著名自分史「清浦奎吾」

オリジナル

清浦 奎吾

きようら けいご

清浦 奎吾

1850年~1942年

30

山縣有朋の子分となり内務官僚・司法大臣として忠勤に励んだ後、楔として貴族院に送込まれ親山縣・反政党の牙城を築いた出世人

寸評

基礎点 30点 清浦奎吾は非長州閥・非軍人ゆえに山縣有朋に重宝され、司法官僚・大臣として陸軍長州閥の法整備を担い、貴族院に送込まれ親山縣・反政党の牙城を築いた。山縣有朋の死後も貴族院に君臨した清浦奎吾は念願の首相に就いたが、時代錯誤の「超然主義内閣」は護憲三派による第二次護憲運動によって僅か5ヶ月で打倒された。ただ、キングメーカーの西園寺公望元老は、選挙管理内閣として中継ぎ役を果たせば十分との考えであり、清浦奎吾に多くを望んではいなかった。退陣後の清浦奎吾は重臣会議に列し92歳まで長寿を保ったが、「第23代内閣総理大臣」の肩書きと山縣有朋の子分として果した役割以外に特段の業績も出世の理由も無い。

史実

1850年 肥後鹿本郡来民村の明照寺住職大久保了思の五男清浦奎吾が出生、後に清浦家を継ぐ

1865年 清浦奎吾が豊後日田に出て広瀬淡窓の私塾「咸宜園」に入門

詳細を見る

1873年 清浦奎吾が埼玉県令の野村盛秀を頼って上京し埼玉県14等出仕

1873年 明治六年政変

詳細を見る

1873年 内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

詳細を見る

1876年 清浦奎吾が司法省出仕

1877年 西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)

詳細を見る

1882年 集会条例改定、自由民権運動が激化

詳細を見る

1883年 山縣有朋が内務卿就任(~1885)

1884年 清浦奎吾が山縣有朋内務卿の引きで内務省警保局長に抜擢される

もっと見る

交遊録

山縣有朋 主人
桂太郎 山縣ファミリー
寺内正毅 山縣ファミリー
田中義一 山縣ファミリー
伊藤博文 主人の政敵
松方正義 司法相時の首相
西園寺公望 首相指名の恩人
加藤友三郎 意地悪
斎藤実 意地悪
加藤高明 政敵
もっと見る