著名自分史「田中角栄」

オリジナル

田中 角栄

たなか かくえい

田中 角栄

1918年~1993年

60

高等小学校卒ながら政策通の「コンピュータ付きブルドーザー」、「日本列島改造論」はオイルショックで頓挫したが日中国交回復と資源外交で従米脱却を追求、金脈問題とロッキード事件で潰された土建行政と金権政治の元祖

寸評

基礎点 70点 田中角栄は、毀誉褒貶はあるが今なお根強い人気と知名度を誇る野人政治家である。田中角栄は新潟の寒村から15歳で単身上京し建築技師となり「田中土建工業」を開業、肺炎で兵役を免れ理研の大河内正敏の庇護下で身代を築いた。戦後政界へ転じた田中角栄は吉田茂・佐藤栄作に属し1957年郵政相で初入閣、佐藤の政敵である池田勇人内閣でも盟友大平正芳の支えで要職に留まった。田中角栄は無学ながら100本を超す議員立法を行った政策通で、建築士法や道路法など土木関連法を案出し自ら推し進める様は「コンピュータ付きブルドーザー」と評された。剛腕の田中角栄は自民党幹事長として佐藤栄作内閣を支え、通産相を託されると国内繊維業界に2300億円の損失補填を断行し3年も膠着した対米繊維交渉を決着させた。が、佐藤栄作は後継総裁に岸信介直系の福田赳夫を指名、田中角栄は「田中派」で佐藤派を割り大平正芳・三木武夫・中曽根康弘らと結んで「角福戦争」を制し1972年念願の首相に就任した。経済成長に取残された「裏日本」の振興と格差是正を宿志とする田中角栄首相は、「日本列島を高速交通網(高速道路、新幹線)で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密や、公害の問題を同時に解決する」という「日本列島改造論」を標榜し建設ラッシュを巻起こしたが、オイルショックで挫折し福田赳夫の「総需要抑制政策」へ転換した。一方で田中角栄首相は自主外交に注力、巨額の財政援助を餌に「日中国交正常化」を引出すと、欧州・ソ連・中東など世界各国を歴訪し日本独自の資源確保に奔走(資源外交)、オイルショックでは産油国に理解を示し日本産業界の窮地を救ったが、頭越しの独走を米政府と石油メジャーは許さなかった。1974年「金脈問題」で田中角栄内閣は倒され、キッシンジャー米国務長官らの謀略「ロッキード事件」で復活を阻まれたが、金権選挙に強い田中派は最大勢力を保持し首相指名権を握る田中角栄は「目白の闇将軍」に君臨した。が、首相を出せない田中派では不満が募り、1987年竹下登・金丸信・小沢一郎らが造反し「経世会」を結成、脳梗塞に倒れた田中角栄は影響力を失い1993年刑事被告人のまま病没した。
-30点 「地域間格差の是正・地方への利益誘導」を使命に掲げた田中角栄内閣は、鉄道・道路などの公共工事で「列島改造ブーム」を巻起こし、見返りの利権でスパイラル的に勢力を伸張、土建行政と金権政治の元祖というべき政権であった。田中角栄政権に端を発する過剰な地方・農村・社会的弱者への「バラマキ」は歪な逆差別構造と地元偏重の悪弊を生み、今なお解消されていない。安易な財政出動の「パンドラの箱」を開けたことも田中角栄政権の重罪だろう。当時は経済が好調で税収が充実していたのでやっていけたが、財布の紐は一度緩めると締まらないもので、田中角栄退陣後の1975年には10年ぶりに赤字国債が復活し、バブル期も国債発行残高は増え続けた。バブル崩壊で税収が激減しても無駄遣いに歯止めが掛からず、1994年から赤字国債が常態化し小泉純一郎政権で国債発行残高が急膨張、「財政再建」は行われないまま日本政府の借金は積りに積って2014年現在1000兆円・対GDP比200%の大台に迫っている。また「政治と金の問題」で必ず名前が挙がるのも田中角栄である。代名詞の「ロッキード事件」はキッシンジャー米国務長官らの陰謀とされるが、氷山の一角であり、田中角栄は中堅時代から政治利権の現金化に天才的手腕を発揮したうえ小佐野賢治と組んで違法すれすれの土地取引等を繰返し荒稼ぎしていた。財界がバックに控える福田赳夫(清和会)や宏池会と異なり、有力な資金源を持たない叩上げの田中角栄は自力で政治資金を稼ぐほか無かったが、あの笹川良一が敬遠したほどの傍若無人ぶりで「田中金脈」の発覚は自業自得であった。
20点 戦後、田中角栄ほどアメリカを憚らず派手な自主外交を繰広げた首相はいないだろう。鳩山一郎・岸信介・佐藤栄作と続いた自主路線の政権が憲法改正・再軍備を究極目標としたのと異なり、石油等資源の独自供給ルート獲得を主軸に据えた点が田中角栄外交の出色であり、第二次大戦の開戦と敗戦の経緯を鑑みれば現実的で見事な判断であった。田中角栄の失脚で「資源外交」は頓挫したが、失敗に至った経緯を含め、後世に重大な示唆を与える壮挙であった。

史実

1918年 新潟県刈羽郡二田村の農民で牛馬商(馬喰)を営む田中角次の次男に田中角栄が出生

1921年 大河内正敏が理化学研究所3代目所長に就任

1926年 大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

詳細を見る

1928年 張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

詳細を見る

1928年 張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

詳細を見る

1929年 世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

詳細を見る

1929年 農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

詳細を見る

1931年 関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

詳細を見る

1931年 朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

詳細を見る

1931年 軍事費の急増が始まる

詳細を見る
もっと見る

交遊録

大河内正敏 戦前の大恩人
幣原喜重郎 政界入り後最初のボス
吉田茂 二番目のボス
佐藤栄作 三番目のボス
愛知揆一 佐藤派仲間
保利茂 佐藤派仲間
鳩山一郎 吉田のライバル
河野一郎 鳩山の大番頭・佐藤のライバル
大野伴睦 鳩山の大番頭
三木武吉 鳩山の大番頭
もっと見る