著名自分史「竹下登」

オリジナル

竹下 登

たけした のぼる

竹下 登

1924年~2000年

40

中曽根康弘に次ぐ「バブル崩壊」の元凶、田中角栄から自民党最大派閥を簒奪し首相となったがアメリカの軍事協力要請を拒否し「リクルート事件」で倒された「気配り・目配り・金配り」の達人

寸評

基礎点 60点 竹下登は「言語明瞭・意味不明瞭」ながら「気配り・目配り・金配りで総理になった」調整型政治の達人で、年次の丸暗記から始めて官僚操縦術を習得し、政治家には人事ポストの「損失補填」で派閥横断人脈を形成、「選挙の神様」と称されコロンビア大学から「選挙学」で名誉博士号を得ている。早稲田大学商学部を卒業した竹下登は、地元の島根県議を経て1951年衆議院議員初当選、佐藤栄作・橋本登美三郎に属し1971年官房長官で初入閣したが、田中角栄の田中派結成と政権獲得に主導的役割を演じ退陣後も要職に留まった。蔵相・幹事長として中曽根康弘政権を支えた竹下登は、「プラザ合意」などレーガン米政権の内政干渉に従い「バブル経済」の端緒を開く大失策を犯している。さて田中派は「ロッキード事件」批判に晒されつつ与党自民党で最大勢力を保ったが、政権を取れない苦境に不満が募り、1985年竹下登と盟友の金丸信は「創政会」で反旗を掲げ激怒した田中角栄は脳梗塞でダウン、田中派を乗取る形で「経世会」が発足した。「ほめ殺し」の「皇民党事件」で反撃に遭うも、竹下登は「裏技」で凌ぎ中曽根康弘の後継指名を得て1987年首相に就任、最大派閥領袖のうえ総裁選を争った安倍晋太郎を幹事長・宮澤喜一を副総理に起用する派閥横断人事で長期政権に臨んだ。が、竹下登首相は早々に皇民党事件で躓き、懸案の消費税初導入は果したものの、中曽根康弘政権が助長したアメリカの日本経済破壊に為す術無く「スーパー301条」「BIS規制」「日米構造協議」に遭遇、軍事協力要請を拒否した2週間後に「リクルート事件」が起り2年足らずで総辞職に追込まれた。退陣後も検察の執拗な追及は続き竹下登は訴追を免れるも金庫番の青木伊平が自殺、1991年遂にバブルが崩壊し、翌年「東京佐川急便事件」で金丸信が議員辞職に追込まれ反発した小沢一郎・羽田孜が経世会を割り新生党を結成した。小沢一郎・細川護熙の「新党ブーム」で自民党は政権を失い「55年体制」は終焉したが、自社さ連立の村山富市内閣で復活し橋本龍太郎・小渕恵三の経世会内閣が成立、晩年恵まれた竹下登は2000年異母弟の竹下亘に地盤を譲り76歳で永眠した。
-20点 レーガン米政権は、軍拡・富裕層減税・米国製造業の地盤沈下で「双子の赤字」を膨張させた責任を日本経済へ転嫁し懲罰政策に狂奔した。対する中曽根康弘政権は、輸出自主規制・制裁関税・輸入強制に加え「プラザ合意」で急激な円高まで唯々諾々と受入れ、「円高不況」打開のため安易な低金利政策と財政出動で「バブル経済」を引起したが、残念なことに蔵相は「経済音痴」の竹下登であった。それでも貿易赤字は減らず怒り心頭に達したアメリカは「原因は日本の国体にあり」と金融・不動産・流通など経済システムの破壊に踏込み、続く竹下登政権は「BIS規制」「スーパー301条」に続き露骨な内政干渉「日米構造協議」まで呑まされ、日銀のソフトランディング失敗でバブルは崩壊し日本は「失われた10年」に沈んだ。経済政策で「2度目の亡国」を招いた竹下登だが、1988年の国連軍縮会議で「日本が二度と軍事大国にならないこと」「非核三原則を国是として堅持すること」を宣言し、レーガン米政権の「防衛責任の増強」(防衛協力)要求を「軍事的な分野に人を出す考えはまったくない。PKOについても事前の調査に十分な注意をしたい」と拒否している。その僅か2週間後に朝日新聞が「リクルートの川崎市への誘致時の助役が関連株を取得、株式公開で利益1億円」と報じ「リクルート事件」が発生、政財界を揺るがす大疑獄事件に発展し、関与を疑われた竹下登首相の「金庫番」青木伊平が自殺し翌年内閣総辞職に追込まれた。竹下登内閣は自主外交に殉じた観もあるが、日本を「(米ソという)ビルの谷間のラーメン屋みたいなもの」と言って憚らない竹下登に師匠の佐藤栄作や田中角栄のように日米安保や「55年体制」の枠組みにまで踏込む意志は無く、アメリカが仕掛けた「日米経済戦争」に対抗する力量も気概も無かった。

史実

1924年 島根県飯石郡掛合村の旧庄屋で酒造業を営む竹下勇造の嫡子に竹下登が出生

1934年 日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く

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1936年 二・二六事件

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1937年 盧溝橋事件で日中戦争が始まる

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1937年 近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大

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1939年 ノモンハン事件勃発

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1939年 天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告

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1939年 ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発

1940年 第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)

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1940年 近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる

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交遊録

田中角栄 裏切ったボス
佐藤栄作 最初のボス
橋本登美三郎 佐藤派の恩人
鳩山一郎 反吉田の領袖
河野一郎 佐藤のライバル
金丸信 盟友
安倍晋太郎 盟友
野中広務 側近
青木幹雄 側近
青木伊平 自殺した金庫番
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