著名自分史「中内功」

オリジナル

中内 功

なかうち いさお

中内 功

1922年~2005年

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高度経済成長下「価格破壊」で流通革命を牽引した「ダイエー」の創業者だが、消費変化に取残され投資に狂奔しダイエー諸共に破滅したバブル崩壊の象徴

寸評

基礎点 20点 中内功は、高度経済成長下「価格破壊」で流通革命を牽引した「ダイエー」の創業者だが、消費変化に取残されバブル投資に狂奔し破滅した。神戸高等商業学校を出た中内功は20歳で徴兵されフィリピンで死線を彷徨ったが、戦後マニラの捕虜収容所から神戸に帰還した。家業の「サカエ薬局」で現金仕入れを覚えた中内功は、1957年大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」を開業、安売り攻勢と牛肉特売で人気を博し、関西から日本全国へ店舗網を拡げ「何でも揃う」スーパー業態を確立した。1971年ダイエーは株式上場を果し翌年小売業売上高日本一を達成、中内功はあらゆる事業に手を拡げ1975年コンビニ「ローソン」を開業した。ダイエーの「価格破壊」を消費者は歓迎したがメーカーは猛反発、中内功は松下電器産業と「30年戦争」を戦いつつPB商品を拡大した。M&Aに目覚めた中内功は同業のマルエツ・ユニード・忠実屋にハワイの商業施設まで買収し規模の拡大に邁進したが、消費ニーズの質的変化に適応できず「ダイエーには何でもあるが、欲しいものは何もない」状態に陥った。ジャスコ(イオン)やイトーヨーカ堂が台頭するなか、ダイエーは1983年から3期連続赤字で経営危機、中内功は「もう一度、俺を男にしてくれ」と号泣し河島博副社長(元ヤマハ社長)らに再建を託した。新経営陣の「V革」でダイエーが復活すると中内功は経営権を強奪し暴走開始、リッカーミシン買収、神戸オリエンタルホテル買収、流通科学大学創立、新神戸オリエンタルシティ建設、ホークス球団買収を僅か2年で片付け借入金を膨張させた。バブル崩壊後も止らない中内功は1992年リクルートの巨額買収を強行、福岡ドーム球場に巨費を投じ怪しい「バブル紳士」の金主にもなった。同族支配に固執する中内功は有力幹部を悉く追放し、ダイエーは自浄作用を失い1999年赤字転落で経営危機が再燃、中内功は会長へ退いたが後任社長の鳥羽董がインサイダー嫌疑で退任し銀行団は匙を投げた。2001年粘る中内功と一族は完全追放されたが時既に遅し、ダイエーの産業再生機構送りが決まった翌2005年、全てを失った中内功は波乱万丈の生涯を閉じた。
-20点 家業から「ダイエー」を興した中内功は妻萬亀子と長女綾を除く親族全員を雇用した。祖父の中内栄は阪大医学部卒の神戸の眼科医で、ダイエーは「大栄」に因む。父の中内秀雄は神戸で「サカエ薬局」を経営、現金仕入れと安売りのノウハウはダイエーの礎となり創業時会長に就いている。3人の弟(博・守・力)はみなサカエ薬局とダイエーの経営に携わったが、長兄中内功のワンマン経営により亀裂が生じ、特にダイエーの共同創業者である中内力との葛藤は「骨肉の争い」といわれた。中内功が46歳のとき父の中内秀雄は「功は55歳で社長を力へ譲る」仲裁案をまとめたが、功にその気はなく結局「終身社長」を宣言した。ダイエーの東西分割案も出たが、兄弟喧嘩を嫌気した中内力は1969年にダイエーを去り、中内功は住友銀行の堀田庄三から融資を引出し末弟の持株を買取った。骨肉の争いに懲りた中内功は家族を溺愛し、長男の中内潤をダイエー副社長・次男の中内正を「福岡ダイエーホークス」オーナーに据え、血の承継を守るべく有力幹部を次々放逐、「V革」の恩人河島博達まで追出し「中内一族以外誰もいない」惨状となった。中内功は「V革」成ったダイエーの経営権を強奪し大暴走へ奔るが、これも中内潤への経営承継が目的だったといわれる。中内功は田園調布の大豪邸近くに潤・正・綾の豪邸を並べ一帯は「ダイエーの天領」といわれた。かくしてダイエーは経営破綻し粘る中内功は2001年に完全追放されたが、時既に遅く2004年ダイエーは産業再生機構送り、中内一族は全財産を失い路頭に迷った。翌年中内功は憤死、差押えられた大豪邸に亡骸を戻せず菩提寺で密葬に付された。ダイエーグループは経営再建の名の下に丸紅(AP)主導で切売りされ、優良子会社のローソンは三菱商事が買収、ホークス球団は孫正義のソフトバンクに身売りした。本業のスーパーを買収したイオンは経営再建に注力したが業績の足を引張られ、2018年までに全店でダイエーの看板を降す決断を下した。なお、中内潤は唯一残された「学校法人中内学園」の理事長に収まり、中内正は渡邊恒雄(中内功の親友)の読売ジャイアンツに拾われた。

史実

1922年 大阪市で薬店を営む中内秀雄の嫡子に中内功が出生

1923年 石橋正二郎の日本足袋がゴム底「アサヒ地下足袋」を発売し作業現場の定番品となる

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1923年 関東大震災

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1924年 早川徳次が大阪阿倍野に早川金属工業研究所を設立(シャープ創業)、国産初の安価な鉱石ラジオで急成長

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1925年 豊田佐吉・豊田喜一郎の父子が「無停止杼換式自動織機(G型自動織機)」を発明し特許取得

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1925年 東京放送局がラジオ放送開始

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1925年 野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)

1926年 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

1927年 片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生

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1927年 高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職

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交遊録

中内栄 祖父
中内秀雄
中内博 次弟
中内守 三弟
中内力 四弟・骨肉の争い
中内潤 長男
中内正 次男
入江義雄 日商岩井から来た腹心
鳥羽董 インサイダー疑惑のダイエー2代目
雨貝二郎 経産省→ダイエー会長
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