右翼生年に刺殺される

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交遊録

喜多源逸 父の叔父で京大の師匠
米澤貞次郎 門下生
永田親義 門下生
諸熊奎治 門下生
藤本博 門下生
平尾公彦 門下生
加藤重樹 門下生
伊藤俊明 門下生
梅原猛 京大の親友・娘の舅
ギルバート・ルイス 有機電子論の先駆者
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