著名自分史「加藤友三郎」

オリジナル

加藤 友三郎

かとう ともさぶろう

加藤 友三郎

1861年~1923年

80

山本権兵衛を支えて海軍の軍政を取り仕切り、優れた決断力で国際協調路線・軍縮に舵を切った頭脳明晰なエリート海軍人

寸評

基礎点 80点 加藤友三郎は、連合艦隊参謀長として日露戦争勝利に貢献した後、山本権兵衛のもと海軍の軍政を取仕切り、シーメンス事件で山本と斎藤実が一線を退いたあと6年間海相を務め首相となった。日露戦争後の世界的な建艦競争の流れに従い加藤友三郎は山本権兵衛と共に「八八艦隊」建造計画を推進したが、第一次世界大戦後に軍縮機運が高まると強大な米国の産業力と競う愚を悟り軍縮路線に切替え、海相兼首席全権としてワシントン海軍軍縮条約を成立させた。加藤友三郎首相の急死で内閣は2年で終わったが、ワシントンで各国に約束したシベリア撤兵を断行し、海軍の軍縮を陸軍に波及させ「山梨軍縮」の効果を挙げた。共に「日本海軍の三祖」と称された山本権兵衛より9歳・東郷平八郎より13歳年下である加藤友三郎の早過ぎる死は帝国海軍の痛恨事で、国際情勢通じ現実的判断の出来る加藤が存命なら艦隊派の暴走を許さず海軍が反米英に染まることも無かったかも知れない。

史実

1861年 広島の下級藩士加藤七郎兵衛の三男加藤友三郎が広島城下大手町にて出生

1870年 加藤友三郎が広島藩校修道館で学ぶ(年次不詳)

1871年 廃藩置県

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1872年 明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置

1873年 加藤友三郎が海軍兵学寮に入学

1873年 徴兵令布告

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1873年 最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1874年 西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野

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1875年 勝海舟に代わって榎本武揚が海軍卿となる

1876年 海軍兵学寮が海軍兵学校に改称

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交遊録

山本権兵衛 偉大な先輩
伊東祐亨 偉大な先輩
東郷平八郎 偉大な先輩
島村速雄 親友
上村彦之丞 戦友
片岡七郎 戦友
秋山真之 癪に障る後輩
八代六郎 山本派の同輩
斎藤実 山本派の先輩
岡田啓介 山本派の後輩
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