著名自分史「安藤百福」

オリジナル

安藤 百福

あんどう ももふく

安藤 百福

1910年~2007年

60

台湾から帰化し事業失敗で破産するも48歳で「日清食品」を興し「チキンラーメン」「カップヌードル」で躍進、テレビCMと特許戦略で即席麺・カップ麺の同質競争を制したプロモーションの達人

寸評

基礎点 60点 安藤百福は日本統治下の台湾出身で、繊維問屋の祖父母に育てられ22歳で繊維商社を興し大坂へ移住し帰化したというが、前半生は不詳である。安藤百福は大阪大空襲で「日東商会」を失ったが、戦後「第三国人」らしく闇商売に手を染めたと思われ、製塩業も興し脱税容疑でGHQに捕まるほど稼いだらしい。が、安藤百福は脱混乱期に乗遅れ1957年理事長を務める信用組合が倒産し(名義貸しと弁明)48歳で無一文に転落した。再起を期す安藤百福は黎明期の即席麺に注目し、テンプラから「瞬間油熱乾燥法」を着想し1958年「チキンラーメン」発売、翌年テレビCMを開始し資本金の10倍を超す年間放映料を注込み「日清食品」と高槻工場を立上げた。即席麺開発は1953年頃始まり「ベビースターラーメン」が先行していたが、チキンラーメンの大ヒットに触発され数百社が乱立するブームが沸起り「チャルメラ」の明星食品・「サッポロ一番」のサンヨー食品・「マルちゃん」の東洋水産らも相次いで参入した。利に聡い安藤百福は逸早く即席麺の製法特許を押さえ粗製乱造品を駆逐、1963年株式上場で資本力を増し更なる広告攻勢で過当競争を制圧した。競争の焦点がカップ麺へ移ると、日清食品は中身が傷まない「宙吊り法」で商品化に成功し1971年「カップヌードル」発売、翌年初の「あさま山荘事件」で機動隊員がカップヌードルを食べる姿がテレビ放映され人気爆発、安藤百福はカップ麺工場を全国展開し業容を急拡大させた。首位の座を固めた日清食品はライバルと競いつつうどん・そば・焼きそばへ手を拡げ「ドン兵衛」「U.F.O.」「ラ王」など不朽の定番品を送出、安藤百福は長男に社長を譲るも追放し1985年次男の安藤宏基を社長に据えたが(2015年現任)2005年まで取締役に留まり退任2年後に96歳で永眠した。晩年の安藤百福は即席麺・カップ麺の「発明」に拘り「インスタントラーメン発明記念館」や財団活動で自己宣伝に努めたが、実質はテレビCMと特許戦略で同質競争を制したプロモーションの先覚者であった。日本発祥の即席麺はアジアから世界へ広がり2012年1千億食に到達した(中国が約半数、日本は54億食で3位)。

史実

1910年 日本統治下の台湾嘉義県朴子市に安藤百福が出生し(台湾名不明)台南市で繊維問屋を営む祖父母に養育される

1910年 伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

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1910年 鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立

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1910年 小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業

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1911年 不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)

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1911年 出光佐三が北九州市に出光商会を設立し日本石油特約店として機械油小売業を開始(出光興産創業)

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1912年 孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡

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1912年 明治天皇が崩御し大正天皇が即位

1914年 第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1915年 大隈重信内閣が袁世凱政府に「対華21カ条要求」を突きつける

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交遊録

安藤宏寿 対立し追放した長男・日清食品2代目
安藤宏基 次男・日清食品3代目
中川晋 日清食品4代目
中曽根康弘 親密な政治家
小林一三 偉大な先達
中内功 ダイエー創業者
岡田卓也 イオン創業者
鈴木敏文 セブン-イレブン創業者
柳井正 ファーストリテイリング創業者
松下幸之助 松下電器創業者
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