著名自分史「中曽根康弘」

オリジナル

中曽根 康弘

なかそね やすひろ

中曽根 康弘

1918年~-年

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田中角栄の支持と従米外交で1806日の長期政権を築いた「政界の風見鶏」、「防衛協力」でレーガン米大統領に寵愛されたが対日経済制裁とプラザ合意を呑まされた「バブル経済」「失われた10年」の元凶

寸評

基礎点 50点 中曽根康弘は、小派閥の領袖ながら1806日の長期政権を築いた「政界の風見鶏」、レーガン米大統領に追従し「ロン・ヤス」関係を築いたが、対日経済制裁と「プラザ合意」を受入れ「バブル経済」「失われた10年」の元凶となった。中曽根康弘は東大法学部から内務省へ進み海軍へ志願転出、1947年民主党から衆議院議員に初当選し、日の丸を立てた白塗りの自転車で徘徊し「青年将校」と称された。河野一郎に属した中曽根康弘は「国権回復論」を唱え吉田茂の従米政権を批判したが、欧米遊学でキッシンジャーや正力松太郎と通じ米国の「原子力平和利用」に便乗、1955年原子力基本法を成立させ、1959年科学技術庁長官で初入閣し原子力委員会委員長を兼ねた。中曽根康弘は、吉田茂直系の池田勇人政権で不遇を託ち、河野一郎の死に伴い1966年中曽根派を結成し佐藤栄作政権を批判したが運輸相ポストに釣られ転向、改憲・自主防衛論を封印し要職を歴任した。1972年「角福戦争」で田中角栄を勝たせた中曽根康弘は存在感を高め通産相に就任、続く三木武夫内閣では幹事長のくせに「三木おろし」に加担し、「四十日抗争」では福田赳夫に付いたが土壇場で大平正芳首相へ寝返って田中派に恩を売り、1982年「田中曽根康弘内閣」「角影内閣」を組閣した。極端な従米路線を採る中曽根康弘首相は、対韓経済援助40億ドルの肩代りを買って出、NTT・JT・JRの三公社民営化で「新自由主義」に迎合、日本を米国の「不沈空母」と発言した。が、忠勤も虚しくレーガン米政権は日本経済を敵視し「再破壊」を発動、無抵抗の中曽根康弘政権は制裁関税・自主規制・輸入強制に続き1985年プラザ合意で破壊的な円高を容認し、対抗的な金融・財政政策の拡大で「バブル経済」を招来した。1987年政権を竹下登に譲った後も中曽根康弘は自派閥に院政を敷いたが、後継者の渡辺美智雄は2度の自民党総裁選に敗れ、求心力低下で造反議員が続出し「中曽根さん、あんたはもう高崎へ帰りなさいよ」と罵倒された。ロッキード事件・リクルート事件をすり抜けた中曽根康弘は「御意見番」の地位を保ったが、2003年小泉純一郎首相に引導を渡され漸く引退した。
-50点 少壮期に「国権回復論」を唱え吉田茂の従米政権を批判した中曽根康弘は、改憲・再軍備派に期待されたが、政権に就くと極端な従米路線を採りGHQ以来の「日本経済再解体」に全面協力した。中曽根康弘個人はロナルド・レーガン大統領(共和党)と「ロン・ヤス」と気安く呼合い各国首脳の「招待外交」で存分にアピール出来たが、日本は経済面で高すぎる代償を払わされた。若き中曽根康弘は改憲・タカ派で鳴らし「吉田ドクトリン」批判で保守本流に対抗したが、かたやキッシンジャーら米国要人と誼を通じ正力松太郎と共に原子力行政を牽引した。1982年首相となった中曽根康弘は、翌年アメリカの対韓経済援助40億ドルを肩代わりし、日本の防衛に無関係なP3C等軍備の代替購入と対米武器技術供与を決定、「不沈空母」発言が批判を浴びたが釈明すらしなかった。米国の要求は「防衛協力」に留まらず、中曽根康弘政権(蔵相竹下登・宮沢喜一、外相安倍晋太郎・倉成正)は「経済音痴」では済まされない大失策を犯した。1981年発足のレーガン政権は、ソ連に対する軍事的優位を確立すべく「戦略防衛構想」(SDI)で軍拡を推進しつつ、同盟国の日本も敵視し経済破壊へ方針転換、直ちに乗用車輸出の「自主規制」を押付けた。中曽根康弘の従米政権発足で攻勢を強めたレーガン米政権は、1985年GATTを無視して通商法301条を適用し日本製パソコンやテレビの関税を100%に引上げ、輸出競争力を奪うべく「プラザ合意」で急激な円高を押付け、日米半導体協定で米国製半導体の輸入を強制、スーパー301条で対日制裁を強化した。それでも貿易赤字が減らず日本のバブル景気に業を煮やしたレーガン政権は、貿易赤字削減を逸脱して金融・不動産・流通など日本の経済システムの解体に踏込み、中曽根康弘政権はNTT・JT・JRの三公社民営化などで迎合、「BIS規制」と「日米構造協議」が決定打となり1991年初にバブルは崩壊し日本経済は「失われた10年」に叩き込まれた。露骨な内政干渉を唯々諾々と受入れた中曽根康弘首相と竹下登・安倍晋太郎・宮澤喜一ら主要閣僚は「二度目の亡国」を招いたと非難されても仕方ないだろう。

史実

1918年 群馬県高崎市末広町の材木商中曽根松五郎の次男に中曽根康弘が出生

1926年 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1928年 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

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1929年 世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

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1929年 農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

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1931年 関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

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1931年 朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

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1931年 軍事費の急増が始まる

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1931年 新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延

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交遊録

レーガン 主人
キッシンジャー 裏ボス
マッカーサー 占領政策是正を訴えるが無視
ダレス 占領政策是正を訴えるが無視
河野一郎 師匠
河野洋平 師匠の息子・中曽根派に合流
河野太郎 師匠の孫
鳩山一郎 河野のボス
大野伴睦 鳩山派の大番頭
三木武吉 鳩山派の大番頭
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