著名自分史「永守重信」

オリジナル

永守 重信

ながもり しげのぶ

永守 重信

1944年~-年

70

「倍働け」型モーレツ経営で小型モーター世界一を確立した「日本電産」創業者、不振工場の買収と再建を約40件も成功させ孫正義・柳井正も兄事するM&Aの鬼才

寸評

基礎点 70点 永守重信は、HDD用モーターで75%の世界シェアを握る「日本電産」の創業者にして、不振工場の買収と再建で急成長を遂げた「M&Aの達人」、日産の鮎川義介を彷彿させる。マスコミの露出は多い永守重信だが、マネーゲームに手を出さない真当な実業家であり、同類の孫正義・柳井正に敬われ「ほら吹き3兄弟」を自称する。京都の貧家に生れた永守重信は苦学して洛陽工業高校・職業訓練大学校を卒業し、音響機器のティアックに6年勤めた後、1973年京都市に「日本電産」を設立し精密小型モーターの製造を開始した。積極経営の永守重信は海外進出と工場増設に邁進し、一時経営危機に陥るもHDDやOA機器の旺盛な需要に支えられ事業拡大、1984年米国トリン社の買収でM&Aを始動し1988年株式上場を果した。日本電産躍進の原動力は「時間を金で買う」M&Aによる生産体制拡大・新分野開拓であったが、肝腎な買収後の経営で永守重信は鬼才を発揮した。永守重信は「優秀な技術を持つが経営不振の企業」に買収対象を絞り、筆頭株主兼経営者として現場に乗込む方式で多くを経営再建へ導き優秀な系列企業群と連結業績を膨らませた。永守重信の経営再建術は欧米流の単純なリストラとは異なり「倍働け」「一番以外はビリ」「すぐやる・必ずやる・出来るまでやる」という母親仕込みの精神注入が核心だが、思想文化の異なる世界各地で現に成功を収めており精神論では片付けられない凄みを帯びる。リーマンショックと超円高で日本電産は破綻に瀕したが永守重信は解雇以外で乗切り、円安転換で業績は急回復し2015年株価は上場来高値を更新した。2015年末現在、日本電産はHDDやOA機器の小型モーターで世界一の座を磐石にし海外販売比率は8割に到達、M&A実績は日本24社・海外15社を数えるが、71歳の永守重信は社長に健在で「休みたいなら辞めれば良い」との至言が労働組合の反発を招きつつ、売上高2兆円を目指し自動車や家電製品向け中大型モーターの拡充や中国展開に奔走している。世襲制を否定する永守重信は元シャープ社長の片山幹雄を後継候補に迎えたが、息子が2人あり動向が注目される。

史実

1944年 永守重信が京都府向日市の貧家に生れ母タミに養育される

1945年 日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告

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1945年 玉音放送

1945年 全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)

1945年 東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる

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1945年 マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始

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1945年 日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧

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1945年 GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始

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1945年 GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動

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1945年 GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代

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交遊録

永守貴樹 長男
永守知博 次男
小部博志 創業以来の部下
柳井正 ファーストリテイリング創業者・財界仲間
孫正義 ソフトバンク創業者・財界仲間
松下幸之助 松下電器創業者
井植歳男 三洋電機創業者
早川徳次 シャープ創業者
井深大 ソニー創業者
盛田昭夫 ソニー創業者
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