著名自分史「山内溥」

オリジナル

山内 溥

やまうち ひろし

山内 溥

1927年~2013年

80

家業の花札・トランプ屋から「ファミコン」で家庭用ゲーム事業を興し世界的産業へ発展させた「任天堂」の実質的創業者、社員に「組長」と慕われ自己顕示を嫌い一匹狼を通した賢人

寸評

基礎点 80点 「任天堂骨牌」は工芸職人の山内房治郎が1889年京都に興した花札・トランプ屋で、1950年曾孫の山内溥が早稲田大学法学部卒業と同時に家業承継、国産初のプラスチック製トランプの量産化で業績を伸ばし1962年株式上場し翌年「任天堂」へ改称した。1973年オイルショックで任天堂は破綻に瀕し山内溥は脱トランプを掲げゲーム事業参入、「インベーダーゲーム」ブームに乗じ業務用を手掛けたがタイトー・ナムコ・コナミらに追付けず家庭用に的を絞った。山内溥は文系だが異能の横井軍平・宮本茂を得て任天堂は1980年発売の「ゲーム&ウオッチ」で躍進、同年米国へ進出し、1983年発売の「ファミコン」で家庭用ゲーム機のパイオニアとなった。ソフト重視の任天堂は自ら『ドンキーコング』『スーパーマリオ』を投入しつつ、ソフトハウスを下請化し『ドラクエ』『FF』で躍進、「ゲームボーイ」「スーパーファミコン」とハード開発も並走させ世界市場を独占した。が、1994年ソニー子会社のSCEが「PlayStation」を発売、AV技術で任天堂を凌駕しつつソフトハウスの自由度向上で切崩しに成功し二強時代を現出させた。とはいえ『ポケモン』の大ヒットなどでゲームは世界的産業へ発展し任天堂は後継機投入で着実に前進、山内溥から社長を継いだ岩田聡のもと2006年発売の「Wii」で最盛期を迎えトヨタ・三菱UFJに次ぐ時価総額10兆円に到達した。が、ゲームの主流は据置き型からオンライン・スマホへ移り、情報革新に乗遅れた任天堂はリーマン・ショックと円高に直撃され長い低迷期に入った。山内溥は2002年85歳で永眠したが、無借金経営のお陰で任天堂の基盤は揺るがない。「任天堂は運がよかっただけ」「俺の経営がうまかったから成功したと思うような経営者は、早晩墓穴を掘る」と語った山内溥は、「組長」だワンマンだと言われながらも社員に慕われ世襲を排除、一匹狼で経済団体に顔を出さず、勲章も狙わず「私の履歴書」を何度も蹴った賢者であった。山内溥と任天堂が興したゲーム産業は製造業に娯楽産業を融合した日本文化の結晶であり、コミック・映像・スマホなど全メディア産業の牽引役となった。

史実

1927年 任天堂創業者山内房治郎の曾孫山内溥が京都にて出生、父の山内鹿之丞が駆落ち失踪したため祖父母に養育される

1928年 蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了

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1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1928年 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

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1928年 八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む

1929年 東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立

1929年 トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆

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1929年 軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆

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1929年 世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

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1929年 農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

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交遊録

山内房治郎 曽祖父・任天堂初代
山内積良 祖父・任天堂2代目
山内鹿之丞 失踪した父・任天堂3代目
山内克仁 長男・任天堂入社
荒川實 追放した娘婿
岩田聡 任天堂後継者
横井軍平 任天堂ゲーム事業の祖
宮本茂 任天堂ゲーム事業の祖
出石武宏 横井の後継者
山上仁志 出石の後継者
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