著名自分史「稲葉清右衛門」

オリジナル

稲葉 清右衛門

いなば せいうえもん

稲葉 清右衛門

1925年~-年

50

富士通から独立し工作機械用NC・多関節ロボットで世界市場を制した不況知らずの「ファナック」創業者、勲章と世襲に固執するも社長に据えた長男の謀反で電撃解任

寸評

基礎点 50点 稲葉清右衛門は、東大工学部から富士通に入社し東工大で工学博士号を取得、MITが開発したNC(数値制御装置)の商品化に成功し、1972年計算制御部を分社化し「富士通ファナック」を設立した。FA化の流れに乗ったファナックは忽ち業績を伸ばし、専務から2代目社長へ昇格した稲葉清右衛門はシーメンスやGEと提携して全世界へ販路を拡げ産業用ロボットにも進出、1976年株式上場を果した。工作機械制御の基幹であるサーボモーターとCNCを一体販売し、NCプログラミングでGコードのデファクトを押えたことが強みとなった。稲葉清右衛門は1972年から1997年まで富士通の非常勤役員を兼任しつつ「ファナック」へ社名を改め富士通の持株比率を徐々に減らし独裁権を確立、バブル期の財テクに手を出さず、逆に東京から富士山麓へ本拠を移し技術開発に専念した。工作機械用NCで世界シェア5割・多関節ロボットで2割を押えたファナックは海外売上高8割の国際企業となったが、技術流出と組織力分散を懸念する稲葉清右衛門は国内生産にこだわり、生産体制の集約とFA化で圧倒的な競争力と利益率を達成、主要輸出先の中韓取引では円建て決済を呑ませ為替リスクも排除した。円高不況で日本の製造業が低迷するなか、FA産業は不況知らずでファナックも右肩上りの成長を継続、さらに稲葉清右衛門の国内生産主義は日本の財政と雇用に多大な貢献を果した。稲葉清右衛門は合理的な辣腕経営者だが奇人の一面もあり、商品・建物・社有車から作業着・箸袋まで全ファナックを「会社カラー」の黄色で染め、また極度のIR嫌いで日本語版HPを半年間閉鎖する騒動も起している。功成った稲葉清右衛門は権勢欲と名誉欲の権化となりファナックを私物化、HPの社史を皇室や海外VIPの来訪と叙勲歴で埋尽し、社長経験者の野澤量一郎・小山成昭を追払い長男の稲葉善治を社長に擁立した。相談役名誉会長を名乗りつつ絶対君主を続ける稲葉清右衛門は、2013年長男以外の重役を降格させる「懲罰人事」を断行し35歳の稲葉清典(善治の長男)を取締役に就け世襲路線を顕示したが、重役陣の謀反が起りファナック全役職を電撃解任された。

史実

1925年 稲葉清右衛門が茨城県下館市(現筑西市)にて出生

1926年 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

1927年 片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生

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1927年 高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職

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1928年 蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了

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1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1928年 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

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1928年 八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む

1929年 東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立

1929年 トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆

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交遊録

稲葉善治 長男・ファナック2代目
稲葉清典 嫡孫・ファナック後継者
池辺洋 東工大の師匠
吉村万治郎 古河財閥副総帥→富士通創業者
高羅芳光 分離独立時の富士通社長
池田敏雄 富士通PC事業の開祖
山本卓眞 同年生の富士通社長
滝崎武光 キーエンス創業者
安川第五郎 ライバル安川電機2代目
安川敬二 ライバル安川電機社長
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