著名自分史「高橋是清」

オリジナル

高橋 是清

たかはし これきよ

高橋 是清

1854年~1936年

90

裸一貫から英語を武器に日銀総裁、蔵相、首相に出世、日露戦費調達、金融恐慌沈静化とデフレ退治を果したが、二・二六事件で波乱万丈の人生を閉じた本物の「財政の第一人者」

寸評

基礎点 80点 高橋是清は、日銀総裁を経て6度も蔵相を務め、外債発行による日露戦争の戦費調達、関東大震災後の金融恐慌の沈静化、世界恐慌後のデフレ退治に鮮やかな手腕を発揮、「財政の第一人者」の尊称に相応しい大きな功績をあげた。特に日露戦費調達の功は重大で、ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフとの出会いを招いた高橋是清の幸運が日本の窮地を救った。
-10点 高橋是清は原敬暗殺後に急遽政友会総裁に推され首相となったが、高橋内閣の業績はほとんど無い。そもそも銀行家で政党人としてのキャリアが無い高橋是清に政治手腕まで期待するのは酷ではあるが、金のかかる普通選挙への移行を前に、持参金目立てとはいえ陸軍長州閥の田中義一に政友会総裁を譲ったのは大失策であり、政党政治の堕落に拍車を掛けた。
20点 高橋是清は、絵師の私生児にして「賊軍」仙台藩の足軽の養子という出自のハンデを英語力で乗越え、才覚一つで銀行家から首相に上り詰め財政史に輝く偉業を果した。藩閥に属さず軍人でも政党人でもない人物としては唯一無二の出世を遂げ、最期は軍部と闘い二・二六事件で殺害された波乱万丈の人生ストーリーは極上であった。

史実

1854年 幕府絵師川村庄右衛門の私生児として江戸に出生、生後間もなく仙台藩足軽高橋是忠に入嗣し高橋是清を名乗る

1864年 高橋是清が横浜のヘボン博士の学僕となる

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1866年 高橋是清がイギリス系銀行のボーイとなる

1867年 高橋是清が仙台藩の給費生として渡米するが騙されて奴隷にされる

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1869年 帰国した高橋是清が森有礼の書生となる

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1869年 高橋是清が大学南校に入学するが英語力を買われ15歳にして教官助手となる

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1871年 高橋是清が唐津藩の英語学校耐恒寮の教員となる

1873年 高橋是清が森有礼の引きで文部省督学局十等出仕しモーレー博士の通訳を務める

1875年 高橋是清が文部省を退官し英語教師職を転々

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1876年 国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる

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交遊録

森有礼 大恩人
前田正名 開運の先輩
ヘーレン 詐欺師
田島春雄 ヘーレン手下の詐欺師
末松謙澄 副業仲間
川田小一郎 出世の糸口
井上馨 長州閥の重鎮
伊藤博文 長州閥のドン
深井英五 日銀の部下
三土忠造 日銀の部下にして後継者
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